西へ
今話に自衛隊云々の話しが書かれていますが、あくまでも物語の上のことです。でも、自衛権を持つ防衛的三軍を所有すべきかもしれないと思います。根本的な原因は憲法第九条にあるのではないでしょうか。周辺環境を考えれば、憲法改定にかっての連合国が反対しないだろうと思いますが・・・・・
新世紀三年四月、キリールはカザル王国との間で不可侵協定を結ぶことに成功し、南の脅威は一応の回避が成された。カザル王国も東のシナーイ帝国、西のラームル、すなわち、ラーム教の根拠地であり、国というよりも、宗教連合ともいえる、との関係が悪化、戦争の可能性が起こっていたからである。だからこそ、キリールとの不可侵協定に応じたのだといえた。
しかし、キリールにとっては未だ安全が確保されたわけではなかった。というのも、西にあるウゼル王国との間でも戦争の危機にあったからである。キリールの内戦中、ウゼルが攻めてこなかった理由は不明であるが、国内の一応の安定化を見たこのころ、西方国境で異変が発生しているとの情報があったからである。情報収集のために部隊が派遣され、その詳細が明らかになった。
それは、ウゼル王国内でかってのキリールと同様に内戦が発生、多くの難民が比較的戦火の少ないキリールとの国境に現れた、というのが事実であった。つまり、ここでもラーム教が関与していると考えられた。内戦の内容が兄弟による勢力争い、ということだったからである。先王の死に伴い、王位についたのは兄であった。が、双子の弟がそれをよしとせず、反旗を翻したということであった。そして、南部ではラーム教が進出、その勢力を伸ばしつつあるというのである。
キリールでもそうであるが、近隣の多くの国では、このような事件が必ず起きているというのが、傷も癒え、改めで王座に付いたアルビタスの言葉であった。もっとも、勢力争いや侵略戦争によって多くの王国が滅亡、現在では二つの王国が存在するのみであったとされる。だからこそ、彼は立憲君主制議会国家への移行を承諾したのだという。直接王政でなく、王と政治が切り離されれば、そのようなことは回避できる、というのが彼の考えであった。むろん、日本を知らなければ、日本から教えられなければ、今後も同じことが続いただろう、と彼はいう。
アルビタスがいうには、過去にはキリールより西や南には王国が多く存在し、いずれもが同じような事件がおきているという。むろん、彼らとて、時間は要するもののそれなりの交流があり、キリールは伝統的に西の王国とは友好的に過ごし、南とはあまり関係が良くないということであった。だからこそ、トルシャール人のことも知りえたし、彼らの技術を受け入れていたのだという。それが、流浪の民となった彼らを多数受け入れている理由だった。
ウゼルの西にトルシャールが存在していたのであるが、グルシャの侵略は受けていないようであった。おそらく、グルシャは近隣で巨大な勢力を誇るセラン神聖帝国やラームルへと侵攻したのであろうが、セラン神聖帝国とラームルによって追い払われたか、現在も戦闘中なのだろう、というのがアルビタスの考えであるという。
これらの情報を元に、今村はパーミラを通じて本国に連絡、衛星による確認を要請している。結果、まさにアルビタスの言うとおりであった。そして、今村に下ったのが、最悪、キリールでラーム教の勢力を阻止すること、可能であれば、ウゼルとの接触、ラーム教勢力の駆逐、であった。つまり、ウゼル王国を含めたシナーイ大陸北部をラームルの勢力外に置くというという考えを本国は示したのである。それはなぜか、端的に言えば、パーミラひいては日本の安全確保のためであった。
仮にも、日本の対岸がラーム教勢力化になれば、日本は資源の入手先を失うだけではなく、日本そのものが干上がってしまうことになるからであった。先のウェーダンでの対応からも、資源輸入など望めない、そう判断したのであろうと思われた。日本だけではなく、太平洋の各地に出ている開拓民の運命さえ握られてしまうことになるからであった。
これまで、シナーイ大陸北部がラーム教の脅威から逃れられていたのは、ちょうど東西に峻険な大山脈が走っていたからだと考えられた。それが、何らかの理由で、ウゼルの南にある山脈が崩落、一種の地峡と化し、そこから侵攻してきた、と考えられた。むろん、地峡とはいっても、二〇〇〇mほどの高さがあるが、周囲の五〇〇〇m級に比べれば、遥かに侵攻しやすいと思われた。これも、衛星情報で確認されていた。
カザル王国の場合は東のシナーイ帝国経由で侵攻を受けていると思われた。今村としては。カザル王国とも接触を図りたいと考えてはいたが、先のアルビタスの言葉からも接触は難しく、平和的に交渉できるとは思えないため、あきらめていたといえる。とはいえ、ウゼル自体が以前のキリールと同様の状態であり、平和的な接触は不可能と考えられた。それが、今村がいまだウゼルの政治中枢と接触していない理由であった。
当面の今村の任務は、キリール国境周辺に集結しているウゼルの難民がこれ以上東進しないようにすることであり、ラーム教の勢力浸透を防止することといえた。この国境も山地と大河がその境界線とされている。移転前の世界でもよくあったが、自然の山脈や川がその境界線とされていることが多くあり、この世界でもそれが行われていたといえる。もっとも、侵略され、征服された場合、戦争に負けた場合などはその例に外れることもあったと思われた。
駐留軍の指揮官たる今村自身はルーサとサーラ、ウゼルとの国境に近い小さな集落の名である、との間を往来し、サーラに常駐することはなかった。念のためとして、一個中隊を常駐させていたが、指揮の権限はその中隊の指揮官である村西徹中尉に任せることとなっていた。つまるところ、大尉でありながら連隊を率いる彼にはサーラに駐留することは許されず、本部たるルーサで多くを過ごさざるをえなかったのである。ちなみに、そこでの今村の仕事といえば、多くが彼の嫌いな書類整理になる。
当初はパーミラで指揮を執る安部大佐や佐藤がファウロスあるいはルーサに進出するという話もあったのだが、本国からの軍派遣ならびに外務官僚派遣が予定より大幅に遅れているため、未だ今村が指揮を執ることとなっていた。つまるところ、パーミラの地位や扱いをどうするかすら定まっていないことが最大の原因であり、これが解決されれば、この問題は一気に解決されることとなるはずであった。
南原総理が議会に提出している法案、パーミラを州として本国内政に組み入れる、が成立すれば、州知事が正式に投票によって選ばれ、駐留する軍も国内軍となれば、佐藤の任も解かれ、安部大佐も志願すれば、ファウロスなりルーサなりに進出することが可能であった。そうすれば、今村も階級に応じた地位に落ち着くはずであった。それが実施されれば、今よりも責任は数段軽くなるだろう、というのが今村の考えであった。
しかし、結果として今村の希望はかなえられることはなかった。パーミラ駐留軍の規模が変更される結果となったからである。つまり、このころにおいても、国外への、というよりも、大陸調査団派遣軍への上級将校の志願者が集まらないという事態が解決されることはなかったからある。多くの将校や兵は、命令されたら仕方なく行くだろう、そういうものが多くいたからである。このあたり、第二次世界大戦後の長い期間を日陰者として暮らさざるをえなかった自衛隊時代の影響が残っていたといえる。
これは戦後の連合国の対応もあるだろうが、それに対応した国ににも原因があるといえるかもしれない。また、永世中立国であれば、攻めることも攻められることもないと勘違いしている多くの国民の自衛隊に対する対応もあっただろうと思われる。スイスにしてもスウェーデンにしても、強力な軍があればこその中立であることを国は国民に知らせるべきであったかもしれない。移転直前には赤い大国や狂犬と化した半島統一国家が現れたことで、若干なりとも見直されていたのは新世界で幸いしたかもしれない。
とはいえ、日本においては自衛隊から軍に呼称が変更されただけで、軍の改革はあまり進んでいなかった。改革の途中で移転してしまったため、その弊害が残っていたといえる。この時期に大陸調査団派遣軍に志願した多くの将兵は、国のそういった環境を嫌った結果といえたかも知れない。つまり、国外に出れば、そういった目を気にしなくても済むと考えたものが志願者の中に多くいたのである。それが若い将兵が多い理由であったといえる。
大陸調査団派遣軍の平均年齢は約三〇歳であり、士官に限っていえば、年少の少尉や中尉が多く、それ以上の階級を持つ士官は稀であった。そういう意味では安部などきわめて珍しい部類に入るといえたかもしれない。そして、若い兵が多いため、彼らを纏める士官が少ない結果、階級以上の規模の部隊を預かる下級士官が多いといえるだろう。もっとも、志願者の多くは家庭内事情や身辺事情があったのも事実で、安部を例に取れば、妻に先立たれたことで実質独身であり、年長者の多くは似たような境遇であったとされている。