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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣

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第11話 星に堕ちる者 - 後編 -

【前回のあらすじ】

 貴族としての生活に馴染めずにいたルチアは、迫る社交界デビューに不安を募らせます。一方、ルチアの出自を知るブルーメ子爵は、束の間の縁ながら養子に迎えたルチアを守ることを胸に誓って。

 姉ベアトリーセの命日に、デルプフェルト家の墓所へと向かうイジドーラ。ベアトリーセもカイも守ることをしなかったデルプフェルト侯爵に、強い苛立ちを覚えます。

 カイを拒絶し、狂いながら死んでいった姉に思いを馳せるも、ふたりのためにできたことなど殆んどなくて。いつか託宣を果たし消えゆくカイを、イジドーラは今日もただ見送るのでした。

 デルプフェルト家の広いエントランスで、いつも通り家令はカイを独りきりで出迎えた。周囲にいた使用人たちは、逃げ隠れするように身を(ひそ)めている。


「お帰りなさいませ、カイ坊ちゃま」

「出迎えはいいっていつも言ってるのに」

「そうはまいりません。カイ坊ちゃまはベアトリーセ様の唯一の御子であらせられます」


 戻るたびに繰り返されるやり取りを、カイは軽く肩を(すく)めただけでスルーした。処世術(しょせいじゅつ)を身に着けた最近のカイは、一見すると人好きのする好青年だ。それでも過去の彼を知る者たちは、いまだに(おび)えて近づこうとすらしない。


「父上は?」

「サロンにいらっしゃいます」

「そっか、ありがとう。ついてこなくていいから、仕事に戻っていいよ」

「仰せのままに」


 その姿が見えなくなるまで、きっちりと腰を折る。のぞき見していた使用人のひとりが、急ぎ足でこの場を去るのを感じた。カイの兄弟の誰かに報告にでも行ったのだろう。


 跡継ぎが指名されていない現状で、使用人たちは下につくべき相手をそれぞれが見定めている。デルプフェルト侯爵には六男三女の子供がいるが、中でも次男のダミアンが屋敷内では一番の有力候補とみられていた。気の弱い長男ヨナタンは、母親が低爵位であることもあって、本人自体が跡目を継ぐことに消極的だ。


 その点、ダミアンは狡猾(こうかつ)で抜け目ない性格をしている。母親は落ちぶれたと言え由緒ある侯爵家の出であるし、この諜報活動に特化した一族の長になるに値する人間だ。


(それもカイ坊ちゃまがいなければの話だが……)


 カイは五男だが、正妻が遺した唯一の子供だ。立場からしても彼が跡継ぎに選ばれて(しか)るべきと言えよう。しかし(あるじ)たる侯爵は、カイを選ぼうとする気配もない。いたずらに子供たちを競わせて、デルプフェルト家の安泰などそっちのけだ。


 一方、屋敷外で諜報活動を担当する者たちは、カイを次期当主にと望んでいる。任務において冷徹に指示を下し、下の者の安全をも常に確保する。ほかの兄たちにはない上に立つ者としての才覚が、家令の目から見てもカイには十二分に備わっていた。だがそのカイは爵位を継ぐ気はさらさらないように思えてならない。


 そんな状況で次兄のダミアンは、カイに跡目の座を取られないようにと目を光らせている。配下に置いた使用人に、カイの動向を監視させている徹底ぶりだ。


(ベアトリーセ様さえ正気であらせられたら……)


 デルプフェルト家に嫁いできたベアトリーセは、それは慈悲深い女性だった。先に屋敷に住んでいた愛人の子供たちにも、分け(へだ)てなく愛情を注いでいた。

 使用人たちへも心配りを欠かさず、嫁いでわずか数日には多くの者が彼女を信奉していたほどだ。そんなベアトリーセをカイは無残にも狂わせた。


 神殿から()()と呼ばれ、正妻が恐れ嫌う子供を、使用人たちはひとりまたひとりと避け始めた。それでもカイが幼い時分は、陰で同情する者も確かにいたのだ。それなのに、最終的にはカイ自身がそんな者たちをも冷たく切り捨ててしまった。


 決定的だったのは、ベアトリーセの葬儀での出来事だ。酒と睡眠薬を過剰に摂取し、狂ったまま彼女は眠りについた。埋葬が済み誰もが墓前で悲しみに沈んでいたとき、カイは遅れて姿を現した。喪に服すでもなく普段着のまま、その片手に一本のボトルを掲げ持って。


 それはベアトリーセが死の直前に、好んで飲んでいた葡萄酒だった。多くの者が固唾(かたず)を飲んで見守る中、カイがゆっくりと酒瓶を傾ける。真新しい墓標に向かって、カイは赤い葡萄酒をどくどくと高い位置から降り注いだ。


「母上に安らかな眠りを」


 冷めた瞳でそう言って、最後に酒瓶は墓石に手落とされた。硝子の砕ける音が耳を刺し、その場の空気が瞬時に凍る。呆気にとられた周囲をよそに、葡萄酒の匂いが充満する墓地をカイは独り後にした。


 あの日を境に、カイはデルプフェルト家で孤立を極めていった。陰では母殺しとまで囁かれ、そんな雰囲気をも冷酷な言動で黙らせる。カイが誰からも恐れられる存在となるのに、さほど時間はかからなかった。

 ほどなくして王城騎士となったカイは、屋敷には滅多に寄りつかなくなった。それこそ父親に呼ばれない限り、自ら顔を出すこともない。


「ねぇ、爺や! カイ兄様が帰ってきてるって本当?」

「はい、ジルヴェスター坊ちゃま。カイ様は先ほどお戻りになられました」


 末っ子に当たるジルヴェスターだけは、無邪気にカイを慕っている。過去のしがらみを知らなければ、それもまったく不思議ではない話だ。それくらい現在のカイは、嘘のように人当たりが良くなった。


「父上のところかな? ボク、すぐ行ってくる!」

「間もなくお勉強の時間でございましょう? 坊ちゃまは子爵位につくことが決まった身。もう少し落ち着きを持たねばなりません」

「……カイ兄様を差し置いて、ボクが先に爵位をもらうなんて。どう考えてもおかしいと思わない?」

「旦那様がお決めになったこと。ジルヴェスター坊ちゃまにこそ相応しい地位とお考えください」


 ジルヴェスターは、醜聞にまみれた伯爵令嬢を引き取って、侯爵が愛人として産ませた子供だ。貞操観念の低い母親とは違い、実に聡明な少年に育っている。


 当主の座に就く前に下位の領主に任命し、経験を積ませることは上位貴族ではよくある話だ。デルプフェルト侯爵はジルヴェスターこそ、次期当主にと考えているのかもしれなかった。カイを除いた上の兄たちは、子爵の地位など眼中にない様子で、そんなことには気づきもしない。


(旦那様が早く指名を済ませば、この騒ぎも落ち着くというのに……)


 長く仕える(あるじ)の真意を量り切れずに、家令は胸の内で落胆のため息をついた。


     ◇

 勝手知ったる我が家だが、今では他人の屋敷も同然だ。もう必要ないからと、カイの部屋は末の弟に使わせている。王城にいるか、任務に出ているか。ここ何年もカイはそんな感じで過ごしていた。

 廊下で出くわした使用人が、真っ青になって逃げていく。これはいつものことなので、別段気にせずカイは目的の場所へと向かっていった。


「カイ兄様!」

「やぁ、ジルヴェスター。随分と大きくなったね」


 飛びついてきた弟を抱き上げる。この家で自分を歓待する物好きは、ジルヴェスターと先ほどの家令くらいだ。


「聞いたよ、父上が兼任する子爵位を譲り受けることになったんだって? おめでとう」

「順番から言うとカイ兄様の方が先なのに」

「はは、オレは領地経営とか向いてないからね。ジルヴェスターはそういうの得意でしょ? 練習と思ってたくさん学ぶといいよ」


 下に降ろして頭にぽんと手を置いた。


「今日はあまり時間がないんだ。また今度ゆっくり話そう」

「はい、兄様! 今日はお会いできてうれしかったです。カイ兄様を見習って、ボクも勉強に励んでまいります!」


 弾むように廊下を行く背にひらひらと手を振った。その姿が見えなくなると、カイは近づく気配に振り返る。


「これはダミアン兄上。ご健勝のようで何よりです」

「今頃ここへ何しに来た」

「何と言われても、父上の招集ですよ」


 睨みつける次兄とは正反対に、カイは張り付けた笑顔をキープした。それが気に食わなかったのか、相手の声音がますます低くなっていく。


「実の母親の命日にも顔を出さず仕舞いのお前が、父上の前に出る資格などない。今すぐこの家から出ていけ」

出来得(できう)るならオレもそうしたいですけどね」


 軽く肩を竦めると、ダミアンの鼻息がさらに荒くなった。当たる理由など何でもいいのだろう。支離滅裂にカイをなじってくるのは毎度のことだ。


「お忙しいイジドーラ前王妃ですらきちんと墓前に現れたというのに、なんたる言い草だ!」

「あいにくですが、今日はオレ、手向けの葡萄酒(ワイン)を持参してないので」

「この悪魔が……!」


 しれっと言ってのけたカイに、ダミアンは醜悪な者を見る視線を向けてくる。感情の起伏が激しく安い挑発にすぐに乗る次兄は、人の上に立つ器とは言い難い。とは言え、自分も昔は随分と周囲にトゲを振りまいたものだ。あの頃は若かったと、カイはそんなことを思っていた。


「用件が済んだらご希望通りすぐ帰りますよ。オレも王城騎士としてそれなりに忙しい身ですから」

「お前ごときが騎士気取りなど……まったく忌々(いまいま)しい」


 ザイデル公爵家が謀反(むほん)を起こした時、その配下にあったデルプフェルト家も連帯で罪を問われた。そこを王家に永遠の忠誠を誓う形をもってして、侯爵家はお取り潰しを免れたのだ。カイが騎士として王城で仕えることは、デルプフェルト家にとって大きな意味があった。

 カイはいわば人質の役割を果たしているのだが、ダミアンにはそんな単純なことすら理解できないようだ。この次兄が家を継いだなら、デルプフェルト家はすぐにでも傾くに違いない。


(ハインリヒ様のことだから、有能な人材だけは王家に引き抜くだろうな)


 ニコニコ顔でダミアンを見やり、大げさに手を広げてみせる。


「兄上がいてくださるので、オレも安心して家を出ていけますよ」

「ふん、そんな上手い口を叩いて、腹の内では何を考えているやらだ」


 カイが跡目を継ぐなどあり得ないというのに、疑心に満ちた次兄は昔から小物感が丸出しだ。もっともカイに降りた託宣の存在を知らないのだから、仕方ないことだと放置しているカイだった。

 どの道デルプフェルト家がこの先どうなろうと、興味のひとつも湧きはしない。ベッティとジルヴェスターの行く末だけ、道を外さないようにと願うのみだ。


 舌打ちを残して去って行ったダミアンを見送ったあと、気を取り直して廊下を進む。面倒事はさっさと済ませるに限るというものだ。


(そういやイジドーラ様、この前報告に行ったとき、墓参りのこと話に出さなかったな。オレは別に気にしたりしないのに……)


 以前からのことだが、イジドーラはどうやらベアトリーセの話題を避けている(ふし)がある。叔母の気遣いに、知らず口元が(ほころ)んだ。イジドーラだけはずっとカイの味方でいてくれた。その事実だけが、あの頃のカイを世界に繋ぎ止めていたのだろう。


 デルプフェルトの屋敷で暮らした日々は、今となってはうろ覚えの状態だ。独りきりで過ごす部屋。がらんとした室内に、雨風が窓を叩く音がただ響く。


 そんな中、思い出したようにベアトリーセはカイの前へと現れた。この顔を見ては時にわめき散らし、時に手を振り上げ、時に大きく泣き崩れる。そしてほんの時折、カイの小さな体を腕に強く抱きしめた。

 それほどまでに辛いのなら、会いになど来なければいいのに。すすり泣く声を聞きながら、幼いカイは他人事のように思っていた。


 あの日のベアトリーセの息遣いは、いまだこの耳元に残っている。それなのに、母の腕に抱かれる自分に現実感はなく、どこか遠く一歩下がった視点で思い出されるばかりだった。


 晩年のベアトリーセは、赤い葡萄酒の印象しかない。ワイングラスを片手に、胸に人形を抱く。そんなアンバランスな姿にもかかわらず、正気を手放したベアトリーセはとてもしあわせそうに目に映った。

 もはやその瞳にカイの姿を映すことなく、無邪気に微笑んでは、酒を(あお)り、そして慈愛の視線を人形へと落とす。


 薄汚れた人形は、幼いカイの幻影だ。あの腕に抱かれ、確かに愛された時もあったのかもしれない。カイに降りた忌まわしき託宣を知るその日までは。


 今となっては、母親に対して恨みごとなど欠片(かけら)も抱いていない。

 ベアトリーセは弱い人間だった。カイにしてみれば、ただそれだけのこと。不都合な現実から目を逸らすことが許された、そんな幸運な立場にいたというだけの話だ。


「父上、お呼びにより参上しましたよ」

「来たか、カイよ」


 大した用事もないくせに、侯爵はいつもカイを呼びつける。律儀にそれに応える理由は、イジドーラに迷惑をかけたくないからだ。

 サロンには兄姉が数人いたが、カイの姿を認めるとそそくさといなくなった。人払いのなされた静かな空間で、カイは父親と対峙する。


「もっと近くへ」


 侯爵はこの家で、唯一真実を知る者だ。ベアトリーセがカイを拒絶し狂った理由も、すべて知った上で何もかもを放置した。


「膝を」


 言われるがまま目の前で膝をついた。頬を撫でられ上向かされる。最初に正気を手放したのは、きっとこの男だったのだろう。狂った両親から生まれた自分が、まともであるはずもない。自嘲(じちょう)めいた考えが、やたらとカイの中で()に落ちた。


 まだ幼い時分、温もりを求めて泣きながら屋敷内を彷徨(さまよ)っていた夜に、カイは父親に出くわしたことがある。侯爵は今と変わらない笑みを浮かべて、今と同じようにカイの頬を撫でてきた。


「いい色だ」


 あの夜と同じ言葉を侯爵は口にした。満足げに目を細め、この男はいつでも同じ台詞(セリフ)を吐き続ける。


「よく飽きませんね」

「飽きるものか。お前を愛でるのも、此れ切りかもしれぬであろう?」


 嫌味のように言うも、(かえ)って笑みを深められた。この心ない言葉も聞き飽きた。託宣を果たした時、カイは世界から消え去る運命だ。その瞬間をこの男は待ち()びているのではないのだろうか。そう思わせるほど、侯爵の瞳は期待と好奇に満ちている。


 通り一遍のやりとりを終えて、カイはデルプフェルト家を後にした。家族とは一体何なのだろう。この家に来るたびに、柄にもなくそんなことを考える。

 世間で言うような家の在り方は、頭でなら理解はできる。だが自分が今ここにいるのは、父親と母親がまぐあった結果なだけだ。いくら考えようとも、その事実以上のことは何ひとつ見いだせない。


 馬を駆り、街道をひた走った。そびえ立つ王城の影が視界に入るころ、そこでようやくカイは息ができるようになった気がした。

 王城に着き、奥の部屋に通される。約束の時間ちょうどに到着した自分を、無性にほめてやりたい気分だった。


「ハインリヒ王、ご報告に上がりました」

「今は非公式な場だ。いつも通りでいい」


 きっちりと騎士の礼を取ったカイに、ハインリヒはどこか遠くを見る瞳を向けてきた。王位に就いてからというもの、ハインリヒは近寄りがたい雰囲気を(まと)うようになった。ディートリヒ王に感じていたものと同じ、畏怖(いふ)の念を否応なしに抱かされる。


「ティビシスでは何か情報は得られたのか?」

「女神神殿がラウエンシュタイン(ゆかり)の地であることはわかりましたが、託宣に関することは何も……」

「そうか。引き続き調査に当たってくれ」

「仰せのままに」

「それでだ、カイ。残る託宣の内容は、やはり口には出せないのだな?」


 託宣の書庫で、カイは詳細不明の託宣を新たにふたつ見つけた。そのうちのひとつはルチアが受けた託宣だ。残るひとつがカイの対となる託宣を受けた者であり、今調査しているものだった。


「……やはり無理なようです」


 口を開きかけ、言葉が出ないのを確かめる。龍に目隠しをされるため、この託宣の内容を知る者はカイ以外にはいなかった。


「分かった。それが龍の意思と言うなら仕方がない。だが龍は気まぐれだ。もし口に出せるときがきたら、報告を忘れるなよ」

「はい、必ず」


 その時には、自分はすでに星に堕ちているかもしれない。答えながらもそんなことを思う。隠された託宣はカイの対となる相手だ。カイのために用意されたのだから、真実はカイだけが知っていればいい。

 ハインリヒがこの事を知ったなら、カイ自身が調査を続けることを止めにかかるかもしれない。自由に動けなくなるのは勘弁だったので、龍の目隠しは(かえ)って好都合だった。


「ルチア・ブルーメはどうしている?」

「報告では白の夜会のために王都のタウンハウスに移動したようです」

「彼女に関する噂には気を配ってくれ。詮索されたところで、いらぬ火種にはならないとは思うが……」


 ブルーメ家の養子になった赤毛の令嬢のことは、すでに社交界で話題になっている。昨年のデルプフェルト家の夜会にルチアを呼んだのは、王家派の者に先に周知するためだった。王の意を()んで、彼らも上手いこと立ち回ってくれるだろう。


「オレは裏から情報を探ります。夜会でルチアと親しくするわけにはいかないですから」

「ああ、そうしてくれ」


 常に既婚者と浮名を流しているカイは、令嬢たちからのウケはすこぶる悪い。挨拶程度ならまだしも、変にカイに近づくと、遊び慣れた令嬢のレッテルを貼られかねないからだ。未婚の彼女らに傷をつけるわけにもいかないので、カイもよほどの理由がない限り令嬢をダンスに誘うことはなかった。


 控えめなノックと共にジークヴァルトが顔を出した。


「ハインリヒ、時間だ」

「ああ、今行く。ではカイ、引き続き頼んだぞ」


 ジークヴァルトを引き連れ、ハインリヒは出ていった。その様子は、カイがふたりに出会ったころと変わらない。


 初めてハインリヒに目通りしたのは、カイがまだ王城騎士となる前の話だった。ベアトリーセの死後、デルプフェルト家で孤立するカイを見かねたイジドーラが、カイを王城に呼び寄せた。今カイがここに立っていられるのも、イジドーラが王妃の権限を用いて、王太子付きの騎士にすべく動いてくれたおかげだ。


 あの日、ハインリヒはジークヴァルトを従えて、カイの前に現れた。すでに王太子となっていた彼は、ひとつ年上なだけにもかかわらず、随分と大人びて見えたことを覚えている。


「これからハインリヒ様にお仕えさせていただく、カイ・デルプフェルトでございます」

「ああ、お前が、星に堕ちる託宣を受けたという……」


 ストレートな物言いに、むっとしてカイは礼を取ったまま口をつぐんだ。それを見たハインリヒが小さく笑ったのを感じ取る。王城(ここ)での扱いも家にいるのと大差はないのだと、ぐっと奥歯を噛みしめた。


「カイ・デルプフェルト。お前にひとつだけ聞きたいことがある。なぜ自分が禁忌の異形となる託宣を受けたのか、お前はその理由を知りたいとは思わないか?」


 予期せぬ言葉に、立場も忘れて顔を上げた。(さげす)むでも()むでもない表情で、ハインリヒはカイを静かに見下ろしている。


「それは……どういった意味でしょうか?」


 真意を推し測ることができずに、探るように問いかけた。


「わたしは自由に動かせる手駒を必要としている。もしお前がわたしに協力するというのなら、わたしもまたお前の力となろう」

「どうしてそれをこのわたしに? ハインリヒ様ほどのお立場であれば、手駒など選びたい放題でしょうに」

「理不尽な託宣を受けたお前だからこそだ」


 返答しあぐねていると、ハインリヒは冷たい視線を投げかけてくる。


「無理強いはしない。黙って龍の意思に従うことがお前の望みなら好きにしろ。託宣を果たすまで、このままおとなしく不貞腐(ふてくさ)れて過ごすといい」

「な――……っ!」


 瞬間弾けた感情に、カイは声を荒げそうになった。しかしすべてを見透かすような瞳とぶつかって、それ以上言葉を繋げなくなる。


「カイ、お前はそれなりに地位のある人間だ。あぐらをかいて過ごしたところで何の支障もないだろう。だが本当にそれでお前は満足か?」


 そこまで言って、ハインリヒはふっと笑った。


「知識は力となる。自らが動き、得た知識ならばなおさらだ。何、単純なことだ。わたしはお前を利用し、お前もまたわたしを利用すればいい。どうだ? 悪い話ではないだろう?」

「……ハインリヒ様のご意思のままに」


 思ってもみなかった提案に、半ば放心して(こうべ)を垂れた。

 何よりこの場での、自分に対する反応が衝撃的だった。母を死に追いやった忌み児ではなく、利用価値のあるひとりの人間として、ハインリヒはカイを捉えている。ジークヴァルトにしてもそうだった。ずっとハインリヒの後ろに立っていたジークヴァルトは、カイに対して興味すら持っていない。


 人生など、自分次第でどうとでもできるのだ。身動きができない理由は、他人がつけた評価(レッテル)鵜呑(うの)みにしているカイ自身にあるのかもしれなかった。

 何があっても外せない(かせ)は、それでも思いのほか(くさり)が伸びることを知る。


 この日を境に、カイの世界は少しずつ広がり始めた。



 正式に王城騎士となり、カイは龍の託宣について調査するようになった。ハインリヒの消えた託宣の相手を探しつつ、自分が受けたような託宣が、過去にあるかどうかも(くま)なく探る。時に街に出て、市井(しせい)の情報を集めることも欠かさなかった。

 諜報活動に特化したデルプフェルト家を動かせる立場のカイは、ハインリヒの言う通り相当使える人材となっていった。


 そんなある時に出会ったのがイグナーツだ。彼は公爵家の人間でありながら、ほとんど屋敷にいないらしい。探し出してラウエンシュタイン家へと送り届けるように。そんな(めい)を受けたカイは、最終的に王都の外れ街にあるこんがり亭に行きついた。


 調べれば調べるほど、イグナーツは面白い人物だった。子爵家の庶子だった彼は市井で生まれ育った。にもかかわらず公爵家に婿(むこ)入りを果たしたという変わり種だ。それは龍から託宣を受けていた事が理由らしく、益々カイはイグナーツに興味を惹かれた。極みつけは、年の半分以上は山に出かけていて、冬になるまで帰って来ないと言うからさらに訳が分からない人物像だ。


 実際に会ったイグナーツは、ゆっくりとしゃべる物静かな男だった。初めて訪れたこんがり亭でカイが名乗ると、イグナーツは穏やかな笑みを返してきた。


「ああ、そうですか、それでボクを探しに。わざわざ遠いところをありがとう」


 イグナーツをラウエンシュタイン家に送り届け、その日は当たり(さわ)りなくふたりは別れた。帰り際、ふと思って問いかける。


「イグナーツ様はなぜ毎年山に行っていらっしゃるのですか?」

「取り戻すためにです。大事なものを」

「大事なもの?」

「ええ、ボクにとって何物にも代えがたい……掛け替えのない宝です。それを取り戻せるのなら、ボクは世界のすべてと引き換えにしても構わない」


 そう言ってどこか遠くを見据えたイグナーツの瞳が、しばらくカイは忘れられなかった。どうしても気になって、用事もないのに二度目は自らの意思でイグナーツの元を訪れた。


「イグナーツ……さま?」


 目の前にいるイグナーツに、カイは唖然となった。場末の酒場でグラスを片手にしたイグナーツは、ゲラゲラと笑いながら両脇に露出度高めの女を(はべ)らしている。


「やあ、君は先日の。あの時は世話になったね」


 カイを見て若干目を泳がせた後、イグナーツは何事もなかったかのようにニッコリと笑って見せた。


「やだぁ、イグナーツさま、君、だなんて気取っちゃってぇ」

「そうよぅ、イグナーツさま、めっちゃウケるぅ」

「違いねぇ!」


 女たちが爆笑する中、イグナーツはぐいとグラスを(あお)った。


 初対面での物静かな姿は、猫をかぶっていたに過ぎなかったことをカイは悟った。ゆっくりと丁寧に話すのも、貴族としてボロを出さないための手段なのだろう。まんまと騙されたことに気がついて、カイは刺すように冷たい視線をイグナーツへ落とした。

 この男に一体何を期待していたのだろうか。カイの中で、自分でもよく分からない裏切られたような感情が湧き上がった。


「せっかく来たんだ。お前も飲んでけよ」

「いえ、わたしはまだ酒が飲める歳ではないので」

「いやぁあん、まじめぇ!」


 相当酔っ払った女に腕を引かれ、無理やりにイグナーツの横に座らされる。


「可愛いボクちゃんにはおねぇさんがミルクおごったげるぅ」

「いやオレは……」

「女に恥かかせんな。いいから素直に受け取っとけ」


 そういうことぉ~、と横からぶちゅっと頬に口づけられる。


「今夜は全部オレのおごりだ。店に来てるやつぁ、好きなだけ飲み食いしていいぜ」


 そのひと声に酒場全体がどよめいて、あっという間にどんちゃん騒ぎに突入した。呆気にとられたまま、差し出されたミルク入りのグラスを握らされる。


「つきあっていられないのでオレは帰ります」


 グラスをテーブルに置くと、カイはすぐさま立ち上がろうとした。


「そんな冷めた(つら)してたって(なん)も変わんねぇぞ? 笑え笑え」

「な――……っ!」


 いきなり脇腹をくすぐられ、反射的にイグナーツの手首を取った。そのままねじり上げようとした瞬間、あちこちから女たちの手が伸びてくる。


「きゃははは、ボクちゃんわらえわらえ~っ!」

「うわっちょっとやめっ」


 何本もの手に脇から首からあらぬところまでくすぐられ続ける。これまで出したこともない奇声を上げて、カイは涙目になって身をよじり続けた。


 (えん)もたけなわになるころ、酔いつぶれた人間がそこかしこで転がりいびきをかいている。髪も服も揉みくちゃにされた姿で、半ば放心してカイはその場に座り続けていた。


「なぁ坊主。お前、龍から奇妙(けったい)な託宣を受けたらしいな」


 となりで氷だけになったグラスを回していたイグナーツが、いきなり口を開いた。


「どうしてそれを……」


 誰がどんな託宣を受けたかを、詳しく知る者は数少ない。それこそ神殿上部の者や王族など、ごく限られた立場の人間だけだ。真顔になったカイが瞬時に警戒を示すと、イグナーツは対照的にへらりと笑った。


「わりぃな、ラウエンシュタインにもそれなりの情報網ってのがあんだよ。しかも聞きもしないのに教えてくれる優秀さと来てる」


 横で平和そうに眠る女の髪を指に絡めながら、上機嫌にイグナーツは言葉を続けた。


「なぁ坊主」

「カイです」

「なぁカイ、オレは思うんだが、お前、絶対に人生損してっぞ」

「損?」

「ああ、世の中にゃ楽しいことが山ほどある。馬鹿みてぇに楽しいことがな」


 悪戯(イタズラ)を思いついた子供のような顔を、イグナーツはカイに向けてくる。


「オレがそれをしこたま教えてやんよ」



 それからというもの、イグナーツはカイをあちこちに連れまわすようになった。見聞きする物すべてが別世界で、いかに自分が狭い場所にいたかを知ったカイは、素直にその教授を受け続けた。

 はじめて女性のカラダを知ったのも、イグナーツに娼館へ連れていかれたときのことだった。女に煙草に賭博、悪い遊びは一通り教わった。どれも我を忘れてのめり込むほどのことはなかったが、カイの見識を広げたことだけは確かだった。


 ただその中で、ひとつだけ受け入れられないものがあった。酒は五感を鈍らせ任務に支障をきたす。何より晩年のベアトリーセを彷彿(ほうふつ)とさせるため、カイは(かたく)なにそれを拒絶した。


 イグナーツから教わったことは実にくだらない物ばかりだったが、ひとつだけ感謝していることがある。


「どんなときでも取りあえず笑っとけ。そうすりゃ(はた)からすると平和に見えんだろ? お前にしてみりゃ、余計なお世話かもしれねぇがよ」


 ある日そんなことを言われ、カイは物は試しに笑ってみることにした。するとどうだろう。相手の(ふところ)に入ることが容易になり、情報をより簡単に引き出せるようになった。油断させるのにこれほど効果的で、安上がりなものはないと結論づけたカイだった。


 初めはぎこちなかった笑顔も、すぐに意識せずとも作れるようになった。周囲から笑い上戸の称号を授かり、それ以降カイは、冷めた瞳を表に出すことをしなくなった。



 濃厚にイグナーツと過ごしたのはそのひと冬だけだ。雪解けの季節を迎えると、イグナーツは再び山へと向かった。

 今までのちゃらんぽらんさが嘘のように、真剣なまなざしをこれから行く山脈へと向ける。その姿は、初めて出会った日のイグナーツそのものだ。そのことがカイを混乱させる。


「イグナーツ様、言ってましたよね。山には大切なものを取り戻しに行くって」

「ああ、オレは龍にマルグリットを奪われた。何が何でも、オレはあいつを取り戻す」


 マルグリットはイグナーツの妻であり、ラウエンシュタイン家の女公爵だ。龍に奪われたという状況もよく分からなかったが、険しい山脈に分け入り命の危険を冒してまでそれを求めるイグナーツを、カイはひとつも理解できなかった。


「知ってっか? 対の託宣を受けた者同士が肌を合わせるとな、それはそれは気持ちがいいんだ。アレを味わったら、ほかの女なんかじゃ絶対に満足できなくなる」


 そう理由を聞かされて、カイは笑わずにはいられなかった。そんな極上の女を手にするためなら、イグナーツは命を懸けても惜しくないのだろう。


「なぁカイ。案外いるのかもしれねぇな。お前にも、対となる託宣の相手が」

「オレに対の相手が……?」


 考えてもみなかったことを言われ、カイは目を丸くした。婚姻の託宣を受けた者ならともかく、禁忌の異形になり果てる自分に、そんな相手がいるとは思い難い。


「だってそうだろう? 星に堕ちるってことは、龍に歯向かってまで守りたいもんがあるってことだ。ひねくれたお前がそんなことするなんざ、よっぽど特別な誰かがいるとしか思えねぇ」


 イグナーツは何気なく言っただけなのかもしれない。カイ自身もその言葉を、あのとき話半分で聞いていた。

 だがカイは本当に見つけてしまった。自分の対となる託宣を受けた者が、この世のどこかに存在するということを――。


(まぁ、それが女だとは限らないけど)

 その相手のために、自分はいつか星に堕ちるのだ。そう考えると、焦がれるような不思議な高揚感が、カイの奥で湧き上がった。



 王城を出て、王都の外れにある隠れ家へと向かう。リープリングに出迎えられて、お決まりで犬用おやつを放り投げた。

 その隙に二階に駆け上がり、奥の資料部屋の扉を開ける。(ほこり)のたまった紙の束をかき分けながら、これからの調査に使えそうなものをピックアップした。


 白の夜会で新たな人脈づくりをしないといけない。各貴族が所有する書庫には、託宣にまつわるものが時に眠っている。そこに潜り込むには、暇を持て余しているご夫人たちと親しくなるのが手っ取り早かった。


 広げられたまま置かれていたノートがふと目に入った。そこにはふたつの託宣のことが書かれている。

 そのひとつはルチアが受けたリシルの託宣、もうひとつがカイを星に堕とすオーンの託宣だ。


(夜会の前に、もう一度こんがり亭に行くか)


 ルチアの顔が思い出され、カイはそんなことを考えた。彼女を一緒に連れていけば、戻ってきたイグナーツと引き合わせることができるかもしれない。

 そうすればルチアのことはイグナーツに任せて、冬の間、自分は面倒を見ないでよくなるだろう。


「その方が調査に専念できるし……」


 呟いて、頭の中で算段をつける。王都のタウンハウスから連れ出すには、それなりの理由が必要だ。イグナーツの使いで迎えに行くといったところが、いちばん安全()つそれらしいだろうか。


(オレが個人的にルチアを連れまわしたって噂が流れてもまずいからな)


 社交界での浮ついた自分の立場は、カイ自身がいちばんよく知っている。ルチアの名誉に傷をつけるわけにはいかないので、そこは慎重に事を進めないとならなかった。

 ブルーメ家にはベッティを行かせてあるので、侍女として共につければ誰かに見られても体裁(ていさい)は保てるだろう。


「まずは子爵に連絡を入れるか」


 差し迫った白の夜会を前に、カイは急いで動き出した。


【次回予告】

 はーい、わたしリーゼロッテ。社交界デビューの舞踏会を目前にして、王都のタウンハウスへと移動したルチア様。そこにカイ様がやってきて、ふたりで王都の街中へ出かけることに。二年ぶりに訪れたこんがり亭で、店主のダンたちと再会したルチア様は……?

 次回、6章第12話「不確かな思い」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!

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