表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/109

トルシャール西部

 新世紀四年六月、ナトル、下北半島に似た半島、の北東側にある湾に面するトルシャールの港湾都市ルトルイの桟橋に海軍輸送艦『おおすみ』『しもきた』が碇を下ろしていた。艦内からは当面必要な物資が陸揚げあされていた。むろん、物資だけではなく、人も上陸していた。海軍施設部隊であり、彼らの任務は搭載してきた物資、その多くはセメントなど港湾整備用の資材であった、を利用しての港湾整備であった。


 紆余曲折の結果、トルシャール沿岸部の開発には海軍が関与することとされた。これは、陸軍では対応できない、物資輸送が困難であることに起因する。結局のところ、海軍はこれまでは輸送船の護衛、海洋調査、海上哨戒などに多くの艦艇を割いていたため、あまり大陸諸国と関係することはなかった。しかし、トルシャールで初めて軍艦と遭遇、ラーシア海西部での安全保障のため、該当地域に近い泊地が必要であった。そうした結果、このルトルイに目をつけたものであった。


 下北半島に似ているナトル半島の北東のナトル湾、形状的には陸奥湾に似ているが、その規模は遥かに大きい、の南東部、ナトル半島の付け根に近い、に位置するルトルイは天然の良港ともいえる入り江があった。佐世保軍港に似ていることもあるが、他の入り江に比べて水深が深いため、喫水の深い大型船舶でも接舷可能であったからである。このルトルイ以外の入り江は比較的水深が浅く、一二m程度しかない場所が多かったため、漁港や商港としてはともかく、軍港としては開発されないこととなった。


 このルトルイ(瑠都瑠伊)は日本海軍の根拠地として開発される予定であった。規模的には八万四〇〇〇平方km(ほぼ北海道と同じで日本の面積の約四五パーセント)ほどがトルシャールから割譲されていたのである。これは、日本からの陸海空軍すべての駐留地を作りたいとの要請に対してのトルシャール側の答えであった。つまり、この地域をやるから勝手にやってくれ、その代わり、そこ以外には一切関与するな、という彼らの意思表示であった。結局、日本軍が関与しての祖国奪取および開放がなされたことの謝礼の意味も含まれている。実際はもっと複雑であるが、簡単に言えばそういうことであった。


 むろん、日本としてはそのようなことを望んではいなかったが、彼らトルシャール側としては、日本軍の強大な力を見せ付けられ、日本軍の支配、あるいは強い影響力を解放した祖国で行使されたくない、そういう意識があったと思われた。そうなる前に、日本に一地域を与え、それ以外は関与するな、そういうことであったのかもしれない。それに、グルシャ人にも国土を与え、国境とすることで、彼らとの問題を避けるためにも、そのほうが都合が良かったのかもしれないと思われた。そして、日本側もそれを受け入れることとなった。


 そうして、日本が下した判断が、当面は海軍施設部隊による開発、そして民間人の移住、新たな日本の領土としての開発ということであった。租借ではなく、永久的な領土となしえる割譲であったためである。しかし、労働力がまったくといっていいほどない現状では、開発が遅れると思われた。しかし、進出している陸軍、今村の意見具申により、その一部は解決されることとなった。それは、ナトルへ強制移住されるグルシャ人および希望するトルシャール人の雇用であった。


 彼らの地域もいずれは開発支援を行わなければならないのであれば、労働力として雇用し、日本の技術の会得に励んでもらい、ゆくゆくは自らの居住地の開発に向かわせる、そういうものであった。特に、グルシャ人はこれまでの居住地を追われ、新たな地域に移住し、ゼロからの開拓を行わなければならない。今のところ、生活の糧を得る方法がないから、それを解決するための良いアイデアであると思われた。


 今村の指揮下にある第一連隊に関しては、セラン国境近くに駐留することは認められ、国境の警備とトルシャール軍の教育と練成に当ることとされた。これは今村たちの戦いぶりを知ったトルシャール政府、未だ混乱しており、確たる政治機構ではなかった、と軍の最高責任者が判断したものであった。しかし、装備が異なるため、それには莫大な資金と期間を要すると思われた。その資金に関しては、現状で得られる資源、石炭や鉄鉱石などが充てられていた。


 トルシャールでは鉄鉱石や銀、銅、燐鉱石の鉱脈があり、それの供給で資金が捻出されることとなった。後に、重金属系レアメタルの鉱脈も発見され、それなりの利を得ることができた。むろん、鉄鉱石などは現地で精製され、銀や銅もインゴットとして日本に運ばれることとなった。後には、瑠都瑠伊に進出した民間企業がより精度の高いインゴットとして精製し、それが日本に運ばれることとなった。そう、トルシャールでの精製は粗く、純度も八○パーセントに達するものが少なかったのである。別に、お金を払って購入しているわけではないので、日本側としても文句を言うつもりはなかった。


 そして、もうひとつの問題が持ち上がっていた。それはキリール在住のトルシャール人の移住問題であった。彼らとて、同じトルシャール人であり、祖国に居住する権利がある、という主張であった。対して、同地に在ったトルシャール人との間に騒動が発生、一部では暴動にすら至るケースもあった。これは民族問題であるから、日本は口出しをするつもりはなかった。ではあったが、暴動にまで至ると日本も関与しないわけにはいかなかった。結局、日本、今村が介入、調停案を出すこととなった。


 それは、瑠都瑠伊の隣接地域を供与するべきであろう、不可能であれば、瑠都瑠伊で受け入れるというものであった。もっとも、キリール在留のトルシャール人にとっては日本の支配下に居住することは考えておらず、問題は暗礁に乗り上げたかに思えたが、結局、瑠都瑠伊の隣接地であるトルトイ地域を居住地とし、当面はトルシャール国に参政権のない自治州とすることで一応の安定化を見ることとなったのである。ちなみにトルトイ地域は規模的には一〇万平方kmもあった。


 むろん、これらは決定されたからといってすぐに実行できるものではなかった。少なくとも、猶予期間として、一〇年が見込まれた。とはいえ、グルシャ人六〇〇万人、キリール在住トルシャール人二○〇万人の移住が一〇年で可能かといえば、不可能であると思われた。そう、誰もがそう思っていたといえる。しかし、日本にはそれなりの自信があったといえる。それは現地の豊富な森林資源であった。強度的には不満があったものの、ALCを使えば短期間で当面の居住施設の建設が可能であるとしていた。


 日本としては、一応の住宅を完成させ、当面はそこに住まわせ、本格的な開発はそれ以降に行えばよい、そう考えたのである。その間の生活の糧は双方の中間にある瑠都瑠伊での労働とした。つまり、地域の開発に労働力を必要とする日本がその労働力を得るために考えた結果、はじき出されたものであった。極端な話し、日本に割譲された瑠都瑠伊だけでも、五〇〇〇万人は優に居住できる広さがあったのである。そうして、日本はその開発に邁進することとなる。


 むろん、ただ労働力を得るばかりではなく、そこで得た技術を双方の居住地の開発のために使わせるためでもあった。初歩的な技術を習得してくれれば、後の双方の土地開発も容易であろうと考えたからであっただろう。結果として、港湾設備と空港設備は予想以上に建設が進むこととなるだろうと思われた。民間航空機の運航に欠かせないGPSは使用できないため、現在では日本国内だけでの運航、各地の空港から発進されるビーコン波を使用した時代に逆行するような運航が行われていた。が、この時点では、波実来、ファウロス、ストール、ルーサ、サリルの間で試験的に運航が行われていた。それが、瑠都瑠伊まで伸びることになるだろうと思われた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ