表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/109

復興へ

連続投稿です。

 新世紀元年九月一日、今村はまだファウロスに在った。第一特殊大隊とともに、ファウロス防衛の任についていたのである。シナーイ帝国は未だ帆船しか有していない、との情報であったが、念のため、ということであった。もちろん、ただ防衛のために駐屯しているわけではない。新ウェーダン軍の編成と教育にも関わっていたのである。もっとも、今村にとっては苦痛ともいえたのが、書類仕事が増えたことにあった。何しろ、ファウロスでは派遣軍人の最高位が彼であったのだ。


 旧ファウロス市街は濁流により、壊滅状態であったため、日本より派遣された建設企業により、更地とされ、一から建設が始まっていた。ここ一〇年で幾度か大きい地震が発生しているということで、本国と同様の耐震構造で建設が始まっていた。それとは別に、すでに仮設住宅が多数建設され、機能し始めていた。このあたりにパーミラでの経験が生かされているようで、仕事が速いといえた。


 ウェーダンはオレフ氏が暫定首班となり、復興に向かっていたのである。つまり、旧ウェーダン政府はファウロスに在ったが、シナーイ帝国の侵略でその人材の多くが失われていたのである。そうして、曲がりなりにも首都で政治の経験のあったオレフ氏が擁立されたということであった。日本国政府としては誰でもよかったのであるが、それなりの経験者がいたことを喜んでもいた。そうして、パーミラは改めて日本の領土であること、ストール地域の四九年間の租借、復興の支援、国交樹立、通商条約締結と日本主導で進めていったのである。


 いささか性急に過ぎるところはあるが、日本とて、必死であったといえる。こうして、正当にウェーダン国内の資源調査も進むこととなった。日本にとってもそうであるが、ウェーダンにとっても悪いことではないからである。将来的にはウェーダンの発展に必ず役に立つと思われたからであろう。そもそも、この時点でのウェーダンの人口は三〇〇〇万人と推測され、各地に分散しており、そのうちの一五〇〇万人ほどは未だ狩猟生活をしていた。つまり、移転前の中国やアフリカ大陸の多くの国と同じく、文明圏とそうでない地域が存在していた。これはオレフが認めていることであった。


 そんなわけで、今村は当地防衛のため、この地にあったのである。彼の元には、元ウェーダン軍だという、一万人ほどが集まり、訓練を受けていた。とはいえ、所持していた武器、その多くはシナーイ帝国との大戦でこれまで今村たちが得たものを使用していたため、日本軍では八九式小銃への移行のため、使用しなくなっていた六四式小銃が供与されることとなった。結局、廃棄するにも費用がかかるため、倉庫に眠っていた武器を引っ張りだしてきたということになる。あまり使用する武器に格差がありすぎると、練成に日本軍が関与できないからでもある。


 今村たちが駐屯するのはファウロ湾の東の半島、最も狭いところで一〇km、広いところで三〇km、長さ一〇〇kmほどの北よりであった。なお、その半島は日本に租借させるという形で日本が開発を進める予定であった。が、期限は定められてはいない。むろん、これは日本が要求したことではなく、オレフが言い出したことであった。彼としては、今、日本軍に去られては何かのときに困る、ならば、土地を与えて自分が望む期間だけ滞在してもらおう、という思惑があったのだろと思われた。しかし、期限を定めなかったということで、後には、日本に割譲した、とウェーダン人は考えるようになったという。結局、後に正式に日本に割譲されることとなった。


 急遽、このウェーダン開発を決定したことで、在日韓国・朝鮮人から反発が起こることとなった。つまり、半島の開発が先送りされているのに、日本がウェーダン開発を推進するのは、ウェーダンの支配をもくろんでいるのではないか、ということであった。この時点で、未だNHK以外の民間放送局の海外での取材が認められていないこともあり、それが表に出る形となった。結局、政府は半島への移住者数特定と現地での仮設住宅建設、火力発電所、地下資源発掘および精製工場建設などに着手することとなった。


 結果として、半島には約四○万人分の仮設住宅建設、火力発電所の建設を九月から進めることで騒ぎが収まることとなった。日本政府がこだわったのは、五年間の支援、移民であること、将来的には国家建国を目指す、ということであった。つまり、何があっても帰国は認められない、ということであった。そうして、日本に残る場合は日本への帰化が適用される、ということであった。これに対して、ロシアも騒いだが、こちらは寒冷地であることから予定通り進めるということで合意がなされた。


 そういうこともあって、日本の建設会社は引く手あまたであり、国内の失業率は改善されつつあった。国家的プロジェクトとして、パーミラの油田開発および産油および精製施設建設、ストール地域の資源採掘工場建設、リャトウ半島(ファウロ湾東側半島)開発、ウェーダン復興支援、朝鮮半島(改めてそう名付けられた)資源発掘建設があった。今後、生活環境が整えば、民間に権限が委譲される予定でもあった。


 さて、問題のシナーイ帝国であるが、船舶は帆船であり、海上ではそれほど恐れるものではなかった。対岸に軍を配備してはいたが、元の姿を取り戻したファウロ河を渡るすべがないため、睨み合いが続くのみであった。河の監視を怠らない限りは特に侵略されることはないと考えられていた。少なくとも、日本海軍では恐れることはなかったといえる。ただし、ファウロ湾通行においては注意を要するとされ、リャトウ半島沿岸から一二浬以内を通行する、とされていた。


 当面は、海上保安隊から分派されているが、教育が修了次第、ウェーダン海軍に引き継がれる予定であった。もっとも、最低でも三年は要するであろう、というのが海上保安隊の見解でもあった。ここに配備され、訓練に使用されている艦艇は海上保安隊の旧式艦艇であり、装備の違いは七六mm砲一門が装備されていることであった。少なくとも、現状ではこれで十分であった。


 しかし、いずれの場合においても、それなりの生活環境が整うまでは最短で二年、長ければ五年はかかるというのが政府上層部の判断であった。現在の技術ではどうしようもないことであり、労働条件を守るとそうなるのが普通だといえた。そうして、日本政府がもっとも恐れていたのが、在日米軍の動向であった。彼らの行動いかんによっては、日本は滅びることもありえたからである。


 今のところ、表立った動きはないものの、横須賀から原子力潜水艦が頻繁に出港しているのが確認されており、その目的すら日本政府に報告されてはいなかった。可能性としては南北アメリカ大陸、欧州、オーストラリア大陸などの調査、ともいえなくないが、それ以外となれば、なんともいえない。いずれにしても、沖縄の割譲を言い出し、拒否するとあっさりとおとなしくなったことが不審でもあった。


 ともあれ、初めての隣国となるであろうウェーダンの復興とともに、日本の復興も進みつつあった。戦後の最大の問題でもあった在日韓国・朝鮮人問題も片付き、ロシアとの北方領土問題も解決しつつあった。そんな中、南原総理はある決断をする。在日外国人において、祖国復興あるいは新規建国について容認することとし、その移住先の開発の支援を日本国が行う、というものであった。彼らとて、現在の日本での待遇に不満があろうし、国内で騒動を起こされるよりは手っ取り早く出て行ってもらう、という考えであった。それほど、政府はこの問題に振り回されていたといえるだろう。後に、南原が国粋主義者だ、という意見が多いのはこのためである。


 もっとも、彼の真意がどこにあったかといえば、この世界では資源が発見されておらず、狭い日本にいて窮屈な生活(実際、日本人も含めてかなり窮屈な生活を余儀なくされていた)を続けるよりは、未開のこの世界を日本主導で開発し、資源を得るほうがよいとの判断であったと思われる。日本での生活を経験しているがゆえに、新しく開拓した国では移転前ほどの格差が存在しないだろう、との思いがあったのかもしれない。


 それが南の島二つの開拓に役立つだろうとしたのである。その多くが密林であり、未知の危険が存在するであろうことはわかってはいた。それでも、南でしか手に入らない資源が存在していたからである。そうして、開拓団募集を行ったのである。条件は在日韓国・朝鮮人の場合と同じであり、将来的には国家建国を目指すというものであった。


 そうして次に手を挙げたのが在日ブラジル人たちであった。彼らは日本において三番目の集団であり、三〇万人近い勢力を誇っていたのである。祖国と同じ南アメリカ大陸では遠すぎるが、日本の示した大島であれば、沖縄から僅か四五〇○km、何かの時にはすぐに支援を得られるだろう、と考えられたからである。彼らが大島開拓を決意した最大の理由はどこにあったかといえば、自らの国が興せる、その一点にあったと思われた。


 ついで、フィリピン人も手を挙げることとなった。かっての祖国は多くの島からなり、さまざまな問題を抱えていた。しかし、今度は大きな一つの島であり、さらに言えば、日本が開拓支援するということで、それなりの生活を望むことが可能だったからであろう。


 南の二島の開拓が決定されたのは、シナーイ大陸で入手できない資源が必要となってきたからである。それはゴムであり、香辛料などであった。移転前にこれらの多くは東南アジア地域から入手しており、南の島でなら産出されるだろう、との目論見であった。ただし、その多くは未確認であったが、いくつかの資源の存在が報告されてもいたのである、むろん、実物を確認しているわけではなく、映像による確認であったとされる。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ