番外編 いつかそのひとに出逢うまで
母のアニサとの放浪生活の中、ちょっと長めに住んでいた土地でのことだ。祭りの準備に駆り出されたルチアは、村の女たちとともに花冠や飾りのリースを作っていた。
「ね、カールとニナが付き合いだしたって話、聞いた?」
「ああ、聞いた聞いた。ニナから告白して即オッケーだったらしいよ?」
「本当に?」
「カールってミナと別れたばっかじゃなかったっけ?」
「彼、来る者は拒まないって噂だからねぇ」
手を動かしつつも、女たちのおしゃべりに花が咲く。
「しかもその日のうちにヤっちゃったんだって」
「早っ! でもなんであんたがそんなこと知ってんのよ」
「ニナ本人から聞いた。あちこちで触れ回ってるみたい」
「うわ、舞い上がってるねぇ」
「……ねぇみんなぁ、子供の前でそういう話やめようよぅ」
弱々しく発せられた声に会話が一時中断される。と同時に視線がルチアに集まった。
突然注目を浴びたルチアは、驚いて花冠を編んでいた手を止めた。かつらの長い前髪を揺らし、戸惑いながら女たちを交互に見やる。
「だいじょぶ、だいじょぶ。ルチアだってもうすぐお年頃でしょ? 今のうちにいろいろ知っとかないと」
「いろいろって何?」
ルチアが首をかしげると、女たちはこぞって口を開きだした。
「いろいろって言うのはね、恋愛のあれこれよ」
「大人の男女交際ね」
「まぁ、簡単に言えば男と女の色事ってこと」
「大人になったらね、恋人同士は裸になって抱き合うのよ」
「裸で? それ寒くないの?」
訝しげに問う。互いに目を見合わせながら、女たちはニマニマと笑いだした。
「大丈夫よ、ふたりでくっついてあっため合うから」
「そうそう、激しく動くし、汗かくくらい」
「裸でくっついて激しく動いて汗をかくの?」
「男にはね、女にはない硬い棒があるのよ。それをわたしたちのココ、股の奥につっこむの」
「何それ、痛そう」
ルチアが引き気味に返すと、後ろから耳をふさがれた。
「だからみんなやめようよぅ。やっぱり子供にする話じゃないと思ぅ…」
「なんであんたが顔赤くしてんのよ?」
「ネナは初心だからねぇ」
「今どき結婚するまで処女を守る娘なんていないわよ? 何年も待たされて、レオもよく我慢できてるわよね」
「あ……う、それは……」
さらに真っ赤になって口ごもった女の手を、ルチアは耳から引きはがした。女たちのやり取りを、そのまま黙って見守った。
「なによネナ、その反応。もしかしてとうとうレオとヤッたの?」
「う、うん。一緒に住むって話も出てきたから、これ以上待たせても悪いかなって」
「うそっ! それでどうだった? レオとの初めては?」
「血がいっぱい出て、すごく痛かった……」
「それで?」
「それでって……初めてのことだらけでわたしもいっぱいいっぱいだったから。それに入ったらすぐ終わちゃったし……」
語尾がどんどん先細っていくのと対照的に、周囲は一層かしましく捲し立てた。
「最初なんてまぁそんなもんよ。あんたたち初めて同士だしね」
「そういや、わたしも初体験はめちゃくちゃ痛かったなぁ。血まみれでもう死ぬかと思ったもん」
「わたしは出血はそうでもなかったけど、痛くて思わず相手を蹴り飛ばしちゃったっけ。気持ちよく感じるようなったのもかなり回数こなしてからだったし」
「まぐわいも数稽古なとこあるからねぇ」
「へたくそなやつとは、いつまで経っても気持ちよくなれないけどね!」
大笑いする女たちの中、いまいち話が呑み込めないルチアはひとり首をひねった。
「ねぇ、みんな何の話ぃ?」
「あ、ニナ! カールと付き合いだしたんだって!?」
「そぉなのぉ、カールったら毎日あたしに愛を囁いてくれてぇ」
そこに先ほど話題に出た女がやって来る。まるで祭りの当日のように、かなり気合いの入ったおシャレ具合だ。
「で、ぶっちゃけあっちの方はうまかった?」
「それはもう、すぅんごいのっ! 手が何本もあるんじゃないかってくらいあちこち気持ちよくしてくれてぇ……このまま死んじゃってもいいってくらい!」
「うわ、その噂って本当だったんだ」
「うふふ、そのカールとこれから会うのぉ。また今度ゆっくり話聞かせてあげるわねぇん」
その背を見送ると、女たちは一斉にざわついた。
「何よあれ、自慢げに」
「そんな暇あるならこっち手伝えっつぅの」
「どうせ浮気されてすぐ別れるに決まってるし」
「カールが忘れられなくって、体の関係だけでもいいって迫ってくる女、多いもんねぇ」
「それにしてもあれだけの浮名を流しといて、ひとりも孕ませてないって、何気にカールすごいよね」
「避妊はちゃんとしてくれるって噂」
「あー、それならどんだけ気持ちいいのか一回くらい試してみたいかも」
「もうやめなよ、そんなことぉ……」
ノリノリの会話に、再び弱々しい声が差し込まれる。
「何言ってんのよ、気持ちいいって大事でしょ。あんたもどうして欲しいか、レオにちゃんと伝えなよ? でないとずっと痛いままかもよ?」
「そんなこと言えるわけないよぉ」
「あーそれ、言えるなら言ったがほうがいいわ。独りよがりの男って最悪だし」
「あといちいち言葉で確かめてくる男! あたしアレ、駄目だわ」
「分かる! こっちも演技して付き合ってるけど、毎回だといい加減にしろってなる!」
止まらないおしゃべりに、ルチアは興味津々で聞き耳を立てていた。そのことに気がついたひとりが、ルチアにウィンクを飛ばしてくる。
「いい? ルチア、男は体の相性で選ぶんだよ?」
「好きならそんなの関係ないよぉ」
「だけどずっと苦痛が続くのもねぇ。特に初めてのときは、相手がうまいに越したことないじゃない?」
「そ、そんな! ルチア、真に受けちゃ駄目だからね!」
「いや、体の相性は大事でしょ」
「それで別れることだってよくあるもんね。まぁ、あたしも旦那にすんなら、相性より財布で選ぶけどさ!」
どっと笑いが起きて、飽きることなくおしゃべりは続けられていく。
そんな感じで盛り上がったまま、日が暮れる前にルチアは作業を切り上げ、先に家に帰されたのだった。
◇
ようやく帰り着いた家で、ルチアは鬱陶しい栗色のかつらをはぎ取った。きつく編んだ赤毛の三つ編みを解き、ほっと息をつく。
「ただいま、母さん」
「お帰りルチア、お祭りの手伝いはどうだった?」
「今日は花冠を三つも編んだの。はじめよりずっと上手に……」
ふいに訪れた下腹部の違和感に、ルチアは言葉を切った。おそるおそる下着の中を覗き込む。股から出血していることに気がついて、ルチアは色を失くした顔を母アニサへと向けた。
「ルチア? どうしたの?」
「母さん、なんか血が出てる……」
ルチアの下着を確かめたアニサは、小さく息を飲んだ。しかしすぐに笑顔になって、ルチアをぎゅっと抱きしめてくる。
「なにか変な病気かな? ねぇ、わたし死んじゃうの?」
「大丈夫よ、ルチア。この出血はね、ルチアが大人の体になって子供が生める準備ができたというしるしなのよ」
「大人になって子供が……?」
「そう、女性なら普通にあることよ。病気ではないの。だから安心して」
「本当に? よかった……」
まだお腹は痛かったが、母親の落ち着いた表情にルチアは心から安堵した。
「……ルチアももうそんな歳になったのね」
感慨深そうにアニサの目が細められた。
「着替えたら少し話をしましょう。とても大事なことだから」
薄い毛布を肩に掛けられ、ルチアはアニサとともに寝台の縁に並んで座った。やさしく髪を撫でられて、甘えるように母の胸にもたれ掛かる。
「これまでも見知った人だとしても、他人に肌を見せたり触らせてはいけないと言ってきたでしょう?」
「わたしの大切な体だから?」
「そうよ。これからはもっと気をつけなければならないわ。特に男の人にはね」
「女の人は? 誰にもあざを見られたら駄目なんでしょう?」
「それもあるけれど、今日の話はまた別のことなの。大人の男の人はね、女の人の肌に触れて繋がりたいって欲求が強いのよ。だから……」
言葉を選んでいる様子のアニサを、ルチアは前のめりにさえぎった。
「それ、わたし知ってる! 裸で抱き合って汗をかきながら男の人の硬い棒をここに突っ込むんでしょう?」
「ルチア! あなたどこでそんな話を……!」
「今日、みんなが言ってたわ。男と女のイロゴトは知っておいた方がいいって、いろいろ教えてくれたの」
絶句しているアニサを前に、ルチアは今日得た知識を指折り数えていった。
「ええっと、恋人同士は裸で抱き合うんだけど、初めては痛くて血がいっぱい出るの。それでも何回かするうちに気持ちよくなれるのよ。だけど相手がへたくそだといつまで経っても痛いんだって。だから初めては慣れた人がいいとも言われたわ。あと、恋人は体の相性で選んだほうがよくって、でも結婚するならお財布で相手を決めるべきだって……」
「もういいわ、ルチア……」
制されて、ルチアはそこで口をつぐんだ。アニサは目を片手で覆い、その状態で天を仰いでいる。しばらくするとふぅっ小さく息を吐き、気を取り直したようにルチアに向き直った。
「いい、ルチア。よく聞いて。確かに男女は裸で抱き合うことがあるわ。でもね、これは誰彼なく軽率にすべきことではないの」
「赤ちゃんができちゃうこともあるから?」
「そうよ。ルチアが好きになって、その人もルチアのことをきちんと大事に思ってくれる、そんな相手でないと絶対にそういう行為をしてはいけないわ。わたしが言っている意味は分かる?」
ルチアは神妙に頷いた。アニサ以外の誰かに触れられるのは、今のルチアにとってはすごく怖く感じられた。
「まぐあいはね、子供を作るだけが目的ではないの。心を通わせたもの同士が愛を確かめ合うための、とても大切なものなのよ」
「あいを確かめ合う……?」
「愛する人と結ばれることは、体だけではなく何よりも心が満たされるものだから」
母の言葉を自分の中でかみ砕こうと、ルチアは懸命に頭を巡らせた。だがいまいち理解が追いつかない。
「ルチア。わたしはね、愛する人と結ばれることこそが、女性にとっていちばんのしあわせだと思っているの。だからルチアがもっと大人になったら、誰よりも好きになった男性と心から愛し合えることを願っているわ」
「誰よりも、好きに……」
「だから最初の話に戻るけれど、軽々しく誰かに体を触らせては駄目なのよ。いつかその人に出逢うまで、ルチアは自分のことを大事に扱わなくてはいけないの。分かるわね?」
アニサにじっと見つめられる中、ルチアは小さく頷き返す。微笑んで、アニサはルチアの額にやさしく口づけた。
「今はそれだけ分かっていれば十分よ。まだ少しつらそうね。まぐわいの詳しい話はまた明日にして、今夜は早めに休みましょう」
あったかい布団の中、ふたりで抱き合い丸くなる。
「おやすみ、わたしの可愛いルチア」
「おやすみなさい、母さん」
アニサの手がやさしく頭を撫でてきて、心地よさにルチアの意識は夢の世界へと沈みかけた。そんな中、ふと小さな疑問がもたげてくる。アニサこそ、いちばん好きな人と結ばれ愛し合うことができたのだろうか。
聞きかけて、結局口に出すことは出来なかった。ルチアがもっと幼いときに、父親のことを一度だけ尋ねたことがある。そのときの悲しそうな母の顔が、ルチアはいまだ忘れられないでいた。
「ねぇ、母さん……母さんは今、しあわせ?」
まどろみながら問いかける。動きを止めた手に、ぎゅっと強く抱きしめられる。
「もちろんよ、ルチア」
額に唇が落ちた感触がして、ルチアは夢うつつに微笑んだ。
今もしあわせと言うのならば、母はいちばん好きなひとと結ばれたのだろう。きっとそういうことに違いない。
そんなことを思いながら、ルチアは深い眠りに落ちていった。




