第1話「出来損ないの旅立ち」
登場人物紹介
◆ルーク・ヴァンダル
名門ヴァンダル家の三男。20歳。優れたアルファを輩出する一族にアルファとして生まれたが、身体能力や魔力が平均以下のため「出来損ない」と冷遇されてきた。家を出て冒険者となる。実は精密な魔力操作と「魔力相殺」という稀有な才能を持つ。性格は穏やかだが芯が強い。
◆シリウス・クロウエル
若くして特級の称号を持つエリート魔術師。22歳。圧倒的な才能を持つアルファ。その強大すぎる魔力ゆえに周囲と連携がとれず、孤高を貫いていた。不愛想だが根は真面目で、一度認めた相手には深い執着と情を見せる。
◆レオン・ヴァンダル
ルークの次兄。ヴァンダル家の典型的なアルファであり、圧倒的な武力を誇る。家から逃げ出したルークを連れ戻すために現れる。
石畳を叩くブーツの音が、ひんやりとした朝の空気に吸い込まれていく。
ルーク・ヴァンダルは、肩に食い込む革袋の重みを感じながら、振り返ることなく歩き続けた。背後には、彼が二十年間暮らしてきた広大な屋敷がある。重厚な鉄格子と高い石壁に囲まれたその場所は、ルークにとって牢獄と同じだった。
ヴァンダル家は、王都でも有数の名門だ。代々、強力なアルファの剣士を輩出し、国の中枢で武を振るってきた。
当然、三男として生まれたルークもアルファとしての覚醒を迎える。だが、彼に与えられた身体能力や魔力は、ベータの一般人と比べても大差ないものだった。
アルファ特有の威圧感もなく、他者を平伏させるような覇気もない。ルークは物心ついた頃から「ヴァンダル家の恥」「出来損ないのアルファ」というレッテルを貼られ、一族の隅でひっそりと息を潜めて生きてきた。
『お前は部屋から出るな。一族の面子が潰れる』
父親の冷たい声が、今も耳の奥にこびりついている。
家族からの失望の視線。使用人たちの嘲笑。それらを浴び続ける日々に、ルークの心はすり減っていた。
このまま家の中で飼い殺しにされるくらいなら、自分の足で世界を歩いてみたい。どんなにみじめな結果になろうとも、自分の命の使い道は自分で決めたい。
そう決意したルークは、夜明け前に屋敷を抜け出したのだ。
王都のメインストリートに出ると、人々の活気ある声が鼓膜を揺らした。
焼きたてのパンの香ばしい匂いや、荷馬車を引く馬のいななき。すれ違う人々は皆、自分の人生を懸命に生きている。誰もルークを「出来損ない」と嘲笑わない。
その事実だけで、ルークの胸の奥が熱くなった。
目指すは冒険者ギルドだ。
家柄も、アルファやベータ、オメガといった性別すら関係ない。純粋に実力だけが評価される場所。
大きな木製の扉を押し開けると、騒々しい熱気とエールの匂いが押し寄せてきた。
壁際やテーブルには、様々な種族や身なりの冒険者たちがたむろしている。ルークは背筋を伸ばし、受付のカウンターへと真っすぐに向かった。
「新規の登録をお願いします」
受付の女性は、ルークの細身の体つきをちらりと見て、手元の羊皮紙を差し出した。
「お名前と、得意な武器や魔法を記入してください」
ルークは羽ペンを受け取り、自分の名前を書き込んだ。家名は捨てたつもりだったが、ギルドの登録には本名が必要だ。
武器は長剣。魔法の欄には、少し迷ってから「防御」とだけ記した。
彼には攻撃の魔法が使えない。ただ、飛んでくる魔力を打ち消すことだけは昔から得意だった。だが、そんな地味な能力を評価してくれる人間は、実家には誰もいない。
「登録終わりましたよ、ルークさん。最初は簡単な薬草採取や、下級の魔物討伐から始めてくださいね。掲示板に依頼が貼ってありますから」
木の札で作られた真新しいギルド証を受け取り、ルークは深く頭を下げた。
これで今日から、自分は自分の主だ。
***
冒険者としての初仕事は、王都の近郊にある森での薬草採取だった。
太陽が高く昇り、木漏れ日が地面にまだら模様を描いている。森の中は湿った土の匂いと、青臭い葉の匂いが混ざり合っていた。
ルークは図鑑で覚えた特徴を頼りに、根気よく目当ての植物を探していく。
剣士としての筋力は乏しくても、森を歩き回るだけの体力はある。何より、誰の目も気にせずに自然の中にいる時間が、ルークにとってはひどく心地よかった。
革袋が薬草で半分ほど膨らんだ頃だった。
ドンッ、と。
遠くから、空気を震わせるような重い音が響いた。
足元の地面がかすかに揺れる。鳥たちが悲鳴のような声で一斉に飛び立ち、木々の葉がざわざわと恐怖に震えた。
ただの音ではない。膨大な魔力が爆発した余波だ。
『なんだ……今の魔力は』
ルークは息を飲んだ。
ヴァンダル家には優秀な魔術師も出入りしていたが、これほど規格外の密度を持った魔力は感じたことがない。
本能が危険を告げている。しかし、ルークの足は自然と音のした方向へ向かっていた。誰かが魔物に襲われているのかもしれない。放ってはおけなかった。
木々を掻き分け、開けた場所に出た瞬間、ルークは足を止めた。
視界の先には、巨大なクレーターのような窪みができている。黒く焦げた地面からは、チリチリと熱を帯びた煙が立ち上っていた。
その中央に、一人の青年が立っている。
漆黒のローブを身にまとい、銀色の髪が風に揺れている。
すらりとした長身。彫刻のように整った横顔は、冷ややかな美しさを放っていた。
青年の足元には、数メートルはあろうかという巨大な熊の魔物が、原型をとどめないほど黒焦げになって倒れていた。たった一撃で、この大質量を消し炭にしたのだ。
「また、やりすぎたか……」
青年は顔をしかめ、忌々しそうにつぶやいた。
その声は低く、どこか苛立ちを孕んでいる。
ルークは思わず息をひそめた。青年の周囲から放たれる圧倒的な気配。それは間違いなく、アルファ特有のものだった。それも、ルークの父や兄たちすら凌駕するほどの、暴力的なまでの純度を持っている。
ふいに、青年の冷たい双眸がルークを射抜いた。
夜空のように深い青色をした瞳だ。
「……誰だ。そこから出てこい」
見つかった。
ルークは観念して、ゆっくりと木陰から姿を現した。青年はルークを一瞥すると、警戒を解くように小さく息を吐く。
「ただの薬草採りか。ここはもう安全だが、余計な火の粉を浴びたくなければ早く街へ帰れ」
「あの魔物を、一人で倒したのか」
ルークの問いに、青年は不愉快そうに眉間にしわを寄せた。
「見ればわかるだろう。いや、違うな。一人でしか倒せないと言った方が正しい」
青年が軽く右手を振ると、空中に残っていた熱波がスッと消え去った。
彼こそが、王都の冒険者ギルドで噂になっている特級魔術師、シリウス・クロウエル。
その規格外の力ゆえに、誰ともパーティーを組むことができない孤高のエリートアルファだった。




