第20話 不機嫌の肖像
「ねえ、エラ、どうかしら?」
水色の可愛らしいドレスを着たリーゼロッテは、その場をくるりと回ってみせた。ドレスの裾がふんわりと広がって、最後にリーゼロッテは優雅に礼を取った。
エラは胸の前で祈るように手を組み、「まああ、素晴らしいですわ、お嬢様!」と、心からの称賛の声を上げた。
リーゼロッテは社交界デビューに向けて、少しでもコルセットに慣れるために、屋敷の中でもドレスを着て過ごすようになっていた。というのは建前で、ジークヴァルトに贈ってもらったドレスをただ着てみたかっただけである。
そのことはエラにもわかっていたが、うれしそうな主人に水を差すような真似はもちろんしない。エラにとって、リーゼロッテが笑ってくれるなら、それはすべて正義なのだ。
いつもより高いヒールの靴を履き、屋敷の廊下を慎重に歩く。
胸に揺れるのは、ファビュラスでゴージャスな首飾りからはずした守り石を、ペンダントに作り替えてもらったものだ。今までのペンダントより鎖が長いので、守り石はリーゼロッテの胸の真ん中辺りで揺れている。
うれしそうに日替わりでドレスを着て歩くリーゼロッテを見て、屋敷の者は一同ほっこりとした視線をリーゼロッテに送っていた。
リーゼロッテが実は奇病に侵され、今までずっと不自由な生活を強いられていたと聞いて、涙を流す者も少なくなかった。
お嬢様がよくお転びになっていたのもその奇病のせいだった、という話はあっと言う間に広がって、今までの健気な姿を思い出し、リーゼロッテへの忠誠を深める者もいた。
リーゼロッテがいない一カ月は、屋敷中が沈んでいた。
それが、リーゼロッテが帰ってきたとたん、屋敷中が明るくなり、使用人みながほころんでいた。今では「お嬢様が」、「お嬢様に」、「お嬢様と」、そんな会話が使用人たちの間で埋め尽くされている。
しかし、そのお嬢様は十五歳の誕生日を迎えたら、公爵家へと行ってしまう。公爵から贈られたドレスをうれしそうに身に着けているリーゼロッテを見て、使用人たちは複雑な心境だった。
成人を迎える大切な誕生日と、社交界デビューに向けて、今はリーゼロッテのためにできることをやりきろう。ダーミッシュ家の屋敷中が、リーゼロッテのために一丸となっていた。
その微妙なアウェー感を、アデライーデは不快に思うでもなくそれとなく楽しんでいた。
アデライーデは王の勅命を受けた騎士としてダーミッシュ家に滞在しているが、屋敷の人間にとっては公爵の姉、リーゼロッテを奪っていく側の人間だ。もちろん不敬な扱いなど受けるなどはなかったが、微妙なよそよそしさは隠しきれない。
(こんなに慕われている令嬢もめずらしいわよね)
自分の周りにいなかったタイプなので、実に興味深い。リーゼロッテの聖女の力で、みな心が洗われているのだろうか?
ダーミッシュ領は、他領に比べて犯罪の数が極めて少ない。その事もリーゼロッテの力が無関係ではないのかもしれないとアデライーデは思っていた。
「アデライーデお姉様」
リーゼロッテに声をかけられ、アデライーデは自然と笑顔になる。
「あら、そのドレス似合っているわね。とっても可愛らしくて素敵よ。それもヴァルトからの贈り物?」
アデライーデのその言葉に、リーゼロッテははにかむように「はい」と頷いた。
「先ほどヴァルト様が王都で流行りのお菓子を送ってきてくださったのですが、アデライーデ様もご一緒にいかがですか?」
リーゼロッテがそう続けると、アデライーデは「まあ」と言って、あきれたように目を見開いた。
(離れていて不安なのかしら?なんて自信のない)
ジークヴァルトは、リーゼロッテの手紙に即レスする上、連日のように贈り物を届けていた。リーゼロッテはそのたびに、律義にお礼の手紙を書いているようだ。
アデライーデが黙ったままでいるので、リーゼロッテは、「アデライーデ様?」と言いながら、こてんと首をかしげた。
「なんでもないのよ。よろこんでご一緒するわ」
にっこりと笑顔を作ると、ふたりはリーゼロッテの部屋へ移動する。リーゼロッテの優雅な足取りを見ながら、アデライーデはふと疑問に思ったことを口した。
「ねえ、リーゼロッテ。あなたのその所作は誰に教えてもらったの?」
リーゼロッテはどんな時でもふるまいが綺麗で、それは淑女の鏡というほど優雅に動く。母親のクリスタももちろん所作は綺麗なのだが、リーゼロッテは完璧とも言える身のこなしだった。
「わたくし、子供の頃からよく転んでいたので、みかねたお義父様がお知り合いのご夫人に、淑女教育の指導をお願いしてくださったのです。その方にどうしたら粗相をしないで済むのか、いろいろと教えていただきました」
アデライーデは「そうなのね」と返したが、粗相をしない所作を教えられたくらいで、ここまで完璧なマナーが身に着くものだろうかと首をひねった。
「申し訳ありません。わたくし、異形の者が視えるようになっても、慎重に歩くのがくせになっているみたいなのです。もう少しきびきび動くよう努力いたしますわ」
リーゼロッテが申し訳なさそうに言うので、「そんなことは気にしなくていいのよ」とアデライーデはあわてて言葉を紡いだ。
「あなたの立ち居振る舞いはとても美しいわ。その夫人はとても優秀な教師だったのね」
アデライーデの言葉にリーゼロッテは顔を赤らめて「ありがとうございます」と返した。
(手紙のマナーも完璧に教えてほしかったのだけど)
しかしリーゼロッテは脳内ではそんな残念なことを思っていた。




