議題:小さな善意(後編)
会議室に、少し静けさが来た。
映像が続いていた。
ボランティアで食事を配る人の映像。子供が迷子になっているのを見つけて、自分の用事をいったん止めて、一緒に親を探す人の映像。川に落ちた犬を助けるために迷わず飛び込む人の映像。雨の中で倒れた自転車を、誰も見ていないのに起こす人の映像。深夜の駅で、泣いている人に「大丈夫ですか」と声をかける人の映像。
誰も見ていないところで起きていることが、ほとんどだった。
カメラに気づいていない。認められようとしていない。ただ、誰かが困っていたから、何かをした。それだけだ。
「世界って」と結人は言った。
「何ですか」とラファエルが聞いた。
「こういうのでできてる気がする。大きな戦争とか、経済とか、政治とか、そういうことも確かにあるけど。でも本当のところは、こういう、一個一個の小さいことでできてる気がする。毎日、何億回もの小さなことが積み重なって、それが世界になっているんじゃないか、と」
「そう思いますか」
「思います。たぶん。証拠はないですが」
「証拠は?」とベルフェゴールが言った。
「ないです」と結人は言った。
「でもこれが違うなら、この会議室に何百回も保留を続けてきた理由がない気がします。毎回、何かに引っかかるものがあるから、保留にしてきたんでしょう。引っかかるものというのは、きっとこういうことじゃないかと」
ベルフェゴールは答えなかった。
クロノスが静かに、円卓の中央に浮かぶ映像を見ていた。
映像の中では、誰かが誰かに傘を渡していた。受け取った人が、ありがとうと言った。渡した人は、もう背中を向けて歩き出していた。
「保留の理由は、言えません」とクロノスが言った。
「私の立場上、審議に影響を与えることになるので。ただ一つだけ言えるのは、この映像を見て、私が何も感じないわけではない、ということです。感じるかどうかということ自体、私の役割上、言うべきかどうか迷いましたが——あなたたちには言えます」
クロノスが「感じる」と言ったことが、結人にはなんとなく、大事なことのように思えた。
時間の神が感じる何かを、人間の映像が生み出している。
それは単純に、いいことだと思った。
会議室に、また静けさが来た。
アトラスが映像を止めた。
「小さな善意議題の評価は」とクロノスが言った。
「評価保留」とアトラスが言った。
「ただし、滅亡推進の根拠としてカウントすることは不適切と判断します。それどころか、人類存続の根拠の一つとして加算すべき可能性があります」
「それは人間にとって、かなり有利な評価ですね」とベルフェゴールが言った。
「そうです」とアトラスが言った。
「データによるフェアな評価の結果です。感情的な判断ではありません」
ベルフェゴールは何も言わなかった。
「記録します」とクロノスが言った。




