9.最推しの影響
セドリックと噂になってしまってから、私の周りは少しだけ変わった。
アリアのおかげで教室内は変わらずに済んだが、学園の他の場所ではちらちらこちらを見て何かヒソヒソしている貴族令嬢がちらほらいた。それも低位の貴族に多い。
逆に高位貴族、特に騎士科の令息は少しギクシャクして、こちらをあえて見ないようにしている不自然さがあった。
「ねぇ、今日はシェリルも騎士科の訓練場に行かない?」
昼休み、私を一人にしたら危ないと思ったのか、アリアが誘ってくれた。
「う~ん。今騎士科に行くのも何か怖いんだよね」
「ああ。じゃ、このまま私もここにいよっかな」
アリアは笑って、ベンチに座りなおした。
「いいよ。アリアは行ってきなよ。アルベルト様も待ってるんでしょ?それに、何かされるとは限らないし。庶民だもの、そんなにしがらみもないわ」
私はアリアの優しさに嬉しくなりつつ、何でもないことのように笑った。
「シェリル……」
「ほら、アルベルト様に今日行かないって言ってないんでしょ?心配されちゃうわ。もし何かあったら報告するし、その後から一緒にいて?」
「分かった。ありがとう」
「ううん。こっちこそ、ありがとう。もう少ししたら、図書館でも行くわ。そこなら騒ぎを起こすことなんて出来ないだろうから」
「そうね。そこで大声で叫んじゃうのは、庶民だけだもんね」
「もうっ!」
図書館で居酒屋の店員よろしく声を張り上げた私をからかってから、アリアは騎士科に向かった。
アリアを見送って、そろそろ席を立とうとした時だった。
「ちょっと、そこのあなた!」
見知らぬ令嬢3人に囲まれてしまった。
「ええっ……。はい、何でしょうか」
「何でしょうじゃないわよっ!あなた、庶民の分際でオーブリー様に取り入ってなんのつもりっ!?」
「噂だと、オーブリー様だけでなく、ラヴァン様にまで取り入ろうとしているみたいじゃないっ!分をわきまえなさいよっ!」
はあ、面倒くさい。中庭で大声を張り上げるなんて、おそらく高位貴族の令嬢じゃないわね。淑女科の優秀な生徒なら、絶対こんなことしないもの。
どういうつもりも何も、生涯にわたってただ最推しを拝み倒したい人畜無害なヲタですよ……なんて言っても通用しないか。
どう返答しようか迷っていると、益々令嬢たちはヒートアップする。
「黙ってないで、何とか言いなさいよ!」
「そうよ、そうよ。これ以上ふざけた態度でいたら、あなたの商会との取引も考えさせてもらうわよ」
リント商会との取引?
「大変失礼ですが、どちらのお家の方でいらっしゃいますか?」
「まあ、本当に失礼ねっ。いいわ、教えてあげる。ボイヌール子爵家よ」
ボイヌール子爵家。確かにうちと取引がある美食家の一人だ。普通の食品以外にも、珍しく手に入った食材をよく買い上げていくから記憶に残っている。
それにしても、そんな美食家の父親がうちとの取引を止めるだろうか。うちでしか手に入らない食材もかなりあるのに。
そう思うと前世の社会人経験から、世間知らずのお嬢様を少しからかってやりたくなる悪癖がうずうずしてきた。
「そうですか。それは残念です。このことは既にボイヌール子爵もご存じですか?もしそうなら、早急に父に連絡を取り現在取り寄せている食材の停止を知らせねばなりません。既に発注はかけていて人件費も発生しているので、キャンセル料は元々の金額の50パーセントは頂かないと」
ボイヌール子爵から、東方の食材の依頼があったのは本当のことだ。ついでに自分の分も取り寄せたから覚えている。
「はっ?人件費?50パーセント?」
商学科の生徒でないと馴染みの無い単語に戸惑うボイヌール子爵令嬢……って言いにくいな。もうボイちゃんでいいか。
「ええ、では、私は早速父に連絡を取らねばなりませんのでこれで」
多分ボイちゃんの単なる思い付きで、子爵にそんなつもりは無いんだろうけど、私はここを離れる口実にして席を立とうとした。
「ちょっ、ちょっと待ちなさいよっ!」
茫然としているボイちゃんの代わりに、別の令嬢が難癖を付けようと話し出す。
3対1は分が悪いな。次はどうやって黙らせようか。
「アンリエッタ!何してるんだっ」
「ライリー様っ!」
突如息を切らせた貴族令息が、ボイちゃんの代わりに喋り出した令嬢の肩を掴んだ。
「すまなかったな、シェリル嬢。さあ、早くここを離れるんだ、そこの二人も!」
ボイちゃんともう一人は困惑して顔を見合わせている。
何だろう、ここが危険地帯のような焦りようは。
何?やっぱり私、珍獣なの?
「ライリー様、こんな庶民に謝る必要なんて……」
「黙れっ!いいから来いっ」
ライリーの剣幕に、アンリエッタは少し怯えている。
「ふふっ、どうしたんですか?そんなに慌てて」
微笑みを湛えたセドリックが穏やかな口調で現れた。
「ひっ!」
明らかにライリーが怯えだした。
セドリックの傍らには、呆れ顔のルカリオがいた。
「はぁ、ライリー……君ってやつは」
「申し訳ございませんでしたっ!ラヴァン様!オーブリー様!」
「きゃっ!」
ライリーはアンリエッタの頭を押さえつけて、共に頭を下げさせた。
家族じゃなさそうな女の子にその扱いはどうなんだろうか。
「婚約者の管理くらい、きちんとしましょうね」
相変わらずセドリックは笑顔のまま。でも、ライリーの顔色はどんどん悪くなる。
「ライリー、放課後第七会議室へ。今はもう、行け!」
「かしこまりました」
鋭いルカリオの声にライリーは再び一礼すると、ボイちゃん他1名に目配せした上で婚約者を引き摺るようにして足早に去って行った。
「シェリル、大丈夫でしたか?お騒がせしてすみませんでした」
セドリックが心配そうに声を掛けてくれる。
少々面倒くさい思いはしたが、別にセドリックのせいでは……と思いつつセドリックが私に声を掛けたからこうなったわけで、やっぱりセドリックのせい?
いやいや、最推しを責めるなんてヲタ失格。最推しは正義!
「いいえ、そんな。大丈夫です。助けて下さってありがとうございました。どうやってあの囲みから抜けるか、手を焼いていましたので」
一瞬二人はぽかんとした顔をして、すぐに笑った。
「ふふっ、はははっ。さすがです。きちんと、あの場を切り抜ける算段をつけようとしていたのですね」
「ははっ、強いな、シェリルは」
そう言って、普段あまり笑わないルカリオすら笑い出す。
はぁ、最推し二人の笑顔ショット!控えめに言って最高です!!
っていうか、ルカリオを笑わせた珍獣としてまた噂になるのでは?
「ええ、ボイヌール子爵令嬢を黙らせたのは最高でした」
「みっ、見てたんですかっ!」
「すみません。その段階で介入しようとも思ったのですが、つい」
「つい?」
「セディ、素が出てる」
「これまた失礼。あなたは他の令嬢とは違うようなので……勿論いい意味でですよ。だから、どうやって切り抜けるか、少し好奇心の方が勝ってしまいまして」
ほら、やっぱり珍獣扱い。まっ、最推しに認識されてるだけでいっかと思ってしまう私のチョロさよ。
「ねぇ、もしまた同じようなことがあったら俺たちに相談して。大体のことは解決出来ると思う」
「ええ。何と言っても、未来の騎士ですからね。女生徒一人守れないようでは、務まりません」
言いながら、セドリックはそっと慰めるように私の頭を撫で、その手が頬でとまる。
柔らかな眼差しが私を捕らえ、私もセドリックから目を離せなくなってしまう。
きっとまた顔が真っ赤だ。本当に最高の推し!普通なら、ここで盲目的な恋に堕ちるのだろう。
でも、私はセドリックとヒロインの両想いスチルを思い出して自分を律した。
「ありがとうございます。心強いですっ!」
元気な声を出し、そろそろ教室に戻ろうと荷物を手繰り寄せる。
このままここに居たら、きっと引き返せなくなる。
「ああ、そうだ。新作、楽しみにしていますね」
急に距離を取った私を咎めることなく、セドリックが優しく声を掛けてくれた。
「はい。近い内にまた。その時は是非よろしくお願いします」
本当は新作の案なんて全く無かったが、立ち去りたい一心で告げた。
「もちろんです」
「では、私もう教室に戻ります。失礼します」
二人に一礼をして一目散に校舎を目指した。
「ふう、やはり一筋縄ではいきませんね」
そんなセドリックの声は、私には届かなかった。
その後教室に戻って来たアリアに先ほどの騒動を知られて謝り倒されたり、でも件のお二人に助けて頂いたことを伝えると、何とも複雑な顔をされてしまった。
翌日から1週間、騎士科と淑女科で停学者と退学者が出たらしいが商学科の私達は知る由も無かった。
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