悪魔のくちづけは旅のはじまり2
アセットはゆっくりと立ちあがった。
立てる。
怪我していることはわかった。かすかに疼くていどに。
アセットはつま先で墓石を蹴ってみた。痛くない。
歩くのにも走るのにも問題はなさそうだった。
デーモンとの契約による新たな力に希望が湧いてくる。アセットは聞いた。
「これからどうすればいいの?」
「眼の前のガーゴイルを八つ裂きにする」
「こ、怖い」
「しょうがないわね。それじゃゆっくり動いてここを出よ。悪魔の騎士なら襲ってこないかもしれない。襲われたところでガーゴイルていどじゃあたしに傷ひとつ付けられないだろうけど。襲ってきたらやるしかないんだからね、それは覚えておいて」
「う、うん……」
まずはここを出ることだ。
あとのことはそれから考える。
アセットはガーゴイルを警戒しつつ動きはじめた。
プライマルスーツは暗視の能力も与えてくれていた。
地面の細かい起伏がよく見える。躓くことはなさそうだった。
紺碧と金色の騎士としては不似合いな動きだったが、
腰が引けた姿勢でおどおどとガーゴイルを回りこむ。
ガーゴイルは首を動かして睨めつけてくるが、襲いかかってはこない。
アセットは怪物から目を離さずに、出口へ向かって歩いた。
ガーゴイルはジャリ、ジャリと足を動かしてゆっくりついてくる。
ガーゴイルが不機嫌そうに唸る。
アセットは歩く。
イステバは陽気な鼻歌を歌っていた。
出口が目に入った。どうやら戦うことなく出ていけそうな雰囲気だった。
しかし出口からひとりの槍を持った少年が入ってきてしまった。
少年はアセットの加わっていた冒険者パーティーの一員だった。
アセットが気になって戻ってきたにちがいない。少年は大声で呼んだ。
「アセットーッ!」
なんと間が悪いことか。
ガーゴイルは新たな獲物に活気づいて、少年のほうへ突進していく。
「う、うわぁぁぁー!」
ガーゴイルの接近に気づいた少年が悲鳴をあげる。
武器さえも落としてしまった。
少年も強くはない。一度はアセットを放って逃げたくらいなのだ。
ガーゴイルが飛びかかったら一撃で殺されてしまう。
ここまで来て犠牲者を出したくない。
アセットは思考をまたずに少年を救おうとした。
「だめぇーっ!」
アセットは駆けだす。
プライマルスーツの背中に噴出孔が開き、推進噴射が吹きだした。
飛ばされるようにして、アセットはガーゴイルの背中へ飛びついた。
ガーゴイルの動きは素早かった。
アセットの腕に食らいつき、首を使って振り回す。
アセットの体重など、ガーゴイルの力からすれば木の葉同然だった。
腕を噛まれたまま、いいように翻弄され、何度も固い地面に叩きつけられる。
腕の装甲は破られていないし、叩きつけられる衝撃もほとんど感じなかった。
世界がめまぐるしく回っているだけだ。
痛みもなかったが、噛みつかれていることに対する恐怖がアセットを突き動かした。
「いやぁぁぁーっ!」
アセットは噛まれていないほうの腕でガーゴイルの上顎をつかむ。
噛まれているほうの腕も下顎をつかんだ。
「うあぁぁぁーっ!」
アセットの瞳が輝く。
プライマルスーツの力が開放された。
まさに素手で岩をも砕く力。それが発揮される。
アセットはガーゴイルのあぎとを引き裂き、勢い余って頭をむしり取った。
砂塵の血しぶきが飛び散る。
ガーゴイルは生気を失った。岩の彫像と化して、ごろりと転がる。
番人はその役目を終えたのだった。アセットは勝利した。
「はぁ、はぁっ……」
アセットは荒い息をついてガーゴイルの骸を見下ろした。それから少年のほうへ顔を向ける。
「うわぁぁぁーっ!」
助かったというのに少年は悲鳴をあげた。
彼の目にはアセットも怪物と映ったのだろう。
少年は恐怖に叫びながらも、腰を抜かすことなく逃げ去っていった。
わりと生き残れるタイプかもしれない。
アセットはもう少年のことなど気にしていなかった。
戦いの余韻に酔っている。
新たに手に入れた力は、恐ろしくも素晴らしい。
果たして、この力でなにができるか。
アセットは選択肢の多さを直感して混乱しかけているぐらいだった。
弱かった昨日とはもう違う。
プライマルスーツに亀裂が入り、帯状に解けた。
帯は寄り集まって、コルセットドレス姿の少女になる。
イステバの金髪と青い瞳が不自然に煌めいた。
アセットはふたたび生の外気にさらされた。
プライマルスーツの視力がなくなったため、あたりが急に暗くなったように感じる。
カビ臭い、湿った洞穴の臭いがした。足の痛みはない。
イステバは身体を伸ばしながら言った。
「けっきょく倒しちゃったね、ガーゴイル。どお? やっぱなんてことなかったでしょ。これがふたりの力、悪魔の騎士の力」
アセットはただ黙って頷いてみせた。イステバが言葉を続ける。
「ここは悪魔の騎士だったさる王女の墓なの。地殻変動でこんな暗いところへ埋もれちゃったけど。あたしたちお付きのデーモンたちは王女を殺された腹いせに一緒に封印されてたわけ。封印を解く鍵が、あたしの場合、処女の血だったの。ほかにもデーモンが何人か埋まってるけどほっときましょ。どうせいけすかないやつばっかりだし」
力を得たとはいえ、まだ馴染んだとはいえない。アセットは不安げにつぶやいた。
「これからどうすればいいの……?」
「あたしはアンタについてく。アンタは好きにすれば? だいいち、なにしにこんなとこ来たの。お金目当て?」
「わたし時の門を探してるの」
「アガモルゲの? アレ、まだあるの?」
「まだあるみたい。噂は聞くから。辺境の壊滅地帯をさまよってるって」
「壊滅地帯がどこか知らないけどここから遠いんでしょ。ここはアンタみたいなひよっこがうろついてるぐらいだし」
「デーモンの墓場があるっていう言い伝えはずっと昔からあって。この前の地震で新しい洞窟が見つかったからってやってきてみたの。ここはわたしの村の近く」
イステバは目を輝かせた。
「じゃ、旅に出なくちゃ! 小さな村にいたって始まらない。大きな村でも同じだけど。遠く、遠くへ旅しないと。アタシそういうの好き!」
「そう、そうだよね! ふたりで旅しよう!」
アセットはなにも持っていないに等しかった。
旅の用意もなにもない。
だが、イステバがいれば心強かった。
いまこそ目的を果たすために旅に出るべきだろうと確信した。
イステバが妖しく微笑む。
「お宝探そ。残っていれば旅に役立つから。王女の愛用なの」
「うん!」
それからふたりは墓所のなかをうろついた。
闇を見通せるイステバのあとをアセットがついてまわるばかりだったが、
もう厄介な墓守もいない。
アセットは初めての冒険者らしい探索に心が踊った。
ついにイステバが足を止めた。
岩壁が崩れて小山となっている前である。イステバは小山を指差した。
「たぶん、ここ。この岩の下。壊れてないといいけど」
それだけ言うとイステバはアセットに抱きつき、顔を近づけた。
その身体が帯状に解けアセットを包む。
ふたりは再び悪魔の騎士となった。
イステバの声がする。
「岩をどけて掘って」
「う、うん」
アセットはプライマルスーツの力で自分の身体より大きい岩をいくつも担いでどけた。
そんな作業もまったく苦にならない。
やがて岩の下から石室が現れた。
蓋にはいまは亡き王国の紋章が彫られている。イステバが言った。
「見つけた! 間違いなし。蓋を開けて」
アセットは自分の身体の何倍もある石の蓋をどけた。
中身があらわになる。そこには流線型のボートに似たものがあった。
中央に鞍がついていて乗り物らしい。
右側のサイドには、やはり人が乗れそうなカゴがついている。
イステバが説明した。
「これはエクウス。魔力で疾走する乗り物よ。昔の力ある貴族はよくこれに乗っていたの。この墓所の主である王女もね。これがこの墓いちばんのお宝。アンタが走らせるのよ。あたしは横に乗るから。中から出して」
「わかった」
アセットはちょっと骨折りをしてエクウスを石室から引きずり出した。
その表面は赤銅色に輝き、サビひとつない。
イステバがアセットから分離して少女に戻る。
「さ、走らせて。あたしたちの旅の始まりよ」