02、魔王代理の仕事始め
川沿いの道を走り丘を駆け上がり、二人は町を見下ろせる高台へ来た。すぐそこに小学校の屋根と体育館が見える。
「このへん一帯にうちの学校の奴らが住んでるんだ。いくよ」
と笛を構える。
「くっくっくっ。やってしまえやってしまえ」
いざ術をかけるとなると、自分でやるにせよ美紗がやるにせよ、こんな楽しいことはない。人々の困った顔を思い浮かべると笑いが込み上げる。
美紗は銀の魔笛に息を吹き込んだ。
ピュロロロロとこうもりが鳴いて、小さな竜巻が生まれた。ぐるんぐるんと回って次第に大きく速くなる。泥酔した人みたいに、あちらこちらの木にぶつかって向きを変え美紗と魔王に突進した。
「うわあ!」
美紗は慌てて頭の上の魔王を支えてやる。
「くっくっ。愚か者め。お前の大切なものも、私の城へ吹き飛ばされるぞ」
美紗は両手をまじまじと見て、それからあたりを見回した。夏の林に蝉の声がこだましている。ここは魔王の城じゃない。
「吹き飛ばされてないよ?」
きょとんとした目で見上げる美紗と、不思議そうに見下ろす魔王の目があった。
竜巻は丘を下って町を吹き荒れている。だんだん大きく黒くなってゆく。黒く見えるのは、みんなの大切なものを巻き込んで吹き荒れているせいだろう。
しばらくすると竜巻は空高く舞い上がり、それから一直線に落下して姿を消した。
「竜巻が仕事を終えたようだ。私たちも城へ向かおう。袋の中に黒い羽が入っていたろう」
「これ?」
と、まだ乾ききらない羽を頭上の魔王に見せた。小さな魔王が大きな羽を手に乗せ、ふっと吹くと、羽が空へと舞い上がった。宙回転したと思ったら、大きな烏が姿を現した。くちばしの上に大きな一つ目を持った烏は濡れた羽を震わせて、ギャアと一声恐ろしげに鳴いた。
「おい黒飛、私を城まで連れてゆくのだ。この小娘も一緒に乗せてやれ」
魔王の声を聞いた途端、一つ目の大烏はおとなしく地上に降りてきた。魔王を頭に乗せて、美紗は烏にまたがる。
「よし行け」
魔王が命ずると烏は空へと舞い上がった。風に乗り、ゆるやかに上昇する。汗ばんだ額に風が気持ちよい。
「町が見える!」
足下の町は、見慣れぬ騒動に包まれているようだ。竜巻に荒らされて庭から根こそぎ持ってゆかれた木もあれば、車のなぎ倒された駐車場もある。
「きゃはは、みんなあたしのお怒りに触れたんだ!」
歓声をあげる美紗に、
「魔王の役は楽しいだろう」
「うん、とっても! これが仕事なの?」
「そうさ。毎日気ままに悪さをするのだ。私を諫められる者などいない。誰に縛られることもない。天使どもさえいなければ、すべての者が私の臣下だ」
「最高じゃん!」
「そのとおり!」
上空で烏の黒飛は翼を止めた。
「急降下するぞ」
耳元で魔王がささやく。一呼吸置いて、黒飛はほぼ垂直に地上を目指した。ぐんぐんと近付くのは、川――いや、車の通る大きな橋だ。その橋桁の影に黒飛のくちばしは吸い込まれてゆく。
「ぶつかる」
美紗がぎゅっと目を閉じたとき、ふと風の匂いが切り替わった。湿った風が、なめるように頬を冷やす。恐る恐る目を開けると、頭上には紫の雲が低く立ちこめ、下には石の町が広がっている。大小様々な四角い家には、煮すぎた豆腐みたいにぽつぽつと小さな窓があき、寄り集まって坂の多い町を形成していた。
「私の国だ」
頭の上から、満足そうな声が聞こえる。
「そしてあれが、私の城だ」
灰色の町の向こうに不気味な古城がそびえていた。黒い壁に蔦が絡まり、ひねくれ曲がった塔が天を指している。烏の黒飛はその城を目指した。
近付くと、城にかかった灰色の雲が黒飛のための到着台だと知れた。出迎えの妖怪たちがずらりと並び、
「お帰りなさいませ、魔王様」
と頭を下げた。
「おもてをあげぃ」
居並ぶ妖怪たちは顔をあげ、みな同時に固まった。一つ目や四つ目や、様々な視線がいっせいに美紗へ集中する。
「よう」
と片手をあげる美紗。
「今日一日あたしが魔王様さ。もと魔王はこっち」
と、頭の上を指さす。
「よくぞ無事に御生還なさいました。お喜び申し上げます」
と、大きなトカゲが進み出た。宴の最中いじわる天使に小さくされ連れ去られてしまったのだから、探しに行った家来もいるだろうし、城を守っていた者たちも気を揉んでいただろう。だが魔王は腕組みして皮肉な笑みを浮かべている。
「もうだめかと思っていたな?」
「いえ、まさかそのような。我らが魔王様が、よもや天使なぞに――」
と、なんだかしどろもどろなトカゲさん。
「くははは。私が戻ってきて嬉しいか」
「ははっ、勿論でござります」
「私がいない間は、さぞ羽が伸ばせたろう」
「とんでもござりませぬ」
「では一日ぶりに、仕事を言いつけられたいか」
「ははっ」
魔王は牙を見せて、にたぁっと笑った。
「なに手下いじめてんの?」
小声で非難する美紗を無視して、
「では日が暮れるまでに、屋敷内すべての食人花に餌をやるのだ」
「はっ……」
と額を雲にこすりつける。
「偉大な私の言いつけを守れぬときは、またお前の尻尾を奴らの餌にしてしまうからな」
トカゲはもう、何も言わなかった。
「黒飛、私の部屋までひとっ飛びだ!」
かけ声ひとつ、美紗の髪を手綱がわりに引っ張る。
「痛いよ!」
美紗はぺしっと魔王をはたいた。
舞い上がった黒飛にトカゲは慌てて、
「魔王様、中からゆかれないのですか? せっかく黒いじゅうたん敷きつめたのに」
黒飛は城の最上階を目指す。
「あのトカゲはな」
と魔王が話しかける。
「まったくむしゃくしゃさせるやつだ。本心では私などさっさと天使に殺されればいいと思っているのさ。そのくせいつも頭ばかり下げやがって」
「それで、中から行かないの?」
「中には頭ばかり下げるやつがもっとたくさんいるんだぞ。息が詰まる」
黒飛はあいている窓からすべり込んだ。
「うわおう」
「なんだこれは!」
二人は同時に悲鳴をあげた。黒飛など驚きのあまり、もとの羽に戻ってしまったほどだ。
様々なものが氾濫している。古いレコード、アルバム、宝石箱、楽器、トロフィー、積み重なる向こうから、犬の鳴き声も聞こえる。
グランドピアノの下から、河童が這い出した。
「魔王様ぁ、『銀の魔笛』を使いましたねぇ?」
「使ったが?」
「お城からあふれてしまいますよぉ」
そっか、と美紗は手をたたいた。
「ここにあるもの全部、誰かの一番大切なものなんだ」
「こうして見るとがらくた同然だな」
魔王はふんと鼻を鳴らす。ここに至って、とぼけた河童も黒飛から下りてきたのが魔王ではないと気付いた様子。だが魔王の声は聞こえるのだから、目を白黒させている。
「きさま、何者?」
美紗を指さす河童に、頭の上から魔王が答えた。
「この者は、天使との戦いにおいて手を貸してくれた者だ」
「え、そうじゃなくって」
言いかけた美紗の髪を、魔王が引っ張った。痛いってば、と叫ぼうとして、美紗は気が付いた。木の枝にひっかかってたところを助けられたなんて、この人言えるわけないのか。
魔王は何くわぬ顔で河童を指さし、
「おい河太郎。ここにあるものすべて、ほかの部屋へ持って行け」
河童は悲鳴をあげたが、魔王の金色の目ににらまれて慌てて軽そうなものから運び出す。
「美紗、町の奴らの困っている顔が見たくはないか?」
「見たい見たい!」
美紗は飛び上がって歓声をあげた。
「それがおもしろいんだもん!」
第二話、お読みいただきありがとうございます。
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