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地を這う雲海のごとき巨影は2

 干し肉をかじりながら、タナキサが言った。

「ここは人々の運命に対する抵抗の跡だ。アガモルゲの徘徊領域に植民しようとしたんだろう。家を何軒か建てるまではうまくいっていたようだが、けっきょく撤退していった。なにがあったかわからないが、ろくなことじゃなかっただろう」


 カバネルが頭をかきながら言った。

「向こうに屋根の残った小屋がひとつあったけどさぁ、七人は入れないねぇ」


 イステバが口を開く。

「いいよ、アタシたちはここで。火をくべて夜明かしするから」


 緑の髪のイルケビスが言った。

「ウチら三人集まったのも数百年ぶりだしねー。お姉ちゃんやイメリアンとでもいくらでも過ごせるわ」


 紫の髪のイメリアンが口を開く。

「イルケビス姉はよかったですよね。貴族の娘のあいだをぐるぐる回ってらしたんでしょ。贅沢に囲まれて羨ましい。わたくしなんていきあたりばったりで野をさまよってきました。いまのカバネルが比較的長いつきあいで」


 カバネルが笑った。

「アタイ孤児だからね。イメリアンと組んでものを盗んだり、賭け試合して暮らしてきた。イメリアンはもう家族だよ。だから考えることも似てきちゃって、新しい刺激を楽しむことと、強い相手と戦うことが生きがいになっちゃったぁー」


 タナキサも微笑んだ。

「悪魔の騎士となって長く過ごせるような相性のいいコンビはだいたいそんなふうになっていくものみたいだ。わたしにしたってそんなところがある。イルケビスはわたしの親戚のあいだで貴重な装具のような扱いをされていた。悪魔の騎士であるということは処女の証だからな。娘が結婚するとまた親戚のうちの年頃の娘のところへいって新たな契約をする。そうやって親戚のなかで回っていたんだが、わたしのところでしばらく止まっちゃっているけどな。悪魔の騎士であることを仕事にしてしまったのはわたしくらいだ」


 カバネルが聞いた。

「でも貴族ってさぁー、若い頃から結婚相手が決まってたりするんでしょぉー? タナキサちゃんはなんでまだ結婚しないの?」


 少しのあいだ沈黙が訪れ、火の爆ぜる音が続いた。タナキサがゆっくり言葉を紡ぐ。

「まあ、仕事が好きだということもある。悪魔の騎士でいることがな。許嫁もいるにはいた。だが、その男はわたしを抱く前に死んでいった。そんなことの積み重ねでいまに至る」


 それを聞いたアセットは少し迷ったが、口にだした。

「その男の人を死ななかったことにしたいの? わたしがお姉さんにしたいように、時の門の力を使って」


 タナキサは頭を振った。

「それは……、わからない。時の門の力にしたっておまえの当て推量でしかないわけだしな。興味はあるが、それほど期待してない。そう興味。興味があるから職務を休んでこの旅に同行している。アセットの行き先や、パモナの行き先に好奇心がうずくのさ」


 カバネルが身体をくねりとくねらせて話題を変えた。

「アセットちゃんもさぁー、街に戻ったら髪染めなよぉ。銀髪っていい色に染まるよぉ。そのままだとおばあちゃんみたいだしぃ」


 眉をひそめてイステバが口を挟む。

「呆れたもんね。昔は誇りにしたもんよ。悪魔の騎士の証たる、白銀に輝く髪をさ。それを染め直すなんて。年寄りの白髪とはぜんぜん違うでしょ」


 アセットとしては自分の銀髪を気に入っていた。そして何より旅はまだ往路である。

 先行きがどれほどあるのかわからない。アセットは言った。

「まだアガモルゲもみつけてないのに、そこでなにがあるかわからないのに、街へ戻ったあとのことなんて考える気にならないよ。わたしは目の前のことに集中したい」


 タナキサが肩を叩いてきた。

「その意気だ。わたしもおまえのように目の前のことに集中してきた。やはりわたしたちは似ているようだな」


 カバネルが異を唱える。

「えぇー? いきあたりばったりの刹那的なところはアタイと同じなんじゃないのぉー? アタイとアセットちゃんのほうが似てるよぉー。ねぇ?」

 デーモンたちを含めて、みながくすくす笑う。

 廃村のなかとはいえ、暖かい火のある安穏とした一角であった。


 ふたりの年上に揶揄されて、アセットは少し恥ずかしくなった。

 照れ隠しのようにパモナへ話を振る。

「パモナ、アガモルゲまでの距離、わかる?」


 パモナはこめかみを指で押さえて、悩ましげに目を閉じた。ややあって口を開く。

「たぶん……、もうエクウスで一日もないと思う。そんな感じがする。明日にはきっと見えるはずだよ……」


 タナキサが言った。

「アガモルゲの徘徊領域は大きめの国ひとつ分はあるらしいからな。こっちと向こうでお互い端にいたら、まだ時間がかかるかもしれない」


 カバネルが根本的な質問をした。

「そもそもアガモルゲってどんなふうに見えるの? アタイたち、区別つく? 丘みたいなもんで、地面にへばりついてたら見逃しちゃうんじゃない?」


 タナキサが気むずかしげな顔で答えた。

「足のついた浮島みたいなものだという話だが。まあ伝聞でしかない。しかし、見て帰ってきたものはいるんだ。ほかの土地と区別はつくだろう」


 アセットが割って入る。本で読み、しっかりと記憶した一節をそらんじる。

「アガモルゲ、其れを目にしたものは魂の悪寒に震えるだろう。なかんずくその異様は一目みれば忘れがたき悪夢となる。巨竜のごとき背中には幾多の尖塔が天をかいて忌まわしい煙霧をまとい、都市のごとき外郭の下にはうごめく脚が地を蹴る。その移ろうさま、地を這う雲海のごとし」

 アセットは息をつくと続けた。

「見た人がこんな感想を抱くモノ、見間違えるわけないでしょ。こんな荒れ地のただなかに異様なものが見えたら、もう間違いないのよ」


 カバネルは感心したように口笛を吹く。

 タナキサは感慨深く頷いた。

「そうだろうな。間違いようがない、か……」

 しみじみとした雰囲気をぶち壊すように、イステバが言った。

「まあ、アタシたち実物見たことあるんだけどね!」

 イメリアンも頷く。

「あんなもの、気づかず通りすぎるはずないですね」

 タナキサの顔が引きつるのを見て、イルケビスがフォローを入れる。

「まぁさ、何百年も前のことだし、形変わってるかもしれないじゃない? 注意するのにこしたことないよー」


 得意げに暗唱したアセットは恥ずかしくて頬が熱くなるのを感じた。


 タナキサは身体を手で払って立ちあがる。

「実際に見た者がこの場にいて、見違うはずがないというならなにも問題ない。案ずるなどバカらしい。わたしはもう寝る!」


 イステバが忠告するように言った。

「アセットももう寝れば? 明日、アガモルゲをみつけたら、長い一日になるよ」

「うん、そうする……」


 夜のおしゃべりは、それでお開きとなった。

 人間四人は狭い小屋で身を寄せあって眠り、デーモン三体は焚き火を眺めて夜を過ごした。

 静かな夜だった。

 それは不穏なほどだったかもしれない。


 翌日も曇っていた。

 陽の光が強くない分、ものの輪郭がくっきりと見えるような日だった。

 一行はパモナの導きに従って道行きを進めた。

 ところどころにひとつかみの草しか生えていない荒れた土地を、粛々と行く。


 午後も早い時間、灰色の空のもとに、とうとうそれを見出した。


 アガモルゲを。


 まだ遠い陽炎のようなものだったが、悪魔の騎士の視力ならはっきり捉えられる。

 確かに見間違いようのない異容であった。

 原始的な土造りの都市が、荒野に浮いていた。

 ねじくれた尖塔が何本も突き立って、窓窓から煙霧を吹き出している。

 土地を支えているのは苦悶に喘ぐような巨人の像で、

 それらが何体も集まってアガモルゲを支えていた。

 像の上半身は動かないが、脚だけが生きているように歩を進めている。


 悪夢から抜けでた奇形の亀のようでもあった。しかし巨大だ。

 それが瞳に馴染んだとき、大きなうねりがアセットの胸を満たした。


 満足感、畏れ、不安、期待、喜び。


 とうとうここまできた。

 見出した。


 あの巨体がずっと求めてきたもの。

 だが、まだその外郭だ。

 真の目的はあの都市然とした物体の中枢にある。

 まだ先は長いかもしれない。気を抜くのは早かった。


 紺碧と金の装甲に包まれたアセットは口を開いた。

「いま思うと、アガモルゲの落とし子って、この本体のミニチュア版みたいなものだったね」

 旅路の果てに目的地を見出したが、あまりの圧倒的光景に、そんな言葉しか出てこない。


 翠と黒のタナキサが頷いた。

「しかし、でかいな。遠近感が狂いそうだ。まだだいぶ距離はあるが、どこまで近づいてからアタックを開始するかだ」


 真紅と白銀のカバネルが言う。

「とりあえず着装を解いて一休みしないとねぇ。アタイとタナキサちゃん、ずっと着装したまま来ちゃったしぃ」

 そう話しあっているあいだにもアガモルゲは悠々と歩を進めて少しずつ遠ざかっていく。


 タナキサは言った。

「もう見失うこともあるまい。着装を解いて、食事もしないとな」


 全員がデーモンと分離した。

 周囲はほぼ静寂で、アガモルゲが大地を踏みしめる響きのみ、遠くから届いてくる。

 荒れ果てた土地であり、高度な生物はここで暮らせないだろう。脅威はなさそうだった。


 アセットはエクウスを降り、荷物を解きながらパモナに聞く。

「気分はだいじょうぶ、パモナ? なんか思い出した?」


 パモナは首を振った。

「なにも思い出せない。ただ、アガモルゲを見てると自分の小ささにみじめな気分になってくるかも……」


 カバネルが笑った。

「それはみんな同じよぅ。あんな巨大な生きている街を目にすればねぇ」


 タナキサは自分のデーモン、イルケビスに聞いた。

「着装時間を温存したい。いったいどこまで近づいても安全なんだ? 向こうから手をだされないギリギリまで近づいてから悪魔の騎士になって一気に突入したいところなんだが」


 イルケビスは首をかしげた。

「んー、わっからないなぁー。アタシたちも近づいたことないんだよね。とりあえず、矢の届かない距離なら安全じゃない? それか向こうのなかから何か出てこないかぎりは」


 イステバが肩をすくめる。

「突入するなら見えるギリギリから悪魔の騎士になって一気に飛びこむほうが安全だよ。なにが出てくるかわからないんだから」


 アセットはパモナが呆然としていることに気づいた。その肩を揺する。

「パモナ、だいじょうぶ? パモナ!」

 パモナの瞳に光が戻った。つぶやくように言う。

「わたし、呼ばれてる……。時の門に、呼ばれてるみたいな気がする……」

 

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