落とし子の息吹は遠く近く
エクウスは草原を疾走していた。
脚も車輪もなく、中空を飛ぶ。ボディが陽光にきらめていた。
アセットが操縦し、サイドのバスケットにはイステバが足を投げだしてふんぞり返っている。
ふたりが出会ってから一ヶ月。
旅が始まって一ヶ月経つ。
もう旅にも慣れたものだったし、アセットは銀色に変わった髪の色にも慣れた。
文無しから始まった旅だったが、イステバの助言どおり、悪魔の騎士の力を使って用心棒などをこなし、いまでは路銀に困ることもなかった。
稼いだ金で頑丈な旅装を整え、立派な短剣も買った。
アセットはもう一人前の旅人といえるだろう。
サイドでふんぞり返ったまま、イステバが口を開く。
「またスピード上がってきた。安全飛行でおねがいよ。事故ってもアタシは死なないけど、痛いのやだから」
「もう操縦慣れたし……」
もごもごと言いながらもアセットはハンドルを引く。エクウスのスピードがいくぶん緩んだ。
ふたりは村落もまばらな辺境地帯に入っていた。
アガモルゲがさまよっているのは、かつて人が暮らしていたものの、いまは人類が撤退して久しい辺境のはずだった。人類はアガモルゲに追い払われたといってもいい。
このまま僻地へと進んでいけば、壊滅地帯ぎりぎりの開拓村に行き着くだろう。
アガモルゲについての最新の情報があるならば、そこにある。
だからアセットはつい気が急いてしまうのだった。
イステバは唇をひん曲げて、もう何度めかわからない同じ愚痴を口にした。
「アタシはもっとひとけが多いとこ行きたいのよ、こんな辺境じゃなくって。大都市が見たいの。封印されているあいだにどんなふうに変わったかとか、やっぱり変わってなかったとか、そういうの見たいの」
銀髪をなびかせながらアセットは応えた。
「わたしの用事が済んだら、イステバの好きなところへ連れて行くから。それまでわたしに付き合って。おねがいだから」
「でもアガモルゲなんて行ったら死んじゃうかもしれないじゃん。アタシはともかくアンタは、さ。時の門があったとしても死者を生き返らせることができるとは限らないし。徒労よ、とろー」
「あなたは何百年も封印されてて蘇ったじゃない。それってずっと死んでて生き返ったようなものでしょ。特別な力と機会があればできる、きっと。わたしはそう信じてる」
イステバは両腕を頭のうしろに回した。
「あーあ。ガンコ。ほんとに頑固。人間頑固すぎると死んじゃうよ。もっと柔軟に生きないと!」
「そういえば、いままで聞かなかったけど、わたしが死んだら、あなたどうなるの?」
「アンタが死んだら、新しい契約者が見つかるまではほとんど無力な乙女よ! 死なないだけの! この辺鄙な土地にひとりきりで!」
「まあ、わたしだって死ぬつもりはないけど。目的を果たすまでは力を貸してもらうから。そのあとであなたの望みどおりにする。とにかくわたしが最初で次があなた。そういうこと」
「あーあ、楽しい音楽でも聞きたいなー」
イステバはそっぽを向いて話を打ちきった。
アセットの頑なさには悪魔も諦めるのだった。
エクウスは平原を進み、日も傾いていく。
貧相な小麦畑が点在する土地に入った。
それは近くに人がいる証だった。
とうとう開拓村のひとつに着いたのだろう。
粗末な道がある。道伝いに進むと村の門が見えてきた。
アセットはそのままエクウスで進み、村に入った。
森に包まれるように家々が集まっている。
土壁で藁葺き屋根の粗末な家々。
森林を伐採して畑を作ろうという開拓村のひとつだ。
しかし、ひとけがない。
アセットは村道でエクウスの動きを止め、浮遊する鞍の上から様子をうかがった。
人の気配も家畜の鳴き声もしない。
村はうち捨てられているかのようだった。
だが、廃墟というほどは荒廃していない。
村人たちが出ていってから数日しか経っていないように思われた。
イステバが頬をふくらませる。
「どんどん人里離れていって、やっとたどりついたのが廃村とかバカみたい。つまんないの」
「あっ、あそこ!」
アセットは首をめぐらし、それほど遠くないところに薄くたなびく煙をみつけた。
家の煙突から登っている。
煙はそれひとすじきりだが、煮炊きの煙の可能性は高い。アセットはエクウスを降りた。
「向こうに人がいる。行って話を聞いてみよ。なにかわかるでしょ」
イステバも大儀そうにサイドを降りた。
「オークかゴブリンじゃないの? タダ働きなんかしちゃダメだからね。年上からの忠告」
「人間じゃなかったらそっと逃げてこよう。わたしもタダ働きイヤだし」
ふたりが降りてしばらくするとエクウスは力を失い、地面に着地した。
アセットとイステバは煙のあがる家へ向かう。
家畜が飼われていたらしい柵を通り抜けて玄関に着いた。
ドアはきちんと閉じられていて、中にいるのはゴブリンやオークではなさそうだった。
窓から覗くと暗くてよく見えないが荒らされてはいないようだった。
アセットはいちおう警戒しつつ、ドアを拳でノックする。
「すいませーん、旅のものなんですけど、少しお話を聞かせてもらえませんかー」
すぐに反応があった。
「おやおや! ほんとに旅人? ちょっとおまち!」
ドアが開き、そこに恰幅のいい老女が立っていた。肝っ玉の大きそうな印象を受ける。
アセットは気圧され気味に言った。
「もうすぐ夜だというのにすみません。わたしたちここから先へ進みたいんですけど、この村がどうしてひとけが無いのか理由が知りたくて」
たくましい老女は歯の欠けた口で笑った。
「こんなかわいい二人組で旅なんて危なっかしいね! お入り、話せることならなんでも教えてあげるよ」
「ありがとうございます。わたしはアセット。こっちはイステバ」
「わたしゃグラウス。おばさんと呼んでくれりゃいいよ」
グラウスは眼光鋭く続けた。
「ところでそっちの子は人間じゃないね。妖精かなんかかい?」
「えっと……」
アセットは言葉に詰まった。
数瞬迷ったのち、正直に話して様子をみてみようと思った。
嘘を言って不審がられるよりマシだろう。アセットは口を開く。
「イステバはデーモンなんです。わたしはイステバと契約して悪魔の騎士になりました。古の伝説の……」
グラウスは目を丸くした。
「おや、ホントかい! まさか悪魔の騎士をこの目で見る日がくるとはね、人生いろいろあるけど! わたしゃ信じるよ」
イステバが自慢気に胸を反らす。
「だからアタシたち、見かけよりずっとタフってワケ!」
グラウスは表情を緩めた。
「そりゃよかったね、心配のタネがひとつ消えたよ! 悪魔の騎士だって腹は減るんだろ? 食べながら話そうや!」
アセットとイステバは家の中へ招き入れられた。
グラウスはすぐに食事の準備をし、
アセットとイステバは麦粥と野菜のスープを振る舞われた。
向かいの席に座ったグラウスが食べながら言った。
「食べ物はいっぱいあるんだよ、遠慮なくおかわりしな。みんな畑もそのままに逃げちまったからね」
いきなり話は核心に入っていた。村が無人なのはみんな逃げたから。
アセットは聞いた。
「どうしてそんな大急ぎで、村人全員が逃げるようなことになったんですか?」
グラウスは眉間にシワを寄せた。
「忌々しいねぇ。迷い子さ。アガモルゲの落とし子が出てね。隣の村に。暴れまわったって。隣村は壊滅さ」
アセットはイステバと目を合わせた。
アガモルゲの落とし子とは、アガモルゲが産み出し、その胎内を巡る運命の怪物だ。
なにかの原因でアガモルゲから外界に落ちてきて辺境をさまよい、単独で人里を荒らす。
稀な存在ではあったが先例がないわけでもない。
近くにアガモルゲの落とし子がいるということは、自分たちは着実に目標へと近づいている。
その証といえた。
グラウスは続ける。
「隣村っていっても馬で三日離れてるんだけどね。まあ、馬で三日さ。知らせが届くのもそれだけ時間がかかる。知らせが届いたときにはもういつここも襲われるかわからないってんで、みんな大慌てで逃げ出したわけさ」
イステバは思いついたように口を開いた。
「そういや最後に出た街、お祭りでもないのにすごく混雑してたじゃない。あれってここら辺の避難民が押し寄せてたんじゃない?」
アセットは頷いた。
「そうかも。わたしたち、噂話が広がる前に出てきちゃったみたいね」