第25話 公爵家の呪い
異変に気付いたのはいつの事だったろう。
ジークヴァルトは応接用のソファに腰かけているリーゼロッテを、執務机の椅子からちらりと見やった。リーゼロッテは瞳を閉じて、テーブルの上の小さな異形に手をかざしている。
少し離れた隣の机では、書類を広げ領地の仕事をしているマテアスがいた。手を止めるとマテアスが無言のプレッシャーを飛ばしてくるので、ジークヴァルトは仕事の手は緩めないままだった。
リーゼロッテは相変わらずだ。溢れんばかりの力をその小さな身に纏い、そのくせ全くというほど力が扱えないでいる。
漏れだしている力に惹かれて、異形の者が後から後から寄ってくるため目が離せない。リーゼロッテがひとりで廊下を歩こうものなら、気づけばぞろぞろと異形を引き連れている始末だ。
もちろんリーゼロッテに異形を近づけさせなどしない。そのための守り石を、今まで通り肌身離さず持たせてあった。
本当ならばそばでずっと見張っていたいくらいだ。しかし、王城での騎士業務と領地の仕事を両立する日々は、ことのほか慌ただしい。
週のうち何日かは王城へ出仕しなけらばならない。それが煩わしく感じる今日この頃だが、ハインリヒの警護を放り出すわけにもいかないので、言っていても仕方がない。そうは思うが、やはり屋敷を離れるのは戸惑われてしまう。
彼女はなぜこんなにも異形の者に好かれるのだろう?
近づけまいとすればするほど、リーゼロッテの周りには異形が集まってくる。
あれだけ注意を払っていたのに、カークやジョンをはじめ、リーゼロッテに懐いてしまった異形がわんさかいる。公爵領に来てから、まだ半月経つか経たないかくらいだというのにだ。
リーゼロッテはフーゲンベルクを継ぐ者の託宣の相手として選ばれた。そのことだけで異形に狙われる理由には事足りる。
だが彼女は狙われているというより明らかに異形たちに慕われていた。
彼女は一体何者なのか。
――自分の心をこんなにもかき乱す……
「旦那様、お手が止まっておいでですよ」
マテアスの冷ややかな声で我に返る。ジークヴァルトはいつの間にかその手を止めて、リーゼロッテを食いいるように見つめていた。
眉間にしわを寄せてから、ジークヴァルトは手元の書類に目線を戻した。しかし、意識が集中できずに、視線が同じ文章を行ったり来たりを繰り返す。
「はぁ、仕方ありませんね。お疲れのご様子ですから休憩にいたしましょうか」
マテアスがため息とともに立ち上がり、紅茶を淹れに執務室を後にした。最近の主の行動を鑑みて、部屋の扉は開けたままにする。
ドアを全開にしたのは、行きかう使用人へのサービスだ。みな主人と未来の若奥様のいちゃつきぶりを出歯亀したいのだ。
それを見送ったジークヴァルトは書類をぽいと机に放りだして、リーゼロッテの座るソファへ移動した。
リーゼロッテは余程意識を集中しているのか、ジークヴァルトが隣に腰かけたことにも気づかない。目の前の異形に手をかざしたまま、囁くように何事かをつぶやいている。
こんなとき、彼女はいつも無防備だ。
閉じた瞳。薔薇色に染まる頬。そこに影を落とす長い睫毛。うっすらと開いた小さな唇。艶やかな蜂蜜色の長い髪に、その隙間から覗く形のいい耳。ほっそりとした白い首に華奢な肩。折れそうなくらい細い腰。それなのにとても柔らかい体。
――触れたい。手に入れたい。この腕に閉じ込めたい。
ざわつくような欲望にジークヴァルトの鼓動がどくりと鳴った。
生まれながらに押し付けられた託宣に、反発を憶えながらも今日までやってきた。違えることが叶わない託宣だからこそ、その思いと裏腹に表面上は従ってきたのだ。
それなのに、湧きおこるこの衝動は何なのか。最近ではリーゼロッテを前にすると抑えがきかないほどの激情が支配する。ジークヴァルトは動揺を隠せなかった。
彼女は龍の決めた託宣の相手だ。いずれは自分のものになる。今、この手を伸ばしていけない理由があるというのか――




