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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣

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第21話 双子の王子

【前回のあらすじ】

 カイの姿を探して、ひとり夜会の会場を出たルチア。その先の廊下で酔った紳士に出会い、休憩室に連れ込まれてしまいます。手籠(てご)めにされそうになった時、助けに現れたのは騎士姿のカイで。

 無事に男を追い払うも、すぐに新婚の夫人がやってきます。ルチアを寝台の影に押しやったカイは、その夫人に抱いて欲しいと懇願されて。そこでルチアが目にしたやり取りは、夫人との逢瀬の未来をにおわせるもので。

 ルチアに問い詰められたカイは、口づけで有耶無耶にごまかして。不誠実なカイの態度にルチアは怒りを爆発させます。

 泣きながら部屋を飛び出したルチアと鉢合わせしたリーゼロッテは、同じ部屋から出てきたカイを見てふたりの関係を察知します。責任を取るつもりはあるのかと問いただすリーゼロッテに、またもやカイは不誠実さを披露して。

 結局何もできないまま、リーゼロッテは警護に戻るカイの背を見送るのでした。

 新しい年を知らせる(かね)が王城の高い塔から鳴らされる。朝もやのかかる箱庭にひとり(たたず)み、マルコはその音を聞いていた。

 澄み渡る空に響く振動は、神殿にいたときよりも力強く身を震わせる。ここは後宮にある東屋(あずまや)だ。鐘の音が近く聞こえるのは当然のことだろう。


(もうすぐ一年だ)


 第一王女が死んだとき、マルコは(とりで)の騎士団に拘束された。身に覚えのない罪を着せられそうになり、しばらくしてから始まったのがこの軟禁生活だ。

 ここ数か月は夢見の力を持っているからと、男の自分が巫女役なんかをさせられている。神事の時以外はずっとこの狭い空間に閉じ込められたまま、誰とも会話することなく日々は過ぎていく。


 今や日課となっているため息が、頬に白く纏わりついた。ぶるりと寒さに震えながらも、マルコはいつものように雪積もる庭を散策し始めた。

 と言っても高い塀に囲まれた小さな庭だ。あっという間にひと回りすると、小鳥たちのさえずりを吸い込むようにマルコは何度か大きく深呼吸した。


 ぴちゅちゅちゅちゅ、と茂みの一角がやけにそこだけ賑やかだ。鳥の巣でもあるのかと木々の間を覗き込む。薄暗い奥に目を凝らすと、鬱蒼(うっそう)とした枝の合間に()びついたアーチのトンネルがあるのに気がついた。


(こんなところに小路があったんだ……)


 手入れのされていない庭木のせいで、今まで見落としていたようだ。生い茂る雪の枝をかき分けて、マルコはトンネルをくぐっていった。


「わぁ……!」


 絡みつく枝葉の道を切り開くと、そこにも庭が広がっていた。新しい景色に心が躍る。屋根付きのガゼボがあって、奥には小さな丸太小屋が見えた。

 鍵がかかってないのをいいことに、興味津々で扉を開く。埃っぽい部屋はあまり嗅いだことのないにおいがした。薄暗い中に目が慣れてくると、大小さまざまな絵画が置かれているのが目に入った。


 飾るでもなく、それらは雑然と下に置かれている。テーブルの上には何本もの筆や絵の具、(いろ)の乗ったパレットなどが所狭しと並べられていた。

 においの正体は絵の具なのだろう。使いかけのチューブをひとつ手に取ると、かちかちに固まった状態だった。


「誰かの工房だったのかな……?」


 マルコが使う以前、ここで暮らす人物がいたに違いない。この箱庭は王城の敷地内でも、かなり奥の方に位置している。そしてマルコが今寝起きしている東屋は、古くとも立派な造りのものだ。

 今いる場所は王族の住まいだったのかもしれない。そう思い至りマルコはひぇっとおかしな声を漏らした。


(な、なんで神官見習いのボクがそんな場所に!?)


 しかもここに移されたのは、王女殺害の犯人扱いされた後の話だ。閉じ込める必要があるにしても、平民の自分が暮らすには分不相応だと思えてしまう。


 ――自分の持つ夢見の力は、国の均衡を揺るがしかねないものだ


 いつだかレミュリオに言われたことを思い出した。夢見の力が王家に知れたら、命を狙われることもあり得るのだ。あの日はそんな怖いことまで知らされた。


(おとなしく従っているうちは、命を取られることもないということか……)


 マルコは今こうして軟禁されて、巫女の代わりに夢見の神事をさせられている。王族の住居に住まわせるくらいだ。レミュリオの言うように、それほど夢見の力とはこの国にとって重要なものなのだろう。


 沈む気持ちの中、床に(じか)に置いてあった絵を一枚拾い上げた。そこには花瓶に飾られた花が描かれている。王族の暇つぶしにしてはとても上手だ。才能豊かな人物だったのだろうと、マルコはほかの絵も一枚一枚確認していった。

 大きさに違いはあれ、他の絵も植物や風景画がほとんどだった。どれかを東屋の部屋に飾ってみたい。だがあの茂みのアーチをくぐる際に絵を傷つけてしまいそうだ。


「その前にあそこをきれいに刈り取ろう」


 やることができたマルコは途端に元気を取り戻した。どうせ逃げ出せないのなら、ここでの生活を工夫を凝らして楽しむよりほかはない。


(あ、あそこにもう一枚あった)


 朝日が差し込み始めた窓際に、画架(イーゼル)に乗せられた画板を新たに見つけた。それは今まで見たどの絵よりも大きなもので、上から白い布がかぶせられている。


「描きかけだったのかな……」


 近くの作業台には何色も絵の具が乗ったパレットと、彩の付いたままの筆が数本置かれていた。絵の具が乾ききっていなかったら、今まさに筆を取っていたと錯覚してしまいそうだ。

 この絵筆が置かれてから、どれだけの時が過ぎたのだろうか。止まったままの時間を動かすように、マルコは覆いかぶさっていた布をひっぱり落とした。


「――……っ!」


 息を飲み、言葉を忘れる。

 目の前に現れたのは裸婦(らふ)画だった。クッションがいくつか置かれたベンチの上で、一糸まとわぬ若い女性が恥ずかしげに瞳を伏せている。木漏れ日のあふれるその場所は、先ほど外で見たガゼボのようだ。


「な……んでこんな絵が……」


 肉付きの良い美しい肢体が、惜しげもなくマルコの前に(さら)されている。女性の裸を目にするなど、幼馴染の少女と水浴びをしたくらいのものだ。見てはいけないと思うのにどうしても目が離せない。


「うっ」


 体の中心に熱が集まり、痛いくらいに股間が張り詰めた。突然の衝動に、マルコはアトリエから逃げるように飛び出した。

 木々が生い茂るトンネルを突っ切って、東屋の寝室へと駆け込んでいく。寝台にもぐりこみ、おさまらない動悸にぎゅっと目をつぶった。


(ボクは神官なのに……!)


 罪悪感に(さいな)まれ、それでも先ほどの女性の裸が脳裏を離れてくれなかった。神官が所帯を持つこと自体は許されている。だが自分には縁遠いことだと思っていた。

 早く落ち着かなくては。もうすぐ女官が朝餉(あさげ)の膳を運んでくる時間帯だ。


 結局いつまで経っても寝台からは出られずに、やってきた女官には仮病を使うしかないマルコだった。


      ◇

 新年を迎え、元旦から二日にかけては、王城の客間に籠り切りでジークヴァルトと過ごした。三日の今日はアンネマリーに会いに行く予定だ。

 昼夜逆転しないよう強めに伝えたら、夜はきちんと眠らせてくれた。


(夜は……だけどね)


 乾いた笑いが口から漏れる。結局は日が昇っている時間帯に、ばっちり(あえ)がされたリーゼロッテだ。

 最近のジークヴァルトは焦らしのテクニックに磨きがかかっている。ソフトタッチで触れられて、決め手がないまま全身快楽に堕とされる。それが延々と続くのだ。

 日中の明るい部屋の中、涙目で身悶(みもだ)えるリーゼロッテを、ジークヴァルトは目で見て楽しんでいるようだった。


「どうした?」

「いえ、何でもございませんわ」


 そう返しつつも、つい遠い目になってしまう。リベンジの機会を伺っているが、いつでもジークヴァルトの好きにされる自分が情けなく思えた。

 気を取り直してアンネマリーの元へと向かう。王妃の離宮は基本男子禁制だ。今日は特別なお呼ばれなので、ジークヴァルトも一緒に奥へと通された。


「リーゼロッテ、待っていたわ」

「アンネマリー王妃殿下、本日はご招待ありがとうございます」

「今日は非公式な場よ。普段通りに接してちょうだい」


 王族への礼を解き、リーゼロッテはアンネマリーとハグをした。


「出産おめでとう。よかった、ちゃんと自分の口から伝えたいって思ってたの」

「ありがとう、リーゼロッテ。(じき)にハインリヒも来るから、それまではわたくしとおしゃべりしてましょう」


 ジークヴァルトは片隅のソファに追いやって、ふたりで同じ長椅子に腰かけた。


「アンネマリー、少しやせた?」

「授乳がね、思っていた以上にたいへんで。日に何度もあげなくてはならないし、しかも双子でしょう? いっぺんに飲んでくれるならまだいいのだけれど、寝て起きるタイミングも違っていたりして」

「まぁ、それではゆっくり休む暇もなさそうね」


 赤子への授乳は相当体力を消耗すると聞いたことがある。身の回りの世話は女官がしてくれるにしても、かなりハードな毎日なのだろう。


(産後太りで悩むひとも多いらしいけど、アンネマリーは胸以外もうほっそり体型ね)


 アンネマリーが動くたび、大きな胸がゆさゆさ揺れる。出産直前に会ったときよりも、その存在感は半端なかった。リーゼロッテの視線を感じたのか、アンネマリーは苦笑いとともに小さく肩をすくませた。


「そうは言っても、吸ってもらわないことには胸が張って仕方ないのよ。肩も凝るし、もっといっぱい飲んで欲しいくらいだわ」

「つらいときはいくらでもわたしが引き受けるよ」

「もう、ハインリヒったらまたそんなことを……」


 いきなりのハインリヒの登場に、リーゼロッテは慌てて礼を取った。王位に就いてからと言うもの、彼から感じる威圧感は王太子時代のものとは比較にならない。

 どこか遠くを見据える瞳は威厳に満ちており、今聞こえた台詞の内容は空耳だったのではと思えるほどだ。


「ああ、いいよ。ここではもっと気を楽にして過ごすといい」

「ありがとうございます、ハインリヒ王」


 アンネマリーの横を王に譲り、ジークヴァルトの隣へと移動する。膝の上に乗せられそうな気配を察知して、延ばされる手を牽制しながらリーゼロッテは無事ソファへと腰を下ろした。


 ハインリヒがアンネマリーの頬にやさしい口づけを落とす。ともすれば冷たく感じられる王の瞳に、(ほの)かな暖かみが宿った。アンネマリーも安心しきった様子で、ハインリヒの肩にもたれかかっている。

 王と王妃という重圧から解放される時間なのだろう。相変わらずラブラブなふたりのことを、リーゼロッテは微笑ましく眺めやった。


「そう言えばカイから聞いたよ。義母上が突然無理を言ったようだね」

「いえ、無理だなんてとんでもございません。イジドーラ様のご提案に、フーゲンベルク家も前向きに検討しておりますわ」

「もしかしてリーゼが贈ってくれた髪の美容液の件?」


 自身の髪に手をやって、アンネマリーが小首をかしげた。


「あれをもらって以来、髪の調子がとてもいいの。絡まないし、女官たちも手入れが楽になったと言っているわ」

「そう、ならよかったわ。わたくしも自分で使ってみてとてもいい感じだったから、アンネマリーにも是非にと思って」


 産後には抜け毛が増えると聞いていたリーゼロッテは、自身の発案で作った整髪料を出産祝いとしてアンネマリーに贈った。


(髪にはにがりがいいって話だし……)


 にがりはマグネシウムの宝庫だ。この国には海はないが、塩の産地として知られる塩湖の水からなら、にがりが作れるのではないか。そう思ったリーゼロッテは、フーゲンベルク家とダーミッシュ家共同で開発を進めてもらっていた。


(元はと言えば、マテアスのために考案した品だったのよね)


 もじゃもじゃ天然パーマのマテアスだが、密かに進行していく薄毛をちょっぴり気にしているようだった。彼の父親であるエッカルトも頭髪の寂しいおじいちゃんなので、その心配も(もっと)もなことだろう。

 将来の自分の毛量を悲観して、余計禿()げたりしては可愛そうだ。何とか良い案はないかと考え始めたのが、すべての事の始まりだった。

 試行錯誤と紆余曲折を経て、育毛に良さげな品が完成した。その過程で、ヘアミスト代わりにも使えることが判明し、試作品を配っては内々で好評を得ていたというわけだ。


 リーゼロッテ的にはそれを商品化する頭はなかったが、イジドーラから王家とのコラボ商品にできないかという打診があった。

 なんでもイジドーラはピッパ王女を生んだ後、しばらくの間、抜け毛に悩まされたらしい。アンネマリーが使っているのを見て、いたく興味を持ったとの話を先日カイから知らされた。


「公爵家としては断りづらいだろう? 無理なようなら遠慮せずに言うといい。わたしからも義母上に言っておく」

「いえ、国益となるのなら、わたくしたちも開発した甲斐があるというものですわ」


 王家ブランドとして売り出せば、貴族たちはこぞって買いに走ること請け合いだ。フーゲンベルク家とダーミッシュ家の名が陰に隠れたとしても、利益は十二分に回ってくることだろう。


「リーゼは昔からいろんなものを生み出す天才ね。ダーミッシュ領の香水や髭剃り、ストローなんかもそうでしょう? 最近では二輪の車ね。あれもリーゼロッテの発案と聞いたわ」

「でもわたくしは初めにあれこれ言うだけで、あとはいつも任せっきりだから……」


 海水を煮詰めると塩とにがりができるらしい。今回もそんなふわっとした情報から、ちゃんとした商品ができあがった。日本で得た自分の知識(チート)がポンコツすぎて、みなの優秀さにいつも頭が下がる思いだ。


「アンネマリー様、そろそろお時間でございます」


 女官が迎えに来ると、アンネマリーは笑顔で立ち上がった。遠くから赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。どうやら王子たちのミルクの時間のようだ。


「飲み終わったら落ち着くと思うから。そうしたらリーゼにも子供たちに会わせてあげるわね。じゃあハインリヒ、行ってくるわ」

「ああ、慌てずにゆっくりあげてくるといい」


 アンネマリーが離れると、ハインリヒはすっと冷たい眼差しに戻った。急に王の仮面をつけられた気がして、リーゼロッテは緊張のあまり思わず居住まいを正した。


「双子の王子に合わせる前に、ふたりには伝えておきたいことがある」

「会わせる前に?」

「ああ、フーゲンベルク公爵家にも関わる重要なことだ」


 (いぶか)しげに問うたジークヴァルトの表情が、余計に訝しげなものとなった。無意識にリーゼロッテを抱き寄せて、眉間のしわが深くなる。


「そう警戒するな。王子にはそれぞれ託宣が降りた。ひとつは次代の王となるもの。もうひとつは龍の盾の伴侶となる託宣だ」

「龍の盾の伴侶……?」


 こてんと首を傾ける。次代の王となる託宣はともかくも、龍の盾とはジークヴァルトが受けた託宣のことだ。その伴侶はリーゼロッテであり、ハインリヒが何を言いたいのか一瞬意味が分からなかった。


「ハインリヒが言っているのは、次の龍の盾のことだろう」

「次の?」

「ああ、要はオレとお前の間にできる子供のことだ」

「ヴァルト様との子供っ!? お、王子殿下がその子の伴侶にっ⁉」

「随分と驚くな。龍の盾の伴侶として王家の者が選ばれた事例は、過去にいくつもあるだろう?」


 ハインリヒに呆れ半分に笑われる。だが “ジークヴァルトとの子供”というのが、リーゼロッテにはまずパワーワード過ぎた。動揺する気持ちを何とか押さえて、頭の中を整理する。


(そう言えばオクタヴィアも王族と結婚して男の子を生んだんだっけ)


 これまで考えもしなかったが、オクタヴィアが受けた託宣は龍の盾だったということだろう。


(龍の盾はフーゲンベルク公爵家を継ぐ者に代々降りる託宣で、その龍の盾の子供を産むのがわたしが受けた託宣で、そんでもってその子の伴侶に王子殿下が選ばれたということは……)


 思わずジークヴァルトの顔を見る。


「ではわたくしが生むヴァルト様の子は、女の子、ということでございますか?」

「そう言うことだな」


 いつかはそういう日が来るだろうとは思っていたが、まだ出来てもいない子供の話だ。それをいきなり突き付けられて、リーゼロッテにますます動揺が走った。


(しかも性別まで分かっちゃうなんて……!)


 龍の託宣の予言力、恐るべしだ。


「こ、これから会わせていただく王子殿下が未来の息子に……?」

「ああ、双子のどちらかがそうなるだろう」

「どちらかが、でございますか?」

「どういうことだ? 託宣は王子それぞれに降りたのだろう?」

「その件については双子に会えばすぐ解る」


 硬い声で返したハインリヒを前に、リーゼロッテは再びジークヴァルトと目を見合わせた。

 ほどなくしてアンネマリーの待つ子ども部屋へと通された。広く豪華な部屋に、これまた豪華なベビーベッドが置かれている。このベッドはフーゲンベルク公爵家から贈った特注の祝いの品だ。


 部屋の中にはそのほかにも貴族たちからの贈り物が所狭しと並べられていた。王妃の出産に合わせ、ほとんどの貴族は祝いの品を事前に用意していたようだ。

 財力のあるものは男児用と女児用の贈り物を、(ふところ)具合が寂しい貴族はどちらにでも贈れるようなものを準備して、みな子が生まれるのを待っていた。

 しかしいざ生まれてみたら、双子だというから貴族たちは一時騒然となった。急遽ふたり分の品を取りそろえるのに、てんやわんやの騒ぎとなってしまったらしい。


「アンネマリー、問題はないかい?」

「ええ、ぐずらずにいっぺんに飲んでくれたから。お腹いっぱいでふたりともお(ねむ)のようだわ」

「そうか。君にばかり負担をかける。代わってあげられないのがもどかしいな」

「ハインリヒとの大事な子たちですもの。わたくしは何も苦は感じないわ」

「ありがとう、アンネマリー」


 愛おしそうに抱きしめて、ハインリヒはアンネマリーの額にそっと口づけを落とした。


「それでだ、アンネマリー。子どもたちが吸いきれなかった分、胸が張って辛かったらいつでもわたしが引き受けるからね」

「もう、ハインリヒったら。リーゼたちもいるのに……」


 耳元で囁かれたアンネマリーがぽっと頬を赤く染めた。何を言われたのかは聞き取れなかったが、他人のイチャコラならいくらでも見ていられると、しみじみ思ったリーゼロッテだった。


「ヴァルトたちも双子の顔を見てやってくれ」


 いそいそとベビーベッドへと近づいた。遠目に見ても可愛らしい赤ん坊だ。


「兄をディーデリヒ、弟をルートヴィヒと名付けたの」

「おふたりとも素敵なお名前ね」


(髪も瞳の色もハインリヒ様にそっくり! でもふわふわの髪質はアンネマリー似だわ)


 プラチナブロンドにアメジストのような透き通った紫の瞳の双子は、まるで精巧な人形のように見えた。そんな赤ん坊がふたり並んで寝かされているのだ。あまりの可愛さにリーゼロッテはこれ以上なく心をときめかせた。

 しかしジークヴァルトが覗き込んだ瞬間に、うとうととまどろみかけていた双子が突然火がついたように泣き出してしまった。


「まぁ、ふたりとも急にどうしたのかしら」

「ジークヴァルトが(にら)むからではないのか? おい、ヴァルト、お前はあまり顔を近づけるな」


 ハインリヒに言われ、リーゼロッテは慌ててジークヴァルトの手を引き王子たちから遠ざけた。それでも双子は泣き止まない。


「おむつも汚れてないし、困ったわね。眠くてぐずっているのかしら」

「いや、さっきまで眠りかけていたんだ。やはりヴァルトが怖かったのだろう」


 アンネマリーとハインリヒが、それぞれに赤子を抱き上げあやし始める。それを遠巻きに眺めていたジークヴァルトの眉根がぎゅっと寄せられた。


(未来の義理の息子に嫌われちゃうなんて……将来ふたりの仲に亀裂が入ったりしたらまずいわ!)


 娘婿(むすめむこ)(しゅうと)の争いなど、絶対に避けて通りたい。何かいい手立てはないものかと、リーゼロッテはおろおろと考えを巡らせた。ふと置かれた祝いの品に目を留める。


「ハインリヒ王、こちらをお借りしてもよろしいでしょうか?」

「ああ、別段構わないが……」


 戸惑い気味に返される中、リーゼロッテは耳にリボンをつけた可愛いウサギの縫いぐるみを抱えあげた。赤ん坊に贈るには少々大きすぎるサイズの代物だ。


「ヴァルト様こちらを」


 ウサ縫いをジークヴァルトに押し付けて、自分はアヒルの縫いぐるみを手に取った。


「さ、ヴァルト様、いきますわよ」

「行く? 一体どこに行くつもりだ?」

「そうではございません。今こそ腹話術の練習の成果を見せるときですわ!」


 意気込んでアヒルを掲げ持つ。


「オレは練習などした覚えはないが」

「つ、つべこべ言わずにやってくださいませ。王子殿下に泣き止んでいただかないと!」


 初見で何でも器用にこなしてしまうジークヴァルトに嫉妬心を抱きつつ、リーゼロッテはアヒルの羽を片側持ち上げ王子に一歩近づいた。ジークヴァルトも付いてくるよう、さりげなく目くばせを送る。


『はじめまして、わたくしはアヒルのソンチョウですわ。こちらのリボンがとっても可愛いウサギはぷるゃと申します。今日は王子殿下おふたりにご挨拶にまいりました』

「ぷるゃ?」

「ヴァルト様、お口を動かしては駄目ですわ。それにそこは『ヤハ』か『ウラ』にしてくださらないと」


 小声で(たしな)めると、ジークヴァルトは『ヤハ……?』と眉間にしわを刻んだ。


「あとは『プルルル』だけで。失礼にあたりそうですから、今日は『フゥン』と『ハァ?』はお控えくださいませね」

『……ウラ』


 訳が分からないといった顔をしつつも、ジークヴァルトはおとなしく従ってきた。上出来とばかりに頷き返し、気を取り直して王子たちに向き直る。


『怖い思いをさせて申し訳ございません。わたくしたちはアヒルとウサギですから何も心配ございませんわ』

『プルルル』


 甲高い声で縫いぐるみを近づける。双子の王子のみならず、王と王妃もきょとんとした顔をした。


『泣き止んでくださってありがとうございます。本日はおふたりにお会いできて光栄ですわ』

『ヤハ』


 涙の残る瞳を見開いて、王子ふたりはじっと耳を澄ませている。これはイケると確信したリーゼロッテに、ハインリヒがぽかんと問いかけてきた。


「それは一体何なのだ……?」

『これは腹話術と申しまして、口を動かさずに人形がしゃべっているように見せる技法ですわ』

「縫いぐるみを挟めば公爵の怖さも薄れるというわけね」

『ぷるゃっ』

「逆に空恐ろしいのだが……」


 呆れ声のハインリヒを脇に置き、アンネマリーが赤子のひとりを近づけた。興味津々にアヒルのソンチョウにちいさな手を伸ばしてくる。


『なんてお可愛らしい!』

『ヤハっ』


 今度はウサギのぷるゃに目を向ける。笑顔になりかけた王子は、しかしぷるゃを抱えるジークヴァルトに気づくと、再び大声を上げて泣き出してしまった。


「もういい。やはりジークヴァルトは近づくな」

「も、申し訳ございません。わたくしの技量が足りないばかりに……」

「そういう問題ではないんじゃないかしら?」


 敗北を(きっ)し、悔し涙をにじませたリーゼロッテに、アンネマリーが冷静に突っ込みを入れた。

 仕方なしにジークヴァルトを部屋の(すみ)に追いやった。ソンチョウとぷるゃを抱え、ぽつりと残される姿がなんとも哀れを誘う。


 ぐずつきながらも双子はベビーベッドに戻された。改めて王子たちを覗き込む。リーゼロッテと目が合うと、足をばたつかせていたふたりは嘘のようにぴたりと動きを止めた。


「あら? 今度は急に泣き止んだわね」

「というか、おふたりともわたくしに(おび)えてるんじゃ……?」


 息をつめ、双子は(まばた)きもせずリーゼロッテを凝視している。赤子らしからぬその様子は、緊張をみなぎらせているようにしか見えなかった。


「言われてみればそんな気もするわね。リーゼが綺麗すぎて驚いているのかしら?」

「そんなはずは……」


 アンネマリーの胎内にいた頃も、リーゼロッテが腹に触れると双子は動きをぴたりと止めていた。そんなことを思い出し、やはり嫌われているのではと心配になってくる。

 頭の中で娘婿VS(しゅうと)(しゅうとめ)の争いが勃発(ぼっぱつ)し、再び涙目になったリーゼロッテだった。


「それでどちらがどちらなのかしら……?」


 双子は見た目そっくりだ。聞いても区別はつきそうになかったが、ひとりは未来の王で、残るひとりはいつか授かる娘の伴侶だ。知っておきたいと思うのが親心と言うものだろう。


(それに龍のあざは授かった託宣ごとに違う形をしてるから、(うり)二つでもそれで見分けがつくはずね)


 リーゼロッテの問いかけに、アンネマリーが少し困った顔をした。ハインリヒの顔を伺い、どう言えばいいものかとそんな雰囲気を(かも)し出してくる。


「アンネマリー?」

「いや、わたしが話そう。今から言うことは他言無用だ。ふたりとも心して聞いてくれ」


 何か良くない(たぐい)の話だろうか。すっと王の顔となったハインリヒを前に、リーゼロッテは漠然とした不安を抱いた。


「どちらが王位を継ぎ、どちらが龍の盾の伴侶となるか……それはどちらともと言えるし、どちらでもないとも言える」


 頓智(とんち)問答のような言い方に、意味が分からず小首をかしげる。ジークヴァルトを見やると、同様に訝しげな顔をしていた。


「それはどういう意味だ? 双子にはそれぞれ龍から託宣が降りたのだろう?」

「確かに降りた。不確かな託宣がな」

「不確かな託宣……?」

「ああ。双子の手を見れば解る。いや、ヴァルトはそこを動くな。その位置からでも見えるだろう?」


 代わりにリーゼロッテがベッドの中を覗き込んだ。見えやすいようにとアンネマリーが双子の手を差し出してくる。


「これは……」


 龍のあざは手の甲にあった。しかし本来なら正円であるそれは、綺麗に半円で途切れていた。残りの半分がもう片方の手に刻まれている。


「なぜあざが半分に……?」

「ただふたつに分かれているのではない。王位に就く者のあざと、龍の盾の伴侶となる者のあざを、王子たちは半分ずつ分け合っているのだ」

「分け合って……?」


 よくよく見ると左右の模様はまったく違う形をしていた。両手を合わせてみても、模様はぴったりとは重ならないようだ。しかし双子の手をクロスして並べると、正しい龍のあざの形が出来上がった。


「どうしてこんなことが……」

「国の歴史を紐解いても、このような事例は過去には存在していない」


 不可解な現象に青龍の真意が掴めない。胸に不安が湧き上がり、リーゼロッテはジークヴァルトのそばに身を寄せた。


「恐らくだが、王子たちの未来は定まっていないのだろう。どちらが王となる道を行くのか、龍はいまだ決めかねているのかもしれない」

「おふたりの成長を見て、龍は判断するつもりだと……?」

(おおむ)ねそう言うことだと理解している。今、神託の言葉を待っているところだが」


 ハインリヒは遠い瞳でジークヴァルトの顔を見る。


「これはフーゲンベルク公爵家にも関わることだ。いつ龍から答えが得られるかは分からないが、お前たちもその心づもりでいてくれ」

「王の仰せのままに」


 深く礼を取ったジークヴァルトに、リーゼロッテも慌てて続いた。


「ご歓談中に失礼申し上げます」


 控えめなノックとともに年配の女官が現れた。すぐれない表情でアンネマリーに視線を送る。


「ルイーズ、何かあって?」

「こちらにピッパ様が来られていないかと……」

「ピッパが? まぁ、また抜け出したのね?」

「申し訳ございません。少し目を離したすきにお姿が見えなくなってしまいまして」

「ここには来てないわね。見かけたらすぐそちらに送り届けるわ」


 ルイーズが去る頃、王子たちはすやすやと眠りについていた。起こしてはいけないと、その場はお開きとなり、リーゼロッテたちは離宮から王城の客間へと戻ったのだった。


      ◇

 何かを追いかけるように、ピッパは後宮奥深くの廊下をひとり駆けていた。


「アムゼル、駄目よ! 外に出たら凍えてしまうといつも言っているでしょう!?」


 前方に真っ黒い小鳥が飛んでいる。アムゼルは父ディートリヒから(たまわ)った聖獣だ。(くちばし)だけが鮮やかな黄色をしていて、美しい声で(さえず)ることのできるピッパ自慢の黒ツグミだった。

 王妃の離宮につながる渡り廊下から、アムゼルは庭の茂みへと飛んでいってしまう。(すそ)が濡れないようスカートをつまみ上げ、慣れた様子でピッパは石畳の小路を進んだ。


「アムゼル? どこ?」


 気配を追って小路から外れて進む。もはやドレスが濡れるのも気にせずに、ピッパは雪の積もる庭木の間をかき分けていった。


「何かしら……こんなところに(さく)があるわ」


 茂みに埋もれるように柵がずっと先まで続いている。見上げると、(つた)が絡まった鉄柱は相当高くまで伸びていた。

 柵の向こうに飛んで行ってしまったアムゼルが、そこにいた誰かの肩に降り立った。その人物と目が合って、ピッパは物怖(ものお)じもせず声掛けをした。


「アムゼルはわたくしの小鳥よ。あなた、名は?」

「えっ、あっ、はい、ボク……いえ、わたしはマルコです」

「マルコ? 聞かない名ね。どこの家の者?」

「いえ、わたしは貴族ではなくただの神官ですので……」

「神官? どうして神官なんかが後宮(ここ)にいるの?」


 問いかけに、困った顔のままマルコはいつまで経っても返事をしない。柵の間に顔を寄せ、()れたピッパは語調を強めた。


「わたくしが聞いているのよ? 早く何か言いなさい」

「す、すみません! わたしもどうしてここに入れられてるのか良く分かってなくって!」


 声を張り上げたマルコに驚いて、アムゼルがその肩から羽ばたいた。気流に乗って空高く上昇したかと思うと、滑空(かっくう)しながらそのままピッパの肩へと舞い戻ってきた。


「ふうん? まぁいいわ。それでマルコはここで何をしていたの?」

「それは……何もすることがなくて、退屈なので散策などをしてました」

「何もすることがないの? いいわね、わたくしはやらなくてはならないことがいっぱいよ」

「はぁ、そうなんですね」

「そうよ。マルコ、もっとこちらに来なさい」


 年下の少女に言われたにもかかわらず、マルコは素直にそばまで寄ってきた。そばかすが残る顔は、青年になり切れてない少年のような印象だ。


「いいわ、時々わたくしが会いに来てあげる。だからマルコは必ずそこにいるのよ?」

「か、必ず!?」

「何? わたくしの言うことか聞けないの?」

「いえ、その、満月と新月の日だけは、大事な神事に出なくてはならなくて……」

「そう、仕方ないわね。ではその日だけは特別に許してあげる」


 居丈高(いたけだか)に言って、気まぐれのようにピッパは突然身をひるがえした。


「行きましょう、アムゼル。あまり遅くなるとルイーズの小言が長くなるわ」


 柵の向こうにマルコを残したまま、ピッパは後宮へと戻っていった。


【次回予告】

 はーい、わたしリーゼロッテ。カイ様の言動に翻弄(ほんろう)されて、思い悩む日々を送るルチア様。ブルーメ領に戻ろうという時に、ピッパ様から話し相手の指名を受けて。戸惑いながら訪れた後宮で、ルチア様を待っていた出会いとは……?

 次回、6章第22話「星に堕とす者」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!

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