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王都開放

 新世紀二年一月一五日、第一特殊大隊は王都ルーサまで五kmの位置まで達していた。途中の集落には一切よらず、真っ直ぐにここを目指してきたのである。この日まで時間を要したのは、大隊だけではなく、難民集団が同行していたからに他ならない。とはいえ、大隊本部要員と迫撃砲中隊以外の三個中隊はその八日前にそれぞれの目的地に到達し、既に作戦を展開していた。王都から北の各都市あるいは集落に向かうラーム教騎士団を殲滅していたのである。


「大尉、偵察の結果ですが、街は混乱の状態にあるようです。特に、ラーム教司祭たちの間では、これまでに出した部隊からの連絡が途絶えたことで、現王に不信感が出始めているようです。東の本拠地から増援がないことも彼らの苛立ちを高めています。また、住民の多くは現王を支持していないようです」

「ふむ、その情報はどうやって手に入れた?」

「街から出る商人や住民から得ました。何人か街に戻っているかもしれませんが、多くは北の集落に向かったようです」

「そうか、街への侵入経路はどうか?」

「北側には移動橋があり、東西側には小さいですが門があります。現在のところ、東の門と橋が主に使用されています。この二箇所からしか侵入路はありません」

「中の様子がわからないか?」

「はっ、現状では侵入は不可能かと」

「わかった。あとは皇女の情報次第だな。話してみよう」


 第二王子のクーデターということもあり、住民の多くは彼を支持していない、というのは難民からも聞かれたことであった。いわば、恐怖政治により、多くの住民は街を脱出、北部の集落へと向かうものが多かった。先王の行方については今のところ不明だということもわかっていた。そうして今村の判断としては、地上からの侵入は難しい、ということであった。門には現王派の兵士やラーム教団兵士が警備に着いている可能性が高い。


 皇女から得た情報、移動橋の操作部が街側に露出していること、石壁の最上部も町側からは露出していること、王城の屋上が五〇m四方の屋上庭園になっていて大木がないことにより、ヘリでの強襲を決定することとなった。二個分隊を王城の屋上に降下、その後、ヘリによる守備兵の掃射、移動橋を確保して橋から突入、街を制圧する、という作戦であった。ヘリは二機使用し、うち一機は残る二個分隊と小隊本部を輸送、先に突入の二個分隊とともに王城を制圧するとされたのである。そのため、迫撃砲中隊のうちの一個分隊を北側に後退、ヘリへの給油などを行うこととした。これらの作戦は、一月二○日○三〇時開始、作戦終了には一日を予定するとされた。


 この世界では、未だ空からの攻撃など考えられていない、ということもあり、ヘリの安全性が損なわれることはないだろうとの判断もあった。とはいえ、彼らが使用する小銃、西の国から得た、口径七.七mmを使用、はそれなりの脅威とされ、注意することとした。王城突入部隊は皇女や第二執政官から城内の情報を得るための会議に入り、燃料給油を担当する分隊は北へと向かう準備を始めた。迫撃砲中隊は、王都突入部隊の要請があれば、現場からの支援射撃を行うことも決定されていたことから、方位測定や部隊との打ち合わせが行われた。


 しかし、作戦は一部変更されることとなった。燃料補給のための部隊を北側に移動させる旨、報告すると、その必要がないとの通達があった。その理由は彼らの元に飛来したヘリコプターにあったといえる。日本陸軍が運用していた輸送ヘリといえば、何度も名前が挙がっているUH-60JA<ブラックホーク>か旧式のH-1<イロコイ>であったが、このとき現れたのはH-53<スーパースタリオン>、というよりも、特殊部隊支援用HH-53H<ペイブロウ>であったからである。


 詳細は省くが、要するに、在日米軍が一部装備を日本側に売却、その中に<ペイブロウ>が二機あり、電子装備の一部を海軍の掃海ヘリとして使用されているMH-53J<シードラゴン>と同じものを搭載、うち一機が訓練を終了したために配備されてきたのである。<ブラックホーク>の一四名と異なり、<ペイブロウ>は五五名と搭載力が桁違いな上、空輸時には二〇七〇kmもの航続距離がある。さらに、七.六二mmミニガンを搭載、対地支援能力も格段に向上していたのである。


 つまり、<ブラックホーク>では二機、それも一機は複数輸送しなければならなかったのが、<ペイブロウ>では一機、しかも、王城制圧のための一個小隊に加えて移動橋を確保するための二個分隊を一度に輸送できるということにあった。二〇mm六銃身バルカン砲と同じシステムを持つ七.六二mmミニガンを搭載していることから戦闘力は大幅に向上、航空支援も可能なことで、運用に幅が出ることにあった。


 そういうこともあったが、作戦は予定通り実施されることとなった。王城制圧部隊は当初の分割輸送から一括輸送に変わったことで、効率がアップし、短時間で可能となった。ミニガンによる支援の下、二個分隊が橋を確保、予定よりも一時間以上早く制圧部隊が王都に突入、展開することが可能であった。さらに、航空支援もあったことから、王都内の物的破損が当初の予定の迫撃砲よりも少なく済むこととなった。


 先王は無事解放されたが、激しく抵抗した第二王子は生きてはいたが、手の施しようがない重傷であった。先王にしても負傷しており、衰弱もしていた。親子の対話は成されたが、政務に着くことは困難だと思われた。今村の薦めもあって、負傷が癒え、体力の回復まで第一皇女セリルが摂政として政務を行うこととなった。軍医によれば、その期間は半年から一年とされていた。ちなみに、第一王子は先年に病没していたといわれるが、定かではない。あるいは、とも思われるが、現在では何の確証も得られないため、今村は不問とした。


 今村は今後一年間はキリール王国は日本の影響下に置かれることを改めて摂政となったセリルとの対談で決定し、いくつかの要求を行った。それは日本の影響下での近代化、地下資源のいくつかの日本への無償供与、ラーム教との完全な決別、日本の代理者、領事官の駐留、治安維持のための部隊の駐留などであった。今村としては、直接王政の危うさを王および摂政に知らせ、日本と同じ立憲君主制議会国家への移行をも視野に入れていた。なぜなら、王が代わるたびに、日本への対応が変わることを避けたい、そう考えていたからである。ちなみにウェーダンは当初から共和制を敷いていたことから、このような問題が起こらないと考えられていた。


 ウェーダンのファウロスにはパーミラの佐藤の推薦で領事官として東田良一がすでに着任、日本人の派遣に対応しており、今回も佐藤に人材派遣を要請しなければならない状況であった。今村自身もパーミラに赴き、直接報告をしなければならない事情もあった。今回の作戦で、死者は出なかったものの、重症者が五一名出たことによるものであった。軍医の判断ではうち二名は完治しても任務に復帰しえないと判断されていたからである。一人は左腕、今一人は右足を失うこととなったからである。


 今村はパーミラに赴く直前、東南からのラーム教徒侵入を阻止するため、軍の配備を行っておいた。留守を預ける安西中尉には、阻止するための武器使用の自由を指示しておいた。留守中に問い合わせることなど不可能であり、即応のためには必要な事項であり、責任者としての任務であった。また、キリール王軍に対する教育も指示しておいた。日本軍だけで対応するのではなく、一年先を見据えて王国軍に対応させるためでもあった。


 とはいえ、日本にとっての問題は輸送、それが問題であった。現状では輸送については陸上輸送、しかも、道無き道を走るトラック輸送しか手段はなかった。キリール王国王都は内陸部にあり、ウェーダンのファウロスのように海上輸送は不可能であり、例え、航空輸送が可能であっても、積載量の都合により、コストが高くつくことになり、それは日本での価格に跳ね返り、完成した製品は高額になってしまう。


 未だ、最も近いトレンセンにすら鉄道は通じておらず、鉄道輸送が可能になるまでも、一年が見込まれている状況であった。何よりも、工業製品に必要な金は早急に必要であった。結局、日本にとってとりうる最高の手段とは鉄道網の完備に尽きるといえた。そのためにはある程度の労働力が必要であった。そこで、日本はそれをキリールに求めることとなった。キリールはウェーダンと異なり、人口は四〇〇〇万人、国土はウェーダンの四倍近いが、教育面、国土開発においてはウェーダンを遥かに上回っていた。トレンス河の鉄橋は別として、その近郊までは早い時期に可能であろうと判断された。そのため、すぐに工事が開始された。


 キリールの復興とあわせて、パーミラ駐留軍から施設大隊が派遣され、進出してくる日本人のための居住施設を王都内に建設、また、本格的な空港設備がルーサ近郊の草原に建設されることとなった。この頃は、日本政府は建設企業の進出はパーミラ止まりであり、キリールにまでの派遣は不可能であった。結局、今村は反皇女派で拘束されていた人間を労働に付かせることに同意せざるを得なかった。ウェーダンでも、ストールまでの鉄道よりもトレンセンまでの工事を優先せざるを得なかった。


 ちなみに、ウェーダンとキリール間の講和会議では、キリールがウェーダンに金一五kg、銀五〇kgを二年以内に支払うことで合意していた。実のところ、今回の戦争においてもウェーダンは武力派遣を行っておらず、こうした条件となった。また、日本とのそれは、金一〇〇〇kg、銀四〇〇〇kgを支払うことと、その期間も五年以内とされていた。結局のところ、今回は実質的には日本とキリールの二国間戦争といっても間違いなく、日本の要求が優先されることとなった。


 一月一八日、キリールは日本の影響下に入ることとなり、パーミラより、佐藤の推薦する外交官が進出してくることとなった。ちなみに、パーミラやウェーダン、キリールに進出してくる外交官は本国の出世街道からは外れた人物であったが、人材的には優れた人物であったといえる。自分の信念を持ち、移転前では主流となっていたチャイナスクールとは無縁であったといえた。だからこそ、佐藤の元に集められたといえる。ルーサに現れたのもそういった人物であった。


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