とある駅にて~終電後の体験談~
今から語るのは十数年前に私の身に起きた話です。
あれは社会人になって数年程たったある夏の日でした。携わっていた仕事が一区切りついたので、久しぶりに同僚たちと飲みに行くことになったのです。
当時の私はまだ若く、自分の限界など知らずに飲み続けた結果、その日は完全に酔っ払ってしまいました。
仲間たちからはタクシーで帰った方が良いと言われたのですが、何とか最終電車の時間には間に合いそうなのと、手持ちの現金が微妙だったので電車で帰ることを選択しました。
一人で最終電車に乗り込んだ私は空いていた座席に座るとそのまま一眠りしました。
元々最終電車の終点は普段私が乗り降りしている駅の一つ手前の駅までしか行かないので、寝過ごしてしまう心配がなかったからです。
そのまま電車は何事もなく無事に終点の駅に到着しました。郊外へと向かう別の電鉄会社の乗り換え駅でもあるので、周囲の人たちは足早に降車していきます。
私は電車から降りて改札に向かおうと思ったのですが、どうにも気分がすぐれなかった為、視界に映った駅の待合室へと足を運びました。
待合室は無人で向かい合う様に並んでいる椅子の上に私は倒れ込む様に寝転がりました。
やがて駅の灯りが消え、私はそのまま意識を失う様に眠ってしまったのです。
『――ソコ……イル、ンダ?』
どれくらいの時間が経ったのか? 誰かの声が聞こえた気がして私は目を覚ましました。
意識を取り戻すと、駅の待合室やプラットホームは完全に暗闇の中。かろうじて周辺にある自動車の道路を照らす電灯の光が届いているという、その程度の光源しかありません。
半分寝ぼけた状態でいる私に、誰かが語りかけてきたのです。薄暗くて相手の顔が、よく見えなかったのですが、独特のシルエットから駅員であることが理解できました。
『……キコ、エテ、ルン……ヨネ?』
その時の私は酔いの為か、まるで頭が誰かにガンガンと叩かれているような感じで、駅員の問いかけが途切れ途切れに聞こえていました。
私は「大丈夫です」と答えると、ゆっくりと立ち上がったのです。
こんな場所で酔っ払って寝てしまうとは何たる不覚。
その時の私はそんな事を思っており、恥ずかしさで一杯になっていて状況が良く分かっていませんでした。
ですのでその時の駅員の言葉もほとんど覚えていません。
『……(ザッ)…………オリ、マス。エキ……モナ、イノ……ッ、シタ、……ョ、ダカラ、ヨ』
駅員は私に向かって何かを告げると、おもむろに動き始めました。カラカラと音を立てて待合室の扉が開き、駅員はプラットホームに出たのです。
私はすぐにその後を追いかけました。
駅員はプラットホームから階段を降りると改札口まで案内してくれました。
まだ酒の残っていた私は駅員に促されるままに改札を抜けたのです。
『……スグ、ソコ、マデ……イケ……(ザッ)…………マス……ヨォ…………(ザザッ)』
目の前に広がっていたのは、非常灯の灯り以外は消えた、静まり返った駅ビルのフロアでした。
普段は人でごった返して賑やかなその場所は、誰もいないだけで別世界みたいに思えます。
私は駅員の言った通りに左へと舵を切りました。
少し身体を動かすと空気の振動の所為なのか、既に閉店したフロア内のお店のシャッターが音を鳴らしたのです。
カシャーン、カシャーンと徐々に音が遠ざかり静かになっていく雰囲気を不気味に感じた私は足早に歩きだしました。
駅員の指示通りに左へ向かうと、通路の突き当りに人影が見えます。少しずつ近づいていくとそれはまたしても駅員のシルエットをしていました。
明かりの届かない場所に静かにひっそりと立っていたのです。
私はその駅員の方へと歩いて行きました。
すると向こうから声をかけてきたのです。
『……アト、モウ…………スコ、シダ……カラ、ネ』
駅員は私に何事かを呟き奥の通路へと指を向けました。まだ意識のハッキリと戻っていない私は指示に従って、言われるままに駅員の示した方向へと進んだのです。
今思い返せば、その時の私は本当にどうかしてたとしか言えません。
何も考えずに黙って駅員の指示通りに動いてしまっていたのですから。
確かに私はその時に見ていたのです、もう既に時計の指し示す時刻が午前二時を回っていたのを。
それなのに何一つ疑問に思わなかった。
午前二時を過ぎた時刻になっても制服を着た複数の駅員が当たり前の様に業務している。さらに言うならば、どちらの駅員の顔も私には全く見えなかったという事に何の疑いも持たなかったのです。
それは無意識のうちに認識しなかった、という事なのかもしれません。
ひょっとすると本能的に理解する事を拒否したのかも……
…………話を続けましょう。
私は一人で駅ビルの出口を目指しました。
これまでにも何度か通った事のある通路なので、何も問題ありません。
見覚えのある通路を奥に向かって進んでいきました。やがて通路の一番奥の突き当たりが見えてきたのです。
突き当たりを左に曲がると階段があり、そこを上がれば歩道に出られます。外に出れば自宅までは歩いて二十分ほどの距離。私は安堵の溜息をもらしました。
酔っていて多少は気が大きくなっていた部分もありましたが、暗い場所で一人だけだと不安がじわじわと膨れ上がってきてもいたのです。
歩く速度を上げて通路の突き当たり、左側を向いた私はそこで信じられない光景を見ました。
外へと続く階段の前に分厚い大きな扉があり、閂によって封をされ、さらには頑丈なU字の鍵がかけられていたのです。
一瞬にして、目の前が真っ暗になりました。
もうこの時点で酔いと眠気はどこかへ飛んでいき、同時に膨れ上がった不安と恐怖が私の心の中を占めていたのです。
私は慌てて来た道を戻ろうと思い振り返りました。
すると……
…………私の背後には暗闇の世界が広がっていたのです。
それは完全な漆黒でした。
ここまで歩いてきた通路が完全にその闇によって黒く覆いつくされていたのです。
不意に訪れた暗闇。
当時の私は本当に自分の頭が狂い壊れてしまったのかと錯覚するほどの恐怖を感じました。
あまりの出来事に仰天し動くことができなくなった私はその場に立ち尽くすしか出来なかったのです。
それからどれくらい、その場にいたのか、もはや時間の感覚すらおかしくなっていた時でした。
突然背後から、重い扉が開いた時の様な音が聞こえてきたのです。
初めはすぐ傍にある出入り口の扉が開いたのかと思いました。
でも違った。
閂も、U字の鍵も内側からかけられているのです。
私以外に誰もいないこの場所で扉が開くことは絶対にありません。
そもそも音の聞こえた場所が違ったのです。
だって、その音は、私の背後にある壁の方から鳴っているのですから。
物凄く重そうな扉がゆっくりと開いていく時の……まるでそんな雰囲気のする重厚な音が背後から私の耳に届いているのです。
ギィィーっと、いう音と共に、私の身体を風が通り抜けていく感覚がありました。
完全に止まっていた空気の流れが、その扉が開いた事により動き始めたのだと私は理解したのです。
恐らく外に通じているであろう扉が自分の背後にある――そう思いました。
するといつの間にか私は背中側から漏れ出てきた赤い光に照らされていたのです。
だけど私はすぐに振り向く事ができなかった。
何故なら、開いた扉の向こうには何者かの気配があったから……
『…………ネェ、コッ、チカ、ラァ、イク、ヨォ?』
いつの間にか扉が開く音は止み、私は何かが背後に少しずつ近づいてくるのを感じ取りました。
同時に私は何かとても嫌な臭いを感じとっていました。
『……イッ、ショ、ニィ、コォ、ゥヨォ……(ザザッ)……』
気が付けば私はそのまま眼前の闇に向かって走り出していたのです。
ひたすら真っ直ぐに、愚直に直進し続けました。
『……(ザザッ)……キミ、モォ……ネェ…………オイ、デェ……ネェ?』
どこまで走っても暗い闇の中。
だけどその中を私は無我夢中になって走り続けます。
『…………ミン、ナマッ、テル……カラ、サァ……? (ザーッ)……』
だけど、どれだけ、どれだけ、どれだけっ! 逃げても、駆けても、進んでも、走ってもっ――
アイツは後ろにいるっ! ずっと、ずっと、ずっとっ!!
消えない、いなくならない、諦めない、ついてこないでくれぇー!
……自分の身体が暗い闇に溶けていく感覚、何がどうなっているのか、おかしいのは自分か、世界か、両方なのか?
何かがひび割れる音が、聞こえました。
視界には真っ黒に染まった自分に真っ赤な罅が入り、亀裂が広がっていく姿が映っています。
黒い身体から、ひび割れた破片がボロボロと崩れ落ちて、自分が自分でなくなってしまう感覚が襲い掛かってきました。
もう正気を保っていられなくなった私は、泣き叫びながら逃げ惑うだけだったのです。
……正直、私はそこから先の記憶がありません。
私が次に意識を取り戻した時、倒れていた場所は駅の待合室の中だったのです。
それ以降、私はその駅で乗り降りする事を止めました。
会社に部署変更を申し出て受理され、しばらくしてその沿線を利用する事すらなくなったのです。
実は今語った出来事から十数年が経ち、再びの異動であの駅を利用する事になりました。
私はあの日の出来事は夢だと思いこもうと努めてきました。
この十数年の間、何事もなかったんです。
だからもう大丈夫だと思い、勇気を振り絞ってあの駅に降り立ちました。
時間の経過により改修された駅は随分立派になっていました。
駅ビルの中の店舗も色々と改装されており、とても綺麗になっていて驚いたものです。
私は一応、あの場所にも行ってみました。
本当に、浅はかでした。
私がアイツを覚えていたように、アイツもまた私の事を忘れていなかったのです。
現在、アイツは私の背後にいます。
あの時、背後から現れた当時のあの最悪に不気味な雰囲気を纏ったまま。
私に何かあった時の為に、当時の体験をこのボイスレコーダーに残しておきます。
コイツは決して諦めない。
これを聞いた貴方。
もしも貴方がコイツと出会ったなら……いや無事に逃げ切れたのならば、もう二度と決して同じ場所に行ってはいけない。
『……サァ、ツイ、タァ……(ザザッ)……』
多分もう、私は助からないだろう。
どうか貴方は無事で。
ザザッ……ザァッ……ザァーー…………プツンッ。
◇◇◇◇◇◇
「以上が、現場に残されていたスマートフォンの中に残されていたメッセージです」
「質の悪い悪戯だろ?」
「ですが、実際に持ち主は行方不明になっています」
「何を言ってんだ! そうじゃなくて、所々、しょうもない声が入っていて、人を脅かそうという悪意が透けて見えてるじゃないか!」
「えっ? しょうもない声?」
「そうだよ、本人以外の声が入ってるだろ!」
「えーっと、すいません。先輩の方こそ、脅かすのやめてもらえます? 本人の語り以外に何か聞こえたんですか?」
「はあ? そっちに行くだの、こっちに来いだの、それとさっきから誰だ! 俺の後ろにいるのは!? ふざけんじゃねえ!」
「いいえ、誰もいませんよ?」
「誰もいない、だと……?」
『……チャ、ント、イル、ヨォ……イッ、ショ、ニイ、コォ……ネッ?』
思いついたネタを全てぶち込んでみました。
実は意味が分かると怖い話の要素もあります。