03. それはまるでカメの甲羅を踏み続けるようなものだ
「悪魔の山で熊に襲われて死んだかと思ったら異世界に転生していたナリ」
「何を言っているか分からないと思うけど、私にも分からないから。気にしてないでいいと思う」
さっぱり分からない。ヤキトリとスズメは7年前に無事ダモンに辿り着けたものの、その道程は少し不思議な軌跡を描いたという。つぶあんのおはぎを食べていたら、こしあんのお汁粉に変わっていた、そんな少し不思議な物語だ。さっぱり分からないね?
僕達には生まれた時から異世界の記憶があるけれど。異世界には行った事が無い。でも、彼女達は異世界から転生して来て、再び異世界へ転生し、また戻って来たのだという。
「まあ、気にしないでよ。あなた達の記憶にあるドラえもんでもそんな話があるでしょ?マーティとドクの映画でもそうだけど。ハヤカワ文庫とかもね。きっとあんな感じの事が起きたのよ」
「この世界では7年しか経ってないでござるがー。拙者は160億年生きて、1万回死んだでござる」
「いちまんかい!?」
「てきとーに言ってるだけだよ。お姉ちゃんが、そんなに数をカウント出来るわけないもん」
異世界知識によると宇宙が開闢してから138億年かな?それより長く生きているってどういうこと?もしかして、ループしたのかな?ドラえもんが「野郎!ぶっ殺してやる!」って吠えた回みたいに。スズメちゃんが言うように、まさにドラえもんみたいな話だ。ドラえもんは記憶の中にあるのを、何度も繰り返し読んだよ。
「まあ、いいじゃないの。私達も永遠の14歳というペガサスファンタジーなんだし。細かい事を気にしていると疲れるわよ?」
「そうだね。そうかも知れないね」
カヲルくんは僕と違って細かい事には拘らないし、だいたいの事柄は彼女にとっては細かいことだ。細かい事ばかり気になる僕のパートナーとしては理想的かも知れないね。
少し不思議な話は、この物語の本筋では無いのだ。僕達は、よく晴れた日にパンツを洗い、干せば午前中には乾くような、そんな当たり前の世界に暮らしている。
「え?アスカちゃんは、もう居ないの?」
「そうだよ。君達がここを出て行ったすぐ後に、連れて行かれてしまった」
孤児院にアスカちゃんを迎えに行ったけど、そこにアスカちゃんは居なかった。お姉さんのフローリアンと、妹のジェミニも居なかった。孤児院には巫女のファズ姉さんが居て、アスカは連れて行かれたと言う。
「王家が養女として引き取ったのかしら?」
フローリアンとジェミニは王家が引き取るという話があった。それでもアスカは残っているはずだったのだけど。
「連れて行かれた、というのは語弊があるね。別の王様が孤児院を買い取ったんだよ」
孤児院には堕天使のブルースカイ姉さんも居た。一体何が起きているんだろう。僕達の育った孤児院は、もう孤児院では無いのだと言う。
「あー、うん。そうだねー。ドラゴン帝国の皇帝が、アスカとフローリアン、ジェミニを技術者として囲ったんだよ。今は、ドラゴン帝国で温泉に浸かって熊の丸焼きを食べているんだって」
そういえば。あの3人は図書室の古文書を研究して何か作っていたっけ?あれが何か形になったのだろうか。僕の浴衣がカヲルくんの手によって一度バラされてパンツになったように。
「いずれここに戻って来るはずだよ。彼女達には、また会えるよ」
いつかまた会えるのであれば、その時を待つだけだ。僕達には無限に近い時間があるのだから、急ぐ事は無い。女神を名乗る幼女に貰った悪魔の実は、あの時孤児院に居た子供達みんなで分けて食べたからね。アスカもフローリアンもジェミニも1000年は生き続けるはずさ。
「それよりもだ。今は、目の前のお仕事の事だ」
「そうね。聖書の代書を頼まれたのよね」
そうなのだ。僕とカヲルくんは堕天使姉さん達の事務所でアルバイトを始めたのだけど。そこで知り合った貴族に、聖書の代書のお仕事を貰ったのだ。前金で収入を得た僕達は、アスカちゃんを迎えに行ったのだけど、予定通りにはいかなかった、そういう事だ。
護衛のヤキトリとメイドのスズメちゃんに支払うお給金のためにも、僕は貰った仕事を納めないとならない。
聖書の代書というお仕事について整理をしておこう。とても大事な事だ。
この世界にも活版印刷の技術は存在する。でも、僕達の知っている異世界と違って、最初のベストセラーは聖書ではない。聖書は印刷するものではないからだ。
聖書は貴族の各家庭に伝わる秘伝のタレのようなものなんだ。
「その例えは、どうなのかしら?」
「そうかな?でも、僕はこの言葉の力で仕事を貰えたんだから。これが当面の武器さ」
「それはそうね。孤児院の図書室にあった聖書で学んだ表現力だものね」
僕達が、まだ常識すら把握していない世界で生きていくために、唯一頼りになるのが図書室で溜め込んだ言葉と文章の力だ。
貴族は成人すると親の聖書を受け継ぐのだけど。その聖書は写本されたもの。親も手元に聖書を残しておきたいからね。聖書にはこの世を導く全てが書かれているのだから。この国の貴族は聖書に書かれた事を現実のものにする義務がある。
その写本を代書するのが、僕の仕事というわけだ。でも、左にあるものを右に書き写すような単純な作業ではない。
「アレンジが必要なのよね?」
「そうだね。新しい世代に引き継ぐ、新しい世界を作るための、新しい要素が必要なんだ。僕には、それが出来ると思う。何しろ、異なる世界の理を知っているからね」
「依頼主から、何かリクエストはあるの?」
「何も無かったよ。堕天使姉さんが読んで問題なければ、それでいいって」
「堕天使姉さんが担当編集みたいなものなのね?」
「そういうことだね。まず最初に読んでもらうのはカヲルくんだけどね」
「それは楽しみね」
堕天使のレッドサンシャイン姉さんが、僕のお仕事のパートナーだ。
さあ、僕の最初のお仕事にとりかかろうか。おろしたてのパンツを履くように、丁寧に、かつ大胆に。
「やっぱり、その例えはどうかと思うわ」
「そうかな?そうかも知れないね」