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落とし子の息吹は遠く近く2

 麦粥をすくいながら、さして関心もなさそうにイステバが聞く。

「おばちゃんはなんで逃げないの?」

「わたしゃ全財産をなげうってこの村に賭けたんだ、逃げやしないよ。ここで死ぬんだよ」


 ここは開拓村だ。それほど古い村ではない。

 グラウスくらいの歳だとここで生まれたわけではないはずだった。

 夢を持って、どこかから移ってきたのだろう。


 アセットは尋ねた。

「怖くないんですか」

「怖くないね。それに目算もある。村にひとけがなけりゃ、アガモルゲの落とし子も素通りしちまうかもしれないだろ」

「その怪物、いったいどんなヤツなんですか、情報があれば知りたいんですけど……」

 グラウスは大きさを示すように腕を広げてみせた。

「丘のようにでかい四ツ足で、狼のように素早いってさ。肌は硬くて村の狩人の弓じゃ歯が立たなかったって。こんなこと聞いてどうするつもりだい?」

 イステバがこともなげに言う。

「アタシたちアガモルゲに行くの」


 ぎょっと固まったグラウスに、アセットは弁解がましく言った。

「わたしたちアガモルゲのなかにあるお宝を手に入れようと思ってるんです。なんてったって悪魔の騎士ですから」


 時の門を使って姉の死を回避するという真の目的はごまかした。

 そこまで言うと非難されかねない。

 しかし、それでもグラウスは非難まじりに鼻を鳴らした。

「フン、お宝なんて命あっての物種だと思うけどねぇ。まあ、あんたらは伝説の悪魔の騎士だっていうし、あんたらの人生はあんたらのもんだ。無理をしないこったね」


 イステバがアセットに顔を向けた。

「食料と水を補給しとこ。ここ、人がいないならタダじゃん」

 イステバは食べなくても死なないはずだが、腹が減るのは人間同様に苦痛らしかった。

 食べ物のことにはうるさい。


 グラウスが言った。

「なんでも持っておいき。どうせ捨て置いてったものだからね。それより今夜はこの村に泊まっておいきよ。ウチで寝てもいいし、ほかの家を使ってもいい。もう夜だし、野宿よりは快適だろ。湯浴みもできるよ」

 湯浴みなど何日ぶりだろう。それは魅惑的な提案だった。

 アセットは頷いた。

「それじゃ、遠慮なく」


 食事が終わると、アセットたちはグラウスの家の隣に宿を定めた。

 麦を積み、水を汲み、湯を沸かして湯浴みした。

 明かりにはろうそくとランプがあった。


「ああー、すっきりしたー」

 アセットは一息ついた。久しぶりに身体を洗って、誰のものともしれないベッドに寝転ぶ。

 グラウスはずっとアセットたちについてまわっておしゃべりしていたが、もう家に帰った。

 地面に比べればずっと柔らかいベッドの上で、アセットは身体を伸ばした。

 ここは人がいないのだから、とうぜん、物盗りも人さらいもいない。

 壁と天井があるのだから虫や獣の心配もしなくていい。


「ふぅー……」

 我知らずに安堵の吐息が漏れる。これほど気が休まる夜も、いまやそうそうない。

 イステバのほうを見やると、窓の外を眺めていた。黒一色をみつめて身動きしない。

 その無表情は、硬くこわばっているようにも見えた。

 イステバのそういう様子は珍しいものでもなかったが、アセットは聞いてみた。

「どうかした? 完璧な夜じゃない」

 イステバはアセットに青い瞳を向けた。

「静かすぎる。夜鳥の鳴き声も獣の吠え声も聞こえない。どこか遠くへ逃げ去ったみたいにね……」

 アセットは身体を起こした。

「近くにいるの? アガモルゲの落とし子」

「近ければもっとはっきりした気配があると思う。近いとは言い難いけど、遠くじゃないでしょうね」


 アセットはふたたび寝そべった。

「わたし、今晩はゆっくり寝る。久々のベッドだし、もったいない」

「向こうは不眠不休で獲物を探し回ってるかもしれないのに」

 イステバは腰に手を当てて続けた。

「で、どうするの? 出てきたら。ヤルの?  それともやり過ごす?」

「アガモルゲのなかにはいっぱいいるんでしょ、そういうやつ。一匹しかいないところで腕試ししておきたい。みつけたら……やる!」 

 イステバはあどけない顔で妖艶に微笑んだ。

「アンタ意外と戦うの好きよね。そういうところ、スキ」

「明日になってからだけど、この村を拠点にして辺りを探し回ってみようと思う。隣村まで行くまでには見つかりそうだし。馬で三日ってことはエクウスなら一日の行動範囲に収まるし。こっちから狩りにいくの。今日は寝るけど」

「頼もしい答えで安心した。アタシの騎士ならそうでなくっちゃね」

「ねえ、イステバはアガモルゲの落とし子と戦ったことある?」

「ない。けど、話には聞いてる。犠牲を厭わなきゃ人間の軍隊にだってなんとか倒せる相手らしいよ。個体差が激しいようだから確実なことは言えないけど」

 アセットはすでに眠そうな声をだした。

「あなたとふたりっきりで軍隊並みの相手と戦うことになるんだぁー。やっぱいままでいちばんつよいよねー……」

「強かったとしても時間がかかると不利になるからね。いままで問題なかったけど……」

 イステバは口を閉じた。

 アセットの寝息が応えたからだった。もうすやすやと眠っている。

 安らかな寝顔を見て、イステバは微笑んだ。

「肝が太いよね。見かけによらず」


 イステバは寝ても寝なくても過ごせる。だが起きていても暇だから、基本的には寝る。

 イステバは明かりを消すと、アセットの隣のベッドへ身を横たえた。

 仰向けになって身体をまっすぐ伸ばし、胸の上で腕を組む。

 目を閉じるなり、悪魔も眠りに落ちた。


 ふたりはぐっすりと眠ることができた。

 脅かすものはなにもなかった。

 朝が来るまでは。


 金属を引き裂くような吠え声が、遠くから響いてきた。アセットはそれで起きた。

 桃色の曙光が窓から差しこんでいる。


「なんの音?」

 寝ぼけ眼のアセットに対し、しゃっきり目覚めている口調でイステバは言った。

「向こうから来たよ、アセット! 動物の声じゃありえない!」

 アセットは緊張の面持ちで聞いた。

「距離はどのくらい? もうすぐそば?」

「向こうが巨体でもまだ村からは見えないでしょうね。エクウスで行く距離よ、たぶん」

 アセットは表情を緩めた。

「そう。じゃ、ゆっくりしよ。いつでも出られるようにはして」


 間近に軍隊級の怪物が迫っているとは思えない図太さだった。

 イステバと契約したときは子ウサギのように震えていたものだったが、もうアセットはか弱い無力な少女ではなかった。

 経験はまだ少ないものの、胆力と実力を兼ね備えた戦士である。


 隣のグラウスがドアを開けて飛びこんできた。

「とうとう来たよ! あんたたち、お逃げ!」


 そのとき、アセットはまだ下着姿のまま銀髪を櫛でとかしていた。

 青ざめているグラウスに、にっこり歯を見せる。

「朝ごはん食べてからにします」

「朝飯どころじゃないでしょお……」

 グラウスもさすがに呆れた。


 身繕いをすませると、アセットが三人分の朝食を準備した。

 グラウスは落ち着かない様子だったが、それも無理はない。それが普通だろう。


 不気味な金切り声は断続的に続いていた。近づいたり、遠のいたりしている。

 いつこの村へ入ってくるかわかったものじゃない。

 せわしなく歩きまわるグラウスを尻目に、アセットはゆうゆうと食事の準備をし、終わるとそれを腹に収めた。


 グラウスは言った。

「よくもまああんたたち、飯を食ってられるね」

 後片づけをしながらアセットは答えた。

「けっきょく食べ終わっても襲ってきませんでしたし」

 白湯をすすりながら、イステバが言った。

「まあ向こうも頭の中に地図があるわけじゃないでしょ。ここへまっすぐ向かってくることもできないんじゃない。けっきょく、こっちから行ってやるしかないね」


 食事をするどころではなかったグラウスは、祈るかにのように手を組んでいた。

「ああ! すごい時代になったもんだよ、まったく!」

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