晩年の孔明が好き
ただただ孔明が好きになったエピ云々を書いただけです。
私は、タイトルにあるように、晩年の諸葛亮孔明が好きです。
勿論、全盛期の……まだまだ弱かった劉備を輔け、見事な政治的手腕と外交力で、武力では解決できない危機から主を救い出す、劉備の軍師としての孔明も大好きでした。
しかし、何故か私は晩年の、ソレも絶望的な北伐を繰り返す孔明に最も強く惹かれるのです。
仕える主が人徳名声共に当時の中華で極まっていた劉備に変わり、凡庸な息子の劉禅となった挙げ句、本来適役でない(勿論戦術家としての才能も有りました)軍事の面の指揮官も担ってゆくという、政治軍事をこなす、ブラック企業もビックリのオーバーワークが始まった辺りが、私にとっての孔明像が明確に定まった時期でした。
忠義と勇気を兼ね備え、確かに人を見る目は劉備より劣ったかも知れませんが、それでも姜維という後継者を育てつつ、魏の南下を押し留めた孔明は私にとって「主人公として選ばれるべきは、こういう人だ」と趣味で執筆活動を行う上での理想像となりました。
そして、私が愛読する諸葛亮伝の一つに、こういうエピソードがあるのです。
北伐の陣中見舞いにやって来た蜀の尚書僕射の李福という者と、ソレに応接した孔明が会話をした時の場面。
話の流れで、李福が諸葛亮に、彼の後継者を誰にするか、順々に尋ねて行きます。
最初、孔明は蔣琬という文官を選んだ後、彼が死ねば次は費禕、その次は……と費禕の名を出した後は、沈黙してしまうのです。
作中で李福は孔明が黙った事に対して(二人も名を挙げたのだから、良いと思ったのだろうか、それとも……)と呟いていましたが、個人的に……この二人の対話は蜀の前途が暗い事を孔明なりに諭してやっている様で、なんとなく哀しくも、「これでこの物語も終わるのか」と、残りページの少なさも相まってほんのりと爽やかさを感じた事を覚えています。
北伐を敢行した諸葛亮は、毎度のように食糧問題で頭を悩ませて居ました。
勝てど勝てど、糧秣が足りぬから引くしか無い、故に領地も増えない。
相手を掌の上で転がして居るというのに、同時に、自分自身も決められた滞陣日数のセイで進退を決められてしまう。
きっと、悔しかったでしょうね。
一国の主になり得る才覚があったのに、ソレをせず、終身劉家に二代に渡って仕え、悔しさと失意の内に陣没した孔明というのは、とても人間味があって私は好きです。
政治、外交、兵器の開発、戦術、何でも出来るのに完璧ではない。そんな孔明に私は惹かれたのかも知れません。