カザルの改革
シナーイ大陸北部のもうひとつの国についてです。お気づきとは思いますが、ウェーダンとキリール以外は移転前の中央アジアを想定しています。
シナーイ大陸を南北に分断する形で東西に走る山脈、ヒヤラ山脈以北で唯一、日本の影響下にない国、それがキリールの南に位置するカザル王国であった。彼の国は北にキリール、西にウゼル、東南にヒヤラ山脈とに囲まれた、日本の一〇倍以上の面積を持つ絶対王政国家であった。ヒヤラ山脈は平均して五〇〇〇m級の山が連なるが、ウゼルの南、ヤレル地峡、カザル東方のシルート地峡とで山脈の南と繋がる。
ヤレルの二〇〇〇mに比べてシルートは一〇〇○mと低く、古来からシナーイ帝国との交易路として知られていた。しかし、ここ五〇年、シナーイ帝国がラーム教勢力に染まったため、シナーイ帝国との紛争が続いていた。現国王が戴冠してからは、これまで国内にあったラーム教勢力を駆逐する政策を採っており、昨年のキリールとの不可侵条約締結後、じりじりと駆逐する勢いにあった。そうして、ヤレル地峡がウゼル(正確には日本軍)によって封鎖されて以降、それを達成しつつあった。
カザル王国上層部では、日本の存在を知っていた。現に、幾度か接触もしていた。当時の代表者であった今村と国王が二度対談していたが、今村が申し出た支援については受け入れることはなかった。代表者が沢木に変わってからも、二度ほど対談が持たれているが、ラーム教駆逐の支援に関しては受け入れることはなかった。日本の支援によってラーム教勢力を駆逐したはいいが、その後、日本に侵入されては困る、そう考えていたのかもしれない。それに彼らは日本の力を借りる必要を認めていなかったのかもしれない。
しかし、セランとトルシャール国境、ヤレル地峡の防衛が固められ、突破が困難になったことから、その状況が変わりつつあった。つまり、ラーム教勢力はシルート地峡を突破するために勢力を集中しだしたのである。結果、カザル王国は劣性に立たされることとなった。かっては、交易路であったため、それなりに発展していた周辺の街は破壊され、廃墟と化していた。さらに、徐々に押し返されつつあり、国内に侵入するラーム教勢力が増えていたのである。
現国王アムラール五世は重大な決断を迫られていたといえる。かって敵対していたキリールやウゼルは日本の影響下で目を見張る発展振りを見せており、鉄道が敷かれ、いままで考えられなかったほどの規模の街が生成されており、これまで見たこともない道具や機械によって道路が整備されていた。そして、それらが日本の支援によって成し遂げられているが、日本は国政にはあまり関与していないようである。アムラール五世が決断を迷っている理由、それは両国の政変にあったといえる。王が直接政治に関与できない立憲君主制議会国家、その一点にあったといえる。彼はウゼルのカース公爵と同様の考えを持っていたからである。
これらの情報は対談のたびに日本代表、サワキという女性が置いていった資料によって知ることができた。そして、自ら二度ほど両国を訪問し、実際に確認すらしてもいた。キリールではお互いに政府の代表を国内の首都に置くことを提案されてもいた。現に、キリールには日本のほかに東の隣国であるウェーダンの政府代表が駐留しており、現在は西の隣国であるウゼルの政府代表を駐留させる件について会談中であるという。
最初の頃は日本の支援など必要がないと考えていたが、彼らの支援は何も戦争だけについてのものではなかったことを知ると、自らの国も同じように発展させたいという思いが強くなっていた。それに最近はシナーイやラームの勢力に押されつつあることもその原因であった。少なくとも、シナーイ帝国軍は何とか追い返し、国土の確保と国内安定が急務と思われた。政策の改革はそれ以降でも良いのではないか、そう思うようになっていた。
結局、宰相や軍高官の多くは反対する中で、アムラール五世は日本軍の支援を得ることを決定した。自らには息子一人と娘一人がいたが、王子はシルートの戦いで命を落としており、娘は未だ一〇歳であった。現在のカザル王国の慣例では、王女が王位を継ぐことになるが、その条件として、王族の中、三等親以上五等親以内の王族から婚姻相手を選ぶこととなる。しかし、既にその多くは戦死しており、要件が満たされない場合、王位を追われることとなる。ならば、という考えが強いのである。
そうして、新たにルーサ駐留軍となっていた、第四連隊がシルート地峡に向かうこととなった。ちなみに、ルーサ駐留軍であった第一連隊は瑠都瑠伊に根拠地を移し、すべての部隊が移動していたたため、ファウロスより第四連隊が配備されることとなったのである。連隊長である宇津木一郎大佐はトルシャール空爆任務を終え、ルーサにあったF-15<イーグル>による航空支援と八九式装甲車、ヘリ<ブラックホーク>など投入可能な装備をすべて投入しての作戦を実施することとなった。ちなみに、HH-53H<ベイブロウ>は瑠都瑠伊に派遣されており、それ以外にはファウロスにあるだけであった。
しかし、宇津木にとって不幸だったのは、侵攻しようとしていたシナーイ軍がこれまでの戦いで、対応を変えていたことにあった。それに気づかず、マニュアルどおりの対応をしたことで、これまで以上の損害を出すこととなったのである。とはいえ、<イーグル>の投入もあって最終的にはシナーイ帝国軍を駆逐することに成功、何とか作戦を成功させていた。この作戦で第四連隊は戦死者一五人、負傷者一〇〇人を出し、これまでで最大の損害を受けることとなったのである。
さらに、カザル王国との対応にも問題があったが、こちらは沢木の機転と適切な対応によってこれまでの日本軍の面目を保つことに成功していた。こうしてカザル王国東部での戦いに決着がつき、第四例隊隷下の一個大隊がシルートの防衛に付くこととなった。カザル軍最高責任者のアガサル大将は自国の軍で十分と言い張ったが、沢木がこれを受けず、軍の教育が終わるまでは日本軍が防衛すると言い張った。アムラール五世も同意したため、一応の決着を見ることとなった。
ここでは、沢木が孤軍奮闘していたといえる。これまでは、今村が軍関係は適切に処理、沢木は経済面や支援面などの対応だけで済んでいたのだが、今回は軍事面でも対応しなければならなかった。これが後に、沢木が瑠都瑠伊に移動する最大の原因であったという。その沢木をもっとも困惑させたのが、鉄道の敷設であったという。当初はルーサからの分線ということであったのだが、カザル側はウェーダンからの直接引き込みにこだわっていたからである。つまり、キリールとの紛争が発生した場合に備えてのものであろうと沢木は理解した。いずれにしても、同時に工事することは不可能であるとして今後の課題としたのであるが、工事に関わる人間はカザル側が用意するということで紛糾したのである。
むろん、すぐに工事を開始することはできないため、今後の課題ということで一応の決着とした。ちなみに、沢木はアムラール五世の主張だと考えていたが、そうではないということを知ると、立憲君主制議会国家への移行と議会の開設が決定されれば、早期に着工できるよう本国に掛け合うと告げている。むろん、これはブラフであり、本来は沢木の胸一つで決定できるものであり、最悪でもファウロスの佐藤が決定できるものであったからである。
ともあれ、幾つかの問題は残るものの、カザル王国との支援はこうして決定された。ちなみに、カザル王国では南部で石炭が、南西部ではプラチナなどが産出しており、これら資源との取引で開発がなされることとなった。もちろん、今後の調査次第では新たな資源が発見される可能性もあり、特に天然ガスについては有望とされていた。もっとも、仮に発見されたとしても、内陸部であるため積み出しに関する問題も存在していた。とにかく、こうして大陸北部が日本の影響下で開発が進められることで日本は一応の目的を達したといえる。