第5話「焚き火の前の静寂」
討伐を終えた頃には、空は深い藍色に染まり、数え切れないほどの星がまたたき始めていた。
王都へ戻るには遅すぎる時間だったため、二人は街道から少し外れた森の開けた場所で野営をすることにした。
枯れ枝を集めて火を熾すと、パチパチという軽快な音と共に赤い炎が踊り出す。炎の明るさが、周囲の深い闇をわずかに押し返していた。
ルークは焚き火のそばに座り、冷えた指先を火にかざした。夜の森は底冷えがする。枯れ葉の匂いと、湿った土の匂いが鼻腔をくすぐった。
向かい側には、シリウスが長い足を投げ出して座っている。彼の横顔は炎の光に照らされ、陰影が濃く落ちていた。普段の張り詰めた空気はすっかり鳴りを潜め、どこか穏やかな表情をしている。
「……悪くないな」
シリウスが炎を見つめたまま、ふと口を開いた。
「何が?」
ルークが首をかしげると、シリウスは手元の小枝で焚き火の端をつついた。赤い火の粉がふわりと空へ舞い上がる。
「こうして、誰かと一緒に火を囲むことだ。俺は今までずっと一人だったからな。野営の時はいつも、魔除けの結界を張って神経を尖らせていた」
シリウスの言葉に、ルークはそっと目を伏せた。
彼の膨大すぎる魔力は、魔物を惹きつける甘い蜜のようなものだ。一人で森の中で夜を明かすことが、どれほど孤独で緊張を強いられるものだったか、想像するに難くない。
「俺も、こんな風に誰かと静かに夜を過ごすのは初めてだ」
ルークは自分の膝を抱え込むようにして、ぽつりとこぼした。
「あんたも知っているだろう。ヴァンダル家は王都でも有名な剣の一族だ。兄たちは皆、力に満ち溢れた立派なアルファだった。でも、俺には力がなかった。家の中ではずっと空気のように扱われて、誰の視界にも入らないように息を潜めて生きてきたんだ」
ルークの告白に、シリウスは口を挟まずにじっと耳を傾けている。炎の爆ぜる音だけが、二人の間に落ちる沈黙を優しく埋めていた。
「俺の魔力相殺なんて、実戦では自分を守るだけで相手を倒せない。臆病者の力だと笑われてきた。だから、今日あんたが俺の力を必要だと言ってくれた時……本当に嬉しかったんだ」
顔を上げると、シリウスの深い青の瞳が真っすぐにこちらを見据えていた。その視線の熱さに、ルークは思わず息を飲んだ。アルファ同士という本能の壁を越えて、もっと深い部分で魂が引き寄せられるような感覚があった。
「笑う奴が愚かなだけだ」
シリウスの声は低く、だが確かな熱を帯びている。
「お前のその繊細で緻密な魔力操作は、俺には絶対に真似できない。強大な力を振り回すことしかできない俺にとって、お前の存在は奇跡みたいに思える」
シリウスは少し身を乗り出し、ルークを見つめた。
「家名や、アルファだのオメガだのといった世間の物差しなんてどうでもいい。俺はお前だからこそ、背中を預けたいと思ったんだ。ルーク」
その言葉が、冷え切っていたルークの心の奥底にじんわりと染み込んでいく。ずっと欲しかった言葉だった。誰かに自分の存在を丸ごと肯定されることの喜びが、胸を締め付けるように広がっていく。
「……ありがとう、シリウス」
ルークが照れくさそうに微笑むと、シリウスもまた、不器用だが優しい笑みを浮かべた。
夜の冷気が二人を包み込んでいたが、不思議と寒さは感じなかった。焚き火の温もりだけでなく、すぐ近くにいる相手の呼吸や体温が、確かにそこに存在しているという安心感を与えてくれている。
『この人と一緒なら、どこまででも行けるかもしれない』
ルークは揺れる炎を見つめながら、心の中で静かに誓った。
過去の鎖を断ち切り、自分自身の足で歩き出したこの道。その隣には今、かけがえのないパートナーがいる。
明日から始まる未知の冒険に思いを馳せながら、ルークは静かに目を閉じ、静寂に満ちた森の空気を深く吸い込んだ。




