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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣

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第14話 桃色の茶会

【前回のあらすじ】

 社交界デビューのための夜会の支度中に、カイとの口づけを思い起こしてしまうルチア。なのにベッティから聞かされた話は、自分の記憶とはまるで違っていて。

 一方ジークヴァルトと共にリーゼロッテは白の夜会に赴きます。公爵夫人としての振る舞いを心がけるも、ジークヴァルトの過保護ぶりに振り回されるリーゼロッテ。

 ひしめく貴族たちの中でようやくカイを見つけたルチアは、冷たく無視をされてしまいます。見知らぬ夫人と親密そうに消えていくカイの後ろ姿に、ショックを受けるルチアなのでした。

 白い長衣に袖を通す。とは言えいつもの神官服ではなく、女性が着るような繊細な作りのものだ。薄い生地の頼りなさは、まるで自分の心を映しているようにマルコには思えた。


「マルコさん、準備は整いましたか?」

「はい、レミュリオ様。お待たせしてすみません」

「いえ、慣れない衣装で戸惑ったことでしょう。前が見えづらいかもしれませんね。慌てずゆっくりと参りましょうか」


 仕上げに長いヴェールをかぶらされ、マルコはレミュリオとともに歩き出した。祈りの泉のある部屋に続く廊下は閑散(かんさん)としていて、誰ともすれ違わないことに安堵する。こんな格好を見られるのは、やはり恥ずかしく思えてしまう。


「あまりご気分が(すぐ)れないようですね」

「なんだか緊張してしまって。夕べはうまく眠れなかったんです」

「そうでしたか。大変かと思いますが、時間はさほどかかりません。今日は何とか頑張っていただけますか?」


 マルコはこれから泉で神事を行うことになっていた。亡くなった王女の代わりに、巫女でもない自分が、夢見の力を持っているという理由だけで。

 長い間、王城で幽閉されているのも、夢見の巫女としての待遇らしい。本物の巫女が現れない限り、この生活が延々と続くのだろうか。先の見えない日々に、不安ばかりが募っていく。


「レミュリオ様……本当にボクで大丈夫なんでしょうか……?」


 何度も投げかけた問いを、マルコは再び口にした。いやな顔ひとつせず、レミュリオは静かに微笑み返す。


「降りた神託にあった通り、古き慣習は捨てる時なのでしょう。万が一何かが起きたとしても、あなたのことは神官長がしっかりと守ってくださいます。もちろんわたしもそのつもりです。マルコさんは安心して神事に(のぞ)んでください」

「……分かりました」


 男であるマルコを巫女に仕立て上げることに、反対する者は多くいた。夢見の力を受け継ぐ女児が生まれる可能性もあるため、せめて王妃が子を生むまでは待つべきだ。その意見からこれまで先延ばしされてきた泉の神事だったが、双子の王子の誕生により、結局はマルコが務めることになってしまった。


 初めて入る神事の部屋には、奥にもうひとつ古びた扉があった。レミュリオに(いざな)われ、マルコはその中にひとり取り残された。閉ざされた部屋の中央には、丸い大きな泉が湧いている。


(この中に入るのか……)


 波ひとつない水面は、天井の模様を映している。覗き込むと、そこに聖女のような格好の自分が加わって、マルコはなんとも奇妙な気分になった。


 (ゆる)されない者はそもそも泉に近づけない。神官長からそう聞かされていたマルコは、恐る恐る泉に片足を()けた。何の抵抗もなかったことにほっとして、もう片方の足も踏み入れる。水中の(ふち)にある階段を降り、ざぶりざぶりと波を立てながら中央を目指した。


「なんだ……なんてことはないや」


 静寂の空間に、漏れ出た呟きが反響する。泉の神事を執り行っても、神託が降りることは滅多にないらしい。時間までここに入っているだけでいいのだと、ようやくマルコの肩から力が抜けた。


 水の中は心地よくて、次第に眠くなってくる。あくびを噛み殺し、寝ないようにと辺りを見回した。石造りの壁には細かく古代文字が刻まれている。天井に描かれているのは繊細な幾何学(きかがく)模様で、それを見上げていると余計に眠たくなってきた。


(まだ、終わらないのかな……)


 さほどかからないと言われたのに、やたらと長く感じられる。どうにも眠気に(あらが)えなくて、マルコの頭がこくりこくりと船をこぎ出した。

 立ったまま意識が朦朧(もうろう)としてくる。前のめりに大きく傾き、ヴェールごと(ひたい)(なか)ば泉に沈み込んだ。しばらくその姿勢でいたマルコの頭が、やがてゆらりと持ち上がる。


 閉じていた(まぶた)がゆっくり開かれ、しばらくぼんやりと前を見つめていた。ふいに生気のなかった瞳に光が宿る。


「なぁんだ。ほんと、なんてことないや」


 少女のような口調で、言葉が紡がれた。


「マルコ、ずっと閉じ込められちゃってて可哀そう。モモにできること、なんかあるかなぁ?」


 たのしげに泉が手のひらで叩かれる。くすくすと笑いながら、(いびつ)に跳ね踊る波を、マルコはいくつもいくつも作っていった。


     ◇

 ご機嫌で守り石に力を()めるリーゼロッテと対照的に、ジークヴァルトは難しい顔で執務に取り組んでいる。そんなふたりを交互に眺めながら、あぐらの姿勢でジークハルトはそこら辺をのんびりと浮いていた。

 数日後の茶会のせいで、しばらくの間はリーゼロッテに手を出すことは許されない。いわゆる「まぐあい禁止令」を前に、ジークヴァルトの不満たらたらな思いがひしひしと伝わってくる。


(抱きつぶすまでヤリまくるから制限をかけられるのに)


 もっと手加減を覚えれば、禁止されるのはせいぜい出かける前日くらいで済むだろう。


(ま、ヴァルトは我慢しすぎだったしね。(たが)が外れて制御不能になってるから、もうどうしようもないか)


 ジークヴァルトの感情は常にこちらに筒抜けだ。悶々とされると正直鬱陶(うっとう)しいが、最近ではリーゼロッテとの睦言のご褒美が待っている。こっそりとそれをたのしみにしているジークハルトだった。


『そんなことが知れたら無表情で逆上して、手が付けられなくなるんだろうなぁ』


 眉間にしわを寄せているジークヴァルトを見やり、ジークハルトはくすりと笑みをこぼした。


「何のお話ですか?」


 不思議そうに小首をかしげたリーゼロッテは、以前と変わらない無垢な瞳を向けてくる。ジークハルトはリーゼロッテのあられもない姿を、毎晩のように見続けている。なにしろジークヴァルトの思念が強すぎて、寝室を覗かなくとも否応なしに伝わってきてしまうのだ。


『そんなことが知れたら涙目で真っ赤になって、顔も合わせてくれなくなるんだろうなぁ』

「ハルト様……?」

『ううん、何でもないよ。ただのひとりごと』


 大きな緑の瞳と見つめ合い、ジークハルトは満面の笑顔を返した。


『それよりもリーゼロッテ、益々上達したんじゃない?』

「そうなのです! わたくしもう、二度と失敗する気がいたしませんわ」


 自慢げに掲げられた守り石は、鮮やかな緑が幻想的に揺らめいている。(きら)めきがたゆとう様をうっとり眺めて、リーゼロッテは満足げなため息をこぼした。


『近頃のリーゼロッテは、寸分(たが)わず聖女と息ぴったりだからね』

「わたくしの守護者と?」

『うん、それだけ同調してたら失敗のしようがないって感じ』


 守り石に負けず劣らずの勢いで、リーゼロッテは瞳を輝かせる。


「だとしたらうれしいですわ。やっぱりマルグリット母様の力が(ほど)けたからなのですね」


 その背後には、未だマルグリットの力がマントのように覆いかぶさっていた。何度も危機から守るうちに膜が破れ、ほつれた残りが辛うじて引っかかっている感じだ。


(あと一回くらい危険な目にあったら、今度こそ消えてなくなりそうだけど)


 だとしても今のリーゼロッテなら支障はないだろう。それくらい今の彼女は、自分の力を上手に扱えていた。


「でもよかった。それほど同調出来ているのなら、聖女の自覚もバッチリですわね」

『自覚?』

「ほら、ハルト様、以前おっしゃってましたでしょう? わたくしの守護者は守護者としての自覚がないみたいだって」

『ああ、うん、でも……』

「でも?」


 ジークハルトがじっと見やると、リーゼロッテも確かめるように自分の背後を振り返った。


『聖女は未だにやる気も自覚もないみたいだよ?』

「ええっ」


 涙目になったリーゼロッテが、祈りのポーズで何やらぶつぶつと言い始める。


「聖女様。前にも申し上げましたが、聖女様がわたくしの守護者なのはきっとあなたの運命なのです。ですので、しっかりきっぱり自覚をもって、全力でわたくしを守ってくださいませ!」

『わ、こんなときはびっくりするくらい同調できてないね』

「そんなっ!? せ、聖女様、お願いいたしますわっ」


 わたわたとするリーゼロッテの全身から、不規則に緑の力があふれ出た。心乱れると制御が利かなくなるのは相変わらずだ。


「ハルトの言うことなど真に受けるな」

「ですが、ヴァルト様……」


 会話に割り込んだジークヴァルトが、髪を梳きながら力の乱流を整えた。リーゼロッテの中で青と緑が交じり合っていく。

 夜ごとひとつに繋がるふたりの力は、別物でありながらこの上なく美しい調和を保っていた。最近ではそんなふうにジークハルトの目に映る。


『そうだよ、ヴァルト。なんでそんな傷つくこと言うのさ』

「うるさい、お前は黙っていろ」


 お決まりのあーんの往復が始まって、ふたりから少しばかり距離を取った。この時間を邪魔すると、ジークヴァルトの機嫌がものすごく悪くなるからだ。


(ちょっとくらいおしゃべりに混ぜてくれたっていいのに)


 これまで守護してきた者の中でも、ジークヴァルトの独占欲の強さは断トツだ。やれやれと思いつつ、生温かくふたりのやり取りを見守った。


(ヴァルトと話ができるのも、あとどれくらいかな……)


 今こうして会話が成立しているのは、ジークヴァルトの並外れた力があるからだ。この先リーゼロッテが託宣の子を宿したら、ジークヴァルトとの繋がりはその瞬間から(ほど)かれる。次代の龍の(たて)守護者(ジークハルト)を認識できるかは、神のみぞ知ると言ったところだ。

 八百有余年に渡ってそうしてきたように、視えぬ存在として見守る日々に戻るだけのこと。そうは思うが、一度得たものを手放したくないと思うのが人情だ。


(このオレにまだひとの心が残っていたなんて、な)


 それを思い出させてくれたのは、リーゼロッテに他ならない。


 歴代最強の龍の盾の(つがい)に、星読みの末裔(まつえい)が選ばれた。それは青龍の思惑があってこそだ。初めは龍の血筋が薄れてきた証拠くらいに感じていたが、続く不可解な事象はすべて龍の計画通りに進行し続けている。


(双子の王子に降りた託宣も、過去に例を見ない不可解なものだったし……)


 今頃は王家と神殿で、ひと悶着(もんちゃく)は起こしてそうだ。ジークヴァルトの元を離れ、王城内を少々盗み見してきたジークハルトだった。

 こんなふうに勝手気ままに動ける自由が失われるのも、恐らく時間の問題だろう。託宣者が代替わりするのは、ジークハルトには()けようがないことだ。


 ――だとしたらせめて、次代の龍の盾はこの手で守らせて欲しい。


 でないと、守護者である意味がない。異形の者から幼いジークヴァルトを守れなかった日々は、未だジークハルトの胸を撃つ。


(そうだ、オレはこれからも守護者でい続ける)

 誰よりも愛する姉――シイラの願いを未来永劫(えいごう)叶えるために。


 一度はすべてを終わらせる夢を見たジークハルトだ。ジークヴァルトに疑心を植え付け、その距離を広げようと試みもした。それが功を奏して自由にここまで動けるようになったが、今はこの絆が愛おしくて仕方がない。


『あれ、リーゼロッテ、髪の毛に何かくっついてるよ?』


 会話に割り込む口実を見つけ、泳ぐようにすいとふたりに近寄った。


「え? どこでしょう?」

『ほら、ここ。ああもう、そこじゃなくて』


 リーゼロッテとジークヴァルトが、(ふさ)を持ち上げては確かめていく。そうこうしているうちに引っかかっていた糸くずは、髪に埋もれて見えなくなってしまった。


『もう、しょうがないなぁ。ここにあるってば』


 言いながら自身の手首から下を、ジークヴァルトの手に重ね合わせる。いつかそうしたように、ジークハルトはそのままジークヴァルトの腕を動かそうとした。


「やめろ――っ!」


 ばんと(はじ)かれて、ジークハルトは上に吹き飛ばされた。いきなりの怒声に、見下げたリーゼロッテが驚きで固まっている。


『やだなぁ、そんなに怒んないでよ。あのときみたいに体、乗っ取ったりしないって』


 鬼の形相で睨みつけてくるジークヴァルトに、軽く肩を(すく)ませた。


『ちょっと手を借りるくらいどうってことないでしょ? ヴァルトってばホント心が狭いんだから……って、わかったよ、金輪際(こんりんざい)しないからもう許してくれない?』


 誠心誠意謝ったつもりが、逆に苛立ちが増したのが伝わってくる。仕方なしにジークハルトは、天井めざしさらに上に昇って行った。


『リーゼロッテも驚かせてごめん。悪いけどヴァルトの機嫌、うまく取っといて』


 天井を抜ける間際、困惑顔のリーゼロッテにひらひらと手を振る。ジークヴァルトの歯噛みを受けて、今度こそ部屋から姿を消した。


     ◇

「まぁまぁ! ティール家へようこそ!」


 招待されたティール家のお茶会で、出迎えたのはかなり高齢のご夫人だった。彼女はティール公爵の母親だ。ジークヴァルトと並び立ち、リーゼロッテは美しい所作で礼を取った。


「パウラ様、本日はお招きいただきありがとうございます」

「あたくし、あなたに会える日を本当に心待ちにしていたの! お噂通り可憐な方ね、その薄桃色のドレスがとってもよくお似合いよ! でもあなたにはフリルいっぱいでもっと濃いめの桃色もお似合いになると思うのよ? 今度あたくしが一式あつらえても良いかしら? ね、ぜひそうさせてちょうだい!」


 ハイテンションの出迎えに、リーゼロッテはぱしぱしと目を(しばたた)かせた。何しろパウラが纏う衣装は、全身ドがつくショッキングピンクだ。


(チカチカしすぎて、ずっと見ていると眩暈(めまい)がしてきそうだわ)


 彼女がピンク好きというのは筋金(すじがね)入りのことらしい。テーブルクロスから飾りの花に至るまでピンク尽くしで、華やかなことこの上ない。パウラが主催するこの席は「桃色の茶会」と呼ばれ、招待客は桃色の装いで来るよう指定を受ける。社交界ではここに呼ばれることが、ひとつのステータスとなっていた。


 リーゼロッテはお茶会仕様の華美にならない程度のドレスをチョイスした。ジークヴァルトも普段は着ないようなピンクグレーのジャケットを急遽(きゅうきょ)仕立て、袖や裾には桃色の糸で刺繍が施されている。

 なんだかホストっぽくてこっそり笑ってしまったリーゼロッテだったが、この席でなら浮いているどころか、むしろ地味に思えてくるから不思議なものだ。


「今日はフーゲンベルク夫妻を迎えてのお茶会よ! なんて素敵な日なの! みなさんも存分にたのしんでらしてね!」


 招待客は自分たちを含めて数組の紳士淑女だった。この人数にしては、舞踏会でも開けそうな大広間でのお茶会だ。


(今日は絶対にあーんも抱っこもさせないんだから)


 隣に座るジークヴァルトに警戒しつつも、当たり障りなくお茶会は進んでいった。主催者のパウラはハイテンションのマシンガントークで場を盛り立てていく。そのうち紳士たちは片隅に追いやられ、パウラは桃色の淑女たちだけを周りに侍らせた。

 引き離されて不服そうにしつつも、ジークヴァルトも紳士たちと言葉を交わしているようだ。リーゼロッテはひとりで粗相をしないようにと、いっそう気を引き締めた。


「最近のドレスの流行りはシンプル過ぎて、あたくし物足りなくって。今度いらしたときは、みなさんもっともっと素敵に着飾ってきてほしいわ! 特にリーゼロッテ様! 次はあたくしの見立てたドレスでいらしてちょうだいね!」

「ぜひともそうさせていただきますわ」


 愛想笑いを返しつつ、どんなド派手なドレスを着させられるのかと心配になってくる。それに自分以外の人間から贈られたものとなると、ジークヴァルトがいい顔をしなさそうだ。


 そんなことを考えていると、隣にいた夫人が苛立ったようにため息をついた。この場に居合わせた彼女はグレーデン侯爵夫人、エーミールの母親カミラだ。

 普段の彼女はいつも落ち着いた装いで、“大人の女性”といった雰囲気を(かも)し出している。しかし今は若い令嬢が着るようなフリフリの桃色ドレス姿で、一瞬誰だか分からなかったくらいだった。


「ほんと嫌気がさすわ」

「カミラ様、どこかお加減でも……?」


 気づかわしげに小声で問うと、カミラは扇を広げてリーゼロッテに耳打ちしてくる。


「パウラお義母様のことですわ。リーゼロッテ様も覚悟なさって。いくつになってもこんな格好をさせられるのだから」


 カミラは賭け事のチップにされて、レルナー家からティール家へ養子に入った。そこで義理の母親となったパウラに着せ替え人形よろしく、桃色尽くしの令嬢時代を過ごしたらしい。

 時たまお付き合いするくらいなら余裕の笑みも浮かべられるが、このテンションが毎日続くのだとすると、さすがのリーゼロッテでも気疲れしてしまいそうだ。


「それは……カミラ様もいろいろとご苦労を……」

「分かってくださる? まったく……ウルリーケお義母様のようにさっさと()ってくれないかしら」


 絶句して、淑女の笑みで固まった。否定も肯定もできぬまま、考えても次に言うべき言葉が見つからない。


「いやだ。あの子、また来ているわ」

「え……?」


 紳士サイドの一角で、なにやら小さなもめ事が起きている様子だ。それをティール家の使用人が間に入ってなんとか収めようとしている。


「わたくしの義理の甥ですわ。ティール家を勘当されたのに、ああやって定期的にお金をせびりに来るんですのよ。恥知らずにもほどがあるわ」

「勘当を……?」

「愚かなことに身分の低い女と駆け落ちをしたんですの。勘当されて当然でしょう?」


 同意を求められたものの、どっちつかずに小首をかしげる。(さげす)みの表情を隠そうともせず、カミラはなおも言いつのった。


挙句(あげく)にその女が病気になったとかで、治療費の工面のためにティール家の名を出して借金を重ねていたようですわ。最近ではあちこちの夜会で社交慣れしていない令嬢の同情を誘っては、臆面(おくめん)もなくお金を借りて回っておりましたのよ。ほんと、みっともない」

「治療費を……」

「まぁその女も死んでしまったから、残ったのは借金だけ。馬鹿げた話だとお思いになりませんこと?」


 もう一度見やると、その甥は肩を落として使用人に連れられて行くところだった。


(あの方、貞子紳士だわ)


 以前よりも憔悴(しょうすい)しきった様子だが、確かにもめ事の中心にいたのは貞子紳士だった。しかしいつもと何かが違う。遠ざかる紳士の背中が、やけに物足りなく感じられた。


(貞子がいない――?)


 見かけるたびに紳士の顔を愛おしそうに撫でさすっていた貞子が、紳士の肩からきれいさっぱり姿を消していた。いたらいたで気になるが、いなくなるとこれまた余計に気になってくる。


(貞子は生霊らしいし、紳士への執着がなくなって消えたのかしら……)


 生霊とは生きた人間の強い念のようなものだ。本人の自覚がないまま、霊体の一部を飛ばしてしまうと聞いたことがある。日本での話だが、この世界でもそんな感じなのだろうか。


「パウラお義母様のおしゃべりはきりがないわ。さ、リーゼロッテ様もあちらへ参りましょう」


 手を引かれ席を立つ。パウラたちの輪を離れると、すかさずジークヴァルトが寄ってきた。

 カミラは夫であるグレーデン侯爵と、広間の何もない空間まで歩いて行った。タイミングを見計らったように、控えていたオーケストラがワルツを奏でだす。

 穏やかな曲に乗せて、カミラと侯爵は慣れた様子で踊り始めた。するとほかの者たちも各々のパートナーと手を取り合った。


「踊れるようにと、こんなに広いお部屋でしたのね」

「では奥様、一曲お相手を」


 ふっと笑ったジークヴァルトが手を差し伸べてくる。一曲と言わず何曲でも踊って欲しい。輝く笑顔でその手を取った。

 薄桃色のドレスがふわりと開く。数組しかいないフロアでは、気兼ねなく踊ることができた。それでも誰かとぶつからないように、ジークヴァルトは空いたスペースへと上手にリードしてくる。自然とフロアの端の方にまで来て、リーゼロッテはのびのびとステップを踏んだ。


 しあわせな思いで満たされる中、ふとカミラとの会話が頭をよぎった。貞子紳士が令嬢たちをダンスに誘っていたのは、病気の妻の治療費を工面するためだったのだ。なりふり構っていられないほどに、切羽詰まっていたのかもしれない。そう思うと切なくなった。


「どうした?」

「いえ……」


 どんなに世間から白い目で見られようとも、紳士は妻を助けたかったのだろう。リーゼロッテはカミラのように、紳士を(あざけ)る気にはなれなかった。ジークヴァルトのために恥も外聞もかなぐり捨てることが、この自分にできるだろうか。そんなことを考える。

 妻を亡くした紳士の心中を思うと胸が痛んだ。ジークヴァルトとの満たされた日常が、明日も必ず来るとは限らない。精一杯、今に感謝しようと、潤みかけた瞳でジークヴァルトを仰ぎ見た。


「わたくし、今こうしてヴァルト様と一緒にいられて、本当にしあわせですわ」


 幾度伝えても伝えきれない。そんな思いで告げたのに、ジークヴァルトは不満げに眉根を寄せた。


「懲りないやつだな……そういうことは屋敷に戻ってからにしろと言っただろう」

「だ、だって……!」


 反論しつつも頬に熱が集まった。白の夜会から帰った夜は、翌日の昼過ぎまでジークヴァルトに付き合わされた。それこそとても人様に言えないような、あれやこれやの濃厚すぎる夫婦の営みだ。

 今夜もあんな恥ずかしいことをされるのかと思うと、羞恥でますます顔が赤くなる。そんなリーゼロッテを見て、ジークヴァルトが口元に魔王の笑みを意地悪く浮かべた。


「具合が悪そうだな。曲が終わったらすぐに(いとま)を告げるぞ」


 理由は分かっているだろうに、耳元でそんなことを言ってくる。これは屋敷に帰り着くや(いな)や、押し倒す気満々に違いない。


(あ……貞子紳士だわ)


 曲が終盤にさしかかったとき、部屋の片隅でひとり座る紳士を見つけた。暗く沈み込む姿に再び胸が痛くなる。


「あっ!」

「どうした?」


 よくよく見ると、紳士の背後に長い黒髪の女性が立っていた。俯く顔を覗き込んでは、そのまわりをおろおろと周回している。それに気づく様子もなく、紳士は沈痛な面持(おもも)ちで下を向いたままだ。


「貞子……じゃない?」

「サダコ?」

「あ、いえ、あの方の周りに……」


 初めは貞子かと思ったが、黒髪の女性は明らかに異形の者だ。まだひとの形を保っているが、足元に黒いモヤがかかっていた。それに異様な雰囲気を放っていた生霊の貞子と違って、清楚そうな女性に見て取れた。


「放っておけ。あの手の異形は悪さはしない」

「ですが」


 ふたりから目が離せなくて、気もそぞろにダンスを続けた。曲が終わった瞬間、黒髪の女性がふとこちらを見やる。まずいと思う(ひま)もなく、リーゼロッテは異形と一瞬視線を絡ませてしまった。


(やばっ)


 さっと顔をそらすも、女性はリーゼロッテを注視したままだ。平静を装いながら、よせばいいのにちらっとだけ確認してみる。案の定、今度も見事に目が合った。

 紳士を置いて、異形の女性はすぅっと滑るように近寄ってきた。こうなると、そ知らぬふりを貫き通せなくなる。

 すかさずジークヴァルトがリーゼロッテを抱き寄せた。睨みつけられた異形がびくりと動きを止める。怯えながらも黒髪の女性は、何か言いたげにすがるような瞳を向けてきた。


「ヴァルト様……あの方のお話を聞くだけでもさせていただけませんか?」


 腕の中、上目遣いで懇願する。未練を残した死者はみな、やがて暗い影を纏う異形の者へと変化する。彼女がこの先辿(たど)るであろう未来が、リーゼロッテには易々と想像できてしまった。


「どうしても駄目ですか……?」

「……聞くだけだぞ」


 苦々しい顔をしつつ、根負けしたようにジークヴァルトは折れてくれた。代わりにきつく体を抱き込んでくる。


「わたくしの言葉がお分かりになりますか?」


 腕越しに問いかけた。ぱっと顔を明るくして、黒髪を揺らし女性は何度も頷き返した。自我を失った小鬼を相手にするよりは、すんなり話が聞けそうな感触だ。安心させるために微笑むと、恐る恐るな様子で女性はさらに近づいてきた。

 ジークヴァルトが睨むからか、少し手前で立ち止まる。これほど近くにいても、彼女からは異形特有の(よど)んだ波動は感じなかった。足元が黒ずんでいなければ、生きた人間と見間違うほどだ。


(この方、やっぱり貞子だわ。表情はまったく違うけど……)


 生霊だった貞子が、異形と成り代わって目の前にいる。それは生霊を飛ばしていた本人が、命を落としたということに他ならない。


 感傷に浸る間もなく、彼女の思念が伝わってきた。(まぶた)を閉じて耳を澄ませる。それは止められない奔流(ほんりゅう)となって、リーゼロッテへと流れ込んできた。


 舞踏会の喧騒(けんそう)の中、運命的に出逢ったふたり。そこだけが時間を止めたかのように、まだ若い紳士と彼女が見つめ合う。恋に落ちるのは一瞬だ。気づけば互いの手を取り合って、夢見心地で踊り続けた。

 その日からめくるめくような逢瀬(おうせ)が始まった。身分差のあるふたりは、周囲の反対をかいくぐり更に愛を深めていく。どうあっても許されないふたりの恋に、やがて紳士は駆け落ちを決意した。

 何もかもを捨て飛び出した嵐の日。(さび)れた教会で挙げたふたりきりの式。慣れない生活に苦戦しつつも、慎ましやかな日々が繰り返される。


 とぎれとぎれの映像が、脳裏に映っては次の場面に移動していく。ふたりの物語は愛に溢れ、リーゼロッテはその(まばゆ)さに包まれた。


 暗転し、寝台に()せる女性の青白い手を、紳士が握りしめていた。彼女が軽く咳込むと、慌てた紳士が背中をさする。


「ごめんなさい、わたしがこんな体になってしまったばかりに、あなたに迷惑をかけてしまって……」

「何を言うんだ。君のためなら何も苦にならないさ。今度の薬はあまり合わなかったようだね。でも安心して。新しい医者が見つかりそうなんだ。きっといい薬が手に入る」

「だけどもうお金が……」

「そんな心配はしなくていい。大丈夫。全部わたしに任せて、君は療養に専念するんだ」


 (ひたい)にキスをひとつ落とし、紳士は寝室を後にした。つらそうに深い息をつき、女性はひとり瞼を閉じる。

 ほどなくして眠る女性の体から、ふわりと何かが分離した。その輪郭(りんかく)は貞子となって、動けない肉体を置き去りにしたまま、ひたすら紳士を目指す。

 舞踏会で若い令嬢と踊る紳士。その背後から覆いかぶさり、貞子は紳士の頬を撫でさすった。

 愛しい愛しい愛しいひと。

 貞子の純粋な思いが、リーゼロッテの奥に木霊(こだま)する。


 新たな治療を求め、紳士は奔走(ほんそう)し続ける。その背を見送るたびに彼女の心は生霊を生み、貞子は紳士にどこまでも寄り添った。


 急に画面がモノクロになり、重くなった波動にリーゼロッテは無意識に胸を押さえた。真新しい墓石の前でいつまでも(たたず)む紳士を、うしろから彼女が見つめている。そこに刻まれた名は、きっと彼女のものなのだろう。命尽き、体から切り離された彼女の手は、二度と紳士に触れることは叶わない。


 次の場面では薄暗い部屋で紳士がテーブルを見やっていた。山積みの書類はすべてが借用書だ。その一枚を手に取り、紳士は静かに笑う。これは君が生きていた(あかし)。何が何でもすべて返してみせるから。そうひとり呟いて。


 幾度、前をよぎっても、愛するひとは自分に気づくことはない。あの瞳に見つめられて、いつも通りやさしく微笑んで欲しいのに。

 悲嘆にくれる彼女の思念が、リーゼロッテの心を締めつける。せり上がる涙を(こら)えながら、閉じていた瞼をそっと開いた。


「……あなたはあの方の奥様だったのですね」


 事情を知ったところで、どうすることもできはしない。そこに亡くなった奥さんがいますよなどと、紳士に声をかけるわけにもいかないだろう。かと言って未練を残したままここにいては、彼女は本格的に暗い異形となってしまう。


(一体どうしたら……)


 いまだ彼女は助けを求めるように見つめてくる。浄化の力を使えば天に還すのは簡単だ。だが本人の意思が伴わないまま(はら)うとき、異形たちは叫び声を響かせる。

 過ぎ去った記憶に囚われた異形と違って、彼女の思いは現在進行形だ。もしも彼女が自分で、紳士がジークヴァルトであったなら。無理やりに天に還すのは、その絆を力ずくで引きちぎる行為だ。異形が最期に上げる苦痛の叫びは、つまりはそういうことなのだ。


 ジークヴァルトが言うように、成り行きを黙って見守るしかないのだろうか。考えが定まらない中、ぽつりとひとり座る紳士に視線を向けた。

 ふいに紳士が立ち上がり、ふらりふらりと近寄って来る。すぐ目の前まで来ると、虚ろな瞳で紳士は片手を差し伸べてきた。


「よろしければ、わたしと一曲踊っていただけますか?」

「え……?」


 ジークヴァルトがいるにも関わらず、申し込まれたダンスに面食らう。


 ――わたしの代わりに彼と踊って欲しい

 返事をしあぐねていると、割り込むように再び彼女の思念が流れ込んできた。


 横たわった寝台で、やせ細った手を握られる。冷えた指先を温めるように、大きな手のひらがやさしく包み込んだ。


「新しい薬はどうそう? 少しは顔色が良いみたいだ」

「ええ、今度のはよく効いているみたい。痛みも随分楽になったわ」


 偽りの言葉で、安心させるために微笑んだ。もうひとりでは、腕ひとつ持ち上げることもできなくなった。咳を出さないようにと、彼女は慎重に浅い呼吸を繰り返す。


「そうか! よかった、この調子でもっともっと良くなろう」

「そうね……元気になったら、またあなたとダンスがしたいわ……昔みたいに、一緒に踊ってくれる?」

「もちろんだとも! そうしたらドレスを新調しよう。君の黒髪に似合う素敵なドレスだ!」


 映像が出逢ったあの日に立ち帰った。何もかもが美しく輝いて、見つめ合うふたりは軽やかに踊り続ける。


「リーゼロッテ」


 名を呼ばれ、はっと意識を戻した。目の前には手を差し伸べたまま返答を待つ紳士がいる。その横で彼女がぴったりと紳士に寄り添っていた。


 ――もう一度、彼と踊れたら……上へと昇っていけそうな気がする


 眩しそうに彼女は頭上を見やった。天空から光の狭間が見え隠れしている。あれが閉じてしまったら、自力では天に還れなくなるだろう。


 ――だからわたしの代わりに、あなたが踊って欲しい


「悪いが妻は……」

「ジークヴァルト様」


 紳士に断りを入れようとしたジークヴァルトのジャケットを掴む。不安げな彼女に頷いて見せてから、リーゼロッテは囲う腕に手を重ねた。


「この方と踊らせてくださいませんか? おひとりまでなら、ほかの方と踊っても良いのでしょう?」


 盛大に刻まれた眉間のしわに、負けじと真剣な眼差しを向ける。彼女の願いを叶えてあげたい。穏やかに天に還れるように。


 その思いが届いたのか、ジークヴァルトは諦めたように腕から力を抜いた。


「これが終わったらすぐ帰るからな」

「はい、ありがとうございます、ヴァルト様」


 微笑んで、紳士に向き直る。


「お誘い、よろこんでお受けいたしますわ」

「お応えいただき光栄です」


 リーゼロッテの手を取った紳士は、どこか心ここにあらずな様子だ。それでも手慣れたエスコートでダンスへと(いざな)っていく。軽快なワルツの調べに乗せて、ふたりは踊り始めた。リーゼロッテの後ろに回り、彼女も踊るしぐさでついてくる。


(それにしても、奥さんを亡くしたばかりなのに誰かをダンスに誘うだなんて……)


 彼女のために受けはしたが、紳士の行動は理解しがたいものがある。ぼんやりと踊る紳士の顔を眺めながら、非難めいた考えが湧き上がった。


「わたしの話を聞いてくれますか?」

「え?」

「実はわたしには病気の妻がいまして……」


 リーゼロッテの返事を待たずに、紳士はつらつらと言葉を並べていく。それは何度も言い慣れた台詞のように、ひとつの(よど)みもなく続けられた。


「恥ずかしながら治療費の工面に苦労しておりまして。よろしければご協力いただけないでしょうか。良い薬が見つかりそうなのです。少しでも妻の体を楽にしてやりたくて、どうかわたしの願いを聞き届けてくれませんか?」


 驚きで目を見開くリーゼロッテの横で、彼女が悲しそうな顔をした。紳士がここまでの借金を重ねていたことを、彼女はまったく知らなかったようだ。


「もちろん借りたものは必ずお返しします。例えどれだけ時間がかかっても、それだけはお約束します。苦しんでいる妻の姿を見るのはわたしも本当につらいもので。どうか妻のためにご協力を……」


 陰のある表情は、嘘を言っているようには思えない。令嬢たちの同情を誘ってお金を借りていたと、先ほどカミラが言っていた。確かに社交慣れしていない者なら、あっさりと(ほだ)されてしまいそうだ。

 しかし彼女はすでに亡くなっている。同情を誘うにはその方が都合がいいのだろうが、これはさすがに頂けないやり方だ。垣間見た映像で、紳士はこれまで借りたお金の完済を誓っていた。だが借金を借金して返すなど、さらに負債を増やす悪循環に陥るだけだ。


「少額でも検討していただけませんか?」


 紳士の言葉に、彼女がふるふると首を振った。これ以上自分のために苦しまないで欲しい。そんな思いが伝わってくる。


「申し訳ございませんが、そのお話はお受けできません」

「そう……ですか」


 紳士のためにもきっぱりと返す。断られるのも慣れてしまっているのか、諦めの表情で紳士は瞳を伏せた。


不躾(ぶしつけ)な話をしてすみませんでした。聞いてくださっただけでも感謝します」


 ぎゅっと胸が痛んだ。今のリーゼロッテの立場なら、恐らく紳士の借金などすべて肩代わりできるだろう。生じた迷いを遮るように、彼女からひとつの映像が流れ込んできた。


 まだ元気だったころの日常だろうか。紳士が器用に木材から家具を造り上げていく。彼女が称賛の声を上げると、得意げな顔で紳士がさらに木槌(きづち)をふるう。笑い声が溢れる風景が、(まばゆ)い光に包まれていく。


 彼女の意を()んで、必死に考えを巡らせる。これ以上負債を抱えないで済む、そんな方法をどうにか探した。


「……その代わり、お仕事なら紹介して差し上げられます。フーゲンベルク家では腕のいい家具職人を探しておりますの。もちろんあなたのご希望があればですが」


 駆け落ちしたとはいえ、貞子紳士は公爵家の人間だ。働いて稼ぐという選択が取れなかったからこそ、借金するという手段を選んだのかもしれない。あとは彼次第だと、リーゼロッテは紳士に判断をゆだねた。


「ご提案、ありがとうございます。前向きに考えてみます」

「ええ、いつでも遠慮なくお声がけくださいませ」


 そのやり取りに彼女がほっとした顔をした。彼女のために踊っていることを思い出して、リーゼロッテは集中し、心を込めてひとつひとつ丁寧にステップを踏んだ。

 それが伝わったのか、吹っ切れたように紳士はリードしてくる。彼女も笑顔になって、くるくると三人で踊り続けた。


 うれしい、たのしい、しあわせだ。寝台の上でずっとずっと夢見ていた。こうしてまた彼と踊ることを。


 彼女のよろこびの思念が伝わってくる。それを胸いっぱいに吸い込んで、リーゼロッテの感情も次第に(たかぶ)ってくる。

 最後にほんの一瞬だけでも、ふたり手を取り合って踊らせてあげたい。膨らんだ思いのまま、彼女に向けてリーゼロッテは何の(へだ)たりなく心を開いた。


 一瞬だけ戸惑って、彼女はうれしそうに体を重ねてきた。内側の深い場所へと招き入れる。リーゼロッテが彼女になって、彼女がリーゼロッテになった。それはちょっと不思議な感覚で、意識しないでも体が勝手に動きだす。


 確かめるように、彼女が紳士の手をぎゅっと握りしめた。誰よりも愛するひとの温もりだ。愛してる愛してる愛してる。わたしがいなくなっても、どうかしあわせに生きて。


 こみ上げる思いが最高潮に達したとき、光に包まれ何もかもが見えなくなった。


 ――ありがとう


 頭頂部が吸い上げられるような感覚とともに、彼女の気配が消え去った。はっと我に返ると、いつの間にか曲が止んでいる。手を取り合ったままの紳士が、目の前で涙をあふれさせていた。


「なぜだろう……まるで妻と、一緒に踊っているかのようでした……」


 リーゼロッテから離れると、紳士は震える手を強く握りしめた。


「おかしな話ですね。申し訳ない。わたしはこれで失礼を」


 ふらふらと紳士は去っていく。その背を見送りながら、リーゼロッテは高い天井を仰ぎ見た。

 光の狭間が閉じていく。彼女は無事に昇って行けたのだろう。余韻に引きずられたまま、リーゼロッテは自身の胸に手を当てた。


「きゃっ」


 強引に腕を引かれ、膝裏を(すく)われる。気づけばジークヴァルトに横抱きで抱え上げられていた。


「ジークヴァルト様!?」


 呼びかけには無反応で、ジークヴァルトは大股で歩を進める。


「あの、ヴァルト様、わたくし自分で歩けますから……ふひぁっ!」


 いきなり青の波動を全身に注がれた。叩き込まれる勢いで、それは嵐のように駆け巡る。何度もされてはきたが、ここまで乱暴なやり方は初めてだ。


「ヴぁ……ヴァルト様、一体何を……」


 前を見据えたまま、ジークヴァルトは答えを返さない。言葉短くパウラに(いとま)を告げると、(けわ)しい顔でジークヴァルトは足早に茶会の席を後にした。

 紳士とダンスを終えたらすぐ帰る。それは宣言された通りなのだが、いつもと違う様子のジークヴァルトにリーゼロッテは戸惑った。


「……もしかして、怒ってらっしゃるのですか?」

 異形の彼女を、この身の内に受け入れたことを。


「ですが彼女は……うひぁっ!!」


 先ほど以上の勢いで力を注がれて、体が腕の中で跳ね上がった。ジークヴァルトにしがみつきながら、痛みすら感じる威力に、いくらなんでもと抗議の念が湧いてくる。


「ヴァルト様……!」

「二度とするな」


 目も合わせずに冷たく言い渡され、驚きで口をつぐんだ。こんなにも怒りを(あらわ)にされては、弁明も続けようがない。


(ちょっと体を貸したくらいでそんなに怒らなくたって……)


 異形と言えど、愛に溢れるひとだった。あの彼女が体を乗っ取ってくるなどあり得ない。自分だって悪さはしない異形だと言っていたくせにと、不満で唇を尖らせた。


「次に同じことをしたら……」


 あまりの声の低さに、はっとなってその顔を凝視する。


(もしかしてダンス禁止とか? まさか夜会NGになったりしないわよね)


 ごくりと(つば)を飲みこむと、ジークヴァルトの眉間のしわがこれ以上なく深まった。


「部屋からは二度と出さない。一歩もだ」

「ええっ!?」


(めちゃくちゃハードル上がった……!)


 言葉を失うも、不機嫌オーラを放っているジークヴァルトが冗談を言っているようにも思えない。それ以上はなんの会話もなく、ふたりは馬車へと乗り込んだ。


(お前が無事ならそれでいい……いつもならそう言ってくれるのに)


 異形がらみで危険な目に合ったとき、ジークヴァルトは常にその台詞を口にした。それに今回は危ないことなど何もなかったのだ。そこまで怒ることはないだろうにと、膝の上でリーゼロッテはしょんぼり(うつむ)いた。


 いまだ不機嫌顔で外を見やっているジークヴァルトに、どう接すればいいのか分からない。初めての喧嘩らしい喧嘩に、頭の中をいろんな思いがぐるぐると回った。気まずい雰囲気も最悪で、なんだか悲しくなってくる。

 こうして抱っこはされているが、今日は髪のひとつも()こうとしない。それどころかこちらを見ようともしてくれなくて、理不尽に攻め立てられているように感じてしまう。漏れ出たため息とともに、仕方なしに頭を胸に預けた。


 もやもやしすぎて、いつものように眠ることもできない。耳を押し当て聞く鼓動も、普段より早く思えた。それほどまでに怒りが深いのかと半ば呆れかけたとき、背に回されたジークヴァルトの手が小刻みに震えていることに気がついた。


 注意しなければ気づかないほどの震えだ。息を飲み、もたれかかっていた身を起こした。


(違う、怒ってるんじゃない)


 ジャケットを掴む手に、知らず力が入る。


(ジークヴァルト様は……怖かったんだ)

 リーゼロッテが、異形に乗っ取られてしまうことが――。


 先日のジークハルトを弾き飛ばした騒ぎが頭をよぎった。何年か前にジークヴァルトは、ジークハルトに体を乗っ取られたことがある。その出来事がいまだトラウマになっているのかもしれない。

 それに幼いころから異形の者に命を狙われ続けてきたジークヴァルトだ。強風の吹く公爵家の屋上で、取り憑かれた人間にジークヴァルトが大怪我を負わされる姿を、自分はあの日この目で見たではないか。


 確かに異形の彼女はいいひとだった。だが体を貸して何事もなかったというのは、結果論に過ぎないのだろう。単に運が良かっただけで、取り返しのつかない事態にだってなり得たのだ。


「ご、ごめ……なさ……ヴァルト様、わたくし……」


 自分のしでかした事の重大さに気づかされ、今さらのように涙がせり上がる。そこでようやく目を合わせたジークヴァルトが、苦しげに顔を(ゆが)ませた。(しずく)が零れ落ちる寸前、乱暴に唇を奪われる。


 息もつかせぬほどの口づけに、抵抗もできずただ(すが)りついた。絡まる舌が深まるほどに、ジークヴァルトの傷の深さを思い知る。

 その不安を消すために、唇から緑の力を流し込んだ。わたしはちゃんとここにいる。それをジークヴァルトに伝えたくて。


「リーゼロッテ……」

「ん……ヴぁ、ると……さま……」


 応えるようにジークヴァルトも青の力を流し込んでくる。交換し合う互いの熱に、ふたりはどんどん浮かされていった。

 続く激しさに、これ以上はとリーゼロッテは厚い胸板を強く押した。理性が残っている間に()めさせたいのに、ジークヴァルトは止まらない。

 (かえ)ってリーゼロッテをきつく抱きしめて、ちっとも口づけを(ほど)こうとしなかった。


「ヴァルトさま……や……も、これ以上……」

「駄目だ」


 さらに荒く唇を塞がれる。


「おねが……ここ、じゃ」

「駄目だ、駄目だ駄目だ駄目だ……!」


 受け入れた異形の名残(なごり)を消し去るように、重ねた唇から、抱きしめる手のひらから、青の波動を一層強く流し込まれる。



 リーゼロッテの内と外すべてがジークヴァルトで覆い尽くされても、揺れ動く馬車の中、ふたりはずっと繋がり続けた。


【次回予告】

 はーい、わたしリーゼロッテ。話し相手として公爵家にやってきたのは、ベッティを連れたルチア様。気晴らしにとジークヴァルト様に連れられて、みんなで久々の貴族街へ。そこを抜けだしたルチア様は、こんがり亭をひとり目指して……?

 次回、6章第15話「危うげな心」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!

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