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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

前世で非業の最後を遂げた恋人が20年遅れて異世界から現実世界に転生したかもしれない

作者: てけと

ずっと前に書いてお蔵入りにしていた短編小説です。残酷な表現があります。

俺の名は白井ナオト。性別男、年齢は21歳、職業はしがない製造業社員。顔面偏差値中の下、性格は穏やかで温厚。年収現在250万程度、童貞、彼女いない歴=年齢。趣味は読書(ライトノベル中心)と映画鑑賞(劇場版アニメが中心)。


どこにでもいる普通の男であり、量産型社会人とも言えるほどにありふれた人間である。


つまらない人生ではあるが、生憎自殺願望が無いため、今日も今日とてつまらない仕事に行かなくてはならない。


朝起きて、風呂に入り、飯を作って出社の準備をしながら録り溜めている深夜アニメを見て、かなり早めに家を出る。もう何年も続く俺のルーティーンである。


家賃月4万のアパートを出て、駅まで徒歩で歩く。

朝は学生達が集団登校していたり、主婦の皆様方が道の端の方で談笑してたりする。


そんないつもの通勤路を、朝見たアニメのことを思い出しながら歩く。


(普通の現実世界のラブコメかと思ったら、ヒロインが逆転生でバトル展開とは・・・3話までは見てみるかな・・・)


「おっと」

「あっ・・・すいません」


一軒家の前で突然振り返った女性にぶつかりそうになり、既のところで体を横にずらして避ける。

夫の見送りだろうか?少し先の方にスーツを着た男性の姿が見える。


「あうあ・・・」

「あら?どうしたのかな〜みーちゃん?」


女性の腕の中には小さな赤ちゃんが抱かれていた。

赤ちゃん特有のクリクリとした可愛らしい目でじーっと見つめられ、俺の方に両手を伸ばしていた。


「ははは。パパが恋しいのかもしれませんね〜」

「ですかね〜?もう、みーちゃんは甘えん坊さんなんだから」


女性はギュッと赤ちゃんを落とさないように抱え、俺はニッコリと笑顔で赤ちゃんに笑いかけ・・・。




「いッ!・・・」

「へ?だ・・大丈夫ですか?」

「あっ、だ・・・大丈夫です!俺偏頭痛持ちなんで!それでは仕事がありますんで!」


心配そうにする女性を後にそそくさとその場を立ち去る。

腕に抱かれた赤ちゃんは、ずっと俺の事見つめていた。







突如頭痛と共に見えた映像。

赤く染った視界に映る1人の美しい女性。その女性は数名の男に取り押さえられ、涙を流しながら何かを叫んでいて・・・。



ドクンドクンと心臓が過剰に働いている。季節は秋だというのに、なぜかどっと汗が噴き出す。



「アニメの見すぎだな・・・妄想と現実の区別がつかなくなったら終わりだよなぁ・・・」


 一つ深呼吸をする。鮮明に見えた映像を頭を振って消し去る。

 とりあえず、朝見た逆転生のラブコメバトルアニメの続きを見るのをやめよう。


 


 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 俺の朝のルーティーンに、通勤路の途中にいるみーちゃんこと美咲ちゃんをあやすという仕事が追加された。

 


「キャッキャッ!」

「うりうり~可愛らしい奴め~」


 腕の中で楽しそうにはしゃぐ美咲ちゃん。


「いつもすいませんね~白井さん。お仕事前だって言うのに・・・」

「いえいえ。俺も美咲さんに癒されてますから。仕事も頑張れるってもんです」


 変な映像を見た翌日、いつも通り出社していると突如自分の服が掴まれて、振り返ると昨日ぶつかりかけた女性・・・黒川美里さんとその腕に抱かれた赤ちゃん、黒川美咲ちゃんが俺の服をギュッと掴んでいた。

 美里さんがハッとして、美咲ちゃんの手を俺の服から剥がすと・・・美咲ちゃんが大泣きしてしまって・・・。


 その日はそそくさと立ち去ったが、その翌日も美咲ちゃんは俺が通り過ぎていくと大泣きしてしまう。

 おろおろとする美里さんを放っておけず、十数分だけ美咲ちゃんを泣き止ませるという仕事を、通勤途中でやることとなった。


「そろそろいいかな~?美咲ちゃん」

「あう!!」


 だめ!と言わんばかりに俺のワイシャツをガシッと掴む美咲ちゃん。


「白井さんもこれから仕事なのよ?みーちゃん行ってらっしゃい出来る?」

「うう・・・」


 どうやら少しは言葉が理解できているらしく、俺の服から手を離し、美里さんの方に両手を向ける美咲ちゃん。

 

「こんなに甘えん坊だと、パパさんも苦労してるでしょうね」


 美咲ちゃんを美里さんに渡しながらそう言う。


 すると困った顔で美里さんは言う。


「パパにはこんなに懐いてない・・・どころか、こんなにベタベタ甘えるのは白井さんくらいなのよね・・・」


 そんなことを言われ、俺は苦笑いを返す事しかできなかった。




 とは言え俺は楽観的だった。物心がついたら自然と関わらなくなるだろう。美里さんのパパさんにあらぬ疑いをかけられて、あの幸せそうな家族を壊すのは俺の望むところではない。


 だから俺は、その翌日から通勤路を変えた。少し遠回りにはなるが、運動不足の俺にとってはちょうどいい。


 その後俺は、美咲ちゃんとは一切出会うことはなくなった。







はずだった。



美咲ちゃんのことなんてすっかり忘れて10数年。勤務していた会社では、昇進なんかしたりして割と忙しく、やりがいなんかも出てきて、なんとなく充実した日々を過ごしていた。


久々の定時退勤。2時間も早く帰れるとは・・・映画一本みられるな。最近積んであるラノベやアニメの円盤が溜まっていく一方だったので、こう言う機会に少しでも消化しようと急ぎ足で自宅へ向かっていた。


「やっと見つけた・・・」


 自宅まであと5分という所で、道のど真ん中で腕を組んだ女の子がそうぼそりと言った。まだ背も小さく、顔立ちも幼い。黒く長い髪が風に吹かれ揺れている。夕日をバックにしていて、まるでアニメヒーロー物のワンシーンに見えた。


 


とは言え特に興味もなかったし、それよりも早くアニメを見ながらラノベを流し読みして、コーラとポテチでも食いたいと思っていたので、速度を緩めることなく横を通り過ぎる。


「待って!!」


 ガシッ!と手首をその女の子に掴まれる。


「・・・何の用でしょうか?急いでるんですけど・・・」


 自慢じゃないが俺は女にモテない。顔も中の下で性格も穏やかで温厚・・・裏を返せば根暗で面白みのない性格。

 俺はすでに30歳を超えた。女性に幻想なんて見ていない。女性が男性に求めるものは知っているつもりだ。

 他の女に自慢できるであろう顔、金、将来性、これがない男は伴侶を得るために東奔西走しないといけない。

 

 俺に近づいて来る女性の目的は大体わかる。セールスか勧誘、あとは詐欺とかそういうのだ。


「覚えてないの?」


 はい出ました。必殺の曖昧な記憶に訴えかける系の美人局。生憎俺の人生に女性と一緒に居た記憶はない・・・と思ったが、こんな小学生か中学生の女の子が果たして美人局なんてするだろうか?


「・・・覚えはありませんね。人違いでは?」

「あんなに熱烈に抱きしめておいて覚えてないとか・・・罪作りな人だね」

「はい?」


 こんな幼い子を熱烈に抱きしめた?俺はロリコンだった?いやいや・・・どう考えてもそれはない。俺のロリコンは二次元専門だ。(二次元では)イエスロリータ(三次元は)ノータッチの紳士なのだから。

 ならば・・・?


「熱烈にってどんな風に俺は君を抱きしめたんです?」

「それはもう両手で優しく包み込むように、頬なんかもすりすりされて・・・」


 ふむふむ。両手で優しく包み込むように・・・頬も擦り合わせて・・・。

 そういえば昔そんな事をしたような・・・。こめかみを叩き、昔の記憶を掘り起こす。


「・・・美咲ちゃん?」

「正解!久しぶりだねお兄さん」

「いやいや・・・久しぶりも何も俺の事なんか覚えてるはずないでしょ」


小さい頃の記憶なんてあるはずがない。俺なんか幼稚園の頃のことさえ全く覚えていないというのに。


「忘れるわけないわ。何せあなたと私は・・・前世の恋人なんだから」


突如美咲ちゃんの雰囲気が変わる。


「前世での私の名前はクロナ。シロ・・・思い出して・・・私とあなたの関係を・・・」


ズキッと頭が、針に刺されたように痛む。心臓の鼓動が高鳴り・・・。


「美咲ちゃん」

「ん?思い出した?」

「もしかして今中学二年生?」

「なんでわかったの?」


やはりそうだったか・・・頭を抱えそうになるのを我慢する。





彼女は・・・美咲ちゃんは厨二病患っていた。


この頭痛と嫌な心臓の高鳴りは、俺の黒歴史が刺激された故の反応だろう。

俺が美咲ちゃんをあやしていた時に、美里さんがスマホでめちゃめちゃ写真を撮っていた。

それを見てそういう設定を創りあげたのだろう。


「なんで突然優しそうな目で私を見るの?シロにそんなに見つめられたら・・・恥ずかしいじゃない」

「ははは・・・」


 俺はどうするべきだろうか・・・。彼女の設定に合わせるか?しかし今後の人生でこの黒歴史はきっと彼女を苦しめる。ならばなるべく傷が浅いうちに終わらせてあげるのが優しさではないだろうか・・・。


「美咲ちゃん!」

「えっ!?ちょっといきなりす・・・するの?」


 ガシッと美咲ちゃんの肩を掴む。じっと美咲ちゃんの瞳を見つめる。美咲ちゃんは頬を赤く染め、視線を下に向け・・・目を瞑って顔をあげた。


「君は病気なんだ・・・それも一生治らないと言われる不治の病・・・でも大丈夫!死ぬことはないし、今ならまだ傷は浅くて済む」

「は?」


 美咲ちゃんは目を開き、半目になって俺を見上げている。


「設定を作り上げ、自分の殻にこもるのはやめるんだ!前世なんてないし、異世界なんて言うのもないんだ・・・悲しいことにね。魔法も超能力もない現実の世界で、俺たちは生きていくしかないんだ」

「え?ええ?」

「目を覚ますんだ美咲ちゃん!!まだ傷は浅い!引き返せるんだ!」

「いや・・・えっと?」

「普通に学校で友達を作って、普通に恋愛してアオハルするんだ。学生というのは人生で一番輝くと言っても過言ではない時間なんだから・・・」

「え?シロ?目が死んで・・・」

「俺みたいになるんじゃないぞ・・・美咲ちゃん・・・」

「でも私は・・・前世と同じシロと結ばれたいの・・・他の男なんて・・・」


 むむむ・・・。これはかなり拗らせているな・・・。こうなったらッ!



「確かに俺は前世で君の恋人のシロだったのかもしれない」

「シロ・・・分かってくれたのね」


「だからと言って今世も恋人になるかどうかは別の問題だ。それを決めるのは前世のシロじゃない。今世の俺、白井ナオトだ」

「ッ!?」


「そして君もクロナじゃなく、黒川美咲だ。前世なんかに縛られず、自由に生きるべきだ。俺は白井ナオトだし、君は黒川美咲。かつての恋人同士のシロとクロナじゃない」

「でもッ!!」




「そして白井ナオトは黒川美咲を異性として見れない。君は俺にとって可愛い姪のようなものだ。前世の恋なんて諦めて、俺なんかよりもっといい人を見つけて・・・今世()幸せに生きるといい」


そう言うと美咲ちゃんの瞳から涙が溢れ出し、頬を濡らす。

俺は何も言わず振り向き、自宅への道を歩き出した。



ごめんよ美咲ちゃん・・・でも、俺みたいなおっさんに縛られて生きるなんて、そんな残酷なことは無いから・・・。


彼女の心を傷つけた罪悪感で、ズキズキと自らの心が酷く痛かった。





~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


ふと気づくと古ぼけた酒場の椅子に座っていた。

テーブルと椅子はおおきな木を輪切りにしただけの無骨な物だ。

テーブルの上には木のジョッキに入ったビールの様な物と、焼いただけの肉が申し訳程度に置かれている。


「おい!どうしたんだよシロ大丈夫か?」

「へ?あ・・・あぁ大丈夫だ」


角の生えたスキンヘッドの髭がモジャモジャ生えている厳つい男に声を掛けられる。


「主役がそんなんじゃ困るぜ?それじゃあギルド結成10周年を祝って・・・乾杯!!」

「「「「カンパーイ!!」」」」


途端にガヤガヤと騒がしくなる。酒場にいる10数名の男女が待ってましたと言わんばかりに酒を呷り、各々喋り始める。

俺はワケもわからず、酒を口にする。・・・味がない・・・という事は今見てるこの光景は夢か。


「で?ギルドマスターのシロさんよ〜例の彼女さんとはどうなんだ?」

「どうって言われても・・・」


そんな人知らねぇし!と言うか俺がこの集団の長なのかよ!?


「あぁ〜分かるぞ!所詮俺らは平民だからな。いくら功績を挙げようが、貴族様相手だと尻込みしちまうよな〜でも好き合ってるんならちゃんとあの子を引っ張ってやれよ?」

「はぁ・・・」

「シロとクロナはちゃんと釣り合ってるさ!俺が保証してやる。だからな?さっさとやる事やって、子供でも作っちまえよ」

「大きなお世話だ!そんなのは俺とクロナが決めることだろ!」

「見てて焦れったいんだよ!恋人同士ならもっといちゃつけ!」


主観視点だったのが三人称視点に変わっていく。


シロという人物は、この大勢の人間たちの長であり、とても慕われていることが見てわかる。

殴りあってたかと思えば、次の瞬間には肩を抱き合ってはしゃぎ出す。


そんな光景を見て、何故だか俺は・・・・懐かしいと感じてしまっていた。





突如場面が切り替わる。赤いドレスを着た金髪碧眼の美しい女性がその瞳に涙をためてシロの方を見ていた。


「ごめんなさいシロ・・・公爵家の次男に目をつけられてしまったの・・・」

「クロナ・・・それは本当なのか・・・?」


公爵家・・・確か王族の次に権力を持つ貴族だ。


「今日お父様に言われたの・・・嫁ぎにいけって・・・」

「でも確か公爵家の次男って・・・」

「ええ。多分私は五体満足で人生を終えられないと思う・・・あの人は女を自分を満足させるための道具としか思ってないから・・・私は18人目の・・・妻として・・・嫌だよぉシロ・・・」


ギリッとシロは歯噛みする。


「逃げようクロナ・・・隣国である皇国に亡命出来れば・・・何とかなるかもしれない」

「でも・・・それだとシロの夢が・・・」

「また1からやり直せばいいさ。大丈夫上手くいくさ。俺を信じて?」


クロナは俯き、涙がポタポタと地面を濡らしていく。


「うん・・・シロを信じる・・・」

「準備に3日かかる。3日後の朝、この街の北門の前で待ってる」

「わかった・・・ごめんねシロ・・・ごめんなさい・・・」


クロナは手で涙を拭いながら、途切れ途切れにシロに謝る。

そんなクロナの頭を優しく撫で、そのままクロナの頭を自らの胸に引き寄せて、クロナを抱きしめるシロ。


「君だけは絶対守るから」


ボソリとシロはそう呟いた・・・。



なんとなくだが、シロは2人で皇国に亡命できるとは思っていない。自らの命を懸けて、彼女を、クロナを護ろうとしているのだろう。





そしてこの逃亡劇の結末は、バットエンドだ。

シロはクロナの目の前で無惨に殺され、クロナは公爵家に攫われることとなる。


胸糞の悪くなる話だ。さっさと目を覚ませよ俺ッ!


意識が少しづつ覚醒していき・・・目が覚める瞬間に声が聞こえた気がした。


(思い出せよ・・・白井ナオト・・・最愛の恋人の事を・・・)




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


目が覚める。見慣れた天井が見える。暑くもないはずなのに身体中汗でベタベタして気持ちが悪い。


「はぁ・・・俺も大概厨二病拗らせてるよな・・・」


 昔から定期的に見てしまう夢。異世界で何でも屋として生活する夢だ。

 世界観も場所も毎回ほぼ同じ。だからこそ俺は勘違いしてしまったのだ・・・。


「俺は異世界からの転生者で、冒険者ギルドを構想した人である・・・か」


 夢の中での俺は大きな目標があった。身分も出身も関係ない、誰もが仕事に就き、幸せに生きられるように・・・何でも屋を大きな組織として運営する事。まさに異世界物のラノベに出てくる冒険者ギルドのような物だった。

 冒険者ギルドなんていう異世界なら当たり前にある様なものだけど、それを作るためにどれだけの労力がいる事か・・・。事実夢の中での俺は毎日忙しそうに走り回っていた。


 ほぼ毎日のように見てしまう夢に、まだ少年だった俺は夢と現実の区別がいつしかつかなくなり・・・完全に厨二病として覚醒した。


 大人になるにつれていつもの夢は見なくなり、嫌でも現実を突きつけられ、ようやく俺は目を覚まし、現実と向き合うようになった。


 ファンタジー世界と言うのは創作であり、大型トラックに轢かれても転生しないし、突然異世界に転移することもない。神様なんて言うのはとっくに人類が殺したし、怪異なんて言うのも科学で証明できてしまう。


 ましてや前世の記憶を持ったまま生まれ変わるなんてありえないのだ。


「さて・・・いつも通り仕事に行く準備をしますかね~」


 今日も今日とていつも通り生きていくしかないのだから・・・。











「白井君。少しいいかね?」

「はい?って次長!?」


 製造現場でいつも通り仕事をしていると、松永生産統括次長が声をかけてくる。


 うちの工場のは平社員>班長>係長>課長>次長>工場長という役職形態だ。

 平社員が約800名、班長が100名、係長が50名、課長が16名、次長が3名、工場長が一人というピラミッドだ。

 因みに俺の今の役職は係長。次長とは何度か顔は合わせるものの、次長の応対は基本的には課長が行うのが決まりだ。

 

「えっと・・・30分くらいなら大丈夫そうです」

「充分だな。君の異動について少し私から話しておきたくてね」

「異動・・・転勤ですか」

「うむ。次長室まで来てもらえるかな?」

「はい!ちょっと離れるわ。次の製品切り替えまでには戻るから~」


 部下に指示を出し現場を離れる。

 松永次長の部屋は総務課の隣にある。自分の現場からは少し離れているため、少し速足で次長室へ向かう。


 次長室の扉を4回ノックし、入室を促される声をかけられ部屋に入る。


「来たか白井君」

「まぁ呼ばれましたので・・・ってか俺が転勤ですか?」

「不思議かね?」

「ええ・・・まだ数年は動かされないと思ってたので」


 全国各地に生産工場があり、班長などの役職になると転勤することは珍しくはない。

 とは言え、最近人事異動があったばかりで俺は今回も転勤を免れた。次移動するのは俺の番かもしれないが、転勤なんて5年に数人程度しか移動しないものだ。全国数万という従業員を抱えている会社から、俺が選ばれる事なんてないだろうと楽観視していた。


「私が推薦した」

「え?」

「白井君。上に立つべきものが持つべき資質とは何だと思う?」

「えーっと・・・みんなを引っ張っていくようなカリスマ性とか・・・頭の良さとか・・・そう言うのですかね?」

「そんなものはあとからついて来る付属品だよ。・・・人に好かれる。これが上に立つ者の最低限必要な要素だろう」

「人に好かれる・・・」

「君に私の後釜を継いでほしいんだ。その為に君を本社への転勤を勧めることにした」

「え?後釜?本社?」


 本社って東京の・・・製造するための場所ではなく、会社を運営するための場所だ。生産設備はあるが、全てが新製品開発のためにある。高卒で工場勤務している俺にとっては全く持って縁のない、大卒や院卒などのエリートたちが勤める場所である。


「5年だ。5年で全てを学んで来い。その後に私の元で1年の引継ぎを終え、白井君にはこの工場の生産統括次長になってもらいたい」

「は・・・?ええええええええ!?むむ無理ですよ!?俺高卒で学がないですし、頭も悪いですし・・・」

「学がないならこれから学べばいい、それに頭が悪い人間がこんなに早く係長に出世することはない。君にとっても悪い話ではないぞ?次長の年収はいくらだと思う?」


 ゴクリッと生唾を飲み込む。

 係長の俺で年収は600万程度。ならば次長は・・・?


「1200万程度だ。今の2倍の給料になるぞ?」

「せんに・・・・」

「やってくれるかね?」

「・・・なんとか・・・期待に応えられるように頑張ってみます・・・」

「よろしい」


 そう言うと次長はニヤリと笑う。


「辞令は既に用意してある。現場との話も付いていて、すぐに異動できる状態だ。今週中に荷物をまとめて本社に向かうといい」


 封筒を一枚渡される。中身は異動についての辞令と、新幹線の切符だった。

 頭を下げて次長室を出る。いったいなんでこんな事に・・・。


 

 しかしこれはチャンスでもある。給料うんぬんより、それだけ上の立場になるということは責任感が重い反面、とてもやりがいのある仕事になるだろう。

 そう前向きに考えることにした。




 

 そして金曜日の勤務が終わり、送別会を終えて帰路に就く。

 いつもより少し帰りが遅くなってしまったが問題はない。俺の帰りを待っている妻もいないしな。


 そう思っていたのだが・・・自宅のマンションの部屋のドアに座りこんでいる女の子がいた。


「美咲ちゃん?」

「ん・・・やっと帰ってきた・・・」


 目をごしごしと擦り、立ち上がる美咲ちゃん。突然の事に呆然としていたが、ふと我に返る。


「今何時だと思ってんの!?」

「ええっと・・・夜の23時?」

「幼い女の子が一人こんな時間に出歩いたらダメでしょ!?家に帰りなさい。送っていくから」


 美咲ちゃんの腕を掴み、引っ張っていこうとすると、グッと足を踏ん張られる。


「やだ!」

「だめだ!美里さんも心配してるだろう?」

「ママには友達の家に泊まるって言ってるから大丈夫!」

「大丈夫なわけあるか。そんなのすぐにばれるに決まってるだろ?おじさんも一緒に謝ってやるから」

「・・・叫ぶわよ?」

「は?」

「おじさんに連れ込まれて襲われる―って叫ぶから。私は本気よ」

「ぐっ・・・」


 今こんなところで犯罪者扱いされるのは困る。なにせ来週からは本社で頑張らないといけないのだ。


「何が望みだ・・・」

「一晩だけでいいから泊めてよ」

「はぁ・・・事情は中で聞こうか」





 自宅のマンションの部屋は、2LDKのどちらかというと家族向けの間取りをしている。

 なにせ物が多くて、一人暮らし用のワンルームなどでは到底収まらない。だから仕方なく大き目の部屋を借りていた。

 明日からは弟がこの部屋に住むことになるわけだが・・・。


「へぇ~!割と綺麗にしてるんだね」

「家事は一通りできるからな。そうじゃなきゃ実家から出たりしないし・・・ってそうじゃない。なんで家に来たんだ?そもそもなんで場所を知ってる?」

「場所は前にこっそり尾行・・・じゃなくてたまたま見かけたから。来た理由は・・・愛する人の家に来たかったから」

「・・・ファイナルアンサーでいいのか?」


 そう言いつつ携帯を取る。そんなくだらない理由なら、今すぐ迷子と言う事で警察に電話して引き取ってもらうつもりだ。生憎美咲ちゃんの母親とは知り合いではあるからな。


「・・・今日無理してでもシロ・・・ナオトさんに会わないと、二度と会えなくなる気がしたから」


 目を潤ませて俺を見上げる美咲ちゃん。俺はそんな彼女を突き放す気にはなれず・・・。


「今晩だけだぞ・・・」

「わぁーい!ありがとうナオトさん!」


 結局彼女と一晩過ごすことになってしまった。







「お風呂有難うナオトさん」

「おう。飯出来てるぞ」


 水色の可愛らしいパジャマを着た美咲ちゃんがリビングに現れる。ひとまず風呂を借りたいというのでさっさと風呂を沸かせて入ってもらった。


「ありがとー!」


 美咲ちゃんの前にケチャップで適当に炒めたパスタを置く。本当なら俺の明日の朝飯だったものだ。


「んー!美味しい!やっぱりシロの料理はおいしいなぁ」

「・・・はぁ・・・まだ前世がうんぬん言ってるのか?」


 俺がそう言うと、美咲ちゃんはフォークを置いて俺の方を見つめる。


「私だっておかしいと思ってるもん・・・でも・・・同じような夢を何回も見るの・・・ナオトさんの顔をしたシロという男性。一緒に居ると嬉しくて、楽しくて・・・でも最後はバットエンドなの」

「・・・・・」

「ナオトさんといると安心する。嬉しくて、胸がドキドキして・・・これが恋じゃないなら何なの?」

「夢とリアルを混同しない方がいい。現実は厳しくて辛いものだ。実際君は中学生。俺はおっさんだ。恋人になるなんて普通じゃありえない。思春期特有の恋愛脳ってやつだよ。歳を重ねればいつの間にか夢も見なくなるさ」

「そうなのかなぁ・・・」


 もし前世というものがあったとして、それに縛られて人生を台無しにするなんてあり得ない。美咲ちゃんはまだ幼い。何者にでもなれる未来ある若者を、俺みたいな冴えないおっさんの為に潰すわけにはいかないのだ。


「そうだよ。だからさ、やりたいことや好きな人を見つけてさ、楽しく生きたほうがいいよ。同学年にイケメンいるでしょ?優しい人とか、運動ができる人とか、勉強ができる人とか。美咲ちゃんは可愛いから男の子を選び放題だ!」

「そんな可愛いとか・・・」

「美咲ちゃんは可愛いぞ!自信を持っていい。何なら今からアイドルなり女優なりを目指しても行けるな!」

「そんな!?無理だよ!」

「ははは!美咲ちゃんはまだ幼いからな!なりたいものに何でもなれる可能性はあるさ」


 何とか話を逸らして軽く雑談する。ある程度時間が経つと美咲ちゃんがウトウトし出したので寝室のベットで寝る様に言うと素直にベットに入って寝息をたてはじめた。


「さて・・・風呂入って・・・明日の朝ごはんの材料でも買ってくるか」


 そうひとり呟き、やることをやって俺はリビングのソファーで眠ることにした。





 翌朝、二人分の朝食を作っていると美咲ちゃんがリビングに姿を現す。


「おぁよ~なおとさん・・・」

「おはよう美咲ちゃん」


 目をこすりながらテーブルに着く美咲ちゃん。机に朝ごはんを置いていく。

 味噌汁、白ご飯、鮭の切り身に漬物と、コンビニで何とかそろえたありあわせの朝ごはん。

 いただきますと声を合わせ、朝食を食べる。


「う”あ”ー味噌汁が体にしみるー」

「何二日酔い明けのおっさんみたいなこと言ってるんだ美咲ちゃん・・・」


 どうやら朝食はお気に召したようで、残さずに全部おいしそうに平らげてくれた。


「ねぇナオトさん・・・どこか旅行に行くの?」


リビングに置いてある大きめのキャリーバックを見つけて、俺にそう言う美咲ちゃん。


「んー・・・実は来週から東京の本社に転勤することになったんだよ。だから美咲ちゃんとはお別れになるかな?」

「・・・」

「他の荷物はあとから引越し業者さんが取りに来ることになってるからね。俺は手荷物1つで東京に向かうんだよね」


美咲ちゃんは俯き、静かに俺の言葉を聞いていた。


「美咲ちゃん。俺なんかに固執せず、前を向いて生きるんだ。つまらない(前世)なんかに踊らされていたら幸せを逃しちゃうからね。だから・・・



さようならだ。美咲ちゃん」


結局美咲ちゃんとはその後一言も話さずに別れた。

ここに五年後戻ってくる事もあえて話さない。そんなことを話したら、彼女はまた前世とやらに囚われてしまうから。


「あぁ~勿体ないことしたかなぁ・・・美咲ちゃんは大きくなったら美人さんになるだろうしなぁ・・・」


 そんな馬鹿な事をひとり呟き、両手で少し強めに自らの頬を叩く。


「なんて馬鹿なことを言ってる場合じゃないな!頑張って期待に応えないと!!」


 そうして俺は気合十分に、本社に向かう新幹線に乗り込んだ。






 



「白井さん!この後飲みに行きません?」

「あぁ~実は三坂さんにお呼ばれしててさ・・・」

「うぇ!?何かやらかしたんですか白井さん?」

「いやいや。そう言うわけじゃないんだけどさ」


 本社に勤務してからあっという間に五年経ち、慣れない仕事に四苦八苦しながらも、なんとか一人前の仕事ができるようになっていた。

 同僚や上司の方々には仲良くしていただいており、ほぼ毎日のように晩御飯を誘われる。


 今日お誘い頂いているのは俺の所属している開発課の課長の三坂美冬さん。かなりのやり手の課長さんだが、規律や仕事に対する態度が人一番厳しい。

 課内では皆課長に怒られない様に仕事をする。とは言え三坂さんの指摘は的確でわかりやすい。だからみんなは厳しい三坂さんに怯えつつも、尊敬はしている。

 現場としては緩くなくピリッとしていて、いい空気になっていると思う。


 それに・・・実は三坂さんは・・・。



「待たせたかしらナオト君?」

「いえいえ。俺も今仕事終わったところなんで」


 三坂さんとお酒を飲むときは決まって三坂さんの自宅で飲む。独身の一人暮らしの女性の家に上がり込むなんて・・・なんて思うかもしれないが、それもちゃんと理由がある。


 三坂さんの車に乗せてもらい、十分程度で三坂さんの部屋があるマンションに到着する。

 

「それじゃあシャワーだけ浴びたら伺いますんで」

「ええ。待ってるわね」


 三坂さんの部屋はこのマンションの7階。そして俺の部屋が5階。偶然同じマンションに住んでいたのだ。とは言え俺は仮住まいなわけだが・・・。

 家に帰り、スーツを脱いで汗を流し、ラフな格好になるとすぐさま三坂さんの部屋を訪ねる。


「いらっしゃいナオト君。待ってたわ」


 彼女もラフな格好になって出迎えてくれる。股下十センチ程度の短パンに、キャミソール。

 その扇情的な姿に、俺じゃなきゃ勘違いしちゃうね。と心の中でキリッとイケメンの顔をする。


「ああ・・・またゴミ出し忘れましたね?」

「だってあの日はちょっと朝忙しくしてて・・・」


 三坂さんは仕事場ではカッコいい女性なのだが・・・生活力が皆無なのだ。初めてこの部屋を訪れた時は・・・マンションを追い出される一歩手前のごみ部屋と化していた。

 なので定期的に三坂さんの部屋を訪ねて彼女の世話をしているのだった。


「それじゃあ晩御飯と軽いおつまみを作りますね~」

「冷蔵庫の物は勝手に使っていいから~」

「はーい」


 三坂さんは既にリビングのテーブルでビールをちびちび飲んでいる。

 長い黒髪にキリッとした目。鼻も高くモデルのような綺麗な顔立ちの女性。歳は俺より一つだけ年上。

 

 仕事場では恐れられる美しい彼女が、今では机の上でダラーととろける様に突っ伏して、だらしない顔をしている。

 このギャップに萌えない男はいないであろう。役得である。


「ご飯出来ましたよー」

「わーい」


 酒を飲むのでおかずのみだ。量よりも種類を揃えている。


「んー!ナオト君の作るおつまみは絶品だねー!」

「お粗末様です。三坂さんも簡単な料理くらい覚えればいいのに」

「やだー!!洗い物がめんどいもん・・・」


 仕事ではきっちりしているのにプライベートではだらしなさすぎる。そして・・・。


「ナオト君が私のご飯を作る!私はお金を稼いでくる!winwinのかんけーだとおもわない?」

「俺も今の仕事にやりがいを感じてるんで・・・」

「むぅー!」


 彼女はアルコールが入ると幼児退行・・・とまではいわないまでもかなり幼い言動になる。

 何故か彼女は椅子から立ち上がり、俺の方にトコトコと歩いて来て・・・ポスンっと俺の膝の上に乗っかってくる。


「三坂さん?」

「ここにいる間は美冬」

「美冬さん?なんで俺の膝の上に?」

「わからずやのナオト君は私の椅子の刑に処しま~す」


 彼女はさっきまではちびちびと飲んでいたビールを勢いよく傾け、ぐびぐびと飲みだす。


「ナオト君。おつまみ」

「自分で食べてくださいよ・・・」

「ざんねんながら~私の両手は~お酒で埋まってるの~」

「はいはい・・・あーん」

「あーん!んっ!」


 嬉しそうにモグモグと咀嚼する。雛に餌をやる親鳥ってこんな気持ちなのかなぁ・・・。


「ねぇナオト君・・・」

「はい?」


「冗談なしでさ~私の夫にならない?」


「は?」


 ふざけた様子でもなく、ふと後ろから彼女の手を見ると、力が入っているのか若干ビールの入っている缶がへこんでいる。


「・・・結婚を前提にお付き合い・・・とかじゃないんです?」

「ナオト君と私の間に、そんなお試し期間いらないよ・・・ダメ?結婚しよーよナオト君・・・」

「美冬さん・・・」


 正直かなり嬉しい。美冬さんはかなりの美人でお酒が入ると甘えん坊になる可愛らしい女性だ。仕事もできるキャリアウーマンだし、多分俺の人生でこの人以上の女性に好意を持たれることはないだろう。


「俺も美冬さんが妻だったら楽しそうだし、きっと幸せな人生が歩めると思います」

「え!?じゃ・・・じゃあ!!」

「でも俺もうすぐ帰るんですよね・・・」

「・・・やっぱりそうだよね。私もナオト君も仕事にやりがいを感じてて・・・やめるなんて考えられないもんね」

「ですねぇ・・・結婚して、定年退職まで別居なんて耐えられないですよ」


「「お互い、いい部下は手元に置いておきたいタイプ」だもんね」ですし」


 お互いおんなじタイミングで噴き出して笑ってしまう。彼女はクルっと百八十度回転し、俺の膝に座ったままお互い向かい合う形になる。


「でもなんで美冬さんは俺なんかのことを?」

「んー?わたしさー。結構焦ってたの。女性で初の管理職ってことで持て囃されるし・・・周りの大きすぎる期待に潰されそうになってたの・・・そんな時に・・・ナオト君がうちに来たんだよ。

 毎日必死で頑張る君を見ててさ・・・すごい勇気をもらえた。ナオト君もあの松永次長の大きすぎる期待を背負ってるはずなのにってね。君のおかげで職場の雰囲気も良くなるし、挙句の果てに私の私生活まで入り込んできてさ・・・甘えていい人がいるって言うのはとても良い事なんだな~ってね。いつの間にか君を手放したくないってなって・・・


 だからもし・・・ナオト君が私の専業主夫になってくれたら・・・なんて思ったわけなの」

「美冬さん・・・その・・・ごめ」


 断りを入れようとした俺の唇を、人差し指で制する美冬さん。


「今は諦めてあげる。向こうでも頑張ってね?」

「美冬さんも元気で、料理しろとは言いませんが、バランスよく食事をしてくださいね?なんなら週一で家事代行を雇って・・・ゴミもちゃんと分別しろとまでは言いませんが、せめてごみの日に出す様に・・・ああ、あと」

「わかった!わかったから~」


 美冬さんは両手を俺の後ろに回しギュッと抱きしめる。俺も彼女の細い腰に手を回して優しく抱きしめる。


「うん・・・やっぱりナオト君が欲しいなぁ・・・」

「ははは・・・俺なんかよりいい男なんてざらにいますよ。だから俺は、今のうちにいい思いをしておきますね?美冬さんが他の男のものになる前に」


 彼女の美しい黒髪に指を通す。優しく頭を撫でると彼女は少し艶っぽい声を出す。


「いないよ・・・ナオト君よりい男なんて・・・すぅ・・・」


 美冬さんはお酒に強くない。酔えば甘えん坊の子供になるし、だから彼女と飲むときはいつも自宅なのだ。会社の飲み会では下戸で通しているらしい。

 いつも通りお酒に酔って、少し経つと寝てしまう美冬さんを布団まで抱きかかえる。


「おやすみなさい美冬さん」


 彼女を寝室に寝かせると、片付けをしてからソファーに横になる。

 帰りたいところだが、この部屋はオートロックでもないし、俺自身がカギを持っているわけもない。鍵を閉める人がいない。流石に女性が一人で暮らしている部屋を開けっ放しで帰る訳にもいかず、俺は毎回このソファーで一夜を過ごす。


「大好きだよ・・・ナオト君・・・」


 意識が落ちる前に、そんな声ともに頬に何かが当たる感触がした。











「よ・・・よう兄貴。ひ・・・久しぶりだな」

「おう。ハウスキーパーお疲れさん」


 数年ぶり会う弟は、引き籠りだった頃のように死んだ目をしていなかった。触れれば折れそうな体には筋肉がついており、少し日焼けもしていた。

 この家の家賃や光熱費は俺の口座から引き落とされており、親が生活費を仕送りしていたはずだ。


「もしかしてお前・・・仕事してるのか!?」

「う・・・うん。それで・・・兄貴・・・兄ちゃんにお願いがあるんだ!!」

「へ?」


 ばっ!と頭を下げる弟。何事かとオロオロしていると・・・。


「あれ~?まことくん誰か来てるの~?」

「おう!俺の兄ちゃんだよ!」

「あらあら~これはこれは~」


 弟の後ろから現れたおっとりした女性。なんていうか・・・ゆるふわ系の天然お嬢様といった風貌の女性だった。


「紹介するよ。俺の妻の優香」

「誠くんの妻の優香です~噂はかねがね~」


「は・・・?お前結婚したのかよ!?!?」




 家に上がらせてもらうと、俺が生活していた痕跡は全て無くなっており、新婚夫婦の住居と化していた。

 

 弟に話を聞くと、ネットゲームで知り合って実際合って意気投合、あれよこれよと同棲し、弟が正規雇用されたのを機に籍を入れたそうだ。


 この話だけでショートストーリーが一話書けるわ!!


 弟のお願いとは、もうちょっと生活の支援をしてほしいというだった。正規雇用になったもののまだ妻を養うほどの収入はなく、生活が厳しいそうだ。ならば共働きすれば?と提案したが・・・。


「こんなぽわぽわしてて可愛い優香が・・・仕事をすればどうなるか・・・気が気じゃねえよ・・・寝取られたりしたら俺自殺するぞ!!」

「まぁまぁまぁ可愛いだなんて~誠くんもカッコいいよ~」


 と目の前で惚気始めて俺自身も気が狂いそうだ。


「というか俺のラノベとかDVDとかどうしたんだよ」

「それは・・・なんというか・・・すまない!!」


 弟は俺の前に少し厚みのある封筒を置いた。


「なんだこれは・・・まさか・・・」

「あ~その・・・俺も優香の為に頑張らないとと思って・・・私物のコレクションを売ったつもりが・・・兄ちゃんのも持って行ったらしくてさ・・・」

「俺の宝物が・・・」


 封筒の中身を見ると万札が三十枚ほど。買った時の五分の一程度の値段になったようだ。


「二人は結婚式は上げないのか?新婚旅行は?」

「式は上げる。絶対に。優香をもらうときに約束したからな。貯金が溜まったら式は上げる・・・けど旅行にまでは手が回らないかな・・・」

「私は~誠くんと一緒に居るだけで幸せだから~あんまり気にしないでね?」

「うん・・・ありがとう優香。でも俺頑張るから・・・」

「隙あらば惚気るんじゃねぇよ・・・」


 俺は財布からお金を取り出して封筒に入れる。そして・・・


「これだけあれば新婚旅行くらい行けるだろ。式はちゃんと呼んでくれよ?とびっきり祝儀を弾んでやらぁ!」

「兄ちゃん・・・」

「お義兄さん~」


「家賃とかは今まで通りでいい。出世払いで頼むわ。・・・お幸せにな」


 そう言って俺は自宅だった場所を後にする。


「カッコつけすぎたかなぁ・・・あぁ・・・アニフレンズで久々に散財する予定だったのにぃ・・・グスン・・」


 ひとまず当面はビジネスホテルに拠点を構えることにした・・・。








 


「おう!帰って来たか白井君」

「ご無沙汰しております松永次長。あ・・・これ東京名物のなるほどりんごです」

「おお。気を遣わせて悪いねぇ・・・」


 久々に古巣への出勤。一応辞令としては次長代理として帰ってきているので次長室に直行した。

 松永次長は来年には定年退職だ。嘱託(しょくたく)として会社に勤務するつもりはないらしい。「定年退職後は愛する妻とのんびり余生を過ごしたいんだよ」だそうだ。


「それじゃあ今日からビシバシいくからな!」

「はい!ご指導ご鞭撻よろしくお願いします!」




 生産統括次長の仕事は多岐にわたる。人事も、製品も、外部業者との交渉も仕事の内に入る。

 かなり忙しいが、だからと言ってずっと仕事場に缶詰めというわけでもなく、むしろ毎日定時で退社する。

「上の立場である私たちが残業なんてしてどうする?残業してるから偉いなんて無能の言い訳だよ。残業は悪であり、無能の証。それを自ら体現しなくてはならない」だそうだ。

 実際誰よりも功績を残しているから、誰も松永次長の事を責められない。



 ともあれ、かなり難易度高い仕事ではあるが、平社員の頃より給料も上がり、プライベートの時間も増えた。その代わり仕事関連での人付き合いも増えてしまったが、プライベートでは気さくに接してくれる優しい人たちなので全然嫌ではなかった。


 


「今日は○△文庫の発売日~♪しかも待ちに待った『氷装のリリ』の続刊~♪フフフ~ン♪」


 と小粋な自前ソングを口ずさみながら、最近新たに借りたマンションから少し離れた場所にある大型書籍店に来ていた。

 次長になろうが趣味は変わらず、読書(ラノベ中心)と映画鑑賞(劇場版アニメ中心)である。時間が出来たおかげで積んでたラノベも消化し終わり、新刊の発売日を待てるという楽しみに目覚めつつあった。

 ついつい目に付いたラノベを買ってしまうのはご愛敬。


 上機嫌に店から出て、繁華街を駅のある方向へ歩く。


 ふと目に付いた男二人と女二人4人組。手を繋いで仲良さげに歩いているところを見るとダブルデートってやつなのかな?青春してるなぁ~。

 

「あっ・・・そう言えば青春ラブコメ・・・『俺は一人を選べない』のブルーレイってボックス出たんだっけな・・・買うかな~」


 そんな事を呟きながら、頭の中の家計簿に思考を巡らせる。

 ふとその四人組の一人の女性と目が合う。その女性は俺を見るなり大きく目を見開いたと思うと、こちらをキッと睨みつけてきた。

 まぁこんなおじさんに見つめられていたら気持ち悪いか・・・。

 そう思い、俺はそそくさとその場を立ち去った。

 

「しかし可愛い子だったなぁ・・・そう言えば美咲ちゃんもあれくらいの歳になるのかぁ」


 




 仕事は充実し、趣味もあるから休日は暇せず、いい人達に恵まれている。結婚願望はなく、弟と優香さんが子を成せば、家系の血が途絶えることもない。

 まさに俺の人生は順風満帆。これ以上を望もうって言うのは贅沢というほかない。


 そんなことはわかっている。なのに・・・


 何かが足りないと・・・胸の奥の何かがそう叫んでいた。






 いつも通り何とか仕事を終わらせた俺は、浮かれた気分で会社を出る。なにせ明日は休日。今日は夜通し懐かしのアニメを見る予定だったからだ。

 帰りに酒とつまみになる様なものを買って、寝落ちするまでひたすらアニメを流し見する。最高の休日の使い方ではないだろうか。


「あの・・・」


 会社を出たとたん可愛らしい女性の声が聞こえる。まぁ俺に女性の知り合いは少ないので、俺に呼びかけているわけではないだろう。

 ああ。多分あそこにいる若いイケメンだな。ああいう若造は何の苦労もなく女性とお付き合いできるんだろうなぁ。

 

「あの!!」


 ああはいはい。お熱いねお二人さん。日本の少子化問題の解決に一役担ってなさい。おじさんは一人寂しく懐アニを見るからね。


「あなたです!!白井ナオトさん!!」

「はい?」


 キッとこちらをきつく睨みつける女性。短い黒髪に可愛らしい顔立ち。そのせいもあって睨まれているのに全然怖くない。

 というか・・・


「えっと・・・私に何か用ですか?」

「とぼける気ですか?」

「とぼけるも何も・・・初対め・・・ん・・・美咲ちゃん?」


 なんでだろう。見た目は全然変わってるのに、なぜかこの子を美咲ちゃんと断言している俺がいる。


「・・・ナオトさんの嘘つき!!」

「へ?」

「馬鹿!あほ!おたんこなす!!変態の痴漢の露出魔ーー!!」

「ちょいちょい!?!?美咲ちゃん!!」


 会社の前でそんなこと言われたらまずいでしょ!?


「と・・・とりあえず場所を変えようか!?」

「むぅーーー!!」 


 頬をパンパンに膨らませたまま、美咲ちゃんは静かに俺の後について来てくれた。





 場所は変わって俺の自宅。俺が自らの意思で連れ込んだのではない。美咲ちゃんが俺の自宅に連れてこないと、あることない事叫ぶと脅されたからだ。

 誰にそんなやり方を教わったのか・・・。

 対面に座りミルクティーを飲む美咲ちゃん。少し落ち着いたのか今は穏やかな顔をしている。


「で?なんで美咲ちゃんは会社の前に?」

「ナオトさんに会いたかったからです」

「はぁ・・・なんでわざわざこんな冴えないおじさんに会いに来るのかな・・・」


 手に持ったブラックコーヒーに自分の顔が映る。

 若いころに比べれば皺が増え、所々白髪も生えだした。何度見てもカッコいい顔ではない。毎朝剃っている髭もこの時間になれば少し伸びて気持ち悪くなってるし・・・。


 対して美咲ちゃんは少し垂れ下がった目じりに、鼻立ちもよく、幼い頃の違い、可愛らしいというより綺麗になりつつある。


 うむ。美少女と冴えないおじさん。並んで歩けば犯罪の匂いしかしないだろう。


「私、ナオトさんに言われた通り、青春しましたよ」


 唐突にそんなことを言う美咲ちゃん。


「友達もいっぱい作りました。部活にも力を入れて、聞いてくださいよ。私結構いい作品書くんですよ~文芸部で賞なんか貰ったりして


 合コン?なんかも誘われたりして、下校途中でカラオケに行ったりして・・・ちょっとだけ悪い事もしちゃいました。


 友達にお似合いだって言われてた男の事も付き合ってみたんです。彼は優しくって、顔もカッコよくって、デートでも毎回お金を出してくれたりして、とてもいい人でした」


 彼女の5年分の成果を黙って聞く。楽しそうな思い出を語る割には・・・その顔に笑顔はなかった。


「今の大学でお付き合いしている彼氏もいました・・・つい最近別れちゃいましたけどね・・・」


 ははは・・・と美咲ちゃんは力なく笑う。


「駄目なんです。何か足りないんです。友達と遊ぶのも、彼氏とデートするのも・・・楽しいはずなのに・・・なぜか虚しくて・・・」


 彼女の悲しそうな顔にはとても見覚えのある顔をしていて・・・。


「クロナ・・・」


 気づけばそう呟いていた。


「・・・ナオトさん。やっぱりだめなのかな・・・私とナオトさんは、絶対に結ばれない運命なのかな・・・私があと20年早く生まれていたら・・・もっと楽しく人生を送れたのかな・・・」


 運命だとか、俺がいないだけで幸せじゃないとか・・・何より彼女の悲しそうな顔を見て、体の中が何かが怒りに震えて、俺は彼女を睨みつける。


「ナ・・・オトさん・・・?」


「俺はただ、クロナに幸せになってほしいだけだ。前世で俺はクロナを幸せにできなかった。悲惨な目に合わせて、最悪な最期を迎えさせてしまった。俺みたいな貧困街出身の男なんかに引っかかったから・・・。だから駄目なんだよ・・・年の差なんて言い訳だ。俺じゃ君を幸せにできないんだよ!!」


「ちがうよ・・・それは違うよシロ・・・」


「何にも違わない。そもそも住む世界が違ったんだ。絢爛豪華な世界で生きる君と、地べたを這いずり回って生きる俺。天上に住む君を・・・俺が地べたに引きずり落としてしまった。あの時・・・それを俺がどれだけ後悔したか!!」 


 いつの間にか俺の後ろに回っていた美咲ちゃんにそっと抱きしめられる。


「私は幸せだったよシロ。シロと過ごした数年は私にとってかけがえのないもの。確かに私もシロも殺されちゃったけど・・・それでも私は言える。


私はシロと出逢えたから幸せな人生だった」


耳元で囁くように話す美咲ちゃんの言葉を聞いて・・・俺は何故か涙を流していた。


「は・・・ははは!なんてな!美咲ちゃんの設定に乗ってみただけでした〜!いい歳して何してんだろうね俺」


「やっぱり私だけじゃなかったんですね。ナオトさんもシロの記憶を引き継いでいる」

「さぁ〜てなんの事やら・・・」

「もう誤魔化さなくていいですよナオトさん。私嬉しいんです。


私は間違ってなかった」

「へ?」


美咲ちゃんは俺から離れると、再び対面に座る。


「今世ではきっと、あの場所では見られなかった幸せの続きを」

「美咲ちゃん?」

「それにねシロ?私はシロに地上に落とされたんじゃない。私がシロに向かって飛び込んで行ったの。だから・・・


もう遠慮しなくていいよね?ナオトさん」


そう言う彼女の妖艶な笑みは、さっきまで話していた黒川美咲ではなかった。

まるで夢によく出てきていたクロナそのもので・・・。


なぜだか分からないが、俺は・・・背中に冷や汗をかいていた。






その後いつの間にか家のスペアキーを手に入れた美咲ちゃんと、半同棲生活のようなものを送っている

家に帰ればいつものように「私にする?それとも私?そ・れ・と・も・・・わ・た・し?」とか頭の狂ったことを言っている。

ベットで眠むって朝を迎えると何故かお互い全裸で同じ布団に入っている。そして美咲ちゃんはこういうのだ。


「昨日は激しかったね」


記憶にございません!


普通なら不法侵入で警察沙汰だが、俺がそうしないのを美咲ちゃんは分かっているようだった。

そして徐々に外堀を埋められていく。ご近所さんにはご結婚おめでとうございます、とか言われるし、美咲ちゃんの両親が休日に突然訪問してくることもあった。


普通ならこの状況、どう思うのだろうか。嬉しいと思う人が大半だろうか、中には気持ち悪いとか、怖いと思う人もいるだろう。


しかし俺はこの状況を、懐かしい、と思ってしまっていた。

そう言えばシロがクロナに恋をして、クロナもシロを好きになって、いつの間にか街中であることないこと噂になってたな。


もちろん夢の中での話だ。前世なんてくだらない。そんなものは設定であって、そんなものはあるはずはない。


 だが不思議と、この生活も悪くはないと思ってしまうほどには・・・美咲ちゃんに絆されていたのだった。







 そんな生活が続いていたとある日の事だった。仕事から帰宅しても美咲ちゃんはいなかった。大学もすでに卒業し、就職することなく俺の家に住みだした。それから毎日帰ったら美咲ちゃんがいる日々だった。

 少し心配に思い、美咲ちゃんの実家に電話したが、どうやら実家にも帰ってきてないそうだ。


 どこかで遊んでるのか、もしくは何かバイトでも見つけて仕事してるのか。心配ではあるが彼女ももう大人であり、俺の元を離れて行ったとしても引き止めはしないつもりだった。


しかし・・・。


「美咲と連絡が取れないんです!携帯は電源が入ってないみたいで・・・それで最近ストーカー被害に悩んでるって聞いたことがあって・・・」


 美里さんに電話でそう言われて、俺は無意識に木刀片手に外へと駆けだしていた・・・。





〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



 私黒川美咲は前世の記憶を持っている。

 別に前世の人格をそのまま引き継いだというわけではない。自分の知らない世界の記憶が、断片的にある。

 自分が体験してないはずなのに、思い出として脳裏に焼き付いているという感じ。


 最初にその思い出がフラッシュバックしたのは、白井ナオトという成人男性に抱えられている、赤ちゃんの頃の写真を見た時だった。

 幼いながらに自分は、彼に会うために生まれてきたのでは?と思うくらいには衝撃的だった。


 思い出の中にいる私はクロナという名前で、冷徹で狡猾な女性だった。容姿は今の自分とほぼ一緒だった。

 伯爵という爵位の家に生まれ、小さなころから英才教育を受けて育った。自らと自らの家の利益となるならば何でもやっていた。

 死んだ目で為すべきことを成し、笑顔の裏にはいくつもの策謀を張り巡らせ、自らの容姿すらも利用する。

 家の存続と、定められた領地の平定。それだけが彼女の生きる意味だった。


 欲しいものを手に入れるために、彼女は手段を択ばなかった。あらゆる手を使って全てを手に入れてきた。


 そんな彼女に・・・自らの全てを捨ててでも欲しいものが出来たのだ。


 伯爵という爵位も、絢爛豪華な生活も、今まで培ってきた何もかもをすべて捨ててでも、一緒に居たい人が出来た。


 それがシロという名の青年だった。

 白井ナオトさんにそっくりの、髪色が真っ白な青年だ。


『名前は・・・シロって呼ばれてます。髪の毛が真っ白だからシロらしいです』


 そう言って照れ笑いする彼。それが最初に私が見た記憶。


 胸がキュッと締め付けられ、でもそれが嫌ではない様な、そんな不思議な感覚だった。

 それからは夢でその記憶を追体験したり、ふと何かを見た時にそれに類似した記憶を思い出したり。


 それでも私は黒川美咲であり、記憶の中にあるクロナ・アルフォンとは違う。・・・違うはずだ。


 私は白井ナオトさんに言われた通り、黒川美咲として生きる。

 よくわかんない記憶に惑わされず、いわゆる青春というやつを謳歌した。やりたいことを全力でやった。その結果私には友達がいっぱいできた。

 彼氏って言うのも出来たことがある。

 高校の頃の彼氏はサッカー部で、サッカーを頑張ってた。でも別にやりたいことに必死に取り組んでいるわけではなさそうだった。遊びの延長という感じ。イケメンで実家もお金持ち。だからだろうか・・・友達に言われるまま付き合ってみたものの、彼に魅力を感じなかった。彼の持っているものは、全て親から与えられているもので、彼自身には何もない。

 シロは親もなく、明らかに不利な環境から、血反吐を吐きながら這い上がっていた。彼の理想の為に・・・。

 

 大学でも彼氏を作ってみた。頭もいいし人当りもいい、将来はきっと大物になるであろう人物。大学のサークルでは日本文化保存会の会長をやっていた。人をまとめる能力も高く、話術もそれなりだ。

 しかし彼には熱がない。よく言えば冷静、悪く言えばどこか冷めている。そんな彼の言葉は、大人には届かない。自分より上の人間にはなにも届かない。体のいい言葉でいい風にとらえ、何かを成した気になってるだけ。うまく立ち回れても、きっと大きな事は出来ない。器が小さいというのだろうか。

 シロは身分関係なく色んな人を動かした。彼の熱に心を動かされたのだ。事実私もその一人だった。


 結局私はクロナの記憶に囚われたままだった。シロとクロナは異世界に生きた人間だ。この世界よりも命の価値が低く、すぐ隣には死神が居座っている。

 平和なこの世界で、自分の命を懸けてまで必死に生きる人なんて一握りだろう。


 しかしもう彼の生まれ変わりである白井ナオトには会えない。私は黒川美咲として、いろんなものを妥協し、現実を見るしかないのだろう。

 まぁ別に色恋に生きる必要はない。物語を書くというのも楽しかったし、小説家を目指すのもありだ。


 現実と向き合い、前世の記憶を捨てようとした時に・・・私はひどい夢を見た。


 それはクロナの最期の瞬間の記憶だ。



 炎で燃え盛る屋敷。剣戟の音がうるさく、とっくにただ生きてるだけの人形となったクロナ。手足はなく、衣服も何もつけてない。ただ子を産むだけのおもちゃと化した私を見て、彼彼女らは涙を流していた。


『す・・い・・・お・たちが・・・も・とはやく・・・』


 燃え盛る炎がうるさく、その声はほとんど聞き取れない。


『こ・・・は・・・も・・・おわる・・・だから・・・』


 しかしその言葉だけははっきりと聞き取れた。


『シロの元に送る。そこで幸せに生きて・・・』


 魔法使いの彼女の魔法・・・光が、クロナの体に突き刺さり・・・彼女はその生を終えた。




 私はクロナであり、黒川美咲である。自覚すれば楽だった。

 私はあの世界で出来なかった幸せ続きを、この世界でやりたい。それが私がこの世界で一番やりたい事だった。


 どうやって彼を見つけ出すか、そんな事を考えていた時の事だった。友達に頼まれたダブルデート中にあっさりと彼を見つけたのだった。

 それからは少し大変だった。なにせ私の持っているいろんなものを取捨選択しないといけないからだ。

 まるであの世界に生きた冷徹なクロナの様に、私は色んな関係を断ち切った。


 残ったのは数人の親友だけだった。私を取り巻いていた環境は一変した。大学では変な噂が流れ、私に近づく人間はいなくなっていった。

 彼の働く会社を見つけるのは簡単だった。親友の一人に彼の写真を一枚渡せば、一週間後にはその所在が明らかになったからだ。彼女は予想以上に有能だった。



 彼の家に入り浸り、大学を卒業してからは彼の家に住むようになった。


 もちろん両親の了承も得ている。外堀も埋めつつある。歳の差が20もあると流石に周りの目が大変だが、そのあたりはケアしてある。

 40歳差とかいう夫婦もいるのだし、その半分だと思えばたいしたことではない。



 今日も夕飯と明日のお弁当の食材を買いに近くのスーパーに来ていた。

 今家にある食材、そして今日安売りしている食材、夕飯にしつつなおかつ、明日のお弁当に入れやすいもの・・・などなどいろんなことを考える。これも慣れてくるととても楽しい事の一つだった。

 

 そんな楽しいひと時を最近邪魔してくる奴がいた。


 バレてないとでも思っているのか、いつも一定の距離を保ったまま私の後をつける男がいた。毎日自宅に帰る前に撒かないといけないので一苦労だ。

 警察に相談したところで、実害が出るまで何もしてくれないだろうし、自衛手段はちゃんと持っている。

 シロ・・・ナオトさんに相談するまでもなく、もし手を出して来たら返り討ちにして警察に引き渡せばいい。そんなふうに軽く思っていた。


 突如自分の前に黒塗りのワゴン車が止まり、そこから出てきた数名の男に掴まれる。

 スタンガンに催涙スプレー、習っていた合気道。それらを駆使しても、全てを撃退することには至らず・・・。



 

 気がつけば手足が縛られ、薄暗い部屋の中に転がされていた。


「目が覚めたかい?黒川美咲・・・いや、クロナ・アルフォン」


 前世の名を知られている?まぁ中学校の同級生は知っているかもしれないが・・・。この顔、それに・・・この気持ちの悪い笑みには見覚えがある。


「・・・あの世界とは違うのよ?こんな犯罪を犯して大丈夫なのかしらね?元公爵家のクズ野郎」

「いいね!さすがはいくら拷問しようが僕に靡かなかった女だ」


 縄はきつく縛られていてほどけない。体に身に着けていたものもすべて回収されているようだった。


「あなたまでこっちに来てるなんて、神様って言うのは残酷なのね」

「僕にとっては最高の神様だけどね!僕に復讐の機会を与えてくれたのだから!」


 窓からは月明かりが見える。私が攫われてたのがお昼過ぎ。今日は夕飯作れないないなぁ。


「私に復讐?私がするならわかるけど・・・。私がいなくなって騒ぎになってるはずだし、あなたも無事じゃすまないんじゃないの?」

「お前のせいで僕がどれだけひどい目に合ったか・・・この高貴な僕が、亜人風情に・・・」

「自業自得でしょ」

「それに!この世界にも下級民と上級民が存在する。僕の家くらいになれば人一人行方不明にするくらいたやすいものさ」

「結局前世と変わらず、親のすねをかじるしか能がないのね」

「ふーん・・・こんな状況なのに君はずいぶん冷静なんだね。今から前世と同じように、手足をばらして、有象無象に犯されるっていうのに・・・」

「騒いだってなにも変わらないのはわかるもの・・・それに・・・きっと彼が迎えに来てくれるから」

「ふふ・・・彼って言うのはあの冴えない中年の事か・・・はははははは!」

「相変わらず人を見る目が無いのね・・・所詮権力を翳すしか能のない凡夫ね」

「ふーん。じゃあこれでも強気な態度でいられるのかな?」


 男が手に持ったのは分厚いサバイバルナイフ。月明かりの光を受けて、ギラリと光る。


「はぁ・・・魔法もなく、亜人のいないこの世界で・・・」


 男は私に向かってナイフを――。


「シロに勝てる人間がいるわけないじゃない」


 ガシャーンッ!と窓が割れ、そこから一人の男が転がりこんでくる。


「クロナ!・・・はぁ・・・はぁ・・・大丈夫か!?」


 クルリと一回転すると、即座に構えるシロ。


「大丈夫。誘拐犯も今あなたの足元でのびてるわ」

「うぇ!?はぁ・・・体力が・・・なさすぎて・・・キツイ・・・はぁ・・・」

「なんの音だ!!・・・って坊ちゃま!!」

「増援かよ・・・はぁ~・・・ふぅ」


 息を整えて構えるシロ。あの世界でのシロは、魔力はほぼなく、身体にも恵まれていなかった。それでも彼が理想を成すために鍛えたのは・・・技であった。

 シロはただ人に好かれるだけで慕われたわけではない。1対1ならば誰も彼に勝てない。彼の技に魅せられて慕っている人もたくさんいたのだから。


 しかしシロの美しい剣技を見ることはなかった。


「警察だ!!誘拐罪で全員拘束する!」


 ドタドタと突如建物に踏み込んできた警察に、全員が拘束されていったからだ。


「なんでここに警察が!?お前らここを誰の家か知ってるんだろうな!?」

「たかが一個人なんかより、企業との繋がりを選ぶに決まってんだろ・・・」


 ぼそりとそう言いながら、私の拘束を解いていくシロ。

 

「お二人もこの後事情聴取をしたいので、ご同行願えますか?」



 


 

 


 シロは私を探すために会社のツテを頼ったらしい。会社のお偉いさんから警察関係者の連絡先を聞き、かなり無理を言ったらしい。防犯カメラから私の居場所を特定、シロは自転車で先行して突入してきたらしい。


「でも久々にシロの剣を見れなくて残念だったなぁ」

「いや・・・無理に決まってるだろ・・・あんなの出来たら会社員なんてやってないな」

「そうなの?」

「人格ごと転生したわけじゃない・・・一部記憶だけを引き継いでる感じか?まぁそもそも荒唐無稽な話ではあるけどな」

「そっか・・・」


 シロ・・・白井ナオトさんも完全な転生ではなかった。私と一緒だ。

 それでもこの気持ちは、彼を好きな気持ちだけはきっと持ってきたのだ。だから・・・。


「それでも迷惑な事に・・・クロナを好きだという気持ちは持ってきちまったんだろうなぁ・・・それが一番大事だとでもいうように」


 彼は何かを諦めたようにフッっと笑い、私の前で跪いた。


「クロナ・アルフォン・・・いや、黒川美咲さん。僕が君と共に人生を歩むことを許していただけますか?」


 これはあの世界での誓いの儀式だ。

 

「許します。私もあなたに寄り添い、共に歩み続けましょう」


 彼の差し出した右手に、そっと左手を置く。彼はその手を取り、私の左手の薬指にそっと唇を落とした。


「やっぱ恥ずかしいなこれ・・・」

「とっても素敵なプロポーズだと思うけど?」

「・・・そう思ってもらえるなら、あの世界で何度も練習した甲斐はあったのかもなぁ」


 彼は照れて顔を逸らし、私の手を取って歩き出す。


 私は涙がこぼれ落ちないように、空を見上げる。


 そこには都会だとは思えないほどに、星々が綺麗に輝いていた。

 


 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 後日譚


 俺こと白井ナオトは黒川美咲と結婚した。20歳差の結婚ともなるといろんな方面から揶揄われたが、それと同時にたくさん祝いの言葉もかけてもらった。

 夫婦となり、白井姓になったわけだが、二人きりの時はシロ、クロナと呼び合っている。何故かこっちの方がしっくりくる。

 最近はクロナだった頃に引っ張られているのか、たまに常識外れの事をしたりしている。専業主婦で時間が余って暇なのか、魔法の勉強をしたり研究をしたりとかだ。


 まぁ別に止めはしない。あの世界でクロナは魔法を当たり前に使えていた。だからその記憶を使って遊びたいと思うのは仕方ない事・・・なのか?


 ひとり身で順風満帆なはずだった俺の人生は、たった一人の赤子に出会ったことで波乱万丈になってしまった。

 それでも誘拐事件を終え、俺の平穏な生活がまた戻ってきた。クロナのおかげで少しだけ騒がしくはあるが、それも幸せな時間の一つだろう。


 だがたまに頭が痛くなることがある。今がその時である。


「ねぇシロ!ペット飼ってもいい?」

「ん?まぁうちのマンションはペット可だからいいけど・・・ちゃんと世話できるのか?」

「もちろん!何なら今もお世話してるし!」

「なんだ捨て猫か何かを拾ってくるって話か?まずは動物病院に行って、病気の有無とか感染症とかの~」

「呼んであるからもうすぐ来ると思うよ!」

「そうか~呼んだら来るとか賢いなぁ・・・嫌な予感しかしないが・・・」


 嫌な予感を感じた瞬間に、ピンポーンと部屋の呼び鈴が鳴る。

 

「来た!出てくるね!」

「お・・おう・・・」


 里親募集の動物を飼うって話だよな?ペットショップで買うより譲り受けるほうがお金もかからないし、良い事だとは思うが・・・。


 少し待っていると、クロナとともに現れたのは・・・


「えーっと・・・俺の目が腐ってないなら・・・三坂美冬さん?」

「え?ナオト君?どうして・・・」


 三坂さんがうちの工場に総務次長として赴任して来たのは知ってる。会話もしたし、結婚したことも報告した。だが一応俺も妻帯者と言う事で、プライベートで会うことはしなかった。


「美冬ちゃんと知り合いなの?じゃあ紹介はいらないね!」

「あぁ・・・で?ペットを飼うって話じゃ・・・おい・・・まさか・・・」

「美冬ちゃんをうちで飼います!!」

「・・・元いた汚部屋に返してきなさい」

「ええー!!この人生活力ないからほっといたら死んじゃう!!」

「何だかんだ一人でも生きてるから大丈夫だ。人になれてる動物ならまだしも、野生の動物は飼えません。戻してきなさい」

「やだやだ!!いいって言ったもん!!シロの嘘つき!!」

「この世界は奴隷制度なんてないの!!人をペットにするとかいう頭おかしい考えはヤメロ!!」

「美冬ちゃんには了承得てるもん!!」

「三坂さんもこいつの話を真に受けないでください・・・いったい何がどうなったらこんなことに・・・」

「いや・・・私生活のめんどくさい事を全部やってくれるならいいかなぁ~って・・・ナオト君がいるとは知らなかったけど・・・それも含めて別にいいかな?」


 そういえばあの世界でも、クロナは勝手に亜人奴隷を買っては俺に押し付けてた気がする・・・。

 三坂さんは三坂さんで仕事に特化しすぎてそれ以外がダメすぎる・・・。


「よくありません!一夫一妻制って知ってます?俺とクロナは夫婦。なのに他の女性を家に住ませるとかあり得ません!常識的に!」

「だからペットって言ってるじゃん!」

「三坂さん。あなたペット扱いでいいんですか!?人間の尊厳はどこいった!!」

「・・・飼ってにゃん?」

「可愛いいいい!!飼おうよシロー!」


「飼いません!!元居た所に帰して返してきなさーーーーーい!!」



 賑やかな日常は、まだまだ続きそうであった。








 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 おまけ(シロ亡き後の異世界)



「亡きシロの意志を継ぎ、彼の理想を叶える為に・・・戦を始める!!」

「うおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 声を上げた男は、かぶっていたフードを脱ぎ、その長く伸びた耳があらわになる。

 ここに集まるのは多種多様な人たち、人間至上主義のこの国で、シロに救われた人たちであった。


 彼の死後、組織は分裂した。弔い合戦を直ぐに行うべきだと言う好戦派と、ここまで積み重ねてきたものを壊すのは彼の意志に反するという慎重派。

 しかし一人のオーガの言葉ですぐにまとまることとなった。


 プランB。シロが語っていたもう一つの作戦。


『国に認められないなら・・・いっそ俺たちが国を乗っ取るという手もある。まぁ最後の手段だがな』


 酒場でそんな話をしていたシロを思い出したのだ。あの時は酒の席の冗談かと思っていたが、実際彼はその作戦も秘密裏に動かしていた。

 

 悪政をひく貴族は一族郎党暗殺し、仲間をそこに組み込んだ。善良な貴族には裏で交渉した。仲間の人数も少しづつ増えていき、とうとう実行に移す時が来たのだ。

 

 20年。慎重に慎重を重ねたこの計画。あとは王城と公爵家を潰すだけで終わる。

 王城の制圧はあっさりとしたものだった。私腹を肥やしまくった兵士など遅るるに足らず、オーガが一人で全てを蹂躙してしまったのだ。

 問題は公爵家の方であった。


 たまりにたまった鬱憤を全て晴らす様に、公爵家に存在するすべての生物を殺しつくした。特にその次男の処遇はひどいものだった。

 切り刻まれ、回復され、体の端から削られ、回復され、潰され、回復され、焼かれ、回復され・・・・。

 最後は海水に首だけの状態で漬けられ、1か月ほど生かされながら、その苦痛に塗れる姿を広場に晒されていた。


 それでも鬱憤が晴れなかったのか、公爵家があった場所は、革命の日から数年経った今でも、草一本生えない真っ黒な焦土のまま残されていた。


 でっぷり太ったこの国の王の首を刎ね、翌日に王城は新体制によって動いていた。何の混乱もなく、人間至上主義のこの国は亜人たちと人間が共生する混成国家へと姿を変えたのだった。


 新たに王座に座った王の名はシロ。そして后のクロナ。

 誰もが名前を知ってはいるが、姿を見たことのない王。曰くこの国は神が王様をしているらしい、そういう噂が後を絶えなかった。



 そして彼が目指していた冒険者ギルド。その長には彼と一番親交が深かったオーガが務めていた。


『国に認められたら・・・冒険者ギルドの長にはお前がなれよ』

『はぁ?長となると賢くないとダメだろうが!俺はそういう細かい事は苦手なんだよ!無理だ』

『お前は何も考えず、前線で暴れてりゃいいんだよ。その背中を見たやつがお前に憧れ、お前の為に何かできないかと考える。そういう組織は強い。俺は人間だからな・・・きっと理想を叶える頃には寿命を迎える・・・だから後は任せたぞ!』


「任されたんじゃ仕方ねぇな」


 そう呟くと、彼は大きな大剣を背負って歩き出す。


「ギルド長!!間もなく地竜の群れと会敵します!!」

「おう!!行くぞぉぉ!!今日は竜肉で宴だ!!誰も死ぬんじゃねぇぞ!!」


 誰もが彼に夢を見た。それはあまりにも実現不可能で、到底たどり着けないと思われていた理想だった。

 だが・・・今彼の夢はその遺志を継ぐ者たちによって叶えられ・・・その理想の道を歩み始めたのだった。



お読みいただき有難うございました。少しでもお楽しみいただけたのなら幸いです。

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