議題:SNS(後編)
「距離感、だと思うんです」
「距離感」
「画面越しだと、相手が人間じゃないような気がする。実在しない存在に、本気の言葉を投げつけてしまう。でも受け取っているのは本物の人間で、本物の言葉を受け取っている」
「距離感による攻撃性の増大は、データでも確認されています」とアトラスが言った。
「対面コミュニケーションと比較して、オンライン環境では攻撃的発言が平均で四・七倍増加します」
「四・七倍」とベルフェゴールが繰り返した。
「人間は仮面をかぶっているということだ。本当の姿はこちらのほうが近い」
「それは違います」とラファエルがすぐに言った。
「どこが違う」
「仮面の下が本当の姿、という前提が間違っています。どちらも本当の姿です。人間は矛盾する存在です」
「矛盾を肯定的に評価するのは、贔屓目すぎる」
「贔屓じゃありません。事実の観察です」
「アトラスさん、助け合いのデータも出してください」と結人は言った。
三人が結人を見た。
「言いたいことがあるなら言えばいい」とベルフェゴールが言った。
「人間代表なんだろう」
「炎上の話だけ見るのは、フェアじゃない気がして。反論しているわけじゃないですが」
「フェア」とベルフェゴールは繰り返した。「人間は公平が好きだな」
「好きかどうかはわからないですが、偏った情報で判断するのは、あんまりよくないかなと」
アトラスが映像を切り替えた。
「SNSにおける相互扶助事例です」
別の映像が出た。
大規模な災害が起きたとき。孤立した地域の情報がSNSで広まって、救助につながった事例。医療費が払えない子供のために、見知らぬ人たちが寄付を集めた事例。遠い国で起きた不正を告発した一つの投稿が、世界中に広まって、状況を変えた事例。
「#MeTooも、SNSから始まりました」とアトラスが補足した。
ラファエルが微かに笑った。うれしそうな表情だった。
「ほら」とラファエルは言った。ベルフェゴールに向かって。
「一つのデータで一喜一憂するな」とベルフェゴールは言った。
「負の側面が消えたわけではない」
「消えた、とは言っていません。両方あると言っています」
「両方あるなら、プラスマイナスで計算すればいい。アトラス、現時点での総合評価は」
「SNSが人類に与えた影響の純評価は、現在計算中です。変数が多すぎて確定値が出ていません」
「出ていない、というのは」
「SNSの登場から三十年未満です。長期的影響の評価には最低五十年が必要です」
「つまり、まだわからない」
「そうなります」
ベルフェゴールは少し不満そうだったが、それ以上は言わなかった。
「では、SNS議題の結論は」とクロノスが言った。
「評価保留」とアトラスが言った。
「反対意見は」とクロノスが全員を見た。
ラファエルは「賛成します」と言った。結人は「まあそうですね」と言った。ベルフェゴールは少し間を置いてから「異議なし」と言った。
クロノスが静かに頷いた。
「SNS議題は評価保留。記録しておいてください、アトラス」
「記録しました」
「会議を続けましょう。次の議題は——」
「すみません」と結人は言った。
「少し聞いていいですか」
「どうぞ」
「評価保留、というのは、今日は決めない、ということですよね」
「そうです」
「三百七十七回、ほぼ毎回保留になってきた、ということは——つまりこの会議は、毎回何かを議論して、でも決めずに終わってきた、ということ?」
「端的に言えば、そうです」
「それって……意味があるんですか?」
クロノスは、少し間を置いた。
「意味がある、という考え方と」と静かに言った。「意味があるかどうかはわからない、という考え方の、二つがあります」
「クロノスさんはどちら?」
「私は、意味があると思っています」
「なぜ?」
クロノスは、宇宙が見える天井を少し見てから、結人の方に目を戻した。
「保留し続けている間、世界は終わっていないからです」
結人はその言葉を、少し考えた。
「……なるほど」
「わかりましたか」
「多分」と結人は言った。「なんとなく」
「それで十分です」とクロノスは言った。「深く理解するには、もう少し時間が必要でしょう。では、次の議題に入りましょう」




