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「で、それは一体何なのだ?」
ジークヴァルトが無表情で問いかけた。執務室の机に座って書類仕事をしていたが、さすがにその手は止まっている。
「何って、カークですわ。ヴァルト様もご存じでしょう?」
リーゼロッテは、不思議そうにこてんと首をかしげた。ジークヴァルトは目線をずらすと、マテアスに同じ言葉をなげかけた。
「で、それは一体何なのだ?」
「何と言われましても、カークですねぇ。旦那様もご存じでしょうに」
ジークヴァルトの眉間にしわが寄る。
「カークはちょっといじけていただけですわ。ですが、これから自分探しの旅に出ようと、勇気をもって足を踏み出してくれたのです」
リーゼロッテはカークをかばうようにその手に触れた。ジークヴァルトの眉がぴくりと動く。
「わたくしが責任をもって面倒見ます。しばらくはわたくしの部屋にいてもらうつもりですし、粗相をしないようきちんと見ていますから」
「却下だ」
ジークヴァルトの眉間のしわが深くなる。
(この流れはまずいわ。なんとか言いくるめなきゃ)
今までの経験上、ジークヴァルトは理屈が通って道理に叶っていれば、無理強いをすることはない。プレゼンに納得すれば、リーゼロッテの要求が通ることが数は少ないが何度かはあった。
それに、先ほどマテアスが言っていたではないか。可愛くお願いすれば、万が一にでも許可がおりるかもしれない。
(せっかく動いたカークを元の場所に戻すわけにもいかないし)
カークがあの場所にいない方が、使用人たちも作業がしやすいだろう。
ここはもうジークヴァルトの母心と過保護魂をくすぐるしかない。恥ずかしいが、みなのためにもひと肌脱ごうとリーゼロッテは心を決めた。
リーゼロッテは祈るように胸の前で両手を組み、上目遣いでジークヴァルトをのぞき込んだ。
「ヴァルト様、お願いです。カークには守るものが必要なのです。守るべきものを見つけるために、カークはあの場所から動いてくれたのですから」
リーゼロッテは懇願するように目を潤ませた。
「このままではカークはまた自分を見失ってしまいます。わたくしも見ていて、本当に、本当に、つらいのです……」
少しだけ目をすがめたジークヴァルトをじっと見つめる。
(きいてるわ、この子供のおねだり作戦。ここはあざとすぎるくらいが正解ね)
恥ずかしがっている場合ではないと、リーゼロッテは畳みかけるようにさらにジークヴァルトをのぞき込んだ。
「お願いですわ、ヴァルト様」
今まで出したこともないような甘えた口調で、ダメ押しのように声を震わせる。名探偵の某少年を参考に、なんとか無邪気な子供を演じてみた。
ジークヴァルトはふいと視線を逸らした後、舌打ちをしてからリーゼロッテに向き直った。
「ダーミッシュ嬢の部屋の前の護衛なら許す。守りたいというならそれで十分だろう」
「ええ? ですが、守るものはカーク自身がみつけなければ……」
「それ以外は却下だ。部屋の中に入れるのも禁止だ。守れないならその時は……」
ジークヴァルトはゆらりと立ち上がりカークを見やった。
「容赦なく、消す」
絶対零度の無表情に、カークはピーンと姿勢を正した。こくこくと頷くと、そそくさと執務室を出ていこうとする。
「カーク? 本当にそれでいいの?」
振り返りもう一度こくこくと頷く。そのまま扉を抜けて出て行ってしまった。
「部屋の場所はわかるのかしら?」
こてんと首をかしげたリーゼロッテの口元に、すっとクッキーが差し出された。いつの間にか目の前まで来ていたジークヴァルトが、無表情でクッキーを突きつけている。
絶対に人前ではやらないでほしい。
そう思いながらも、お願いを聞いてもらった手前、拒否することもできなかった。世の中は何事も等価交換なのだ。
涙目になりながらリーゼロッテは、ジークヴァルトのその手のクッキーを、自らぱくりと口にした。
その日から公爵家のリーゼロッテの部屋の前に、護衛のカークが貼りつくようになった。歴史あるフーゲンベルク家に後に長く伝えられる、リーゼロッテ伝説の幕開けであった。
【次回予告】
はーい、わたしリーゼロッテ。力の制御の特訓をしていたある日、いきなり異形たちが騒ぎだして執務室がてんやわんやの大騒ぎに! 今度はわたしのせいじゃない? 守護者のジークハルト様も久しぶりに現れて、なんだか波乱の予感です!
次回、第25話「公爵家の呪い」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!




