第10話「血の縛りと咆哮」
西の平原は、見渡す限りの枯れ草が風に波打つ荒涼とした場所だった。
重く垂れ込めた灰色の雲が、太陽の光を遮っている。吹きすさぶ風には、土埃の匂いと共に、濃密な血の匂いと焦げた肉の匂いが混ざっていた。
ルークとシリウスが平原の中央に辿り着いた時、そこにはすでに凄惨な光景が広がっていた。
地面には巨大なクレーターがいくつも穿たれ、その中心には、見上げるほど巨大な飛竜の死骸が横たわっている。漆黒の鱗は剥がれ落ち、首は無残にも切り落とされていた。
そして、その飛竜の亡骸のそばに、一人の男が立っている。
金糸のような輝きを持つ長い髪を後ろで束ね、白銀の軽鎧を身にまとっている。長身で、均整の取れた体躯からは、隠しきれないほどの圧倒的な覇気が漏れ出していた。
「――遅かったな、ルーク」
男がゆっくりと振り返る。
彫りの深い顔立ちと、冷酷な光を宿した金色の瞳。次兄、レオン・ヴァンダルだ。彼が声を発しただけで、周囲の空気が重くのしかかるような錯覚に陥る。
「兄さん……」
ルークの喉が渇き、声がかすれた。
かつて、この男の前に立つだけで体が竦み、息をすることすら許されないような恐怖を感じていた。その記憶が細胞レベルで蘇り、ルークの足元をすくおうとする。
「ずいぶんと小汚い野良犬に成り下がったものだな。ヴァンダル家の誇りを捨て、こんな場所で泥にまみれているとは」
レオンは飛竜の血に濡れた長剣を軽く振り払い、鞘に収めた。その動作一つ一つに、無駄のない洗練された武の極みが表れている。
「僕は、野良犬なんかじゃない。自分の足で、自分の人生を歩いているだけだ」
ルークは震える声で、必死に反論した。
だが、レオンは鼻で笑い、金色の瞳をルークの隣に立つシリウスへと向けた。
「その隣にいる狂犬に守ってもらいながら、か? 出来損ないが優秀な魔術師の腰巾着になって、一人前になったつもりか」
その言葉が、ルークの心の一番柔らかい部分をえぐった。
違う。俺たちは対等なパートナーだ。そう叫びたかったが、レオンから放たれる圧倒的なアルファの気迫が、ルークの言葉を喉の奥に押し込めてしまう。
「黙れ、三流剣士」
不意に、低く冷たい声が平原に響いた。
シリウスだ。彼は黒いローブの裾を風に揺らしながら、ゆっくりとレオンに向かって歩み出た。
「ルークはお前の腰巾着でも、所有物でもない。俺の唯一のパートナーだ」
シリウスの全身から、青白い魔力の炎が立ち上る。それはレオンの覇気と真っ向から衝突し、空気が軋むような嫌な音を立てた。
最高峰のアルファ同士が放つ、互いを排除しようとする本能のぶつかり合い。ルークはその圧倒的な圧力の狭間で、息をするのすら困難だった。
「狂犬が。主人の鎖を引きちぎって吠えるか」
レオンが目を細め、再び長剣を抜いた。
「いいだろう。ルークを連れ戻す前に、貴様という邪魔者を排除してやる。ヴァンダル家の力というものを、その身に刻み込んでやる」
レオンが地面を蹴った。
その速さは尋常ではなかった。瞬きをする間に距離を詰め、シリウスの首筋を狙って長剣が閃く。
「遅い」
だが、シリウスは全く動じなかった。
彼の右手に圧縮された風の刃が生み出され、レオンの剣を正確に弾き飛ばした。金属が激突する甲高い音が響き、火花が散る。
そこからは、人間離れした死闘が始まった。
レオンの剣撃は、ただの物理的な攻撃ではない。アルファとしての強烈な気迫と、魔力を帯びた斬撃が、シリウスの魔法の防壁を次々と削り取っていく。
一方のシリウスも、一切の手加減なしに炎と氷の魔法を交互に放ち、レオンの退路を断とうとした。
大地が割れ、空気が焦げる。
ルークは二人の戦いを前に、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
桁が違う。これが、本物の強者同士の戦いなのだ。自分のような出来損ないが立ち入れる領域ではない。
『俺は、またこうして見ていることしかできないのか……』
過去の無力感が、再びルークを飲み込もうとしていた。




