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ダーミッシュ家は、典型的な『無知なる者』の家系だったはずだ。それはもう、うらやましいくらいに。だからこそ、リーゼロッテの養子縁組先の候補に、いの一番に選ばれたのだから。
そして、ダーミッシュ家には王家の血筋は流れていない。ならば、託宣の存在を知るはずもないだろう。リーゼロッテはその身に託宣を受けながら、それを知る者がいない環境で育ってきたということか。
「リーゼロッテ嬢は、ダーミッシュ伯爵の息女だったね」
リーゼロッテがうなずくと、ハインリヒは探るような様子で言葉を続けた。
「ダーミッシュ伯とリーゼロッテ嬢は、血のつながりが、その、なんというか……」
彼女は自分が養子であることを知っているのだろうか? 言葉を選びながらも、ハインリヒは言いあぐねた。事実を知らされていなかった場合、自分の口から言うのは憚られると思ったからだ。
「恐れながら王子殿下、わたくしは自分が養子であることを存じております」
本来なら王族の発言を遮るなどあってはならないのだが、困ったように言葉を探すハインリヒをみて、リーゼロッテは口をはさんだ。
この王子は噂のような冷たい人ではなく、本当は心やさしい方なのだとリーゼロッテは感じていた。実際に王子はリーゼロッテの発言に怒る様子もなく、「そうか」と返しただけだった。
そして、ハインリヒはひじ掛けで頬杖をつき、目を閉じてしばらく考え込んだ。
現王たる父・ディートリヒに相談すべきだろうか? 降りる託宣のすべては神殿と王家が管理しているが、ラウエンシュタインの系譜は謎が多い。
しかし、自分は託宣を終えた身だから後のことはお前のいいようにしろと、王には言い渡されている。気持ちはわからなくはないが、託宣を受けた者たちの進退に、国の明暗がかかっているのだ。父王の無責任ぶりに、いい加減、腹も立ってくるというものだ。
(いや、義母上のように口を挟まれるより、まだましなのか)
――次代の王として、自分は決断を誤ってはいけない。
雑念を振り払うように、ハインリヒは頭を振った。
「リーゼロッテ嬢は、この国が龍の加護を受けているのは知っているね?」
平民はこれを神話や伝説のようにとらえていたが、龍の存在は、上位貴族の間では疑わざるべき事実として周知されていた。
うなずくリーゼロッテに、ハインリヒは意を決したように言葉を続けた。
「ならば、これから君に、この国で長く秘匿されてきた秘事を告げる。家族であっても他言は無用だよ」
誓えるかい? と、内容の重さのわりに、ハインリヒは軽い口調で言った。
「貴族の家に生まれ、もとより国と王家の方々に忠誠を誓っております」
凛とした声でそう返すと、ハインリヒは深くうなずいた。
「我がブラオエルシュタイン王家は、はるか昔、龍とひとつの契約をかわした」
ハインリヒは、リーゼロッテを真っ直ぐ見つめ、ゆっくりした口調で続けた。
「その契約に基づいて国は安泰を約束され、王家は龍から託宣を賜ることで王位を継ぎ、長きにわたり国を治めてきた」
(……予定調和、ということかしら?)
ブラオエルシュタイン王国は、建国してから優に八百年はたつ。
「王位の継承は、龍の託宣によって決められる……ということでしょうか?」
にわかには信じがたい話に、リーゼロッテはそう聞き返した。ハインリヒはゆっくりとうなずいて肯定を示す。
「王位を継ぐ者は託宣の通りに婚姻を結び、子をつくり、その子がまた託宣を受け、王となる。そのくり返しだ」
それが王位継承にまつわる争いをなくし、平和を保つのだと、ハインリヒは続けた。
実際に、今現在、王位継承権を持つのはハインリヒ王子だけだ。ここブラオエルシュタインでは、王位継承権は龍に託宣を賜った者のみが有し、その下に二位、三位と権利を持つ者は存在しない。
長い歴史の中、それが当たり前のことだったので、この国には『王位継承権第何位』というその概念すら存在しなかった。
龍の託宣が違えられたことは、ただの一度もない。
国民に対しては、現王が王太子を指名するという形をとっていたが、全ては龍の意思のまま王位は継承されてきた。実際に国の平和は保たれ、数少ない争いごとは他国の侵入が主であり、国内は王家の政で安泰な世が続いている。
現王であるディートリヒ王は次男であったが、託宣が降りたのは長兄ではなく弟のディートリヒだった。そこに王位継承にまつわる争いはもちろん存在しなかった。
龍のあざを持って生まれ、託宣を受けた者が王となる。それはこの国の王家の不文律であり、不可侵の守られるべき真理であった。
「王位だけではない。君とヴァルトの婚約も、龍から賜った託宣の一つだ。……託宣を受けた者は必ず体のどこかに、龍のあざがある。君にもあるだろう?」
ハインリヒは、それまではめていた白い手袋を左手だけ外して、その手の甲を見せた。リーゼロッテの胸にあるあざに似た文様がそこにはあった。再び手袋をはめると、ハインリヒは少し疲れたように言った。
「託宣が下りるのは、直系の王族だけじゃない。王女の降嫁や臣籍に降りた王族など、王家の血が入った系譜に降りることもある」
それこそ、婚姻にかかわること以外にも信託はおりるのだ。そうつけ加えたハインリヒの表情は、少し苦しげにも見えた。
「王子殿下の託宣のお相手はどなたなのですか?」
今の話の流れだと、王太子であるハインリヒにも、龍の託宣で決められた結婚相手がいるはずだ。王子のお見合い大会を思い出し、リーゼロッテは疑問を何気なく口にした。
託宣で決められた相手がいるのなら、隠しておく意味はないだろう。王太子の婚約者の座が空いているとなると、いらぬ争いの種になるのは明らかだ。
しかし、リーゼロッテは瞬時にその発言を後悔した。目の前で王子が、言葉を失ったからだ。
「……出過ぎたことを申し上げました」
聞いてはいけないことだったのかもしれない。リーゼロッテはふるえる唇で、なんとか声を紡ぎだした。
「いや、いい……わたしのことは、いいのだ。今話すべきことではない」
ハインリヒは何事もなかったようにすぐ表情をもどした。リーゼロッテにというより、自分に言い聞かせているようにも聞こえた。