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大陸西部

 新世紀四年三月二〇日、トルシャールとセランの境界線が第一連隊およびトルシャール義勇兵が確保して一〇日後、同地の混乱は一応の終結を見ていた。境界線には第一連隊が張り付き、セランからの侵攻に備えており、境界線に張り付いていたグルシャ人兵力は降伏し、武装解除され、捕虜となっていた。先の戦いは彼らがこれまで見たこともない戦いであり、三倍以上の兵力を有するグルシャ軍があっけなく敗北したのである。同じことはセラン軍、その多くはラームルの勢力であった、をも敗走させていた。


 セラン軍の最前線には<イーグル>による空爆、その多くはナパーム弾が使用され、三○万人を数える軍勢は瞬く間に足止めされることとなった。さらに、それでも突撃してくる歩兵には、<イーグル>による二〇mmバルカン砲掃射、<ペイブロウ>によるミニガン掃射、最後は車載重機による洗礼を受けることとなり、僅か一日で一〇万人以上の損害を出し、敗走するに至った。グルシャ軍には同じく、通常爆弾による空爆と<ペイブロウ>のミニガン掃射で一万人以上の損害を出させ、その戦意を奪っていた。彼らにとっては、青天の霹靂というべき戦いであっただろう。


 もちろん、セラン軍はともかく、グルシャ軍にはいきなりの攻撃を加えたわけではない。少なくとも、接触が試みられ、対話を行っていた。しかし、彼らはそれを拒否し、逆に攻撃を仕掛けてきたため、やむなく実力行使となった。彼らにとっては、三万人強の部隊など、自軍勢力で圧倒できると考えたのかもしれない。それが間違いであったことは結果が示していた。さらに、セラン軍との戦いをその目で見るにつけ、戦意を消失したといえるだろう。おとなしく、武装解除に応じている。


 今村としては絶対にやりたくない戦い方であったかもしれない。しかし、そうしなければ、戦いは長引き、第一連隊の損失も増えるだろうと思われた。今村にとっては、第一連隊の損害をできるだけ少なく、相手には戦いをあきらめさせる絶対的な力の差を見せ付ける必要があったのである。そうでなければ、この地域では後々憂いを残すことになるからである。ウェーダンやキリール、ウゼルとは異なり、人口比でほぼ対等の異民族が居住することになるからであった。


 もちろん、同一民族であっても、外国で育った住民とこの地で虐げられて育った住民、同じトルシャール人であっても、キリールで生活していた住民とこの地で生活していた住民との間に問題が発生する可能性は非常に高かったといえる。宗教や民族間の対立というよりも考え方の違いによる対立が必ず発生すると今村は考えていた。むろん、それは彼ら民族間の問題であり、今村など日本、あるいは近隣諸国が関与するものではないとも考えていた。


 とにかく、今村の今の考えはトルシャール人とグルシャ人の住み分けの問題をいかにして解決するか、その一点にあった。そのため、今村はグルシャ人の代表、トルシャール人義勇兵代表、北トルシャール地方のトルシャール人代表との会談を連日こなしていた。さらに、今村は一個大隊を治安維持に振り向け、グルシャ人とトルシャール人の争いをも監視しなければならなかった。本来、この役目は今村ではなく、佐藤や沢木といった外務官僚の役目であるはずであった。しかし、治安が悪く、彼らの進出が困難な今は、占領軍の最上位者として軍政を敷かざるを得なかった。


 本国からの指令であるにも関わらず、本国からの人材派遣、外務官僚であろうが軍人であろうが、が実行されないいまは、すべてが今村の肩にのしかかってきていたのである。最初に接触した海軍から人材派遣があってもよさそうなものであるが、陸の問題として取り合わない、と佐藤が言う。実際問題、今村を含めた第零特殊師団のように志願者からなりたっていない海軍では人材派遣も成り立たない。


 そうした今村に解決の糸口を与えたのは、トルシャール義勇兵から第一連隊に連絡将校として派遣されているシェード少佐、年齢的には今村の倍近く、おそらくは軍歴、キリールにおけるトルシャール人の保護のために自警団として少数の軍を持つ、の上級士官である、が長い彼は本来なら大佐のはずであり、今回の義勇兵が今村の指揮下に入るため、階級を降格していた、の言葉であった。むろん、彼も今村の会談には幾度か同席していたため、その問題はよく理解していた。


「今村殿、これまでの対話と情報から、グルシャ人は基本的に海産物を食する民族です。ならば、トルシャール西部のここに移住させるのはどうでしょう?面積はそれなりにありますし、ここを境界線とすればよろしいのでありませんか?」今村の前に広げられていた地図の一点を指していう。


 彼の指し示したそこはトルシャール西部で、トルシャールとセランとを分断する入り江のラーシア海への出口、形は下北半島に似ていた。もちろん、突き出す方角は北ではなく西に向かっており、東西が逆、つまり、下北半島を裏返した形をしていた。その大きさは、トルシャール国の一/一〇の面積を有するほどであった。その付け根は僅かに二六〇km、ここに境界線を張ればいい、とシェードは言うのである。彼とて、現在のトルシャールの状況を知っているわけではなく、単に地理的状況からそういったに過ぎないと思われた。それでも、今村には大きなヒントを与えることとなった。


「たしかによさそうだが、現地の状況を調査する必要がある。人が住めない状況では問題がある」

「そうですね。ただ、私の先祖はその地域出身です。祖父からは自然が美しく、海産物も豊富で土壌も肥沃だったと聞いています。現在はどのような状況なのかはわかりませんが」

「そうか、とりあえず、調査隊を派遣しよう。貴官も同行するかね?かっての父祖の地だろう?」

「可能であれば是非」


 そうして、数日後、その結果が判明する。たしかに荒れてはいるが、開拓すれば、それほど苦労することなく、居住が可能だという。この地は、東側に砂浜が集中、西や南には砂浜はほとんどなく、部分的に低い部分があるが、平均して五mを超える絶壁に囲まれており、グルシャ軍がトルシャール侵攻の際もあまり被害を受けることはなかったらしい、との報告を受ける。もちろん、シェード少佐の報告もそうであるが、連隊本部の室田も同様の報告をしていた。


 こうして、住み分けの問題に解決のめどが立ったが、他にも問題は山積みであった。再建のために必要な資材や人員の輸送が困難であるということだった。陸路では一度に運べる量が少なく、さらに、ウゼルから以西の鉄道網が整備されておらず、車両による輸送、しかも、不正地輸送であることが問題であった。


 海路はというと、未だ調査段階であり、経由地が整備されていないことから、大型船の運航は難しいとされた。移転前でいえば、黒海付近になるため、日本からは遠すぎるのである。さらに、この辺りではかってのグルシャがそうであったように、国籍不明の戦闘艦が現れる可能性もあり、貨物船だけでの独航には不安あるため、護衛が必要だと考えられるからである。


 結局、今村は自身の考えも含めて計画を練り上げ、佐藤や安部の下へ報告を上げるが、最終的な決断は本国が行うことになるだろう、ということしかわからなかった。その結果、海軍の調査が促進されることとなり、さらにはウェーダンのストール、キリールのサリルといったシナーイ大陸北部の開発が急がれることとなる。とはいえ、一年や二年でできることではなく、効率が悪くとも、当初は護衛を付けることで凌がないとならないと思われた。


いずれにしても、大陸北部は日本の影響下に置き、開発を続けることがどれほど困難であるか、本国は悟ることになる。移転前でいえば、ロシアのウラジオストックから黒海までの陸部、実際にはそれほど広大ではないが、それに近い陸地を影響下において開発することは、到底短期間では不可能であろうと思われた。それこそ、国の主導ではなく、民間主導で、しかも、渡航の自由を与え、それなりの支援を行わなければならない。そうなるとようやく上向きかけた経済が破綻することとなる。


 結局のところ、赤い大国が六〇年かけてなしえなかったことをそれ以下の期間で実施することは不可能であると認識せざるを得ない。さらに、一つの国ではなく、四国が連なっていることから、舵加減を誤れば、近隣諸国で紛争が発生する可能性もある。そのあたりの問題の解決も日本政府が負わなければならないのである。だからこそ、早急に大陸北部諸国の改革を行うのは無理であり、時間をかけて熟成をしなければならない、というのが今村の考えであった。


 ともあれ、今村としては与えられた任務、トルシャールの確保と維持、ラーム教の勢力駆逐、を達成しており、さらにはセランからの侵攻を排除することに専念せざるをえなかった。この二ヶ月間に二度、セランからの侵攻があり、防衛戦が発生していた。また、今村の管轄外であるが、ウゼル南部の地峡からも同様の事件が二度起こっており、実戦経験に劣る第四連隊隷下の部隊は殉職者を出してもいた。


 ウェーダンのファウロスにおいても、シナーイ帝国による侵攻作戦、帆船による、が発生、海軍がそれを撃破するという事件が発生していた。結果、ファウロスではウェーダン国軍が二四時間体制で警備につき、駐留軍も、それなりに臨戦態勢をとらざるをえない状況であった。特に、シナーイの人海戦術はファウロス駐留軍に恐怖感を与えることとなった。キリールやウゼルと異なり、ウェーダンのファウロスの場合、その開発度合が肉眼で見ることができることもあり、予断を許さない状況だといえた。


 そうして、大陸北部をほぼ日本の影響下、程度の差こそあれ、置いたことで大陸調査団派遣が有名無実化しつつあるのもまた事実であった。少なくとも、ウェーダンやキリールでは移転前の東南アジアのようになりつつあり、それなりに治安の状態も良いことで大陸調査団の管轄から外すべき、という意見も本国の議会では出始めているという。


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