戦乱渦巻く欧州
それは奇妙な戦争であったといえる。新しく出現した三ヶ国と先に出現していたオーレリア、ロンデリアが互いに個別に戦いを始めていたからである。しかし、新しく出現した三ヶ国は早々に先頭を停止し、ダリアはオーレリアと、フレンスとエスパニアはロンデリアとと、そしてロンデリアはオーレリアとも戦いに指向することとなったといえる。むろん、戦闘は停止したとはいえ、三国とも互いに気を許しているわけではなかった。
フレンスはロンデリアと境界を接していたこと、ダリアはオーレリアと境界を接していたこと、エスパニアは海峡を挟んでロンデリアと接していたこと、ロンデリアとオーレリアは互いに境界線を接していたことによる戦いであった。もっとも、いずれにしても全面戦争というものはなく、規模の大きい国境紛争という状態であったかもしれない。瑠都瑠伊としては、これら五ヶ国が戦闘を停止し、交渉のテーブルに着くことを望んでいたが、実際のところは不可能な状態といえた。何よりも大きい原因はこれら五ヶ国がいずれにおいても外交チャンネルを持たないからであったといえる。
ただし、瑠都瑠伊とはそれぞれ個別に接触し、対話はなされていたといえる。特にロンデリアとは既に外交チャンネルが存在しており、瑠都瑠伊としてはここから解決の糸口を作っていきたいところであった。なにしろ、いざ全面戦争となった場合、ロンデリアの敗北が濃厚であったからである。というのも、四ヶ国と戦端を開いており、中東でも戦端を開いていたからである。少なくとも、瑠都瑠伊の知る範囲では、ロンデリアには実数として、五〇万人程度の兵力しか存在しなかったからである。
四ヶ国のうち、もっとも早く外務次官級対談に応じたのはダリアであった。理由はかの国の地中海での立ち位置にあるといえよう。ダリア南部の地中海に面した地域と地中海中央部に存在する瑞穂国との間は僅かに一四〇kmしか離れておらず、漁船による領海侵犯や衝突が多発していたからであろう。このころには脱ロンデリア、親瑠都瑠伊(日本ではない)指向の強かった瑞穂国は調停を瑠都瑠伊に求めてきており、それに応じた瑠都瑠伊州政府がダリアに強く要求したからであろうと思われた。
ダリアとしても、北部ではオーレリアと小競り合いが続き、地中海ではロンデリアの艦船との問題発生もあり、移転後間もないという理由もあって応じてきたものと考えられた。まともな国家であれば、二正面戦闘など考えるはずがないからである。ダリアとしても、国内の混乱を一刻も早く沈静化するためには、産業基盤を支える石油が必要であり、瑠都瑠伊の提示した石油輸出は魅力ある条件であったのかもしれない。
そうして、瑠都瑠伊と瑞穂国との三者会談の結果、ダリアは地中海での一部の問題(ロンデリアとの衝突については未解決であった)の解決の目処を立てた結果、同国内政は安定化に向うこととなったとされる。国交正常化や通商条約の締結に向けた会談は今後も続けられることとなったが、無償で二〇万kリットルの原油の提供はダリアにとってはそれほど重要であったということになる。
次いで瑠都瑠伊との対談に応じたのはエスパニアであった。同国はジブラルタル海峡の北岸をその領土に含めているため、ここを通過するロンデリアおよびフレンス両国との衝突が絶えず、特にロンデリアの艦船とは武装衝突が頻発していたのである。これはエスパニアが海峡を通過する船舶の臨検を常に実施していたという理由があった。幸いにして、フレンスとは陸上で国境を接していることもあり、瑠都瑠伊の情報提供もあって二国間協議が持たれて休戦している状態であった。
最後にフレンスとも対談が実現することとなった。こちらは陸上でのロンデリアとの戦闘が中心であったが、ドーバー海峡での海軍による衝突も起こっていた。このころにはロンデリアは移転前の英国本国の領土化をなしており、海上での衝突が絶えなくなっていたのである。ロンデリアは元来、海軍国家であるため、海上での戦闘はフレンスにとっては分が悪かったといえたのである。
この両国とも、瑠都瑠伊の説得に応じる形で問題を解決を図ったといえるだろう。そのため、瑠都瑠伊海軍か艦艇の派遣を余儀なくされる結果となった。元からの瑠都瑠伊方面軍海軍だけでは艦艇不足が問題とされたため、日本本土から一個艦隊(空母一隻、イージス巡洋艦二隻、汎用駆逐艦八隻の計一一隻で編成)が派遣されてくることとなった。日本近海にこれといった問題が発生していないことで可能であったといえる。これが、日本近海で問題が発生していたら不可能であったといえるだろう。この艦隊は瑞穂国を根拠地として活動することとなった。つまり、移転前の第一次世界大戦時の第二特務艦隊と同じであった。
ロンデリアも陸上ではともかくとして、海上輸送の重要性から海上での戦闘は避けるようになっていたこともあり、以後は特に海上での問題発生は大幅に減少することとなった。とはいえ、ロンデリアとフレンス、ロンデリアとオーレリア、ダリアとオーレリアとの間では小中規模の戦闘は耐えることはなかった。そして、これらの戦闘の発生を阻止することは日本にはできなかった。その大きな理由はロンデリアを除いて外交チャンネルが存在しないということにあったといえる。そうして、日本が得た情報によれば、戦闘の発生している地域ではこれまで各国合わせて一〇万人ほどの死者が発生しているという。
結局のところ、覇権国家たるを目指すロンデリアが最大の原因といえたかもしれない。移転前に多くの植民地を有しており、世界の半分を支配していた国家がこの世界ではそうではなく、必要な資源の多くを交易によって得なければならない、それがロンデリア王国の行く末を決めているといえたかもしれない。
それにしても妙な戦争であるとは日本のみならず、国連でも言われることであった。少なくとも、移転前の地球ではなかった多国間同時戦争であるといえた。これまで日本が経験してきたのは、二つの勢力による大戦であって、多国間戦争など起こりえないといわれていた。それが今起こっているといえた。幸いにして日本を含む移転国家は巻き込まれることはなく、蚊帳の外であったが、これが日本も巻き込まれていれば、解決の道はもっと難しいといえただろう。
結局、日本の努力も在って、イベリア半島南西部のエスパニア、イタリア半島のダリア、フランスであった地域のフレンスとは今にも切れそうなほど細いとはいえ、外交チャンネルの存在があったからこそ、何とか解決が可能であったといえるだろう。少なくとも、上記三国は三国での戦争を停止、フレンスとダリアも防衛戦争に徹し、欧州での戦争はロンデリアとオーレリアの二国間戦争へと移行するかに思えた。
しかし、瑠都瑠伊はともかくとして、日本はこの地域に関わっていられなくなったのである。また、瑠都瑠伊も自らの内政の混乱のため、一時的にとはいえ、欧州戦争に関わることが不可能となったのである。瑠都瑠伊の内政混乱は遠く日本近海での出来事に端を発するものであった。もっといえば、瑠都瑠伊だけではなく、国連もまた混乱にいたり、欧州に目を向けることができなくなったといえる。瑠都瑠伊や国連が再び本格的に欧州に目を向けるようになるまで半年を要したのである。