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第4章 ── 想定と計画の幻

 




 ゴングが鳴った。


 軽い金属音が空気を震わせ、観客席のざわめきが一瞬だけ止む。




 リングの上に、相原の姿があった。


 まっすぐ立っている。まるで風を感じていないように。


 拓真は目の前の景色に、何の違和感もなかった。


 ――これも、もう何度目かの光景だ。


 相原の右足が半歩外に出て、ジャブの角度。


 すべてが「記憶通り」。


 そのことが、奇妙な安心を生んでいた。




 拓真は右ストレートを合わせるタイミングを完全に掴んでいた。


 相原の二つ目のジャブのあと、わずかに重心が流れる。


 そこだ。


 打った。


 拳が吸い込まれるように相原のアゴを捉える。


 鈍い音が響いた。




 会場がどよめいた。


 相原がわずかにのけぞる。


 そして――笑った。


 目が輝いた。


 その一瞬で、拓真は背筋を冷たいもので撫でられたような感覚に包まれた。




 リズムが変わった。


 空気の密度が変わる。


 相原が前に出た。


 音が消えた。


 パンチが――見えない。




 どこから出ているのか、まるで分からなかった。


 次の瞬間には、自分の頬に熱が走っている。


 それがパンチだと気づくのに、コンマの遅れがある。


 目が追いつかない。腕が動かない。


 体が勝手に下がり、ロープに触れる。




 「まずい……」


 頭の奥で誰かが囁いた。


 ひとつでももらえば終わる。


 そんな直感が全身を走る。


 拓真は反射的にガードを上げ、身をすくめた。




 次の瞬間、身体の中心が爆ぜた。


 ボディー。


 音ではなく、感触。


 内臓を鷲づかみにされるような痛み。


 息が漏れる。膝が震える。


 また同じ場所。いつもと同じ。


 逃げ場のない、敗北の痛み。




 それでも拓真は、無意識に右を出していた。


 視界の端に相原の影が見えた――ような気がした。


 次の瞬間、閃光のような何かが顔面を裂いた。


 視界が白く反転する。


 音が遠ざかる。


 リングライトが滲み、溶けていく。




 そして――




 サウナの天井。


 湿った空気。


 呼吸が浅い。拳を握ったまま、拓真は座っていた。




 タオルの上に、彩香のハンカチが落ちていた。


 濡れている。


 なぜ濡れているのか、もう分からなかった。




 拓真はしばらく、手を見つめていた。


 その指先が、まだ微かに震えていることに気づきながら。








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