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大陸へ

いよいよ大陸へ向かいます。志願者を募ることはありえるかどうか判りませんが、この世界では志願者を募っています。それで、部隊として成り立つかどうかは疑問ですが・・・・・

 新世紀元年七月八日、日本がこの世界に移転して一ヶ月強、国内は一応、安定を取り戻し、一時のような騒動や暴動は鎮静化していた。暴動の中心となった赤い大国や在日韓国・朝鮮人も落ち着きを取り戻したが、警察の監視下に置かれることとなった。日本人(日本国籍を有する外国人を含む)と異なり、国内での移動は制限されることとなっていた。


 一時、独自行動を取っていた在日米軍も、当面は日本政府の指揮下、というよりも協調路線をとることを決定、指揮系統は未確定であるが、日本政府あるいは日本軍の依頼があれば動くということで決定していた。現状、各地の基地からの移動は控えられ、いわば基地内待機という形であった。これには、燃料たる石油の入手が不可能であり、当面は活動を自粛するという決定であろうと思われた。


 内閣の首班である南原英夫総理はその日の午後の定例記者会見で、在日米軍および陸海空軍が確認していた北および西の大陸、南の大島のうち、西の大陸への調査団派遣を正式に公表した。むろん、各メディアは調査団派遣というのを非公式の情報として報道はしていたが、この記者会見によって正式なものとなった。この記者会見の席上、派遣団に対する攻撃があった場合の武器使用を認める発言も行われた。


 詰めかけた記者団の、なぜこの大陸なのか、との質問に対して、北の大陸は寒冷であるため、調査にはそれなりの準備期間が必要であること、南の大島はジャングルであること、熱帯性気候であるため、それなりの準備が必要であると説明した。各メディアは調査団の派遣は情報として入手していたものの目的地の情報は入手していなかったのである。


 派遣部隊は日本陸軍一個連隊、一個施設大隊、一個歩兵大隊、一個特化大隊からなる、と資源調査の専門家、外務官僚であった。これを民間から徴用された大型フェリー二隻と日本海軍の『おおすみ』『しもきた』『くにさき』の三隻の輸送艦、護衛および航空支援のため『しらね』と「むらさめ」型護衛艦四隻からなる部隊で編成され、責任者は外務官僚の佐藤明宗審議官が充てられていた。


 そうして、七月一○日、調査団は横須賀を出発したのである。むろん、総理の発表は準備を終えた段階で行われたからこそ、発表の二日後の出発となった。西の大陸は日本から五〇〇浬(約九〇〇km)離れており、北の大陸は三〇〇浬(約五四〇km)と近く、南の大島は七五〇浬(一約一三五〇km)と遠かったが、距離だけではなく、先に述べた理由から見送られていたのである。熱帯性気候で密林が多いということは、未知の病原性微生物が存在する可能性が高いが、それは伏せられていた。


 七月一二日、二日をかけて○九○○時に現地に到着した調査団は、その日は先遣隊として一個歩兵小隊を上陸させ、事前調査を実施した。上陸予定地点は三箇所選定されており、問題がなければ搭載してきた物資の陸揚げを行う予定であった。ここは第一候補に挙げられるだけあって、天然の良港といえる入り江であり、舞鶴に似ていたといえる。少なくとも、外洋の波の影響は受けないと思われた。周囲には三本の川が流れ込んでおり、そのうちの一本は大河といえる大きさであった。むろん、移転前の黄河や揚子江ほどではなく、日本的観点からいえばということである。


 舞鶴に似ているとはいえ、規模はこちらのほうが遥かに大きいものであった。船団は長さ約五km、幅約一一〇〇mの海路を抜けた先にあるY字の二つの入り江のうち、北側の入り江に進み、その最深部のW字の入り江のもっとも幅の狭いU字型をした入り江に停泊していた。それでも、幅は二km、奥行きは一kmほどもあった。桟橋などないため、艦載のLCACを用いてのことである。とはいえ、燃料事情が事情なだけに、以後はLCACではなく、大発を使用することになっていた。むろん、周辺は空からの精密偵察が行われており、ここが第一の上陸地点とされたのだった。


 このとき上陸したのは今村俊彦少尉率いる一個小隊三五名であった。便宜上、第一一小隊と名付けられた、純粋に戦闘可能な完全装備の歩兵小隊である。もちろん、先に述べたように、ここには元から編成されていた部隊は存在せず、今回の調査のために志願者から編成された、特別部隊である。ちなみに、今村少尉は最後のと防衛大学校出身者の一人であり、配属されて三年であった。現在では、陸海空ともに士官学校(海軍は兵学校という)が役目を果たしているからである。なお、各軍の大学校は部隊内の志願者のみに解放されている。また、各軍の幹部候補生学校はそのままであるが、基本的に、部隊内からの昇進のための課程とされ、一般大学卒業者もここに入校することとなる。


「よし、事前の打ち合わせ通り、分隊単位で行動する。一分隊は西、二分隊は北西、三分隊は北東、四分隊は東を捜索する。小隊本部は北の丘に向かう。範囲はここを中心に半径五kmだ。事前偵察では何も確認されていないが、既に二週間が過ぎているから何があるかわからない。注意しろ。それと、身の危険を感じたら躊躇なく攻撃をしろ。武器使用自由だ。かかれ!」その言葉に反応して七人で編成された分隊がそれぞれの方向に向かう。

「軍曹、われわれも前進だ」

「はっ、小隊本部進め」小隊ナンバー二の木村肇軍曹が命ずる。


 彼は一兵卒からの叩き上げで、自衛隊時代から含めて二〇年近い軍歴を持っていた。今村など足元にも及ばないゆえ、今村は彼の進言に従うようにしていた。下士官の言うことを聞かない指揮官は部下に好かれないことを知っていたからである。


 彼らが上陸した地域は一面の草原、生えている草は日本では見られないものであったが、雑草ではないかと推測されていた、であった。上陸した地点から二〇km四方はなだらかな丘陵地帯であり、見通しはよかったが、北側の五kmほどの地点が小高い丘になっていた。今村はその頂上をとりあえずの小隊本部とすることにしていた。日本を見慣れた目には異質に写るが、あえていうなれば、北海道の平地地帯に似ていなくもなかった。気温は若干高めだが、日本と違って湿気が少なく、カラッとした気候であった。


 東に向かった四分隊を率いていたのは小隊内では木村に次ぐ軍歴を誇る山口強伍長であった。彼らが向かった先は、一帯と同じ草原地帯ではなく、砂漠化した地域の南の端であった。なぜだが原因は不明だが、周辺の草原地帯にあって、長さ約一○〇km、幅約五〇kmにわたってほぼ楕円形に砂漠、否、砂丘と化している地域だった。むろん、日本で有名な鳥取砂丘と異なり、海に面しているわけではなかった。しかし、ここで彼の分隊は今後の日本を救う発見をすることとなった。


「伍長、何か油の匂いがしませんか?」分隊が砂漠地帯の南の端に差し掛かったとき、尋ねたのは第一種危険物取扱責任者の資格を持つ三浦晴樹上等兵であった。

「いや、油の匂いはしないぞ」山口が答える。

「アスファルトのような匂いがするんです」

「そうか?」そういって山口は鼻をひくつかせる。

「ええ、アスファルトは石油の一種ですから」

「しかし、見たところ、何もないぞ」

「もちろん、露呈しているわけではないでしょう。穴を掘れば出てくる可能性はあるかもしれません」

「よし、少尉に報告しておこう」


 それは当然ながら、今村から仮設司令部のある『おおすみ』に伝えられた。さらに、その日の捜索範囲では特に異常がないことも伝えられた。今回の調査団には軍人だけではなく、民間から各種資源調査のための人員が参加しており、その中には地質学者も含まれていた。結果として、翌日一番の地質調査の対象とされた。彼らの中には、植物学者や動物学者も含まれており、彼らにとっては宝の山といえたかもしれない。それは当然であろう、これまで見たこともない動植物が確認されたのだから。


 そして、もう一つ、彼らの中には防衛医科大学から志願した医師や微生物研究者などが含まれていた。彼らの役目は、この地域での未知の病原菌の調査であった。つまり、未知の病原菌が発見され、それが彼らに悪影響を与えるものであれば、彼らは二度と日本に帰ることができない。逆に、何も発見されず、移転前の世界と同じであれば、日本に帰ることが可能であり、逆に、日本からの開拓団の受け入れも可能だということになるのである。


 もっとも、開拓団が組織されるかどうかは、政府の判断にかかっているが、少なくとも、すぐにというわけではないと思われた。なぜなら、ゼロからのスタートであるため、既に便利さになれた日本人が参加するかどうか不明であったからである。政府の考えでは、輸出が見込めない以上、当面は工業生産よりも、食料自給率を上げるための農業政策を中心に進めていくしか方策はないのである。唯一の可能性は、移転前には農業を目指す若者が増えていた、その一点であろうと思われた。


 ともあれ、上陸した第一一小隊は、半径五km圏内の捜索を終えると、小隊本部のある丘、便宜上、一○一高地と名付けられた、に集合、夜営の準備に入った。昼間の捜索では何種類かの小動物、ウサギに似た、は目撃されてはいたが、それ以上の大型動物は確認されていなかった。しかし、小動物がいるということは、それを捕食する動物が存在する可能性もあるため、安全上、十分な夜営地とするための準備は行われた。


 一○一高地の頂上はごつごつした岩だらけであったが、部分的に平らなところがあり、さらにその三mほど下には直径五mほどの平らな部分が四箇所あり、部隊はそこに分散して陣取り、周囲に対する警戒のため、対人レーダーが設置され、ワイヤーを用いた警報装置も設置された。そうして、今村を含む三五人は移転後初めて日本国以外の土地で夜を明かすこととなった。


 ちなみに、今村は現状で体調の悪化したものがいないことを本部に伝えている。仮に、未知の病原菌が存在していたとして、それによる発病はすぐには起こらないものであろうと考えられていた。通常、病原菌による発病にはそれなりの時間、潜伏期間が存在するからであった。ただし、未開の地であるから、新種の病原菌、たとえば、感染後すぐに発病するような可能性もあり、それを憂慮して本部に連絡したものであった。


修正しましたが、軍教育については一部改変されたとご理解ください。

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