新生ウゼル王国
しかし、残酷表記なしで書くのがこれほど難しいとは思いませんでした。今後もこの路線で行くつもりなので、、物足りない方もおられるかもしれません。一〇〇話を超えたあたりで終了となる予定ですが、中途半端な終わり方になるかもしれません。できれば第二部など書いてみようかと思うこのごろです。
新世紀三年一一月一〇日、新ウゼル王国国王が誕生することとなった。前王の病没に伴う新国王誕生であった。新国王ルースは父王病没当時、波実来にあったが、急遽、帰国、この日の戴冠式に挑むこととなった。ウゼル王国史上三番目に若い、一番目は一〇〇年前に僅か五歳で、二番目は六〇年前に一〇歳で、に次ぐ一五歳での戴冠であった。これは、当時は後継争いが絶えない時期だったためであろうと思われた。つまり、ウゼル王国国王の歴史は暗殺の歴史でもあった。今回は直接の暗殺ではないが、病気の原因が暗殺未遂であり、正確にはこれまでに習う後継者誕生となってしまった。
反逆者オースとラーム教駆逐に成功したものの、前王は毒殺未遂、高濃度の鉛摂取による鉛中毒、にいたり、懸命の治療が試みられていた。そんな中、皇太子ルースは医療技術の進んでいた日本に治療を求めたものの、既に手遅れという状態であり、手の施しようがなかった。それでも、一ヶ月以上生き延びたのは日本の進んだ医療技術によるところが大きいといえた。
そして、この戴冠式にはこれまでと異なり、外国人、日本人が参列していた。むろん、天皇ではなく、政府関係者でもない。大陸(波実来を除く)での最高責任者の佐藤外務審議官および沢木次長が出席していたのである。むろん、両名の護衛という名目で今村中佐(一一月一日をもって野戦任官で昇進)も参列していた。当初はウェーダンおよびキリールの元首が出席を考えていたようであるが、正式には国交が開かれておらず、また、治安の問題もあって取りやめていた。
そして、新国王の最初の仕事は法の整備と議会の開設、王の名目元首化ということになる。新国王は皇太子時代、といっても一ヶ月ほどしかなかったが、キリールおよびウェーダン、波実来を歴訪、改革がなされた二国と日本領土の現状を知ることになり、王が変わるたびに政策が変わることの問題を実感することとなる。結果、キリールに習った立憲君主制議会国家への移行を決断することとなった。しかし、彼にもっとも影響を与えたのは、これら歴訪ではなく、王都開放およびラーム教駆逐まで常にそばにいた今村であったということは国王以外は知ることはなかった。否、カーゼル伯とゴーゼス中佐(新国王親衛隊隊長に就任後昇進)はそれとなく感じていたのかもしれない。
新国王の叔父である北の太守を勤めるカース公爵は現在はコーラルにあるが、改革でもっとも反対する可能性が高いと思われ、彼の説得が最大の障壁と考えられていた。しかし、彼はキリールの情報を得ており、その中に鉄道の敷設とそれに伴う発展を知っていたため、表立って反対することはなかった。少なくとも、新国王の政策の一部、名目元首化以外には積極的に賛同していた。ちなみに、彼の王位継承順は三番目、二番目は新国王の妹で、五歳のカロン、カースの元にあって無事だった、であり、それに次ぐものであった。以下、彼の二人の娘が四番目、五番目となっていた。反逆者オースには二人の息子がいたが、貴族位と継承権などは剥奪され、同国西の僻地の守備長として半ば追放される形で王都を去っていた。
少なくとも、新国王の意図は、ウゼルでこれまで頻発していた暗殺による王位争いを防ぐことにあったようだ。国王の権力が限定されることで、継承争いを避けるのがその目的であろうと思われた。とはいえ、法整備なくしてはどうにもならず、さらに、議会の開設を進めなければならず、前途多難であるといえた。それでも、これまでに比べれば大きく前進したといえるだろう。
新国王の聡明さは他にも見られる。特に、反逆者側についた軍人や貴族は単に処刑するだけではなく、幾つかの事業の労働力として活用している点にも注目するべきであろうと思われた。結果として、日本軍駐留地が早期に完成したり、王都から一〇kmほど離れた場所にある琵琶湖ほどの湖、コラル湖の桟橋、船ではなく、飛行艇用のものが完成している。佐藤はこのルートで来所していた。ウゼルは大河が少ない分、湖が多く存在しており、水源を提供していたといえる。
あれから、第一連隊は王都コーラムへと進軍、途中、いくつかのラーム教勢力を駆逐しつつ、コーラムを包囲するに至った。そして、キリールの王都ルーサでの開放作戦と同じく、<ベイブロウ>による侵入作戦を実施、一日で開放するに至った。さらに、軍を南に進め、ラーム教勢力の侵入拠点となっていたウーサルを占領、同勢力を山向こうに駆逐することに成功したのである。現在、第一四一中隊が駐留、最侵入に備えている。ウゼル国軍の再編が終了次第、交代する予定であった。
第一連隊は本拠地であるルーサに戻る予定であるが、隷下の第一四大隊は今しばらくは駐留することになっていた。これは、基地機能が整備されていないコーラムでは連隊規模の軍の常駐が不可能であったからである。近代軍の血液ともいえる石油の入手が困難だからでもあった。むろん、ルーサにおいても、現在のところ、ファウロスからの鉄道輸送に頼らざるを得ないが、北部とを繋ぐ鉄道が完備すれば、キリール国内からの搬入が可能であり、現状よりはいくらかましになると思われた。
第一連隊はキリールとは異なり、王都コーラムを含む南半分からラーム教勢力を駆逐したが、北半分には手をつけてはいない。これは、北の太守であるカース公が強い反発を示したからである。新国王の依頼もあったのだが、それすらも拒否していた。もっとも、北部には未だラーム教勢力が進出していないだろうと考えられた。とにかく、佐藤や沢木、今村はこのあたりにウゼルの将来における問題が起きるだろう、とみていた。
また、既にルーサへと続く鉄道の敷設工事は始まっていた。これには反逆者オース側に立った多くの貴族や軍人たちが使役されていた。国王は南への追放刑か強制労働かを彼らに選択させていたのである。結果、多くのものが強制労働を選択している。むろん、刑期が終われば、国民としての復帰は可能ではあったが、元の地位への復帰は認められることはないとしていた。それでも、異国への追放刑よりは良いと考えるものが多くいたわけである。結果として、佐藤や沢木など、日本側が予想していた以上の早さで鉄道が開通することとなった。
ウゼルでの資源調査は未だ済んではいないが、少なくとも重金属系レアメタルの幾つかが採取可能であろうと思われた。ニッケルやタングステンが豊富に存在することは判っていた。ウゼルでも幾つかのものに利用されていることが判明したからである。第一四大隊の駐留は調査団の護衛をもかねており、調査が終了するまでは駐留しなければならないと思われていた。
ちなみに、ウゼルでも石炭を用いた火力発電は行われており、石炭は豊富に存在することはわかっていた。位置的にも今後の調査次第では石油や天然ガスの産出の可能性もあり、早急に調査を始める必要があった。日本としても、一箇所からの入手よりも、複数の入手先があるほうが良いわけで、多量に入手することができれば、開拓のために移民している各地にそれだけ供給が可能だからである。
とはいうものの、ウゼルはウェ-ダンやキリールと異なり、北のラーシア海に面する地域は存在せず、本当の意味での内陸国家であり、輸送の面からも日本は発展をそれほど期待してはいない。仮に、石油や天然ガスが発見されたとしても、それを日本あるいは日本周辺の移民各国に輸送するにはそれなりの投資が必要であった。たとえば、パイプラインがそれである。とはいうものの、日本の影響下で順調に発展すれば、それなりの輸出国たりえるため、支援はおろそかにできないと考えられていたのである。
ウゼルとの交易のためにも、ウェーダンのファウロスに繋がる鉄道は必要であり、それが完備されれば、多少なりとも発展を促す可能性は高かった。また、隣接国であるキリールとの関係が改善され、真の友好国たりえれば、その発展を促すことも可能であったといえるだろう。そのためにも、両国が友好関係にあることが必要であり、佐藤や沢木には難しい対応が迫られることとなったといえる。
ともあれ、こうしてキリール国の西方における危機は一応回避されることとなった。もっとも、ウゼル北部に危惧感を抱く今村はキリール北西部の部隊には注意を促すこととなる。表面上は三〇年以上にわたって途絶していた交易がサーラを通じて再開され、全盛期には遥かに及ばないものの、今後に期待のもてる環境が整いつつあったといえる。もっとも、幾つかの点でウゼル全土がキリール並に発展するのは一〇年以上あと、北の太守の問題が解決してからになると思われた。