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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣

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第25話 忍び寄る影

【前回のあらすじ】

 誰もいない場所で蜜月を過ごすカイとルチア。互いを求める衝動に身を任せ、一心に抱き合い続けます。甘美な時間もやがて終わりを告げ、秘密の関係に戻ろうとするふたり。そんな中、ルチアはカイの訪れを大人しく待つ道を選び取って。

 一方夢見の神事に向かったマルコは、初めて青龍の言霊をその身に降ろします。直後、閉ざされた神事の部屋に突然現れた王妹ピッパ。

 神域に近づくピッパを止めようとするも、ピッパは泉の閃光に弾かれて。慌てて駆け寄ったマルコも、ピッパに触れた瞬間、激痛で気を失ってしまいます。

 先に目覚めたピッパは自身の顔を水面に映し、自らをモモと名乗って。ピッパの中に入ったモモは、泉の中で笑いながらマルコを守ると誓うのでした。

 最北の地、シネヴァの森の雪に(うず)もれた静かな館で、シンシアはいつものように祈りを捧げていた。


 鎮守の巫女に選ばれ、どれほどの時が流れただろうか。親兄弟は天に旅立って久しいが、呪われたこの身はいまだ少女の姿を保ったままだ。途中数えるのも馬鹿らしくなって、そこからさらに長い歳月が過ぎ去った。


 穏やかに揺れていた炎が、乱されるように暖炉の壁を立ち昇る。はっと顔を上げたシンシアは、何もない空間を仰ぎ見た。


(今宵は新月――)


 降り注ぐ光に(まぶた)を閉じる。視えてきた映像(ビジョン)は祈りの泉だ。ここより遥か遠く王城で起きた出来事が、臨場感をもって脳裏に映し出されていく。


 たった今、新たな夢見の巫女が誕生した。

 それも最悪の形をもってして。


「だからあれほど言ったのに……」


 夢見の力を継ぐ者以外は、決して泉に近づけてはならないと。


 息をつき立ち上がった。視えてしまった以上、自分にできることをやるだけの話だ。


「シンシア様? どうかなさいましたか?」

「これから忙しくなりそうよ、ラウラ」


 急ぎ(ふみ)をしたためる。


「この手紙をシルヴィに。テオに言って届けさせて」

狼主(おおかみぬし)にでございますか?」

(じき)に負傷者が増えることになるわ。今のうちにひとつでも多く薬草を確保しておきたいの」

「かしこまりました。すぐにでも」


 このままでは辺境の地ヴォルンアルバが混乱の(うず)に包まれる。

 避けられなかった未来を(うれ)うも、それは人々の思いが選び取った結果なだけだ。


 龍はいつも複数の未来を視せてくる。どの道を歩むのか、選択権は常に人の手に委ねられていた。


 託宣を主軸にしつつ、龍は人間の子らに自由を与えている。軌道修正が必要なときにのみ、その都度(つど)新たに神託が降ろされる。そうやって青龍は、長きに渡りこの国を護り導き続けてきた。


 窓辺に(たたず)み、シンシアは白一色の森を眺めやった。

 例えこの先混乱が起きたとしても、最終的に青龍は国に平和をもたらすのだろう。


(これまでも、そしてこれからも)


 (いしずえ)という数多(あまた)の犠牲を払いながら――。


      ◇

 冬晴れのサロンで膝の上、あーんと菓子を差し出される。口いっぱいのしあわせを堪能していると、親指でそっと下唇を(ぬぐ)われた。


(この穏やかな時間も今日までね……)


 月のものが終わりに近づき、明日からはまたまぐあい三昧(ざんまい)の日々に突入だ。

 その前にと思って、リーゼロッテはラッピングされた箱をジークヴァルトに差し出した。


「一日早いのですが、ジークヴァルト様、お誕生日おめでとうございます」

「ああ、もうそんな時期か」


 自分のことには無頓着なジークヴァルトだ。誰からも言われなくなったら、何歳(いくつ)になったのかもそのうち忘れてしまうに違いない。


「開けてもいいか?」

「もちろんですわ」


 リボンを(ほど)く指の動きをわくわくと見守った。


(ちゃんとよろこんでもらえるかしら……?)


 去年贈ったブランケットは直接手渡すことができなかった。それだけに期待と不安が入り混じる。


「これは……万年筆か?」

「はい、こちらなら執務で使えますでしょう? 職人に頼んでここに守り石を施してもらいましたの」


 黒いペン軸にリーゼロッテの緑の輝きがはめ込まれている。目の前に万年筆を掲げ、ジークヴァルトはうれしげに目を細めた。


(よかった。気に入ってくれたみたい)


 他人が見たら、全くの無表情に見えたことだろう。正確にジークヴァルトの喜怒哀楽を読み取れるのは、実のところリーゼロッテとマテアスくらいのものだ。


「しまい込まずにちゃんと使ってくださいませね?」

「ああ、午後の執務からさっそく使おう」

「うれしいですわ。わたくしもヴァルト様と一緒にお仕事をしている気分になれますもの」


 これをジークヴァルトが目にするたびに、自分のことを思い出してくれるのではないか。そんな下心を(いだ)きつつ、石に力を込めたリーゼロッテだ。


 しかしはにかんだリーゼロッテと対照的に、ぎゅっとジークヴァルトの眉根が寄せられた。


「あ、申し訳ございません。わたくしったら何のんきなことを……」

「いや、問題ない」

「ですがヴァルト様は領民のため、いつも身を粉にして執務に励んでいらっしゃるんですもの。公爵夫人として、自覚が足りないにもほどがありますわよね」


 しゅんとしてうつむくと、すぐさま顎をすくわれる。


「お前はお前のままでいればいい。それに別段オレは領民のために執務を行っているわけではない」

「でしたら何のためにやられているのですか?」


 リーゼロッテはこてんと首を傾けた。あれほどの激務だ。ひとつのモチベーションもなくこなせるはずはないだろう。


「やれと言われているからやっているまでだが」

「それだけの理由で? やりがいなどはございませんの?」

「やりがい?」


 今度はジークヴァルトが軽く首をひねった。まるで初めて聞く言葉を前にして、戸惑っているかに見える反応だ。


「例えば、ほら、ヴァルト様はよく領民からお礼の言葉をかけられますでしょう? それをうれしいと思ったりだとか……」

「確かに礼は言われるが、特にうれしく感じたことはないな。領主が領主の務めを果たすのは当然のことだ」

「それはそうかもしれませんが……」


 学校の宿題をこなすような口ぶりが、リーゼロッテにはまるで理解できなかった。例えそれが義務だとしても、自分の行いに感謝されたらよろこびのひとつも湧いてくるものだ。

 このままでは身を削って働くジークヴァルトが報われない気がした。何よりも妻として、いちばんに自分が支えとならねばいけない立場ではないのか。


「わたくし、これからはきちんとヴァルト様に(いた)わりの言葉をお伝えいたします」

「そんなもの、いつも口にしているだろう?」

「いいえ、もっともっと、もっとですわ!」


 のんきに膝に乗って菓子を頬張っている場合ではない。己の駄目妻加減を自覚して、リーゼロッテはちょっぴり涙目になった。


「だが、そうだな……」


 思案顔のジークヴァルトの指が、無意識のように頬を撫でてくる。温かな手のひらにリーゼロッテも無意識のまますり寄った。


「領民がよろこぶ姿を見たときに、リーゼロッテ、お前はうれしく思うのか?」

「はい、とっても」


 憂いなく領民が笑顔で暮らしている。そんなよろこばしいことはない。

 だがその笑顔も、ジークヴァルトが頑張っているから得られるものだ。領民が心よりジークヴァルトに感謝していることこそが、リーゼロッテはうれしく思えて仕方がなかった。


「ふっ、そうか。ならばそれをやりがいにオレは執務に励むとしよう」

「そんな……そこは領民のために励んでくださいませ」

「別に問題ないだろう? やるべきことをこなすことに変わりはないんだ。どのみち執務中にオレが考えているのはお前のことだしな」

「執務中に? わたくしのことを?」

「ああ」


 それ以外に何があるんだと言わんばかりの態度に、リーゼロッテの口元がむにむに(ゆる)む。


「忙しい合間にちょっとでも思い出していただけてるなら……わたくし、その、うれしいですわ」


 もじもじしながら素直な気持ちを伝えてみた。恥ずかし過ぎて、熱い頬を両手で覆う。

 そんなリーゼロッテを見て、再びジークヴァルトの眉間にしわが寄った。


「合間にちょっとでも? 馬鹿を言うな。オレがずっと考えているのはお前のことだけだ」

「わたくしのことだけ……? え? 執務中にずっと?」

「ああ」

「え? え? ですがお仕事の最中にいくらなんでもそんな……」

「支障などない。いや、むしろその方が執務が(はかど)るぞ」


 至極真面目な青の瞳と見つめ合う。


(え? え? え?)


 夫婦となった今でも、ジークヴァルトの破天荒ぶりにはついていけないリーゼロッテだった。


     ◇

 深い瞑想の淵から意識を戻す。

 ゆっくりと(まぶた)を開いたハインリヒは、無言のまま立ちあがった。


 祈りの間に籠って三日、ようやく迎えた(みそぎ)明けだ。早くアンネマリーを抱きしめたいと、(はや)る心で出口へと向かった。


「王、青龍はなんと仰せでしたか?」


 控えていた神官長に呼び止められる。毎月律儀になされるこの問いは、ハインリヒにしてみれば滑稽(こっけい)以外の何物でもなかった。

 瞑想の果てで王は青龍と会っている。神官長はそう信じ込んでいるようだ。


 祈りの儀は王の務めであり、青龍に平和を祈願し感謝を捧げるための儀式とされている。だが王位継承の儀以来、ハインリヒは龍の御許(みもと)に辿り着いたことは一度もない。

 それもそのはず、ここで行われる瞑想はハインリヒの一か月間の記憶を納めに行っているに過ぎなかった。歴代の王たちの記憶は、こうやって長い時間をかけ膨大な量が蓄積されてきた。


 自分の記憶もいずれ後世の王の頭の中で(やかま)しく騒ぎ立てるのかもしれない。そう思うとふっと笑いが漏れて出た。


「ハインリヒ王?」

「いや、いつもと変わらない」


 瞑想中の出来事は常に龍が目隠しを施してくる。王たちの助言で得た曖昧な受け答えを、ハインリヒはいつものように返した。


「そうですか」


 毎回この台詞を神官長は落胆の顔で口にする。しかしなぜだか今日は気にも留めていない様子だ。

 理由はすぐに思い当たった。妹のピッパが夢見の巫女として覚醒してから、立て続けに神託が降ろされている。王の口から龍の言葉を得られずとも、何も問題ないといったところだろう。


「王が祈りの儀をなさっている間に、巫女により新たな神託がふたつほど降りました」

「そうか。詳細は追って聞く」


 どんな内容を耳にしようと、ハインリヒにできることは何もない。ただ流れを見守り、得た記憶を瞑想の果てで刻むのみだ。


(そんなことよりも早くアンネマリーに会いたい)


 王となってからというもの、持ち前の生真面目さがどんどん薄れていっている。そう自覚しつつも、こんな立場ではそうなるのもやむなしだ。


「神官長も務め、大儀であった。よく休むといい」

「ありがたきお言葉。王もまずはご静養ください」


 アンネマリーと双子の顔を思い浮かべ、今度こそハインリヒは祈りの間をあとにした。


     ◇

 小さな控室で、マルコはレミュリオとともに泉の神事が終わるのを待っていた。

 王妹であるピッパが夢見の力に目覚め、巫女役を務めていたマルコはお役御免となった。それどころかマルコの夢見の力が消えてなくなり、後宮の東屋から神殿へと戻されたのは半月ほど前の話のことだ。


 瞳を閉じ、静かに座るレミュリオの顔を伺った。起きているのか、瞑想でもしているのか。盲目の彼が纏う空気はいつも近寄り難く思えて、マルコは声をかけるのをためらった。


「どうかなさいましたか?」

「あ、いえ、レミュリオ様が起きていらっしゃるのか分からなくて……」

「さすがのわたしでも神事中に居眠りはしませんよ」


 ふっと笑われたマルコは慌てて首を振る。


「レミュリオ様が居眠りするなんて思っていませんっ。ボクはただ瞑想でもなさっているのかと」

「承知していますよ。(めし)いたこの顔では、さぞや表情も読み取りにくいことでしょう」


 どんなときも穏やかな口調が変わることはない。感情を(あら)わにするレミュリオなど、マルコは今まで一度も見たことがなかった。


「それはさておき、何か話したいことでもおありですか?」

「はい……その、ボクが初めて神託を降ろした日のことなんですが……」


 ずっと聞きたくて聞けずにいたことだ。真相を確かめるなら、レミュリオとふたりきりの今しかない。


「ピッパ様はどうやって泉の部屋に入ってきたのでしょうか。あの日、気づいたら奥にピッパ様が立っていたんです。そっちには壁しかないはずなのに……」


 今いる小部屋を通らないことには、泉のある部屋にはたどり着けない。あのときも神官長とレミュリオがここにいて、誰も入りこめないよう神事の扉を守っていたはずだ。


「祈りの泉には隠し扉があるのですよ」

「隠し扉……?」

「ええ、青龍の扉と言いましてね。その扉を開けられるのは神である青龍しかいないとされています」

「青龍がピッパ様を泉に招いたということですか?」

「そういうことなのでしょう」


 不可思議な話だが、それならば理解できないこともない。神官長は奇跡が起きたと言うばかりだったので、どうにも納得がいかなかったマルコだった。


 しかしいまだ解らないこともある。ピッパは泉に弾かれた。それは夢見の力を持たない証明のようなものだ。


「なのにどうしてピッパ様が夢見の巫女に……」

「マルコさんは夢見の力を失ったことがご不満ですか?」

「いえ、それは願ったり叶ったりです! けどあの日、泉に触れたピッパ様は気絶するほど遠くへ()退()けられたんです」

「しかしわたしどもが見に行ったときに、泉の中にいたのはピッパ様でした。床の上で気絶していたのは、マルコさん、あなたの方ですよ」

「それは、助け起こそうとピッパ様に触れたら激痛が走って……」


 あのあと目が覚めた時にはもう神殿の一室にいた。神官見習いのときに使っていた相部屋ではなく、もっと広く豪華な部屋だ。

 それ以来、そこがマルコの私室となった。見習いから正式な神官に格上げされ、先輩神官を飛び越して夢見の神事を執り行う役割をも与えられた。


「その話は神官長にも?」

「いえ、話したのはレミュリオ様がはじめてです」

「そうですか。では、このことはわたしとマルコさんの胸にしまっておきましょう」

「でも……」

「現にピッパ様が夢見の神事を(こな)しているのは事実。混乱を招く事態になりでもしたら、マルコさんが罪に問われることになるのですよ」


 そんなふうに言われたらマルコも頷くしかなかった。ようやく取り戻した日常だ。あの閉ざされた箱庭へは、もう二度と戻りたいとは思わない。


「心配はいりません。ピッパ様の力は本物です。シネヴァの森の巫女の力を借りなければ神託を降ろせなかったクリスティーナ王女と違い、ひとりきりで言霊(ことだま)を授かっていますし」


 夢見の巫女となってから、ピッパはいくつも神託を降ろしている。それも短期間のうちにだ。


「あれこそが本来の巫女の力なのかもしれませんね。なんにせよ、すべては龍の(おぼ)し召しです」

「龍の……?」

「ご存じありませんか? 王の口癖ですよ」


 国王の口癖など、自分ごときが知っているはずもないだろう。そうは思ったものの、マルコはただ「そうですか」と頷き返した。


「レミュリオ様、もうひとつだけ聞いてもいいですか?」

「何でしょう」

「どうしてボクが神事の担当に選ばれたんでしょうか。夢見の力を失ったボクは、もう用済みだと思うのに」

「力を失ったとはいえ、マルコさんほど夢見に詳しい神官は他におりません。それにピッパ様のご指名もありましたし」

「ピッパ様が? そうでしたか……」


 顔見知りがいた方が、ピッパも安心できると思ったのかもしれない。後宮の東屋では話し相手になってくれた恩もある。少々我が儘な少女だが、王族の立場ならそれも当たり前のことなのだろう。


「それはそうと、マルコさん。次からはマルコさんに神事を取り仕切っていただく予定ですので」

「え、レミュリオ様は? いらっしゃらないんですか?」

「わたしは遠方の地で重要な務めがありましてね。次回から役目を降ろさせていただくことになりました」

「そんな、ボク独りでだなんて……」

「何、大丈夫ですよ。マルコさんなら立派に勤め上げられます」


 不安顔のマルコをよそに、レミュリオは静かに立ち上がった。


「そろそろ時間ですね」


 古びた扉を開き、祈りの泉のある部屋へと入っていく。マルコもそれに続いていった。


「ピッパ様、お時間です」

「遅いわ。どうしてもっと早く迎えに来られないの」

「申し訳ございません。神事にはいろいろと決まりごとがあるのですよ」


 レミュリオの声がけに、不機嫌そうにピッパは返した。

 ハラハラと見守るマルコと違って、レミュリオは普段通りの柔らかな笑みを()いている。


「口答えはいいわ。マルコ、行きましょう」

「えっ、あ、ピッパ様! すみません、レミュリオ様」

「どうしてマルコが謝るのよ」

「すみませんっ」

「だからどうして謝るの。いいから早く来なさい!」


 さっさと出ていこうとするピッパを、マルコは慌てて追いかけた。神事の最中、巫女の世話をするのは神殿側の役割だ。


「あの、ピッパ様、お疲れ様でした」

「別に疲れてなどいないわ。今日は何も言霊が降りて来なかったもの」

「本来神託はそうそう降りるものではありません。先日までのピッパ様の功績は、これまで類を見ないものですし」

「そうでしょう? マルコと違ってわたくしは優秀なのよ」

「本当にその通りです! ピッパ様ほど夢見の巫女に相応しい方はおりません!」


 おだて半分本心半分で、マルコは必死にピッパのご機嫌を取った。彼女の性格を考えると、へそを曲げたが最後、神事に出ないなどと言い出しかねない。


 本当に次回から自分独りで神事を取り仕切ることができるのだろうか。

 まるで自信が持てなくて、マルコは黙って後ろをついて来るレミュリオに視線を向けた。


「なにやら面白いことになってきましたね」

「え、何かおっしゃいましたか?」

「いいえ、何でもありませんよ」

「マルコ! 早くしなさいったら!」

「は、はいっ、いま行きますっ」


 あのピッパを前にして平然としているレミュリオを見て、益々自信を失ってしまったマルコだった。


     ◇

「ヴァルト様、おかえりなさいませ!」


 王城出仕から戻ったエントランスで、リーゼロッテに出迎えられる。駆け寄ってきたところを子供抱きに持ち上げて、すかさず柔らかな唇を(ついば)んだ。


「もう、みなが見ておりますわ」


 好きに見させておけばいい。そうは思ったものの、この恥ずかしげな上目遣いをほかの誰かに見られるのは面白くない。

 その結論に至ったジークヴァルトは本心から頷いた。


「善処する」

「本当に? 約束ですわよ?」


 疑わしげなリーゼロッテを抱え、執務室へと歩き出す。数歩遅れてカークが続き、その周囲をきゅるるん小鬼が飛び跳ねた。

 そのまたさらに後ろをたくさんの使用人がぞろぞろとついて来る。これはマテアスの差し金だ。公爵家の呪いがいつ起きてもいいように、調度品を守るための人員らしい。


 この行列はフーゲンベルク家ではもう慣れっこのことだった。遠巻きに見つめる者たちに「ああ、旦那様のお帰りね」程度に受け止められている。


「ヴァルト様、何か良いことでもございましたか?」


 腕の中、リーゼロッテが不思議そうに顔を覗き込んでくる。

 あまりの可愛さに口づけたくて堪らなくなった。たった今した誓いを、すでに後悔しているジークヴァルトだ。


「今日、ハインリヒに言われた」

「王に? 何をですか?」

「しばらく出仕しなくていいそうだ」

「ではずっとお屋敷で過ごせますのね!」

「ああ」


 ぎゅっと首に抱きつかれ、理性の糸が張り詰める。限界を迎えそうな一歩手前で、なんとか執務室へと辿り着いた。


「マテアス、緊急事項のみだ」


 入るなり言葉短く告げる。何と言われようと必要最小限の執務のみを(こな)し、一秒でも早く寝室に引っ込む心づもりだ。


 リーゼロッテを抱えたままのジークヴァルトを軽く一瞥(いちべつ)してから、マテアスはため息とともに立ち上がった。


「さほど切迫した案件はございません。が、明日の朝はさぼらずにきちんと顔をお出しくださいよ」


 言いながら、ジークヴァルトの執務机後ろの床板の一部を持ち上げた。現れたのはいわゆる隠し通路だ。奥の階段を下っていくと、最短でジークヴァルトの寝室にたどり着く。


 遠慮なく暗がりの通路に歩を進めた。今日はリーゼロッテの月のものが終わり、七日ぶりのまぐあい解禁日だ。待ちに待った吉日が王城出仕と重なり合って、朝からずっとげんなりしていた。その分足取りも早くなる。


「ん……ヴァルト様、まだ……」

「もう誰も見ていない」


 真っ暗な中で口づけを深めていく。歩きながらも華奢(きゃしゃ)な背中の胡桃(くるみ)(ぼたん)を上から順に外していった。

 突き当りの壁に力を流す。青が(ほの)かに光ると同時に開いた扉を数歩も行けば、もうふたりの(ねや)に辿り着いた。


 細心の注意を払ってリーゼロッテを寝台に降ろす。組み敷いたリネンの上、柔らかな唇を飽きることなく(ついば)んだ。

 このまま快楽の海に溺れさせたいが、ジークヴァルトは一度リーゼロッテを抱き上げた。膝の間に座らせて、自身はヘッドボードに背を預ける。


「ヴァルトさま……?」

「何か話したいんだろう? 聞いている。好きなだけ話せ」


 後ろから耳たぶを()みながら、薄い体を閉じ込めた。

 王城に泊った際にリーゼロッテは言っていた。人目を気にせずふたりきりで話せる時間がうれしいと。


「この前のこと、覚えていてくださいましたのね」

「ああ」


 首筋に口づけを落とすと、くすぐったそうに逃げていく。引き寄せてさらに強く吸いついた。


「もう、これではお話ができませんわ」

「口は塞いでいない。話がないならそれでもいいが?」

「ひゃっ」


 脇から腰のラインを指でたどると、リーゼロッテの体が小さく跳ねる。


「ま、まだ駄目ですわ。今話しますからもう少し待ってくださいませ」


 振り向いた頬に口づけた。唇を塞がないようにと、鼻先と額、そしてまた頬を何度も啄んでいく。


「ええと……そう、そうですわ! 王城への出仕がなくなったのは、何か理由があるのですか?」

「いや、厳密な理由は聞いていないな」

「そうですのね。なんにせよ、ヴァルト様のご負担が軽くなるんですもの。わたくしうれしいですわ」


 曖昧な返答にリーゼロッテは疑うことなく笑顔になった。

 まだ確定ではない情報だ。いたずらに不安を煽るのは得策ではないだろう。


 実のところハインリヒからは、オーランウヴスとの国境を守る砦付近で不穏な動きがあると伝えられていた。砦があるヴォルンアルバは、父親のジークフリートが辺境伯として治めている地だ。

 雪解け以降は有事もあり得る。いつでも加勢に行ける体制を整えるよう、出仕免除の沙汰が下った次第だった。


「でしたらその間に辺境の砦に行けないでしょうか」

「辺境の砦に?」

「ディートリンデ様から招待状が届いておりましたでしょう?」

「ああ、母上の誕生日か……」

「ヴァルト様の予定が空くのなら、直接祝って差し上げたいですわ」


 今まさに考えていた場所を口に出され、動揺しかかったジークヴァルトだ。しかし今の時期、春の雪解け前ならば、危険もなくゆっくりする余裕はあるに違いない。


「お前が望むならそうしよう」

「本当ですの?」

「ああ、母上の誕生日まではまだ間があるからな。出発に備えて執務も十分調整できる」


 瞳を輝かせたリーゼロッテがなんだか上の空になっている。ヴォルンアルバの旅路へと、早々に思いを馳せているのだろう。


 それが面白くなくて、ジークヴァルトはリーゼロッテの唇を本格的に塞ぎにかかった。


「おしゃべりは終いだ」


 身も心も、リーゼロッテのすべてを自分だけで満たしたい。

 口づけを深めていって、その欲望はあっさりと叶えられた。


【次回予告】

 はーい、わたしリーゼロッテ。国境付近の山脈での不穏な気配に頭を痛めるハインリヒ王は、バルバナス様率いる騎士団の派遣を検討します。その間にもカイ様とルチア様の秘密の逢瀬は、人知れず続けられていって……?

 次回、6章第26話「だんまりの王」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!


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