番外編「酒場の隅の温もり」
王都の冬は、容赦なく肌を刺すような冷たい風を運んでくる。
吐く息は真っ白に染まり、石畳の表面には薄っすらと霜が降りていた。
冒険者ギルドの重厚な木の扉を押し開けると、暖炉の火がパチパチと爆ぜる音と共に、肉の焼ける香ばしい匂いとエールの酸い香りがむっと押し寄せてきた。外の寒さを忘れさせるほどの熱気が、フロア全体を包み込んでいる。
「ふぅ……ようやく生き返った気分だ」
ルークは凍えきった両手をこすり合わせながら、フロアの隅にあるいつものテーブル席へと腰を下ろした。
今日は王都近郊の雪山で、凶暴な氷狼の群れを討伐する依頼だった。氷点下の過酷な環境での戦闘は、肉体的にも精神的にも大きな消耗を強いるものだった。
向かいの席には、黒いローブに身を包んだシリウスがドカッと座り込んだ。
彼の長い銀髪には、まだ溶けきっていない雪の結晶がわずかに残っている。氷の魔法を操る彼にとって寒さはさほど苦ではないはずだが、それでも長時間の戦闘の疲労は顔に滲んでいた。
「冷たいエールより、今日は温かいスープが必要だな」
シリウスはそう言うと、通りかかった給仕に銀貨を弾いて渡し、香草と肉の煮込みスープを二つ注文した。
待つ間、ルークはテーブルの上に両肘をつき、向かいに座るシリウスをぼんやりと見つめた。
ヴァンダル家の次兄、レオンとの死闘から数か月。
あの日以来、実家からの追手は完全に途絶えた。レオンが敗北したという事実が、一族の中でどれほどの衝撃を与えたかは想像に難くない。だが、ルークにとってもうそんなことはどうでもよかった。
今の彼にとっての帰る場所は、このギルドの騒々しい酒場と、目の前にいる不器用な魔術師の隣だけだ。
「……何を見ている」
視線に気づいたシリウスが、不機嫌そうに眉間にしわを寄せる。だが、その声色に刺々しさは全くない。
「いや。ただ、少し不思議な気分になっていたんだ」
ルークは手元の木製コースターの縁を指でなぞりながら、柔らかく微笑んだ。
「あんたと出会う前、俺はこんな風に誰かと向かい合って温かい食事を待つ日が来るなんて、想像もしていなかったから」
その言葉に、シリウスは小さく息を吐いた。
彼は手持ち無沙汰にテーブルの木目を見つめていたが、やがて顔を上げ、深い青の瞳でルークを真っすぐに捉えた。
「俺も同じだ。誰かのために魔法の威力を調整しようだなんて、以前の俺なら考えもしなかった」
シリウスの口元が、わずかに緩む。
「だが、悪くない。お前のその微弱な魔力の波長を感じながら戦うのは、一人で周囲を焼け野原にするよりもずっと気分がいい」
それは、孤高を貫いてきた男にとっての、最大級の賛辞であり告白だった。
ルークの胸の奥がじんわりと温かくなる。冷え切っていた指先まで、血の巡りが良くなっていくのを感じた。
やがて、湯気を立てる熱々のスープが運ばれてきた。
スプーンですくって一口飲むと、肉の旨みと香草の香りが胃の腑に染み渡り、体の内側からじんわりと熱が広がっていく。
ルークはスープを味わいながら、窓の外で降り始めた粉雪を眺めた。外は凍えるような寒さでも、ここには確かな温もりがある。
言葉は多くなくてもいい。ただ同じ時間を共有し、互いの存在を感じ合う。
それだけで、彼らは完全に満たされていた。




