案内人、シッターさんになる。
大忙しや、案内人。
今度の案内人は、シッターさんだ!
いつかこうなると思っていたよ、案内人。
泣いても、笑っても、子供達の魂は待ってはくれないぞ。 今日も行け逝け、案内人。
大都会のビル群のど真ん中、風に
ぼろぼろ
のコートを遊ばせて、立っている”案内人”。酷い出で立ちの”案内人”を周囲を行き交う人達は誰も気にしない。
何故なら、その”案内人”は見えないからだ。まあ、例え見えていたとしても誰も彼のことを気にする人はいないだろう。ここはそういう都会だ。
ぎろり
似合わない鋭い眼つきで、1つのビルを見ている。
こういう
「”やつ”は、大嫌いなのに。」
そう大きな声で呟いても、気にしない。どうせ周りには聞こえない。”案内人”はそのビルへと吸い込まれていった。
ショールームのような部屋の一角に似つかわしくないベビーベッド。その中で泣き叫ぶ赤ん坊を大事そうに抱き上げた。
う、う、ええーん
少し治まったが完全に泣き止む訳が無い。酷い餓えとオムツの不快感。抱っこされたくらいじゃ治りません。
よし、
「これでどう?」
お尻の辺りを
ふいふい
とやった。これで大分落ち着いた。
が、
問題はまだ解決してないのよ
といわんばかりに、胸元を手と顔で探り始めた。
おいおい
「困ったな。乳なんて出ないよ。」
何ですって?!出ない?出るでしょ!出しなさいよ!!
慌てて”案内人”は辺りを見回す。生活感のないカウンターテーブルの上にこれまた似合わない哺乳瓶が置かれているのを見つけた。
えいっ
というかけ声と共に、瓶は
かたこと
動き、落ちて割れた。
あとは、これこれ
と何も無い空間から白く垂れてくるものを、いつの間にか手にしていた哺乳瓶で受ける。
なみなみ
と注がれた頃合いにまるで栓でもあるかのようにそれは
ぴたり
止まった。
さあ
「おまたせ、どうぞ。」
がぶり
喰い付くように咥えたかと思うと、物凄い勢いで飲み
あ
っという間に空にした。
凄いね…
後の台詞を続けようとして、”案内人”は普段感じるはずの無い視線を感じた。まさかと思い振り向くと、先程までは居なかった筈の女が1人立っている。
貴方
「誰?何故その子を抱いてるの?」
しっかりと目を見て話す女に、あり得ないと思いつつ答えた。
ええと
「私はこの子の面倒を見てくれと、頼まれたんだよ。」
返答に、女は口元を押さえて何やら
ぶつぶつ
いい始めた。
やはり、視えている。そして、聞こえている。
(どうしよう。久しぶりにあったぞこんな人間。)
そんな事を考えつつ、
そろり そろ
と移動し、女からベビーベッドが見えない様に間に立つ。
(不味い、不味いぞ。どうしたら)
兎に角、ここを見られる訳にはいかない!
いえ
「嘘よ、あの人がそんな事するはず無いわ。」
女は虚ろな目で、
じわり
近づいてくる。その度に
ごそっ
ベッドごと移動する。幸いにも移動用の駒が付いたタイプだったので、簡単に動いてくれた。
だが、これがいけなかった。当たり前だ。怪しさ満載なこと、この上ない。
やっぱり
「何か怪しいわ、貴方。正直に言いなさい、あの人に何を言われたのか知らないけれど、その子は返して貰いますからね。」
じりじり
距離を詰めてくる。こちらは直ぐに壁に突き当たり、動けなくなってしまった。
こ
「これ以上、来ないでくれ。」
(頼むから〜。)
願い虚しく、女は赤ん坊に突進してくる。が、触れそうになる直前で、
ばちん
と何かに弾かれるように、吹き飛ばされる。
あー
「だから、言ったのに。あの、大丈夫?」
直ぐに起き上がった女は、飛ばされたが、何処にも痛みはないらしく
きょとん
とした表情を浮かべた。
なんなの?
「一体、何したの?」
女の質問に
ぷるぷる
首を振る。
ち
「違う、違う。何もしてないよ。この子を護るための力が働いたんだ。だから来るなと言ったのに。」
女の頭の上に、疑問符が浮かんで見えそうなくない奇妙な顔をしている。
(あ、人間にこんなこと言っても無理があるか。)
なに
「中二病みたいな事言ってるの。子供じゃないのよ!」
ですよねー。と肩を落としていると、女は再び赤ん坊に手を伸ばしてくる。そして、そのまま赤ん坊に触れるー。
……
あれ?
正直、女と揉み合いになることを覚悟していた案内人の瞳に倒れた女が映る。
あ
「ららー。」
気がつくと、まず目に入ったのは噴水からこぼれ落ちる水飛沫。そこから丁度重なる様に反対側に高くなった花壇が見える。まるで、そこだけ絵画から切り取ってきたように美しい。それを暫く、
ほう
と眺めていた。こんなにも心安らぐ風景を見たのは何時以来だろう、何時までも眺めていたいと思う気持ちが全身を支配する寸前で意識がはっきりとする。
は
「ここ、ど こ?」
辺りを見回す。オフィス街のようだが、それ以上は分からない。
ぽつん
と置かれたベンチに寝かされている。だが、以外にも寝心地は悪くなかったらしい。普段なら、こんな硬い所で寝ていたあかつきには身体中が悲鳴をあげている筈が、それがないのだから。それに、気分がスッキリしている。
子供を元旦那に連れ去られて以来、殆ど眠っていなかったのだ。少しでも時間があれば、娘の写真を手に聞き込みをする毎日を繰り返していた。
ひ
「光!」
ここで呆けてはいられない。そうだ”あの男”、きっと元旦那の依頼を受けているに違いない。
兎に角、”あの男”を探さなければ。きっと娘を取り戻すチャンスのはずなのだから。そう自分に言い聞かせ、立ち上がろうとする。が、持ち上げた筈の身体はすぐに崩れ更に視界が低くなる。
と
「危ない。まだ寝てなきゃ、何日も寝ていないんだから。」
支えられた手からは、人間の温かみを感じない。人間ではないのだから。幼い頃から、色々と人では無いものが視えたせいで、あまり抵抗がない。そんなことよりも、もっと気になる事がある。
あの
「子は?何処へやったの!!」
平日の真っ昼間なので、流石に人は少ないが全くいない訳では無いので大きな声で喚く訳にはいかない。その分の我慢を両手に託す。硬く握られたその手からは、今にも血が流れてきそうだ。
はあ
「あのね、今の君の状態では会わせるわけにはいかないんだよ。」
ど
「どうしてよ!」
ほら
「それだよ。それ。猪突猛進みたいに来られたら、さっきみたいになるよ。」
「……。」
案内人が頭の上で牛の角を真似て指を突き出す。決して笑いが取りたい訳では無いが、思惑は女には通じたらしく身体から力が抜けた様子だった。
これで、少しは話が出来そうだ。しかしその前にー。
ちょっと
「いい?手を診せて。」
案内人は今まで下げていた袋を置き、隣に座る。女の手を取ると、
そ
と、開く。掌には、くっきりと爪が刺さった跡が残り血が滲んでいる。
これ
「秘密にしてね。」
と両手で包んだ。
ふわ
と、そこから風が吹いたかと思う間に
よし
「治ったよ。」
そう言って掌を見せられる。傷なんて元々無かったと、思えるくらい綺麗に治っている。おまけに、手荒れまで無くなっている。
私
「死んだの?それとも、夢?」
目の前の出来事を信じられなくて、思わず出てしまったが確かに、それなら納得がいく。マジックでも、仕掛けが無い限りはこんな事は不可能だ。これはもう、”魔法”の領域。現代社会ではまず有り得ない。だとしたら、考えられるのは死んだか夢かのどちらかである。可能性が高いのは、夢。だとしたら、随分と都合のいい夢だ。
どう
「捉えてくれても、構わないよ。それよりも、一つ質問。君は、幽霊や妖精の類が視える性質?」
妖精
「なんて可愛らしいものは見たことないけど、死んだ人とかなら。小さい頃からよく視えてたわ。」
やっぱり
頭を抱えかけて、
がば
っと立ち上がった。まるで、コントの様だ。
ふふ
と自然に笑みが溢れる。笑うなんて随分久しぶりの事だ。そんな余裕など子供が攫われてからは、あろう筈も無かった。
そう
「だった。これ忘れてた。」
と横へと置いていたビニール袋を渡された。何だか違和感が凄い。別段案内人の格好はコートがぼろぼろな事以外は、ちょっと”おじさんくさい刑事”の様なので今の時代には可怪しくないのだが、それがなんだか反って凄い違和感を醸し出している。その違和感の塊が、
ちょーん
とビニール袋を下げているのだ。もはや、笑いを誘っているか怪しんで下さいと言っているようなものである。
なあ
「に、これ?」
と当然こうなる。当たり前だ。案内人とは友達でもなければ、ましてや知り合いでもない。そんな人物が差し出してきた物なんて、素直に受け入れられる訳がない。
しかし、案内人もそこは心得ているようで、こう続けた。
え
「っと、創世グループって知ってる?」
ええ
「あの、製薬会社で有名なとこよね。」
そう
「そこにちょっとした知り合いの方がいて、その人に作ってもらった。君の元気が出るように。」
中には小さな”お重”が入っていて、開けると甘い香りのする桃を型どったお菓子が顔をだした。宝石のように美しく、最初は綺麗な練り切りかと思ったが持った感じが違う。餡饅や肉饅といった蒸し系だ。
それなのに、精巧に再現された鮮やかな桃のピンクと葉の緑のそれは最早、神様が頂くような食べ物と言っていい。
吸い込まれるように、口に運んだ。
んん
口いっぱいに幸せが広がっていく。ただの甘味、というだけではない。かぶりついて、口の中で
ぱ
とほどけたその味は、今まで緊張に緊張を重ねていた神経を落ち着かせ、身体の隅々にまでその存在を香りとして鼻にそして脳に、行き渡らせている。
お
「美味しい。」
それは
「良かった。」
安易に口にしてしまったが、後悔はない。こんなにも美味しいと思えたものは、生まれて初めてだ。もしもこれが毒だとしても構わない、そう思えるくらいに。本当に、不思議だ。
ち
「ょっとは、落ち着いたかな?」
女が
こくん
と頷くのを見て、案内人は少し居住まいを正し、演説でもするかの様に咳払いを一つした。
ここ
「からが本題。落ち着いて聞いてね。……君のお子さんなんだけど、その、…なんて言ったらいいか、…。」
勿体ぶった言い方をする。”本題”とやらが、どうも自分にとって悪い知らせである事は間違いないと
ひしひし
と伝わってくる。
あのね
「…君のお子さんは、”亡くなったんだ”。」
衝撃的な事実に一瞬頭が真っ白になったが、意外にも冷静に受け止められた。だからといって、
悲しく
「ないわけじゃないのよ。……ただ、元旦那に奪われた時から、薄々はこうなるんじゃないかって気がしてて…。」
うん
「分かってるよ。」
案内人がすぐにそう返したのも、女が溢れそうになる涙を必死に堪えていたからだ。
僕は
「君の子供の魂を導く為に来た。」
「何処へ?」
それは
「言えないんだ。でも、決して悪い所ではないよ。それだけは、保証する。」
案内人が自分の薄い胸板を
どん
と聞こえるくらいの勢いで叩いた。自身でも勢いを付けすぎたのか顔を歪めて、眉を
ひくひく
させている。
本当は
「君が気を失っている間に、連れて行こうとしたんだ。でも、”待った”がかかってね。」
待った
「?誰の?」
君
「達が、神様と呼んでいる存在の方。君のお子さんは死ぬ前の飢餓感が強かったせいで、”餓鬼”になってしまう可能性が高いんだ。」
それで、その……。
案内人は再び口籠り始めた。
わたわた
手足をバタつけせたり、頭をかいたり。そんなに言いにくい事なのかとも思ったが、流石に二度目ともなるとしつこく感じられて
いら
としてしまう。
何
「?私に何か出来る事があるなら、何でも言って。あの子の為なんでしょう?」
ああ
「そうなんだ。けど…、言いにくくて……耳貸してくれる?大きな声で言うべき事じゃないし。」
女が頷いて、髪をかき上げると。案内人は口元を覆い
そ
と耳打ちした。
と
「言う事なんだ。」
「……。それだけ?」
聞き返した訳では無い。あくまで自分の予想とかけ離れた答えだったからだ。女はベンチの背もたれに力なく体を預けた。
もっと無理難題を言われるのだと覚悟していたがまさか
ぼ…
言いかけて、辺りを見回した。幸いにも近くに人はいない。
「母乳?」
を分けて欲しいということらしい。
案内人は顔を赤くして無言で頷く。しかし、言いにくそうにしていた理由がこれで分かった。大抵の男性は抵抗があるのだろうその言葉はやはり、生きていても死んでいてもあまり関係ないらしい。
しかし、女性の立場としては何がそんなに言いにくいのか分からない。”出所”のせいか、はたまた”その光景”のせいか。
いやいや、今はそんなことは二の次だ。”死んだ我が子の為に出来る事”がある。それだけでー。
もちろん
「協力させて。でも私もお願いしてもいいかしら。」
そう、聞かなければならないことは山程あるがまずは、
あの
「子は、あの子の”遺体”は何処にあるの?あのマンション?」
残念
「だけど、あのままにしておかないといけないんだ。」
案内人によれば、この後遺体が発見され”元旦那”は逮捕されるのだと言う。
大丈夫
「もう絶対に出られない様にしてくれるから」
「神様が?」
再度頷く案内人を見て、女は不思議と安心した。
馬鹿な話しだと、自分でも思う。だが、案内人が見えている事自体正常ではないのだから、”神様”とやらが本当にいて元旦那に”天罰”でも与えてくれれば少しは気持ちが楽になるというものだ。
それから
「もう一ついい?…あの子は今何処に?」
ここ
「でも、触っちゃ駄目だよ。さっきみたいになるから。」
案内人はコートの内側を指差し
そ
っと開けた。中で小さな光の粒が
ふんわり
居心地が良さそうに浮いている。案内人は大事そうに取り出し、赤ん坊を抱く仕草で”その粒”を抱える。すると光は淡くその色を変えながら、”元の赤ん坊”の姿になる。
し
「今眠ってるから。」
「……。」
女は大粒の涙を流しながら必死に抱き締めたい衝動に耐えた。赤ん坊は生きていた頃と何も変わらない様子で、眠っている。時々、口を
むにむに
動かして上唇を吸う仕草もこの子の癖だ。光の粒から現れなければ、生きていると勘違いしてしまう。
ね
「…これから、どうするの?私はこの子に触れないんでしょ?だったら、誰がこの子の面倒をみるの?」
勿論
「僕がみるよ。長年この仕事をやってきたんだ、任せておいて。」
何だか頼りになるような、ならないような返事だが、おじさんシッターを雇ったと思えば悪くないだろう。
私
「の家でもいいかしら?今丁度リモートで仕事してるから、会社に行く必要がないの。それとも、別の特別な場所でないと駄目なのかしら?」
いや
「そんなことはないけど、でも、流石にまずいんじゃ…。」
あら
「今どき男女でルームシェアなんて、珍しくもないのよ。住み分けさえきちんとしていれば、大丈夫よ。」
その日から女と案内人の奇妙な生活が始まった。案内人がまず驚いたのは、女の生活水準の高さだった。高級住宅街の一角にある一軒家に住んでおり、頼めば会社から派遣された家政婦がやってくる。出社する時はリムジンの送り迎え付きだという。
まさかそんなうまい話がある訳はないと思い、確かめてみると成程、案内人が知る名前が上がる。
そうか
「だから”待った”が…。」
え?
いや
「何でもないよ。」
不思議よね、と言いながら女はその生活を受け入れていた。元々高学歴で、将来も高官勤めをするのだと親からも言われていたらしい。が、何となく行った就職説明会で今の会社に心を奪われてしまった。そこからはもう、一直線だった。親と大喧嘩をし、説得出来ないと知るや否や縁をきり無理矢理就職した。
そこからは、元旦那と知り合う迄全てが順調だったという。優しい上司、頼りになる先輩に同僚。正に理想郷。いや理想会社。幸せな日々を送る女はその中で元旦那と出会ってしまう。
取引
「先の、重役だったのよ。あいつ。何度か会ううちに、個人的に付き合うようになって…。」
あの頃は、私も若かったの
と古い歌の歌詞に出てきそうな台詞で締めくくった。それはそれは、素敵に見えた昔の幻想に浸りながら。
でも
「もう夢は醒めたわ。半分ね。ちゃんと相手を見られなかった、私の責任。それは分かってるけれど、娘の事とは別なのに、それをあいつはー。」
この1週間半、案内人は赤ん坊の世話をしながら、時々相槌を打ちつつ聞いていた。夜は何時もこのパターンが多い。
女は朝搾乳を終えると案内人に手渡し、リモート前に2人分の豪華な朝食を用意し食べ終えると即仕事に掛かる。昼過ぎ迄怒涛の打ち込みやメールでのやり取りをし、昼食(案内人が用意した和中心の会席と言っていいクラスのもの)をとり終えると再び搾乳。そして直ぐに上司や同僚達とのリモート会議。そして、夕方。最後のリモート会議を終えると注文していた食材が届く。それを一心不乱に下準備、調理したかと思いきや、全て冷蔵&冷凍へ。夕食の代わりにお取り寄せの老舗和菓子店の菓子で、1日の疲れを飛ばし、案内人の”ヒーリングマッサージ”と称して”あの力”で身体の本当の疲れを取る。最後の搾乳をし、日付が変わる直前まで”残業”、でやっと一日が終わる。
今は、その後だ。カラスの行水の入浴を終え、案内人が娘の世話をしている隣でその可愛さを満喫しながら、ハーブティー片手に
愚痴大会
である。それを聞きつつ、案内人は別の事を考える。
ねえ
「貴方は、そんな事無かったの?選択を間違えたーッて時。」
酔っている訳では無いが、もう既に”酔っ払い”の領域である。しかし、聞き逃す訳にはいかない。何処に”一つだけの願い”が転がっているか分からないからだ。これは万が一、その子の願いが”母が本当に望むこと”でも叶えなくてはいけないからだ。
さあ
「生きていた頃の事はよく覚えて無いけど、あったかもね。」
差し障りのない答えを返しておく。でもそれでも女は納得し、
でしょう?
と、上機嫌だ。女もありきたりの答えが返って来るのはわかっているのだ。その上で、聞いて欲しい。答えて欲しいのである。
だが、あまり長続きはして欲しくないので最後に案内人はこう切り出す。
さあ
「もう、寝る時間だよ。ママに”おやすみ”をして。」
赤ん坊は理解しているのか、しきりに手足をばたるかせる。それを満面の笑みで見つめ女の1日はようやく終わる。
やっと
「寝たね。…え?……うん、……うん。そう、ならもう後は”お願い”だけだね。…え、もう決めたって?早いね。うん?明後日?明日じゃ駄目なのかい?……そう。お母さん想いなんだね。いいよ、じゃあ明後日ね。」
案内人は大事そうに光の粒を懐に仕舞う。
翌日、女は何時もと違った雰囲気の出で立ちで仕事をし、午後に入ってから出かけていった。2時間程で帰って来てから、何だか様子が可怪しい。午後からは半休という形で仕事自体はない。こういう日は赤ん坊にべったり張り付いて離れないのだが、今日は何だか上の空だ。案内人が受け取った母乳を与えている時も、心此処にあらずといった感じでいる。
どうしたの?
と聞いても、気にしないでの一言で終わってしまう。「聞いて聞いて。」
とはならないのだ。まあ、あまり深く追求し過ぎても碌なことがないのでこの辺りで止めておこう。
あ
「そうそう。君のお陰で、この子の”飢餓感”が無くなったよ。だから…。」
…
「、ええ分かってるわ。それで、いつ逝くの?」
明日
そんな
と言いかけて、女は慌てて口を塞いだ。最初から分かっていたとこだ。何時連れて行くと言われてもいいように心の準備をしてきた筈だが、いざ明日と言われてみるとついつい出てしまう。
冷静になれ、と頭を振る。
ごめん
「なさい。元々そういう決まりだものね。じゃあ、明日。」
ぽつり、そういったまま、その日は部屋から出て来なかった。
そして別れの日ー。女は朝から御馳走を作っていた。
案内人が覗くと
あら
「おはよう。昨日はごめんなさいね。」
と妙に明るい。思いっ切り無理をしているのがわかる。女は、出来た御馳走を小さな御膳に盛り付けていく。何なのか聞くと、お食い初めだという。勿論、本人が食べる事など出来るはずがない。女もそれは承知の上だ。しかし、最後にやっておきたかったのだという。
綺麗に配膳し終えると、娘の写真の入った写真立てと色紙を並べて一緒に撮影する。
写らない
「けど、せめて一緒に。」
と案内人は赤ん坊を御膳の前に座らせてくれた。女は夢中で何度もシャッターを切ったがそこに、
これは、何なんだ?
と、
キョトン
とした顔で目の前を見つめる娘が写ることは無い。
ただ、赤ちゃん用の椅子の前に並べられた綺麗な御膳が写るだけだ。
ふふ
「ありがとう。これでもう、悔いは無いわ。」
うん
「良かった。」
本当
「に有難う。貴方のお陰で、娘との貴重な時間を少し取り戻せたわ。」
それに
女は案内人の顔の前に指先が綺麗になった人差し指を
ぴ
と立てて、片目を瞑る。
大変
「優秀なシッターさんを雇ったセレブママの気持ちも味わえたしね。」
案内人は笑いかけて、表情を止める。それを敏感に感じ取った女は、後ろを向く。
もう
「連れて行くのね。」
…
「うん。だけど、その前にもう一つ君に協力して欲しいんだ。」
何?
女は後ろを向いたままだ。
この子の
「願いが、決まったんだよ。僕はね、子供たちの魂を導くと共に最後の”一つだけの願い”を叶える役割を担ってるんだ。」
女は振り向いて涙を拭う。案内人の腕には、何時もの様に抱かれた娘がいる。
いくら
「でも、協力するわ。」
……
「この子の願いは、君に触れる事だよ。」
案内人の”魔法”の時のように風が吹き、娘の身体が微かに光る。
さあ、
「今なら触れられるよ。」
女は戸惑いながらも案内人から赤ん坊を受け取る。
懐かしい娘の匂い、柔らかさ、温かさ、重み。
案内人は赤ん坊を女に渡すと、姿を消した。2人きりにしてくれたのだろう。
優しい
「人ね。…ね?”光”。」
女は案内人の優しさに感謝しながら、赤ん坊の世話をした。思い切り触れ、沢山名前を呼び、色んな所に
大好きよ
とキスをする。そして、案内人が迎えに来るまでずっと抱いていた。
案内人に赤ん坊を手渡す時、突然、
マ…ママ、…ママ
と赤ん坊が女を呼んだ。女はその場に泣き崩れた。
案内人はそのまま、赤ん坊と共に消えた。
さあ
「時間だよ。今度はきっと大丈夫だから。」
そう、赤ん坊を見送って。案内人の長いシッター生活は、やっと終わった。
さて、
「次が待ってる。」
そう案内人の姿は掻き消えた。もうすぐ此処にも雪が舞う季節がやって来るー。
5年後、女の傍らには、女よりも少し小柄な男性が、赤ん坊を抱えて、寄り添っていた。2人は小さな法律事務所を構え、その街の人々から愛されたという。