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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣

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第2話 若奥様の奮闘

【前回のあらすじ】

 神事の旅から戻ってからというもの、部屋にこもりきりのリーゼロッテ。毎晩ジークヴァルトに愛されて、体力も限界に。

 そんなときにやってきた月のものに、まぐわいのない穏やかな日々が訪れます。体を労わってくれるジークヴァルトにしあわせを感じつつ、このまま平穏でいたいと思ってしまって。月のものの終わりを虚偽申告し、リーゼロッテは待ての引き延ばしに成功します。

 しかし解禁となったあとのジークヴァルトの溺愛加減に辟易(へきえき)し、二度と嘘はつくまいと心に誓ったリーゼロッテなのでした。

 ジークヴァルトはいつでも自分を見ている。本当の意味でそう思ったのは、夫婦となって毎晩一緒に眠るようになってからだ。


 再会したての初めのころは、よく目が合うなくらいの感覚だった。だが思い返すとどうだろう? ジークヴァルトの顔を見て、自分を見ていなかったときの方が数少ない気がした。


 ふと夜中に目覚めたときも、いつだって青い瞳はこちらに向けられている。やさしく口づけられて、眠りの(ふち)に落ちていく。それがとてもうれしくて――



 人の気配がして身を起こした。ぼんやりと青を探す。触れた隣のリネンに、残る温もりはなかった。


「おはようございます。奥様、お目覚めになられましたか?」

「おはよう、エラ。ジークヴァルト様は……?」

「今朝も早くに執務に行かれました」

「そう……」


 昨夜は先に寝てしまい、途中目覚めることもなく、そのまま朝を迎えてしまったようだ。寝台を降り、エラとともに身支度を始める。月のものでないときに、ジークヴァルトと身を(つな)げなかったのは初めてかもしれない。


(わたしが眠っていたから、起こさないでいてくれたのね)


 それでも戻ってきたときに、ひと声かけてほしかった。夕べは顔すら見られなくて、それが何だかさみしく思えてしまう。


「せめて夜中に目覚めればよかった……」


 そうすればあの青の瞳にキスしてもらえたのに。


「どうかなさいましたか?」

「いいえ、何でもないの」


 そもそも眠りこけていた自分が悪いのだ。今夜はジークヴァルトが戻るまで、眠らずに起きていようと心に決める。


 朝食を済ませ、サロンに移動した。午前の夏の日差しがまぶしく映る。日中にここへと(おもむ)くのは、月のものが来ている間以外では、やはり始めてのことだった。

 やることもなくのんびりお茶を飲んでいると、使用人が(せわ)しげに何度も廊下を行きかった。


「今日はなんだかバタバタしているみたいね」

「それが昨夜までの長雨で、領地のどこかに災害が起きたらしくて……」

「え? 災害が?」

「どの程度の被害か今調査中とのことです。旦那様も現地に向かったと先ほど聞きました」

「ヴァルト様が自ら……」


 窓の外を見やると、さわやかな晴天が広がっている。それでも所々に残る水たまりが、振った雨の多さを告げていた。


「ねぇエラ、わたくしに何かできることはないかしら?」

「奥様はゆっくり過ごすようにと旦那様から仰せつかっております。どうぞご心配なさらず、旦那様のお帰りをお待ちください」

「でも……」


 リーゼロッテはフーゲンベルク公爵夫人となった。領地の危機にのほほんとお茶をしているなど、自覚が足りないにも程があるだろう。


「この時期に何がしか起きるのは、毎年のことのようですから。マテアスもおりますし、任せておけば問題ございませんよ」


 エラにはそう言われたものの、このままティータイムをたのしむ気分にもなれなくて、リーゼロッテは早々に部屋へと戻ったのだった。


     ◇

 翌日もジークヴァルトの顔を見ないまま朝を迎えた。隣で眠っていた形跡もなく、それどころか部屋にも戻ってこなかったようだ。


「そんなに被害が大きいのかしら……」

「橋がひとつ流されたそうです。マテアスの話では人的被害はなかったものの、交通が分断されてそちらの対応に追われているとのことでした」

「誰も怪我をしなかったのは不幸中の幸いだけれど……橋が渡れないのではきっとみな困っているわね」

「それでマテアスからの伝言なのですが、旦那様はしばらくの間、戻れても夜遅くになるとのことで、奥様は待たずに先にお休みになってくださいとのことです」

「そう……。ねぇエラ、わたくしは本当に何もしないでいいのかしら?」


 これまでのように婚約者の立場だったら、口出しなど余計なことだろう。だがジークヴァルトの妻となった今、自分にもやるべきことはあるはずだ。


「旦那様がお戻りになったときに、笑顔で迎えて差し上げるのがいちばんですよ。きっとおよろこびになられます」

「でも先に寝てしまったらそれもできないわ」


 思わず唇を尖らせる。


「ご存じないのですか? 奥様の寝顔はまるで天使のようで、眺めているだけでそれはそれは癒されるのですよ」


 微笑ましそうに返されて、リーゼロッテは口ごもった。夜中に目覚めて目が合うということは、ジークヴァルトにじっと寝顔を見られているということだ。


「状況はわたしからお知らせします。どうぞ今は信じてお待ちください」

「分かったわ……でも何かあったら、真っ先にわたくしに教えてちょうだいね」


 納得したふりで頷いたあとも、ひとり考えを巡らせる。ただ待っているだけでは、ジークヴァルトの妻になった意味がない。


(領地のためにわたしができること……)


 橋を再建するには物資が必要だ。人手もいるだろうし、分断地域への支援も欠かせない。


(フーゴお義父様に援助を頼もうかしら)


 義父なら快く受けてくれるだろう。名案を思いついたと、リーゼロッテはさっそく(ふみ)をしたためた。


「エラ、これをダーミッシュ家に届けてほしいのだけれど」

「伯爵家にでございますか?」

「ええ、お義父様に災害のことでお力を貸していただこうと思って」


 笑顔でそう告げると、途端にエラは渋い顔になった。両手離しに賛成してくれると思っていただけに、リーゼロッテは不思議そうに首を傾ける。


「公爵夫人となられたリーゼロッテ様が実家に助けを求めたとなると、旦那様のお顔をつぶすことになりかねません」

「わたくしそんなつもりは……」

「分かっております。ですが周りがそう見てくれるかどうか」


 頼りない夫のために妻の実家が乗り出したとなると、ジークヴァルトがいい笑いものになる。フーゲンベルク家自体を(おとし)めることになるのだと、やんわり(たしな)められた。


「とはいえわたしに判断はできませんので、こちらの(ふみ)は一度マテアスに預けておきますね。問題ないようでしたらダーミッシュ家に届ける手配をいたします」


 そう言われて託した手紙は、結局家令となったマテアスに却下されてしまったようだ。意気込みばかりが空回りして、そんな自分が歯がゆく思えてならなかった。


 そのままジークヴァルトに会えない日々が幾日も続いた。早朝から現地に(おもむ)き、夜も遅くに戻ったあとは、執務室にこもって朝まで書類を片づけている。そう聞いたリーゼロッテは、いてもたってもいられなくなった。それなのにできることは何もなくて、ただ時間ばかりが過ぎていく。


 部屋でもんもんと過ごしていたある昼下がりのこと。リーゼロッテの耳の守り石がふわりと暖かくなった。

 ジークヴァルトが近くにいるような気がして、思わず部屋を飛び出した。カークを引き連れ、スカートをつまみ上げながら急ぎ廊下を進む。


「ジークヴァルト様!」


 エントランスでその姿を見つけ、小走りに駆け寄った。勢いのまま飛び込むと、力強い腕に抱きとめられる。久しぶりの温もりに、リーゼロッテは胸にぎゅっとしがみついた。


「マテアス、その件はお前の判断に任せる。残りは夜に戻ってからだ」

「承知いたしました、旦那様」


 書類を抱えたマテアスが足早に執務室へと戻っていった。ジークヴァルトも今から現地にとんぼ返りしなくてはならないようで、ここで打ち合わせをするほど忙しいのだと理解する。


「わたくし、お仕事の邪魔を……」

「いい、問題ない」


 身を引こうとして、逆に強く抱きしめられる。腕の中、見上げた顔に疲労が色濃(いろこ)く表れていた。


「ヴァルト様……わたくしに何かできることは……」


 言いかけて唇を(ついば)まれる。近づいた顔はすぐ離された。


「これで十分だ」


 青の瞳が細められる。後ろから使用人に()かされて、ジークヴァルトは再び領主の顔となった。


「今日中には片がつく。心配せずに待っていろ」

「はい、ヴァルト様。お気をつけて……」


 足早に出ていく背を、リーゼロッテはただ見送るしかなかった。結局何もできない自分が情けなく思えてしまう。


「仲睦まじくされているようで安心しましたわ」

「エマニュエル様!?」

「ご無沙汰しております、リーゼロッテ様」


 いつの間にか隣に立っていたのは、マテアスの姉、エマニュエルだった。彼女は使用人ながらブシュケッター子爵に見初められ、今や子爵夫人となっている。泣きぼくろが(つや)っぽい、ナイスバディな年齢不詳の美女だ。


「今日はお祝いのご挨拶に寄らせていただきましたが、どうやらそれどころではなさそうですね」

「エマ様、わたくし……」


 エマニュエルはこの家で家令の娘として育ってきただけあって、フーゲンベルク領の事情に精通している。何か助言をもらいたくて、リーゼロッテは胸の内を即座に打ち明けたのだった。


     ◇

「それでリーゼロッテ様は、旦那様のために何かして差し上げたいと、そうおっしゃるのですね?」

「ええ、公爵夫人になったからには領地の役にも立ちたくて。なのにちっとも上手くいかなくって、わたくしどうしたらいいのか……」


 しょんぼりとうなだれるリーゼロッテを前に、エマニュエルは微笑ましそうに口角を上げた。先ほどのふたりの様子を見た限りでは、すでに十分力になっているように思える。

 ジークヴァルトの不器用な愛が、ようやくリーゼロッテに通じたのだ。ずっともどかしく見ていたエマニュエルにしてみれば、これはもう大躍進を遂げたといったところだ。


 そうは言ってもリーゼロッテの気持ちも無下(むげ)にはできない。ジークヴァルトに向けられたその思いを、なんとか形にしてやりたかった。


「リーゼロッテ様、女には女のやり方がございます。少しわたしと一緒にお勉強いたしましょうか」


 前のめりに頷いたリーゼロッテを連れて、エマニュエルは公爵家の書庫へと移動した。


「リーゼロッテ様もご存じのように、フーゲンベルク家では家令であるマテアスが補佐する形で、旦那様を中心に領地経営を行っております。他領では執務のすべてを使用人任せにしたり、女主人が取り仕切っている家も見受けられますが、公爵家ではそのようなことはございません。ここまではよろしいですね?」


 エマニュエルの言葉に、リーゼロッテが神妙に頷き返す。


「そうなれば、女主人となられたリーゼロッテ様が(にな)うべき仕事は、社交にあります」

「社交に……?」

「ええ、そうです。社交を通して様々な情報を仕入れ、公爵家の(えき)となる家と親しくするのが主な役割となります。本来なら、まずはおふたりの婚姻のお披露目(ひろめ)を兼ねて、夜会を開き懇意(こんい)にしている貴族を招くべきなのですが……」


 ジークヴァルトとリーゼロッテの取り合わせでは、異形の者のトラブルが起こる懸念がある。そんな事情もあり、公爵家主催で大規模な夜会は開けないでいた。今までもよその夜会に参加したときは、最小限の時間にとどめて早めにお(いとま)していたくらいだった。


「身内の小さな茶会なら開けそうかしら……?」

「お披露目の意味としては非効率ですね。数を招くには幾度も開く必要がありますし、呼ぶ面子(めんつ)にも気を配らないとなりません。それに呼んだ順番で、軋轢(あつれき)を生む可能性もございます」


 面倒くさいとしか言いようがないが、貴族社会ではいろんな思惑が絡み合っている。一見平和そうに見えるこの国にも、貴族間の派閥(はばつ)は存在していた。

 それに令嬢時代に(もよお)した茶会とは、まったく意味合いが異なってくる。誰が呼ばれて誰が呼ばれなかった。それは社交界で注目の(まと)となる。フーゲンベルク公爵夫人としての立場と影響力の強さを、よく考えなくてはならなかった。


「だとしたらどうすればいいのでしょうか……」

「やはり大規模な夜会に参加するのが手っ取り早いですね。昼の茶会などでは、どうしても親しい間柄の人間のみに偏りがちです。社交では幅広く交流する必要がありますから」


 情報を入手するためにも、駆け引きは重要だ。淑女同士の社交は、もっぱら噂話と舌戦と言えた。


「まずは貴族の派閥と各家の利害関係をお勉強いたしましょうか。それが頭に入っていないことには、(かえ)っていいように相手に利用されてしまいますから。その上でお披露目の夜会をこなし、それから少しずつ親しい貴族との交流を深めていくのがよろしいですわ」


 恐らくジークヴァルトは、リーゼロッテにここまでのことは求めていないだろう。だがどこまで頑張れるかはリーゼロッテ次第だ。そう思ってエマニュエルは分厚い貴族名鑑を開いた。


「エマ様、わたくしどうしてもジークヴァルト様のお力になりたいのです。どうぞご指導よろしくお願いいたします」


 深々と頭を下げる姿に、苦笑いを向ける。公爵夫人としての威厳を、リーゼロッテはまず身に着ける必要がありそうだ。


「リーゼロッテ様、公爵夫人たる者、そのように軽々しく頭を下げてはなりませんわ」

「申し訳ございません、わたくし……!」


 慌てて顔を起こし、おろおろと謝罪してくる。やはりリーゼロッテに舌戦は向いていない。その結論にあっさり行き着いて、エマニュエルはどうしたものかと困った顔をした。

 こうなれば最終手段を授けるしかないだろう。どのみちジークヴァルトがリーゼロッテを社交の矢面(やおもて)に立たせるとも思えなかった。


 限られた時間の中、自身が得た社交の技量を、エマニュエルはできるだけやさしくかみ砕いてリーゼロッテに伝授したのだった。


     ◇

 その夜、書庫から持ち出した最新の貴族名鑑を、リーゼロッテは夜遅くまで眺めていた。おさらいしながらページをめくる。


 名前と顔を一致させるのも一苦労だが、各家の思惑、派閥関係の複雑さに頭が痛くなってくる。世間話と(しゅん)の話題に加えて、出すべき話題、避けて通るべき話題、探るべき情報なども流動的に変化する。それをうまく織り交ぜて、表面上は穏やかに駆け引きを行っていくのだ。


 そんな器用なことが自分にできるとは思えない。今までこなしてきた社交が、いかに生ぬるいものだったかを思い知る。


(うまく切り抜けられないんだったら、エマ様の言う秘策に頼るしかないかしら……)


 それでも正しい知識があるのとないのとでは、結果も変わってくるだろう。そう思って再び貴族名鑑に目を落とした。


(とにかくやれるだけのことはやらなくちゃ!)


 いつかこの努力が実を結ぶことを信じて、リーゼロッテはページを何時間もめくり続けた。



 ゆらゆら揺れて、やわらかい場所に降ろされる。スプリングがぎしりと鳴って、温かい腕に包まれた。


「ヴァルト様……?」


 うすく(まぶた)を開くと、青の瞳が目に映る。うれしくて、リーゼロッテはふわりと笑った。そこをすかさず口づけられる。


 居間で勉強をしているうちに、そのまま眠ってしまったのだろう。やっと戻ってきたジークヴァルトに手間をかけさせてしまった。そう思っても、しあわせばかりがこみ上げる。


 再びまどろみに沈みそうになったところを、角度を変えて何度も(ついば)まれた。


「んん……ふぁ、んっ」


 ぼんやりと開いた唇から、青の波動が流れ込んできた。お返しのように流し返すと、緑の力がするするとジークヴァルトに吸い込まれていく。それが心地よくて、リーゼロッテはジークヴァルトの顔に手をかけた。耳の守り石に触れ、指先が熱くなる。


「リーゼロッテ……」

「っん、ぁ、ヴァルトさま……」


 夢うつつに呼びかけた。半ば寝ぼけた状態のまま、眠りのはざまで体に火を灯される。


「……あ……るとさ、ま……ぁ」


 ねだるような声が口から漏れた。

 触れる指先に翻弄(ほんろう)されて、夢と現実の境界が曖昧なまま、リーゼロッテはジークヴァルトとあまい夜を過ごしたのだった。


     ◇

 ぼんやり目覚めると、すぐ目の前にジークヴァルトの青い瞳があった。同じ枕に頭を沈め、向かい合わせで見つめ合う。ジークヴァルトがいるということは、まだ遅い時間だろうか。働かない頭で見回すと、伸びてきた手に引き寄せられる。


 素足を絡めあい、隙間などないほどに体が密着する。リーゼロッテをやさしく抱きしめ、指に髪を絡めながらゆっくりと()いていく。


 大きな腕に包まれる安心感とともに、なんだか恥ずかしさがこみ上げてくる。ジークヴァルトにどんな顔を向けたらいいのか分からなくて、リーゼロッテはその首筋に顔をうずめた。

 愉悦(ゆえつ)を求めるだけではない触れあいに、リーゼロッテはただ戸惑った。恥ずかしいのに、だがとても穏やかな時間だ。夫婦とはこんな時を共有するものなのだと、半ば感動すら覚えてしまう。


 ジークヴァルトは思った以上に筋肉質だ。普段は隠れて見えない腕も胸も腹も背も、見事なくらいに鍛え上げられている。しなやかな体は弾力があって、触れるととても気持ちがいい。髪をなでる指先も心地よくて、うとうととまどろみが訪れた。


 ふと肩口にある傷痕(きずあと)が目に入った。いつか異形に()かれた人間に刺されたものだ。痛々しい引き()れに、リーゼロッテは指をそっと這わせた。無意識に力を流し込む。


「今年は何が欲しい?」

「え?」

「もうすぐお前の誕生日だろう?」


 突然の問いかけに、思わず顔を上げた。静かな瞳に見つめ返されて、離れそうになった体を引き戻される。


「――わたくし、夜会に出たいですわ」


 昼間のエマニュエルとのやり取りを思い出し、とっさにそう口にした。寄せられた眉根に、ジークヴァルトの(いな)の返事が濃く映る。


「異形のせいでわたくしたちの婚姻を、公爵家でお披露目することはできないのでしょう? でしたら呼ばれた夜会でみな様にご挨拶を」

「それは(すで)に社交界で周知のことだ。わざわざ夜会に出て広めることもない」

「ですがわたくしも公爵夫人として社交をこなさないと……ぁんっ」


 反論を封じるかのように、ジークヴァルトが乱暴に唇をふさいでくる。


「そんなものは不要だ」

「で、でも、わたくしだって公爵家の役に」

「駄目だ。お前が表立って何かをする必要はない」

「そんなっヴァ……ると、さま、やめっ」


 これはまずい流れだ。夜会に出たい理由をもっと、考えて告げるべきだった。過保護なジークヴァルトを説得するための、そんな言葉をなんとか探した。


「だけどわたくしっヴぁ、るとさまと……」

「駄目だ、却下だ、諦めろ」


 口づけを深められて、リーゼロッテはいやいやと首を振った。

 このまま誤魔化されてしまいそうで、泣きべそをかきながらジークヴァルトに手を差し伸べた。耳に手をかけるとさらに口づけが降ってくる。


 隙を見ていろいろと訴えかけた。そのたびに拒否をされ、代わりに何度も唇を啄まれる。だんだんと気持ちよさが勝ってきて、訳が分からなくなってきた。


「ヴぁ、るとさまが、もうわたくしのものだって、みなに、ちゃんと知ってもらいたくて……だから、わたくし……」


 息も絶え絶え、譫言(うわごと)のように漏らした。激しかった動きがぴたりと止まる。自分が何を言ったのかも定かでない状態で、リーゼロッテはジークヴァルトと見つめ合った。


「ヴぁるとさま……?」


 指を絡めあったままジークヴァルトは動かないでいる。それを不思議に思って、リーゼロッテは小さく小首をかしげた。


「レルナー家の夜会に招待されている」

「行っても、よろしいのですか……?」

「ああ。だが短時間だけだ」


 譲歩(じょうほ)してくれたことがうれしくて、リーゼロッテは輝く笑顔を向けた。すると再び口づけが深くなる。


 そのままふたり抱き合って、心地よい疲労の中、リーゼロッテは深い眠りについたのだった。


     ◇

 舞踏会は昨年の白の夜会以来だ。迎えた今日に心が躍る。

 夜会前に体力の温存と称して、ジークヴァルトには一週間前から「まぐあいの禁止令」が(くだ)された。おかげで準備も体調も万全だ。


 夜会の行きは膝に乗らないのが暗黙のルールとなっている。ドレスにしわが寄らないよう気を遣いながら、リーゼロッテは馬車へと乗りこんだ。流れる景色を眺めつつ、窓に映る自分の姿を確かめた。


 今宵(こよい)(よそお)いは既婚者向けの落ちついたデザインのドレスだ。細部にあしらわれたレースがとても繊細で、リーゼロッテの年齢にあった若奥様向けのものとなっている。

 令嬢仕様の可憐なドレスを着る機会はもうないのだと、ちょっぴりさみしくも思った。だがジークヴァルトと夫婦と分かる(そろ)いの衣装が、今はうれしくて仕方がない。


「リーゼロッテ」


 名を呼ばれ顔を上げると、胸のネックレスの位置を指で微妙に直された。この見事な装飾は、着ているドレスとともに、リーゼロッテの誕生日プレゼントということになった。夜会に参加すること込々(こみこみ)で、まるっとすべてを贈られた形だ。


「ありがとうございます、ジークヴァルト様」

「お前はいつまでオレに敬語を続けるつもりなんだ?」


 はにかんで見上げると、ジークヴァルトがふいに問うてきた。夫婦となってそろそろふた月近い。確かに敬語で話す必要は、もうないのかもしれなかった。


「そう……ですわね……」


 しかし急に変えるのも変な気分だ。次の言葉を出しあぐねていると、ジークヴァルトがふっと笑みをこぼした。


「敬称も必要ない。まずは名を呼んでみろ」

「ジークヴァルト……さま」


 小さくつけ加えてしまった。ジークヴァルト相手にタメ口をきくのはどうしてもためらわれて、リーゼロッテは困ったように首を傾けた。


「ジークヴァルト様は公爵ですし、公の場でなら今の口調もおかしくはございませんでしょう?」

「そう言うお前も公爵夫人だろう」

「それはそうなのですが……」


 いきなり今からそうしろというのも難しく思えた。もともと公私の使い分けが下手な自覚があるため、常日(つねひ)ごろからリーゼロッテは自分のことを「わたくし」と言っている。器用に使い分けられる人間は、普段は「わたし」で済ませているものだ。


「これから少しずつ努力いたしますから……それでは駄目ですか?」

「ふっ、別に構わない。夜のお前は、随分と素直に言葉をもらしているしな」

「し、知りません、そんなことっ」


 悪い顔をされ、真っ赤になってぷいと顔をそむけた。夜の営みであんあん言わされる中、自分があられもないことを口走っている自覚はある。だがこんなときに言わなくてもいいではないか。ぷくと頬を膨らませ、リーゼロッテは日が沈みかけた外に視線を向けた。

 窓ガラスに映るジークヴァルトが、自分の肩に顔を寄せてくる。そのままちぅと肌に吸いつかれた。


「あっ、や、ヴァルト様……!」


 ちくりとした痛みに、キスマークをつけられたのだとすぐ分かる。こういう跡をつけられないためにも、まぐあい禁止令が出されていたのだ。


 そのとき目の前の窓に、大量の血のりの手形が連打されだした。ひっと身をすくめると、ジークヴァルトが後ろから窓を叩いて異形を吹き飛ばす。カーテンを閉めるのと同時に、先ほどつけたキスマークの上を、ジークヴァルトはぺろっと舐めあげた。


「もう、ヴァルト様!」

「問題ない。ぎりぎりの位置だ」


 指で押し下げた(えり)ぐりを元通りに整えながら、ジークヴァルトはしれっとした顔で返してくる。異形が騒ぐということは、ジークヴァルトがリーゼロッテに欲情しているということだ。公爵家の呪いの真実を知ってから、リーゼロッテはどんな顔をしていいのかが分からない。


 思い返せばこの公爵家の呪いは、かなり前から起きていた。そんな早い段階からジークヴァルトに欲望を向けられていたことに、今さらながら動揺してしまう。


「どうした? 顔が赤いぞ?」

「ゆ、夕日でそう見えているだけですわっ」


 早まった鼓動が収まらないまま、馬車はレルナー家へと到着したのだった。


【次回予告】

 はーい、わたしリーゼロッテ。向かったレルナー公爵家で、ルカとツェツィーリア様に久しぶりに会えたわたし。ダーミッシュの両親に挨拶するも、公爵夫人としての自覚を促されて。いよいよ始まった夜会を舞台に、夫婦のお披露目に挑みます!

 次回、6章第3話「お披露目の夜会」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!

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