終章
予兆はあったのである。たとえば、震度一から二程度の地震が長く続いていたこと、外地との電波通信が乱れてたり、海底ケーブルが断線するなど、であった。そのため、日本政府はもっとも近い波実来にバックアップ、インターネット用サーバ、各種データのを置いていたといわれる。最も、すべてがバックアップされていたわけではないという。それは当然だといえた。それでも準備をしないよりは遥かによかったといえるだろう。
残された日本の領土でもっとも日本本国に近かったのは、距離的にもっとも近い波実来ではなく、遠い瑠都瑠伊であったといえるだろう。工業力や技術力、生産力などあらゆる面で波実来を凌駕していたのである。瑠都瑠伊にはなく、波実来にあったのは豊かな自然と域内の治安の良さ、周辺地域の安定であったとされる。しかし、時の皇太子ご夫妻が波実来を訪れていたこともあり、波実来を新生日本国の首都と定められ、政府機能の確立を目指したのである。
この騒ぎで、瑠都瑠伊で叫ばれていた独立は尻すぼみとなり、新生日本国の建国にと一致団結することとなったのである。もっとも、領土が各地に分散していたため、以前の日本のような体制では統治が不可能であるとされた。そして、目指されたのは、英連邦国に似た体制であった。各領土はアメリカのように日本国所属州、たとえば、波実来であれば、日本国波実来州、瑠都瑠伊であれば、日本国瑠都瑠伊州とされたが、実際のところは国といえたかもしれない。というのも、各地によって異なる州憲法が存在したからである。もっとも近いのが英連邦国といえた。
国体的にはこれまでと同じ立憲君主制議会民主国家であったが、後に日本といえば主に波実来を指すこととなる。それにリャトウ(遼唐)半島、瑠都瑠伊、セーザン(瀬山)、セラージ(瀬羅地)、マダガスカル島、ベーネラ(辺根羅)が加わって日本国連邦と称されるようになる。科学技術工商業の中心地は瑠都瑠伊であり、波実来は農業を中心とする地域とされるようになる。
結果がらいえば、独立を目指していた瑠都瑠伊では、ほぼ自治権を得たに等しいわけで、多くの住民が満足することとなった。軍事的にも瑠都瑠伊軍として独立して作戦行動を取れるようになったこともあり、方面軍司令部としても、独自対応が取れることになり、小回りが利くようになったといえるだろう。ちなみに、瑠都瑠伊軍となり、陸海空の独立した司令部に再編され、その上位機関として統合本部が設置され、実働部隊のすべてがここで統合されることとなった。同じことは波実来でも行われている。
瀬山、瀬羅地、マダガスカル島、辺根羅は瑠都瑠伊軍の元で統括されることとなり、陸軍六個師団、海軍三個機動艦隊、空軍五個航空団がその零下におかれることとなった。将来的にはともかくとして、現状ではそうしなければ、即応体制が取れないというのが大きい理由だといえただろう。ただし、これに対して、瑠都瑠伊の負担は増すこととなり、常に予算の二パーセントが軍事費として拠出されなければならなかったといわれる。
人口は一億人、うち、純粋の日本人といえるのは六〇〇〇万人、波実来三四〇〇万人、遼唐五〇万人、瑠都瑠伊二一〇〇万人、瀬山三〇〇万人、瀬羅地一〇〇万人、マダガスカル島一○〇万人、辺根羅五〇万人であり、残りは日本人との混血、移民などで構成されることとなった。ここまで人口がはっきりしているのは戸籍制度が導入されているからに他ならない。日本人はこの世界でも、官僚らしさを発揮していたといえるだろう。
軍においては、陸軍は別としても、海軍の場合、一定距離外にいた艦艇はすべて残され、波実来の海軍基地に移動している。空軍においても、同じであり、可能な機体は波実来に飛来している。一部、東シベリア国に向かい、難を逃れた機体もあった。結局、陸軍では瑠都瑠伊方面軍と波実来方面軍、各地の派遣軍合わせて一〇個師団一二万六〇〇〇人、空軍は二〇〇機五〇〇〇人、海軍は五個機動艦隊六万人ほどが残されることとなった。海軍が多いのは多くの部隊が南米、中東に派遣されていたことと観艦式で太平洋に出ていたことが原因と思われた。
多少の混乱はあったものの、各地の即応予備役兵あるいは予備役兵、新規志願者で、一年後には陸軍二〇万人、海軍一二万人、空軍三万人、計三五万人体制になっていた。その後の各種問題発生で、三年後には四〇万人体制へと増強されることとなった。むろん、日本から移民した国家では最大の戦力を有する軍であった。技術的にも、それほど落ち込むことのないこの世界での最強の軍だといえるだろう。
日本列島が消滅したことにより、この世界に混乱が生じるかと思われたが、実際はそれほどでもなかったといえる。というのも、このころには、多くの生産拠点が瑠都瑠伊やマダガスカル島、辺根羅に移設されており、問題とされなかった。人口が六五パーセントほどになったが、GDPはこの世界でも軍を抜いていたといえるだろう。そう、ローレシアやロンデリア、イスパイア、オーレリアを寄せ付けることはなかったといえる。太平洋の多くの国では混乱が続いたが、南米や中東、アフリカといった地域ではそれほど問題とならなかったようである。これは、これら地域の多くは日本本国ではなく、瑠都瑠伊に指向していたためだといえる。
変わったのは、この世界では日本という国家は存在するが、欧州や南米ではあまり重要視されてはいないということであったかもしれない。アフリカや中東、南米では瑠都瑠伊というほうが通りが良いからであった。実際のところ、日本の一地域ではなく、瑠都瑠伊という一国家として認識されていることが多いといわれる。この後、各地の大使館が瑠都瑠伊に集中することとなり、波実来にはそれほど設置されることはなかったからである。
そうしたこともあり、後に瑠都瑠伊は各国(日本から移民して誕生した国家群以外)に国家として認められることとなり、公式にそう扱われることとなる。つまり、何らかの調印式などで、その書類には瑠都瑠伊国と表記されるということである。瑠都瑠伊においても、混乱を避けるため、瑠都瑠伊国と詳記する場合が多くなる。波実来は逆に日本国と表記されることが多くなり、波実来という表記は見られなくなることとなった。
そうした結果、日本(波実来)、遼唐、瑠都瑠伊、瀬山、瀬羅地、マダガスカル島、辺根羅はそれぞれ独立した国家とみなされ、各国は日本国連邦構成国とされるようになっていった。結局、日本から移民して誕生した国家もそれに習うようになり、国連常任理事国も日本の代わりに瑠都瑠伊が選出されることとなった。これは、瑠都瑠伊が日本(波実来)以上に限りなく消滅した日本に近かったからだと考えられた。
ちなみに国土面積は波実来約一〇万平方km、遼唐約○.五万平方km、瑠都瑠伊約九.四万平方km(ナルセイ一万平方km含む)、瀬山二.四万平方km、瀬羅地約三万平方km、マダガスカル島約五九万平方km、辺根羅約五〇万平方km(実際は移転前のベネズエラと同じ約九二万平方kmであるが、残る四二万平方kmはローレシアが領有している)とされた。日本国連邦もこれ以外には領有を宣言しなかったからであろう。
実際のところ、日本消滅の二年後にはそれまでとなんら変わらない状態に戻ったとされる。そして、消えた日本はもとの世界に戻ったのだという意見もあれば、また、別の政界に移転したのだろうという意見もあった。いずれにしろ、この世界で日本の果たした役割は大きいものであったといえるだろう。日本がこの世界に現れなかったら、世界は混沌としていた可能性が高いといえるからであった。むろん、日本が出現しなかったら他の先進諸国も出現しなかったのではないか、そういう意見も多いのは事実であった。
完結です。駄文にお付き合いいただきありがとうございます。できるだけ早いうちに加筆修正したいと思います。ただ、文章力からかなり時間を要するかと思います。この続きも何とかしたいと思います。また同じような書き方になるかと思いますが・・・ありがとうございました。