ファウロス開放へ
第一特殊大隊はファウロスの手前、約五kmほど離れた小高い山の北側にあり、指揮官である今村は山に登っていた。山頂には第一一中隊(元第四中隊)第一一一小隊(今村の原隊)が偵察のために部隊を展開していた。彼らが部隊の先頭を行っていたのである。ちなみに、今村との付き合いが長い木村が曹長に昇進して小隊を率いていた。これは何も不思議なことではない。なぜなら、今回、今村に預けられた追加部隊はほぼ即応予備役兵(即応予備自衛官)が中心のため、今村は現役兵を中心に偵察部隊として編成していたからである。
「曹長、状況はどうか?」
「あっ、大尉」木村は慌てて敬礼するが、今村の任務中だ、との言葉ですぐにそれを解いた。ちなみに木村も准士官に昇進していた。
「かなり大きい街です。大まかにいえば、長さ四km、幅二kmのほぼ四角い街で、東部に市政を司る庁舎があったそうです。入り口は東西と北にありますが、現在は封鎖されています。しかし、オレフ氏によれば、現状では住民がそれほど多くなく、市街に住んでいるのは多くがシナーイの人間のようです」
「そうか、ホルムでのわれわれとの戦いで警戒しているのか?」
「はっ、そう考えられます。それと、兵は約五〇〇〇、多くて七〇〇〇だそうです」
「どこからの情報だ?」
「はぁ、オレフ氏の部下が市内の住民と接触したようです」
「民間人を使ったのか?」今村の声が大きくなる。
「いいえ、われわれがここに到着したとき、既にその男が来ていました。どうも伝書鳩を使ったようです」
「わかった。一五三○より会議を開く。出席してくれ」
「了解!」
ここにくるまでに、今村はいくつかの作戦を考え、大隊の参謀たちに検討させていた。中尉が一人に少尉が二人、いずれも予備役だったが、それなりに勉強していたことから、今村は彼らを参謀役としたのである。ただし、彼らには今村が倒れた場合の指揮権はない。次席指揮官は第一二中隊の安西孝則中尉であった。彼は数少ない現役将校であり、最上位の士官だったからである。
「というわけで、作戦乙案を採用する。住民は前もって市内の東北部倉庫地域に避難しているものとする。第一一一小隊は市庁舎の制圧、第一一二小隊は東の街道、第一一三小隊は西の街道を確保後、後続部隊の到着とともに市内制圧だ」
「大尉、夜襲ですが、装備はそろっていないのでは?」参謀の矢野敏一少尉が問う。
「暗視装置は三個小隊分は揃っている。それに、照明弾を使用するし、ヘリの応援もある。本部および砲撃中隊、第三中隊は市外北側で囮となる。派手にやってくれ」
「民間人の抵抗があった場合はどうしますか?」鳩村が問う。
「やむをえない場合は反撃を許可する。他にないか?」そういって見回すが誰も何も言わない。
「よし、囮役は一九○○時行動開始、夜襲部隊は二〇○○時に市内侵入行動開始」
「はっ!」会議に出ていた全員が答える。
街自体は大きいが、対して住民が少なく、電気も整備されていないため、乙案、夜襲を選択したといえる。少なくとも、今村にはそう見えたが、最盛期には人口三万人を数え、電気もかなり整備されていたという。ではあったが、五年前の地震とシナーイ帝国の侵略により、多くの住民が街を脱出し、その多くは西にある第二の街ルーメ、トレンセンというウェーダン第三の街に向かったとされていた。シナーイ帝国に占領されてからのインフラ整備は行われていないという。
ともあれ、移転後初の、そして、第二次世界大戦後初の都市に対しての侵攻作戦が行われることとなった。一九○○時、今村率いる部隊は何の小細工もなく、堂々と街に向かって進撃を開始した。市内突入部隊は既に迂回して目的地近くに達し、時間を待っているはずであった。ここまで、特に連絡がないから、予定通りにすすんでいるはずである。
北側の街道入り口を警備する敵兵まで一五〇〇mのところで停止、高機動車に搭載の一二.七mm重機関銃による攻撃を開始した。先のホルム防衛で使用した分隊支援火器のミニミは五.五六mmであり、その威力は比べ物にならない。敵兵がこもる板張りの遮蔽物などまったく役に立たないし、まともに銃弾を浴びれば、それこぞ無事ではすまない。五体満足の遺体など稀にしか存在しなくなる。
一連の制圧射撃後、第一三中隊は市内に突入する。そうして、二〇二〇時、三箇所から突入した部隊は飛来した<ブラックホーク>の投下した照明弾の元、敵掃討戦へと突入していった。二〇四〇時には都市のほぼ八割を無害化していた。市庁舎はその二〇分前に制圧、シナーイ帝国の主だった人物を確保することに成功していた。現状、抵抗しているのはラーム教信者の立てこもる建物だけであり、生き残った兵たちもそこに合流していたといえる。しかし、車載重機による攻撃により、無害化されてゆくこととなった。
今村は二一三○時、戦闘終了を宣言することとなった。部隊の被害は負傷者三一人、うち、治癒に一ヶ月以上要すると思われる重症者五人であった。そして、敵兵の死傷者六〇〇〇人強を確認することとなった。特にラーム教信者とその配下の兵は全滅という結果が出ていた。
しかし、翌朝○九三六時、今村は新たな決断を迫られることとなった。ファウロスの南を流れるファウロ河の対岸、本来の対岸であった二km先の地域に三万を超える軍と二〇ほどの野砲を認めたからである。そうして、一〇五一時、野砲による攻撃が始まったのである。今村は全軍と住民を市外に避難させるほかなかった。本来の任務は、ファウロスの確保であり、このままではその達成すら危ぶまれた。
参謀や小隊長を含む士官からは一時撤退という案が出された。今村もそれを受け入れるしかないと判断しかけたとき、それまでの砲弾による衝撃とは別の衝撃が彼らを襲った。それは地震による衝撃であり、ファウロスの西方から轟音も感じられた。むろん、今村や日本軍の誰もが地震だと判断していた。当然である。彼らは地震国に本で育ったからである。しかし、元からの住民はそうではなく、ひどく恐れ、部隊の制止を振り切って逃げ出すものが多くいた。
そうして五分後、ファウロ河上流から轟音とともに濁流がファウロ河河口を埋めることとなった。河口では巨大な渦巻きがいくつも発生、青い海を茶色く染めることとなった。後に判明するが、ファウロ河の注ぐ海は東京湾ほどの大きさであり、一ヶ月ほど漁が不可能であったという。
おそらく、五年前の地震により、上流で塞き止められていたのが、今回の地震で崩落し、本来の水流がファウロ河に殺到したのではないか、という今村の考えに、そこにいた多くの軍人は納得せざるを得なかっただろう。ファウロスの街はシナーイ帝国軍の砲撃と先ほどの地震、そして川幅を超える幅の濁流により、壊滅することとなった。しかし、今村にとっては思わぬ形で任務を達成することとなった。濁流が静まっても、幅二kmの大河であれば、シナーイ帝国とてそう攻めてこれず、ウェーダンの防衛は容易であると思われた。事実、三万人が展開していた場所はその多くが濁流に洗われており、その数が半減していたからである。
しかし、この思わぬ災害により、パーミラから南下してきた艦船がファウロ湾に入ることができず、復興が遅れることとなったのである。そう、船が湾内に入れるようになるまで一週間を要したのである。結局、ホルムを中継しての陸路が当初の動脈となったのである。これが、後にウェーダン縦断鉄道、ファウロス~ホルム~ストール間建設の遠因となったといえる。