進む改革
昨日読み返していたら設定に無理があり、大幅な修正に至りました。おかしいところがあるかも知れません。
新世紀三年二月、今村はルーサ郊外の日本軍駐屯地にあった。この一年、幾度か休暇としてパーミラに、二度ほど日本に帰国することもあったが、結局はこのルーサに留まることとなった。ただし、彼の処遇自体は大幅に変わっていたといえた。階級は制式に大尉に昇進、部隊も三個歩兵大隊、一個特科大隊(一個砲兵中隊、一個施設中隊、一個飛行中隊)を指揮することになった。
本来、この規模は連隊に匹敵する。また、連隊を率いるのは大佐クラスであろうと思われる。日本軍の場合、小隊長は少尉、中隊長は中尉、大隊長は少佐、連隊長は大佐と定められているが、パーミラ以西においては、まだ志願者制がとられており、大尉以上の志願者はいないに等しい。多くは家庭持ちということもあり、パーミラに留められる。結果として、志願者の中で最上位、かつ優秀な人材が本来の階級以上の規模の軍を指揮するということになる。その最たる人物が今村であった。
現状、彼の部隊はキリール全土をその担当域としている。とはいえ、現在は全部隊がルーサ近郊にあったといえる。それには理由があった。この一年で、ファウロス~トレンセン~ルーサ間の鉄道が開通、貴金属系レアメタルの輸送ルートが確立、その鉄道を中心にしての警備も含まれていたからである。現在、このルートは日本における大陸でもっとも重要なルートだといえた。ルーサ近郊で産出される貴金属系レアメタルだけではなく、西方のキリーサという都市で産出される燐鉱石、シリコンなどの搬出にも使用されているからである。
今村が指揮するキリール駐留軍はファウロスでもそうであったように、新生キリール国軍に対する教育も行っている。が、その規模は尋常ではない。その数、約一〇万人にも及ぶ。部隊編成は、一個師団一万五〇〇〇名、歩兵四個歩兵連隊、一個砲兵連隊からなる。日本軍とは異なり、自動車化されているわけではない。野砲や重砲は馬引であった。ファウロスや戦前の日本でも同じであるが、自動車自体が出現していない以上、自動車化あるいは機械化など望めるものではないので、この先何年かをかけて達成される予定であった。
少なくとも、五年や一〇年では達成は不可能である。それが今村の判断であり、パーミラの佐藤の判断でもあった。そんなわけで、現状で整備できる最大限の装備による訓練が実施されていた。それにより、以前と比べると格段の進歩を遂げたともいえる。この一年間で八度ほど発生したラーム教騎士団との戦闘ではいずれも撃退しており、損害もそれほど多くはない。以前に比較すれば、最小の被害で撃退していたといえるだろう。
この年に入って日本の燃料事情が大幅に改善されたこともあり、昨年までのような配給制ではなくなっていた。重油を用いた火力発電所もパーミラで完成し、同地の鉄道は電化されていた。それ以外の場所、ウェーダンやキリールの各地でも、コークスを用いた火力発電がタービンや発電システムを日本で製造することにより、発電能力が各段に向上し、結果として、各地の鉄道も一部電化されている。キリールでは鉄道敷設工事もまだ続いており、ディーゼル機関車による鉄道であったが、あと二年もすれば、電化が達成される予定であった。結局、蒸気機関車は使用されなかった。
キリールの北東のラーシア海に面した街、サリルでも油田が発見されていた。こちらはまだ試掘のみで、産油が成されてはいないが、産油施設と精製施設が完成すれば、さらに発展が見込める状態といえた。これはウェーダンのストール油田と同根油田だとされているが、そこまで調査されていない。いずれにしても、ウェーダン、キリールともに鉄道建設ラッシュだといえた。当然として、JR各社から人材が派遣され、両地で運航に関与しており、何年先になるかは不明ではあるが、運航を現地の国あるいは会社に委託されるはずであった。
キリール王国改めキリール国(立憲君主制議会国家への移行に伴い、憲法が制定、そこで国号を改めた)で多く見られていた白色人種、トルシャール人というのであるが、はシナーイ大陸最西端にある同名の国から流れてきていたことが判明する。彼らによれば、海を隔てたグルシャの侵攻を受け、国は滅亡、流浪の民と化したが、キリールでは多くをそのまま受け入れていたため、定住したのだという。他にも南の各地に向かったものもいたが、ラーム教を信仰する各地では迫害されていたともいう。
キリールは宗教的には寛容であり、彼らトルシャール人の信仰するシャール教を他人に強制しないという約束で、受け入れられていたのだともいう。ちなみに、キリールでは、自然崇拝に近いリール教を信仰していた。これは日本の神道に近いものであった。だからこそ、日本を受け入れたのかもしれない。今も、その方面では特に問題は発生してはいない。
キリールの立憲君主制議会国家への移行は難しいだろう、と誰もが考えていた。しかし、摂政セリル皇女の働きかけもあって、先王アルビタスは自身の経験を踏まえ、それを承諾した。それには、今村が日本から持ち込んだパソコンによる歴史紹介も功を奏したともいえた。何よりも、王が代替わりしても、国民への対応が変更されない、というのが王の心を掴んだのかも知れない。さらにいえば、キリールは日本に負けたということで、日本による支配も考えていた王にとって、独立が保たれる、それだけで満足であったかもしれない。
多くの貴族や裕福層は反対した。中にはあからさまに敵意をむき出しにするものもおり、暴動や紛争が発生していた。しかし、相手の勢力よりも絶対的に少ない、兵力で今村は対応して勝利している。そのこともあって、セリル皇女の、一年過ぎても日本に敵対しているようなら、今度こそ、日本軍に占領され、キリールは滅亡するだろう、との言葉に受け入れざるを得なかったといえた。
もちろん、今村にしても佐藤にしても、武力で占領する、あるいは支配するなどという考えはなかった。現実問題として、三〇〇〇ほどの兵力で一〇万も二〇万人も相手にできるはずがなく、いま以上の軍を派遣するなど日本軍にはできないからである。仮にそうなっていれば、キリールが焦土と化する戦いを強いられ、それこそ国が滅びていたかもしれない。そう、航空攻撃による支援を得るため、多数の一般住民が犠牲となっていた可能性があったのである。そうなれば、将来に禍根を残すことにもなり、キリールはより荒廃していた可能性があったといえる。ここでも、日本は幸運に恵まれていたといえた。
ともあれ、日本は貴重な資源を得ることができ、将来的に有望な市場となりえる地域を得ることができたからである。もっとも、これが続くかどうかは今後の日本の対応によることが多い。駐留軍の対応、日本人の対応、日本政府の対応といった状況によって変化することになる。そして、日本の市場とするにはいくつかの事情で内政干渉せざるを得ないというのが今村の考えであり、佐藤の考えでもあった。そして、同じことはウェーダンにも言えることであった。
これら二国を簡単に言い表すと、ウェーダンは日清戦争時の日本、キリールは日露戦争後の日本といえた。むろん、部分的に進んでいる面もあれば、逆に劣っている面もある。そして、両国でともに劣っていたのが交通であった。鉄道輸送、海上輸送といった面が遥かに劣っていたといえる。逆に、コークスを用いた火力発電などは格段に進んでいたといえる。そして、日本は当時の西欧列強が日本を見ていた目で今は彼らを見ているといえた。
ウェーダンはシナーイ帝国の侵略を受けたことで、工場や製鉄といった工場群はほぼ壊滅していたが、キリールでは規模は小さいものの存在していた。つまり、ウェーダンではほとんどがゼロから始められたが、キリールではある程度の段階から始めることができた。もっとも、工場といっても、家内工場、日本でいえば、第二次世界大戦前の下町の小さな家内工場といえる。だからこそ、小さな部品は作られても、レールのような大きいものは作れなかった。そういうわけで、日本が求めるものはキリールでは入手できず、部分的にはウェーダンと同じような始め方となってしまったといえるだろう。
この時点で、ルーサ近郊の資源をファウロス経由で日本に輸送するルートが完成しており、キリール国内では鉄道沿線に新しい街ができつつあった。これが北に伸びれば、南北の経済格差もある程度まで改善されるはずであった。同じことはウェーダンにもいえ、こちらは既に北との鉄道輸送路が完成し、南北の格差は改善されつつあった。特に、これまでは野菜などの食料が生産地周辺に流通するだけであったのが、その範囲が広くなったことで各地に街ができつつあったのである。