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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣

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第12話 不確かな思い

【前回のあらすじ】

 父親の招集でデルプフェルト家に立ち寄ったカイ。出迎えた家令は侯爵家で孤立してしまったカイの生い立ちを思い返します。

 我が子の受けた託宣の真実を知り、次第に狂っていった母ベアトリーセ。酒に溺れ正気を手放したまま亡くなった母親に、カイは何の感情も持てなくて。

 星を堕とす者としていつか消えゆく運命を背負わされた中、ハインリヒやイグナーツとの出会いで次第に自由を手にしたカイ。自分に対となる託宣の相手が存在することに歓喜し、まだ見ぬその人物に思い焦がれるのでした。

 トルソーに着せられた二着のドレスを前に、リーゼロッテの視線が行ったり来たりを繰り返している。執務机からその様子を眺めつつ、ジークヴァルトは書類へと手を伸ばした。


「ねぇ、エラ。こちらの方が華やかだけれど、ちょっと可愛らしすぎないかしら?」

「いいえ、そのようなことは。リーゼロッテ奥様にとてもお似合いでございますよ」

「だけどわたくしも公爵夫人となったし、やっぱり落ち着いた色合いのドレスを選ぶべきじゃないかしら……」

「奥様のお歳ならこういったデザインでも問題はないかと」

「でも白の夜会はデビュタントが主役でしょう? わたくしがあまり派手にするのもどうかと思うわ」


 そんな会話が続く中、マテアスが紅茶の準備をし始める。休憩の合図とばかりに書類を放り出すと、ジークヴァルトはリーゼロッテの横へと腰かけた。


「わたくしが早く決めないと、ヴァルト様のお衣装も困りますわよね」

「オレの準備など(たか)が知れている。ゆっくり考えて好きな方を選ぶといい」


 夜会では夫婦揃いの衣装を用意する。サイズやデザインを微調整するため、お針子たちは直前まで大忙しだ。


「ヴァルト様はどちらがいいとお思いになられますか?」


 期待に満ちた瞳で見上げられ、並ぶドレスに視線を向けた。右から左に移動させつつ、リーゼロッテの観察も忘れない。


「オレが選ぶならこちらだな」


 先ほど『可愛らしい』と言っていたドレスの方を指し示す。途端にリーゼロッテの瞳が輝いた。


「どうしてこちらをお選びに?」

「これを眺めているときの方が、お前がうれしげに見えたからだ」


 驚き顔になったリーゼロッテの口に、焼き菓子をひとつ放り込む。唇に残ったかけらをぬぐい取ると、その頬がほのかに色づいた。


「もう一着は次の夜会で着ればいい」

「ほかの夜会にも出られるのですか?」

「新年を祝う夜会があるだろう? あれにも出席する予定だ」


 何かを言いかけたリーゼロッテが、くしっとひとつくしゃみをした。小さく身震いする姿に、ふと思い出す。執務机の下にしまってあったブランケットを取り出すと、ジークヴァルトは大きすぎるそれでリーゼロッテの体を包み込んだ。


「これはわたくしが東宮で編んでいた……」

「ああ、冬の間、ずっと使っていた」


 年のはじめ、ジークヴァルトの誕生日に渡されたものだ。しかしあの時、リーゼロッテは神殿に囚われていた。当時を思い出したのか、緑の瞳が僅かに揺れる。潤みだした(まなこ)そのままに、リーゼロッテは反して明るい笑顔となった。


 ブランケットを大きく広げ、リーゼロッテはジークヴァルトの背にそれをかけた。次いで自ら膝に収まって、ジークヴァルトの胸に身を寄せてくる。


「このブランケット、調子に乗って編んでいたら、不格好に大きくなってしまいましたでしょう? ですからわたくし、ずっとこうやってヴァルト様と一緒に(くる)まりたいって思っていたのです」


 はにかむ笑顔にぎゅっと心の奥を掴まれる。寝室に連れ戻り、今すぐ組み敷きたくなる衝動を懸命に抑えた。執務中はさぼらないようにとマテアスが目を光らせている。それに今は夜会前とあって、リーゼロッテの体調を整えるため、まぐあい禁止令が出されている最中だ。


「リーゼロッテ……」


 耳元で囁き、首筋に指を滑らせる。くすぐったそうに逃げる肩を抱き寄せ、やわらかな唇を(ついば)んだ。



 (くる)まったブランケットの陰に隠れて、ふたりは何度も秘密の口づけを交わした。


     ◇

「あとはそちらの貴族名鑑に目を通して、一通りおさらいしておいてください」


 礼儀作法を教える夫人が出ていって、ルチアはちいさくため息をついた。まじめに覚えないことには、説教時間が長くなるだけだ。それを学習したルチアは、物覚えの良い優秀な生徒に見えたことだろう。


 夜会ではブルーメ子爵のそばを離れないこと。不用意にひとりにならないこと。絶対に殿方とふたりきりにならないこと。そんなことをクドクドと話して聞かされた。


(結局はどれも同じことじゃない)


 貴族でもない自分が社交界デビューを果たすなど、馬鹿げているとしか言いようがない。そうは思うものの、ここを飛び出す勇気もなかった。贅沢に慣れてしまった自分が、これからの凍える季節を独りきりで生き抜けるとは思えない。ずっと迷っているうちに、デビューの夜会は目前となってしまった。


 仕方なく言われたとおりに貴族名鑑をめくる。侯爵家の並びで、ルチアはよく見知った者の名前を見つけた。


(カイ・デルプフェルト……)


 二年前、王都の外れ街で道に迷っていた時に、ルチアは偶然カイに助けられた。変な契約書にサインをさせた上で、ルチアを目的地のこんがり亭まで送ってくれたりもした。あの日、自分でいいとこの坊ちゃんだと言っていたが、移り住んだダーミッシュ領でカイが貴族だと知った時にはそれはもう驚いてしまった。


 契約書に書いてあったものと同じ名前を貴族名鑑で見つけ、カイが正真正銘侯爵家の人間であることも分かった。貴族階級について詳しく教えられた今では、子爵家と侯爵家とではとてつもなく(へだ)たりがあることを、ルチアは十分に理解している。しかもカイは前王妃の甥らしい。驚きを通り越して、現実感がまるでなくなってしまった。


「そういえば始めて会った日、王子様を守る仕事をしてるって言ってたっけ……」


 その時は見え透いた嘘をつくカイを、まったく信用できなかった。だがあの言葉は実は本当だったのかもしれない。

 そんな彼の立場からしてみれば、出会ったときのルチアは取るに足りない平民だったはずだ。なぜカイが親切にしてくれたのか。今でもその理由が分からなかった。


 ダーミッシュ領の学校にいたときにも突然現れ、まるで自分を探していたかのような口ぶりだった。夏前にはブルーメ家にもやってきた。イグナーツの代わりに様子を見に来たと言っていたが、カイはその時も変わらず気さくにルチアに接した。


 貴族の養子となった今、誰よりもカイが本当の自分を知ってくれている。最近ではそんなふうに感じたりもしていた。しかしリーゼロッテの結婚式で騎士姿のカイを見かけたとき、ルチアは再び分からなくなってしまった。


 あの日、決して近づくなと母親に言われていた神殿に足を踏み入れて、ルチアは不安で不安で仕方がなかった。そこに見慣れたカイを見つけて、ものすごくほっとする自分がいたのだ。それなのに、並び立つ騎士たちに圧倒されて、話しかけることはおろか近づくことすらできなかった。


 特に騎士団長だという赤毛の男が怖かった。王族だと聞いていたので、不敬にならないよう顔は見ないようにしていた。そんなルチアを見るなり、あの男はこれ見よがしに大きく舌打ちをしてきた。

 そんな王族と当たり前のように言葉を交わすカイは、自分とは違う世界に生きる人間だ。はるか遠い存在に感じられて、どうしようもない孤独感に襲われた。


 場違いすぎる自分は、やはりここにいるべきではない。逃げ出したい気持ちを抱えたまま、ルチアは夜会に出るべく王都のタウンハウスへと来てしまった。


 ため息とともに貴族名鑑を閉じた。表紙に描かれた龍を見て、さらに気分が滅入ってくる。これは国章であると共に、王家の紋章でもある青龍だ。

 母の形見のロケットペンダントを開いた。表はシンプルだが、内側には繊細に龍のモチーフが彫られている。


(この龍が国の紋章と同じものだったなんて……)


 どうしてこんなものを母が持っていたのだろうか。このこともルチアの頭を悩ませていた。

 まだ幼いころ、ルチアは父親についてアニサに尋ねたことがあった。そのときのかなしそうな母の顔が、今でも忘れられないでいる。幼心に聞いてはいけないことなのだと感じたルチアは、それ以降同じ問いを母に投げかけることはしなかった。


(母さんは貴族のお屋敷で働いていて、そこで偉い人と恋に落ちたんじゃないかしら……)


 お姫様ごっこと称してアニサに日々教え込まれたものは、貴族社会でも通じる本物の礼儀作法だった。母はそういうことを教えるマナー教師だったのかもしれない。だが今となっては、真実はすべて闇の中だ。


「イグナーツ様に聞けば、何か分かるかな……」


 彼は母親と昔なじみだと言っていた。ルチアの父親についても、思いあたる人物を知っているかもしれない。


 ふいに机に置かれた羽ペンが、ひとりでにペン立てから浮き上がった。


「もうあなた、またそんな悪戯して」


 小さな異形の者が胸に羽ペンを抱えている。見咎(みとが)めると、慌てた小鬼は机からぴょんと飛び降りた。


「あっ、こら、駄目よ! 無くしたりしたらわたしが怒られるじゃないっ」


 取り返そうと、とっさに腕を伸ばした。異形の悲鳴がぴぎゃっと短く響く。その時にはすでに、金色の火花がこの指先から飛び散ったあとだった。

 一瞬の出来事に、ルチアはそのままの姿勢で固まった。羽ペンを放り出した小鬼は、逃げ込んだカーテンの影でぴるぴると震えている。


「ごめんなさい、わたしあなたを傷つけるつもりじゃ……!」


 駆け寄ると、小鬼はさらに身を縮こまらせた。


「わざとじゃないの。本当よ、信じて」


 自分でも何が起きたか分からない状況で、ルチアは必死に謝った。それでも怯えた小鬼は奥から出てこようとしない。せっかく(なつ)いてくれた小鬼を失うことが怖くなって、ルチアの金色の瞳から涙があふれ出した。


「信じて、お願い……わたしを見捨ててひとりにしないで……」


 嗚咽(おえつ)をこらえていると、床についた手にあたたかい熱が触れたように感じた。見ると異形が瞳を潤ませ、そこに自身の手を添えている。

 懸命に慰めてくれている。そんな気がして、両手のひらに小鬼を(すく)い上げた。


「ありがとう」


 至近距離で見つめ合い、ルチアは異形とおでこをくっつけ合った。


     ◇

 翌日も内容の全く変わらないことを説明したマナー教師は、自習を言いつけて部屋を出ていった。ここからは夕食まで放っておかれる時間だ。人目をはばかることなく、ルチアはだらしがなく机に顔を突っ伏した。


「はぁ……息が詰まる……」


 貴族の生活は、何をするにもどこへ行くにも、誰かしらが必ず目を光らせている。逃げ出せないにしても、せめて気晴らししたい欲が湧いてきた。

 ここは王都だ。しかも貴族が住む区画とあっては、治安もそう悪くはないはずだ。そこら辺をちょっと出かけるくらい、市井(しせい)育ちのルチアにとっては簡単にできそうだった。


(夕食前に戻ってくれば、きっと大丈夫よね)


 できるだけ動きやすい服に着替え、ルチアはそっと部屋を出た。領地の屋敷と違って、タウンハウスは使用人の数は必要最低限だ。裏口を見つけると、ルチアは迷いなく外へと飛び出した。


 肌寒いが、吹く風が心地よい。雪の残る庭の石畳は、地熱のお陰で難なく歩けた。しかし途中で大きな水たまりに遭遇する。引き返して表に回ろうかとも思ったが、それでは誰かに見つかってしまうかもしれなかった。


 地面を見やり、しばらく考え込んだ。空を映した鏡のように、水たまりの表面を白い雲がいくつも風に流されていく。

 助走をつければ飛び越えられなくはなさそうだ。意を決して、スカートをたくし上げる。距離を測りながら、そこ目がけてルチアは駆けだした。


「あぁっ」


 踏み切った足がぬかるみに取られ、ルチアは見事にバランスを崩した。あわやおしりから水たまりに突っ込みそうになったとき、誰かがいきなり膝裏を掬い上げてきた。


「やぁ、ルチア」

「カイ!?」


 横抱きに抱え上げられて、思わず首筋にしがみつく。大きな水たまりの上を、カイはそのまま軽々と飛び越えた。


「お転婆(てんば)姫はこんなところで何やってるの?」

「わたし、ちょっとだけ外に出たくて……。お願いカイ、見逃して!」


 必死に懇願すると、カイはぷっと噴き出した。その反応に思わずむっとしてしまう。


「何よ、本気で頼んでるのに」

「いやオレ、子爵に許可取ってちょうどルチアを迎えに来たとこだったんだ。このまま見逃してあげてもいいけど、見つかったら大変なことになるんじゃない?」


 それはそれでたのしそうだけど、とカイは人が悪そうな顔を向けてきた。


「どうする? オレと来る? ひとりで抜け出す?」

「……カイと行く」

「了解。では姫、参りましょうか」


 ルチアを抱き上げたままカイは進みだす。


「ちょっと、もう大丈夫だから降ろしてよ」

「まぁまぁ、遠慮なさらず。お召し物が汚れては大変です。このわたくし目がきちんと馬車までお送りいたしましょう」


 その後も抗議の声は届かず、本当に馬車まで運ばれたルチアだった。


     ◇

 揺れる馬車の中、眉をひそめているベッティの視線を感じた。ルチアを抱えて現れたカイに、意表を突かれたのかもしれない。それでもカイは、流れる景色に夢中になっているルチアの横顔を、向かいの席から黙って眺めていた。


「ねぇ、カイ。今からどこに行くの?」

「ま、いいからいいから。着いてからのお楽しみってことで」

「何よ、それ」


 頬を膨らませたルチアは、はっとして不自然に俯いた。


「申し訳ございません。わたくしつい調子に乗ってしまって……」

「どうしたの、急に?」

「だってカイは……デルプフェルト様はわたしよりも偉い方だから……」

「いいよ、そんなこと気にしなくて」

「だけど……」


 躊躇するルチアに大丈夫だと笑って見せる。


「少なくとも今はね」

「本当にいいの?」


 不安げなままルチアは隣に座るベッティに視線を向けた。ブルーメ子爵にチクられるのが嫌なのだろう。


「ご心配なさらなくてもベッティは誰にもしゃべったりいたしませんよぅ」

「そうそう、ベッティは口が堅いからね」


 小首をかしげたルチアが、カイとベッティを交互に見やる。


「……去年、カイの家の夜会に呼ばれた時も思ったけど、ふたりは随分と仲がいいのね」

「わたしは元々デルプフェルト家から派遣されている侍女ですからぁ」

「デルプフェルト家から? そう……それは分かったけど、でもどうしてわたしのところに?」

「ルチアのことはイグナーツ様に頼まれてるんだ。自分がいない間はよろしくって」

「そう、なの……」


 分かったような分からなかったような、そんな返事をルチアは返した。


「ねぇ、カイも知ってると思うけど、わたし貴族なんかじゃないわ。ブルーメ家の遠縁って言うのもまったくの嘘だし。だけど……」

「だけど?」

「母さんは昔、貴族のお屋敷で働いてたんじゃないかってわたし思ってて。それでわたしの本当の父さんのこと、イグナーツ様は知ってるんじゃないかって……」

「あー、うん、どうだろ? まぁ、今日イグナーツ様に会ったら聞いてみるといいよ」

「え? イグナーツ様に会えるの?」


 ぱっと顔を明るくしたルチアに、笑顔でカイは頷き返す。そうなれば冬の間は、ルチアのお(もり)から解放だ。


「でもまぁ、イグナーツ様が山から戻ってたらの話だけど。あ、さっきの話、オレとイグナーツ様以外にしたら駄目だからね? あくまでルチアはブルーメ家の遠縁ってことにしとかないと」

「うん、分かってる……」

「あ、ルチア、肩にごみが」


 さりげなく手を伸ばし、首筋に眠り針を狙い撃つ。すぐさま脱力して前方に倒れ込んだルチアを、カイは自分の膝の上に抱えあげた。


「ルチア様はご自分の出自を知らないんですねぇ……」


 平然としているベッティは、こうなる流れは分かっていたようだ。偶然下町で拾った妹だったが、今ではベッティほど使える人間はいないと思っているカイだった。


「わたしが推測するにぃ、ルチア様は王族の血を引く龍の託宣を受けた者ですよねぇ?」

「さすがはベッティ。で、最近のルチアの様子はどう?」

「どうもこうも、相変わらず警戒心がお強いですねぇ。いまだベッティに湯あみの世話もさせてくれませんしぃ」


 湯上りのマッサージはベッティの得意技だ。どんなに気位が高く高慢ちきな貴族相手でも、あれをやればベッティは途端にお気に入りと化し容易にその(ふところ)へと入り込む。


「それはそうとカイ坊ちゃまぁ。ルチア様の龍のあざを一体どうやって確認したんですかぁ? このベッティにすら見せてくれないでいるのにぃ」


 ルチアの龍のあざは二の腕、肩に近い場所にある。ある程度、服を脱がさないことには見えない場所だ。ベッティの視線が胡乱(うろん)げになるのも仕方ない事だろう。


「それはまぁ、こうすれば、ね」


 肩をすくめて、すやすやと眠るルチアをカイは見やった。ダーミッシュ領でようやく見つけたルチアに対して、カイは今と同じく眠り針を使った。丸裸にしたわけでもないので、責められる事案でもないだろう。


「あざを確認しただけで、変な気を起こしたりしなかったですよねぇ?」

「まさか。あのときはまだ子供だったし。でも、今のルチアなら手の出し甲斐もありそうだけど」

「坊ちゃま……」

「はは、冗談だよ。オレ、令嬢は守備範囲外だから」

「ならいいんですけどねぇ」


 いまだ信用ならないと言った視線を、ベッティは投げかけてくる。


「そう言うベッティはどうやって確認したの?」

「侍女としておそばにいれば、盗み見る機会なんていくらでもありますからぁ」

「ま、それもそうか。で、これからのことなんだけど……」


 眠り針の効果が切れる前に、カイは手短にベッティに指示を出した。


     ◇

「ここは?」

「オレの別宅。そのままの恰好(かっこう)じゃ目立つからとりあえずここで着替えて。じゃあベッティ、あとはよろしく」

「承知いたしましたぁ」


 到着したいつもの隠れ家で、ルチアを奥の部屋へと案内する。リープリングは知らない人間が来たときは、出てこないよう教え込んである。物陰に隠れて様子を伺っているが、待っている間にカイが相手をしてくれるだろう。


 所狭しと置かれた衣装の中から、町娘に見える地味目な服を引っ張り出した。この隠れ家には変装グッズをはじめ、諜報活動で使用するありとあらゆる物が置かれている。


「まずはこちらにお着替えになってくださいましねぇ」

「これは……街中に連れてってもらえるの?」

「そのようですねぇ。ルチア様は貴族街の方がよろしかったですかぁ?」

「そんなこと! わたし絶対に下町のほうがいい!」

「ふふぅ、ルチア様は本当に変わった方ですねぇ」


 大概の者は贅沢できる方に魅力を感じるだろうに。もっとも同じ立場だったとしたら、ベッティも迷わず下町を選ぶのだが。


「お着替え、お手伝いいたしましょうかぁ?」


 突っぱねられるのは分かっていたが、立場上とりあえず聞いてみる。


「いいわ、自分でできるから」

「承知いたしましたぁ。脱いだものはわたしが整えますので、そのままにしておいてくださいましぃ」


 今さら隠す意味などないのだが、ルチアにしてみれば体のあざを知られていないと思っているのだ。おとなしく部屋を退出すると、ベッティは扉の前で静かに待機した。


「えっ、あっ、ぎゃあっ!」


 突然ルチアの悲鳴が聞こえて、迷わず中へ飛び込んだ。下着姿のルチアが、呆然と尻もちをついている。


「何ごとですかぁ?」

「ね、(ねずみ)が突然上から降ってきてっ」

「ああ、寒さが増すと中に入り込む数も増えるんですよねぇ。そう言えば今年はまだその対策をしていませんでしたぁ」


 天井を見上げてから、ベッティはルチアの手を引き立ち上がらせる。そこではっとしたように、ルチアは抱えていた服で体を覆い隠した。


「み、見た?」

「……お体のあざのことですかぁ? それならベッティ、とっくに知っておりますよぅ」

「ええっ!?」

「わざとではございませんよぅ、偶然見てしまっただけですぅ」

「そんな……」


 不信感もあらわなルチアに、どうしたものかと言葉を探す。ここで上手く話を進めないと、カイに怒られてしまうかもしれない。


「誰にも話したりはしておりませんのでご安心くださいませぇ。それにぃ……」


 カイにだけは報告したが、すでに知っていたようなのでベッティが伝えたうちには入らないだろう。


「ルチア様のようなあざをお持ちの方を、ベッティはほかにもたくさん存じ上げておりますのでぇ」

「え? ほかにも?」

「リーゼロッテ様もそうですしぃ、アンネマリー王妃殿下もあざをお持ちですねぇ」

「本当に?」

「はいぃ、みな様それぞれ場所は違っておりますがぁ、ルチア様とおなじく丸くって模様のような綺麗なあざをお持ちですよぅ」


 言いながら服を取り上げ、後ろから着せにかかる。今さら抵抗しても無駄だと分かったのか、ルチアもおとなしく(そで)を通してきた。


「他人に見られるのがお嫌でしたらぁ、このベッティをご指名くださいましぃ。ルチア様のためにいつだってご奉仕させていただきますよぅ」

「分かったわ……何かあった時はベッティに頼むことにする」

「ぜひそうしてくださいませぇ」


 ベッティは思わずほくそ笑んだ。これで湯あみもマッサージもし放題にさせてくれるだろう。そうすれば、ルチアが完全に陥落(かんらく)するのも時間の問題だ。


「あるぇ? ルチア様、()()()()()あざがおありだったんですねぇ」

「え? ベッティが知ってたのはこっちだけ?」


 戸惑ったようにルチアは自身の内ももを見やった。いつか扉の隙間から盗み見たのは、たしかに(あし)にあるこのあざだ。今見ると、ルチアには腕にも龍のあざが刻まれていた。


「うぅむぅ。おふたつあざをお持ちの方は確かに珍しいかもですねぇ……」

「そうなの?」

「でもまぁ、ルチア様はそれだけ龍から祝福を受けていらっしゃるってことですねぇ」

「だといいんだけど」


 ベッティの言葉に、ルチアは複雑そうな顔を返してくる。


 普段、既婚者か未亡人にしか手を出さないカイが、必要以上にルチアを気にかけているように思えてならない。ずっとベッティはそんなふうに感じていた。だが龍のあざをふたつ持つルチアは、国にとって何か特別な存在なのかもしれない。

 龍のあざとは一体何なのか。ベッティは詳しく知らされていないため、これは憶測の域を出ないことだ。だがそう考えれば、カイのルチアへの態度も納得がいった。


「では次に髪をまとめましょうかぁ。ルチア様の赤毛はお目立ちになりますからぁ」


 気を取り直して、ルチアを鏡の前に座らせる。手早くまとめ髪を作ると、栗色のかつらをかぶらせた。不自然に見えないようにブラシで整えると、ベッティは鏡越しにルチアの顔を覗き込んだ。


「いかがですかぁ?」

「すごい……なんだか昔に戻ったみたい」


 角度を変えながら、ルチアは姿見に映る自分を確かめている。


「では参りましょうかぁ。カイ坊ちゃまも待ちくたびれているでしょうからぁ」


     ◇

 向かった先のこんがり亭で、ルチアは始終はしゃいでいた。待っていたダンたちと感動の再会を果たし、特にフィンとは思い出話に花が咲いたようだ。


 あいにくイグナーツはまだ戻ってきておらず、仕方なくカイはルチアを連れて再び辻馬車へと乗り込んだ。ふたりとも平民の装いなので、貴族の馬車を呼ぶわけにもいかなかった。

 ベッティは隠れ家で留守番をさせてある。今頃は鼠の駆除に格闘していることだろう。


「カイ、今日はこんがり亭に連れてってくれてありがとう! わたし勝手に出てっちゃったこと、ずっとフィンたちに謝りたいって思ってたの」

「そっか、ならよかった」


 辻馬車を降り、しばらくは歩きでの移動だ。ルチアは足取りも軽く、踊りだしそうな勢いで先へ先へと進んでいく。


(空振りだったけどルチアもたのしそうだし……まぁ、今日はこれで良しとするか)


 今から着替えてブルーメ家のタウンハウスに送り届けるとなると、着くころには日が沈む時刻になっていそうだ。それでもうれしそうなルチアを前にして、いたずらに()かすのも無粋(ぶすい)に思えた。カイの私有地に入り、誰もいない森の一本道を、ふたりはのんびりと進んでいった。


 木の葉のざわめきにまぎれた違和感に、ふと耳を澄ませる。複数の不穏な気配を遠くに感じ、先をひとりで行きすぎているルチアの姿をとっさに探した。


「きゃあぁっ」

「ルチア!」


 舌打ちと共に駆けだした。隠れ家を目前にして、少し気を抜きすぎていたのかもしれない。


 木々の陰から男が数人現れて、ルチアを取り囲むように迫っている。腕を掴まれたルチアが、さらに大きな悲鳴を木霊させた。


(あいつら、全員取り憑かれてる)


 近づくにつれカイは確信した。あの男たちは異形の者に意識を飲まれている。手の内に力をため込みながら、カイはルチア目指して疾走した。


「いやっ、離して……っ!」


 たどり着く直前、前触れなくルチアから金色の閃光が(ほとばし)った。(いかずち)と言ってもいいほどのスパークに、男たちが遠く弾き飛ばされる。カイすらも風圧に足を止め、その熱量に目を(かば)った。


 光の収束を待って、冷静に状況を確かめる。昏倒した男たちからは、もはや異形の気配は感じ取れない。ルチアが浄化の力を使ったのは明らかだった。彼女は王族の血を引くのだから、何も不思議ではない話だ。


 死屍累々(ししるいるい)たる有様(ありさま)の男たちを見やり、青ざめたルチアはよろめきながら一歩下がった。力を使ったのはこれが初めてなのかもしれない。うまく制御できない者が、無意識に力を放つのはよくあることだ。


「ルチア、怪我はない?」


 近づくが、ルチアは呆然と立ち尽くしている。ぴくりとも動かなくなった男たちを見下ろして、唇をわななかせながら小さく首を振った。


「嘘……わたし、ひとを殺して……?」

「大丈夫、そいつらは死んでなんか」


 肩に指が触れかけて、ルチアはそれを激しく振り払った。


「いやっ、わたし、ひとを、ひとを――……っ!」


 叫びながらルチアは自分の頭を抱え込んだ。パニック状態に(おちい)って、カイすらも認識できなくなっている。落ち着かせようと手を伸ばすも、激しく暴れて拒絶を示した。


「ルチア!」


 少々乱暴に、だが的確に、動けないようにと素早い動きで抱きかかえる。それでも身をよじるルチアに向けて、眠り針を放とうとした。しかしあまりの暴れように、うまく狙いが定められない。


 仕方なく、カイはいきなりルチアの唇を塞ぎにかかった。目を見開いたルチアが、一瞬だけ身を固くする。すぐにもがきだしたが、大人しくなるまでカイは絶対に口づけを緩めることはしなかった。


 ルチアから力が抜けたのが分かると、カイは(ついば)むような口づけへと変化させた。やさしく()むたびに、柔らかな唇からちいさく吐息が漏れて出る。


 静寂の森で、密やかなリップ音が響いていく。ルチアを強く抱きしめたまま、カイは今度こそ首筋に眠り針を打ち込んだ。


 脱力した体を受け止める。自身を落ち着かせるために、カイは深く長く息を吐いた。



(オレはルチアを助けようとしたのか……?)


 とっさのことで気づけば勝手に体が動いていた。異形に襲われている人間を守るのは、王城騎士として当然のことだ。だがルチアは違う。異形に殺される託宣を、ルチアは龍から授かっているのだから。


 ルチアを異形から守るというのは、龍の託宣を(はば)むと同義のことだ。


 それはすなわち――

 その者が星に堕ちることに他ならない。



 すやすやと眠るルチアの寝顔を見つめながら、カイはしばらくその場で立ち尽くした。


【次回予告】

 はーい、わたしリーゼロッテ。いよいよやってきた白の夜会。ジークヴァルト様と出席したわたしは社交もダンスもそつなくこなし、公爵夫人が板についてきた感じです! そんな中デビューを迎えたルチア様は、カイ様の姿を遠くに見かけて……?

 次回、6章第13話「疑いの夜会」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!

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