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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第6章 嘘つきな騎士と破られた託宣

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第1話 昼下がりのため息

 閉ざされし小国ブラオエルシュタイン。

 龍が導くこの国は、他国との交わりも薄く、建国から平穏な歴史を重ねてきた。

 時の移ろいとともに願いは薄れ、(いしずえ)(かせ)は無慈悲に重みを増していく。祈りの契約が生む果ては、無垢な傾慕(けいぼ)久遠(くおん)の呪縛か……

 宿命(さだめ)に抗うことは許されず、それでも選ばれし者たちは、残された時にまばゆき光を放つ。

 ここに刻むのは、龍に惑わされし者たちの切なき愛の物語――

 なだらかな丘の向こうにルチアの鮮やかな赤毛を見つけ、リーゼロッテは懸命に坂道を駆けた。春先とはいえ、日没間近は肌寒い。ふらふらと彷徨(さまよ)うルチアは、薄い夜着のままだ。


「ルチア様……!」


 ようやく追いつき、掴んだ手の冷たさに驚いた。それでもルチアはあてどなく裸足で進む。その前進を押しとどめようと、羽織っていたショールでルチアを包み込んだ。


「いけませんわ。ルチア様、もうあちらに戻りましょう?」

「カイが……」

「え?」

「カイがいないの」


 焦点の合わない瞳で、ルチアは遠く見回した。


「離して。わたし、カイを探さなきゃ」

「ルチア様……」

「ねぇカイ、どこにいるの? 意地悪しないで早く出てきて」


 腕を抜けようともがくルチアを必死に制する。若草の茂みの中、もつれるようにふたりでその場に崩れ落ちた。


「カイ、どうして……どうして会いに来てくれないの?」


 金色の瞳からあふれる涙に、かける言葉を失った。風吹き抜ける草むらで、誰か助けを呼ぶこともできなくて。


 ルチアの冷え切った体を、その日、リーゼロッテは涙をこらえて抱きしめるしかなかった――



     ◇

 まどろみからようやく覚める。うすく(まぶた)を開くと、枕元からリネンに流れる自分の蜂蜜色の髪が目に映った。それを踏みつけないよう注意しながら、手をついて気だるい体を何とか起こす。

 ぼんやり見回すと、昼も過ぎたいい時間だ。隣で寝ていたジークヴァルトの姿は()うになかった。


「リーゼロッテ奥様、お目覚めになられましたか?」

「エラ……ごめんなさい、わたくしまたこんな時間まで寝てしまって……」

「いいえ、お体を休められたのなら何よりです」


 その言葉に頬が熱くなる。神事の旅から戻って十日ほど経つが、遅寝遅起きの日々が続いていた。原因はもちろんジークヴァルトだ。


 夫婦の夜の営みは毎晩欠かすことなく行われ、明け方になってようやく眠りに落ちる。起床が遅くなるのも当然と言えるだろう。

 それなのにジークヴァルトは早朝から執務をこなし、夜遅い時間になってようやく戻ってくる。その間リーゼロッテは昼過ぎに起きて、部屋から一歩も出ずにジークヴァルトが帰るまでゴロゴロしているだけだ。


(部屋から出ようにも、気力が湧かないのよね……)


 重い足を動かし、どうにかこうにか寝台から降りる。(わく)だけの扉をくぐって、簡素な居間へと移動した。

 ここはジークヴァルトの部屋だ。婚姻を果たしてから、夜の間はずっとこちらで過ごしている。日中のひとりきりの時間だけ、となりの自分の部屋に戻るのが日課となった。


 夫婦の続き部屋は衣裳部屋(クローゼット)でつながっている。今では鍵がかけられることもなく、いつでも扉は開きっぱなしだ。壁に掛かる幼い自分の肖像画を見上げながら、エラとともにその扉へと向かった。


「旦那様は子どものころから、この肖像画を見て過ごされていたのですね」

「恥ずかしいから外してほしいって言っても、ちっとも聞いてくださらないの」

「それは無理でございますよ。こんなに愛らしい肖像画を外すなんて、とんでもありません」


 大真面目にエラに言われ、再び頬が(しゅ)に染まる。初恋はお前だと言われたものの、両思いになってからも恋人らしいイベントはほとんどなかった。それがいきなり夫婦となって、今では毎晩一緒に眠っている。


 昼間は相変わらず寡黙(かもく)なジークヴァルトも、寝台の上ではそれなりに饒舌(じょうぜつ)だ。最近は行為に余裕が見えてきて、翻弄(ほんろう)されるばかりのリーゼロッテは少しばかりそれがおもしろくなかった。


「ねぇエラ。ヴァルト様は毎朝、何時ごろお仕事に行かれてるか分かる?」

「そうですね……日によってまちまちですが、早い日は四時、五時のときもございますね」

「そんなにお早いの? ヴァルト様、ちゃんと眠っているのかしら……」


 リーゼロッテが眠るのは大概明け方だ。夫婦の営みは一晩中続けられ、気絶するように寝落ちする。そのあとジークヴァルトがどうしているのかまるで記憶になかった。


「旦那様の健康管理はマテアスがしっかりやっておりますから。リーゼロッテ奥様はご自分のご体調を第一にお考えください」


 エラに微笑まれ、さらに頬に熱が集まった。朝方までふたりでイチャコラしています的な発言だったと、今さらながら気づいてしまった。視線をそらし、慌てて別の話題を探す。


「エラこそ体調はどう? 悪阻(つわり)でつらくなったりしていない?」

「はい、今のところはそれほどひどくありません。ロミルダも辺境の砦からこちらに戻ってきてくれましたし、侍女長を継いだばかりなのに迷惑をかけ通しです」

「そんな、おめでたいことだもの。ロミルダだって孫の顔が見られるってよろこんでいるでしょう? お腹の赤ちゃんのためにも、エラはちゃんと自分を優先しなくては駄目よ?」


 エラは今妊娠二か月だ。安定期を過ぎるまでは、できるだけ安静にしていてほしかった。そんな大事な時に、自分にかかりきりにさせるのも申し訳なく思える。


「無理はいたしません。ですがリーゼロッテ奥様のお世話は、できる限りわたしにやらせてください」

「本当に無理しては駄目よ? 約束ね」


 そう念を押してから、リーゼロッテは自分の部屋で束の間の平和な時間を過ごすのだった。


     ◇

 夕食も済ませ、あとはジークヴァルトが戻ってくるのを待つばかりだ。空いた時間に縫い針片手に、チクチクと布を縫う。作っているのは赤ん坊のおくるみだ。


(できあがるまでエラに見つからないといいけど……)


 エラには内緒でロミルダに手伝ってもらっている。出産予定日は来年の春なので、不器用なリーゼロッテでも十分に間に合うだろう。


「赤ちゃんかぁ」


 ずっとそばにいてくれたエラが母親になる。うれしく思うのと同時に、エラを取られてしまうというような、なんとも子どもじみた感情も湧いてくる。一抹のさみしさを感じつつ、リーゼロッテは人生の不思議に思いを巡らせた。


 異世界だなんだと突っ込みを入れつつ、今、自分はこの世界に生きている。日本の記憶があろうと、リーゼロッテとしてこれからも人生を歩むのだ。


(言われてみれば、わたしもいつ妊娠してもおかしくないのよね)


 公爵夫人となったからには、跡継ぎを産むことが最大のミッションと言える。そもそも龍から賜った託宣が、ジークヴァルトの子供を授かるというものだった。

 自分が子を産み育てると想像しても、しかしいまいちピンとこない。まだまだジークヴァルトとふたりで過ごしていたいなどと思ってしまう自分がいた。


(子は授かりものって言うし、気にしていても仕方ないけど……)


 公爵夫人としてうまくやっていけるか、不安に思う気持ちがむくむく育つ。みなが支えてくれているのは分かっているが、何よりジークヴァルトの恥や負担にはなりたくなかった。


 扉が開く音がして、リーゼロッテはパッと顔を上げた。縫い物を(かご)に戻して、すぐさまジークヴァルトに駆け寄った。


「お帰りなさいませ」

「ああ」


 ひょいと腕に抱き上げられる。子ども抱きのまま、唇を塞がれた。


「ん……ヴァルト様、お食事は……」

「もう済ませた」


 なかなか唇を離してくれなくて、ジークヴァルトにしがみついたまま下に降ろされる。口づけが続く中、やわらかい枕に頭が沈んだ。気づくともう寝台の上だった。


「ヴァルト様、わたくしまだ眠くはありません……わ?」


 自分の姿を見て、リーゼロッテは思わずひゃあ、と悲鳴を上げた。いつ脱がされたのか、着ていたはずのナイトガウンがなくなっている。その下に身に着けていたのは、純白透け透けのキャミソールだ。


 アンネマリーがやたらとえっちぃ夜着を贈ってくるものだから、新婚となってから日替わりでそれを着せられている。エラが笑顔で差し出してくるので、嫌とは言えないリーゼロッテだ。


(いつもは暗がりでやり過ごしてたのに……!)


 コトが始まると、ジークヴァルトは瞬息(しゅんそく)で服を脱がしてくる。今まではそれで事なきを得ていたのに、とうとうこんなはしたない格好していることがバレてしまった。


「や、ヴァルト様……明かりを……」


 このままではろくに会話もないまま、夜の時間に突入しそうだ。

 甘い口づけが落とされる中、涙目で訴える。すでにちっぱいを知られているのは分かっているが、やはり恥ずかしくて見られたくはないのが乙女心というものだ。


「昨日も一昨日もその前も暗くした。今日はいいだろう?」

「だって、わたくし恥ずかしぃ……」

「オレは何も恥ずかしくない」

「そんな……っぁん!」


 耳たぶにジークヴァルトが力を流しこんできた。ピアスとなった神事の守り石が、揺らめきながら熱を持つ。


「それ、ゃ、熱いからぁ……」


 耳元でふっと笑われて、唇が首筋に降りてくる。やさしく(ついば)まれ、あんっ、とか、やんっ、とか、ひゃっ、とか、出したくもない声が漏れてしまう。

 悔しくて、ジークヴァルトの耳へと手を伸ばす。仕返しのように緑の力を石に注いだ。なぜか自分の耳まで熱くなり、ぎゅっと目をつむると今度は胸元に熱が集まった。


 ジークヴァルトが胸の中心のあざに唇を寄せている。同時に青の波動を注ぎ込まれて、胸の奥、一気に熱が広がった。


「ふぁっ……ソレも駄目ぇ」


 青の力が全身を駆け巡っていく。内側からジークヴァルトの指でなぞられているような、そんなおかしな感覚に陥った。

 気持ちよくて気持ちよくて、上がった呼吸にあまい吐息が混じっていく。

 くったりとなったリーゼロッテを見下ろしながら、ジークヴァルトが感心したような、呆れたような、そんな深いため息をついた。


「お前、可愛いな……どうしてそんなに可愛いんだ?」

「し、知りません、そんなことっ」


 頬を膨らませたまま顔をそむけた。身をよじって背を向けると、後ろから腕が回されてくる。

 耳裏にジークヴァルトの唇が触れ、くすぐったさに振り返る。するとすかさず唇を重ねられた。

 首が痛くなって口づけから逃れると仰向けにひっくり返され、再び甘い口づけが降ってくる。


 こうなったらもうジークヴァルトの思うがままだ。夫婦の長い夜が始まったが最後、リーゼロッテはなす術なく翻弄されるしかない。

 恥ずかしがるリーゼロッテの反応をじっくりと楽しみながら、ジークヴァルトはあの手この手で触れてくる。


 そうこうしているうちに羞恥も溶かされて、訳が分からなくなった明け方に、リーゼロッテは気絶寸前でようやく眠りに落ちたのだった。


     ◇

 翌日も午後遅くに目覚め、だるい体で湯につかった。旅から戻って以来、ずっとこれの繰り返しだ。ジークヴァルトが戻って来るや(いな)や、いつも寝室に直行だ。

 婚姻を果たしてからというもの、睦言(むつごと)以外会話らしきものはほとんどなかった。


(ずっとあーんもお膝抱っこもないのよね)


 そばにいるときは、常にベッドの上で裸族(らぞく)状態だ。

 以前のようにサロンで一緒にお茶をたのしむこともない。体力も限界で、日中は部屋から出る元気もなかった。

 公爵夫人となってから、ジークヴァルト以外では、エラとロミルダくらいにしか会っていない気がする。


 大きな腕にぎゅっとされ、ぬくもりを感じているだけで満たされるのに――


 そのことを訴えようにも拒む暇もなく、なし崩しに情事にもつれ込む毎日だ。あの抗えない快楽は、どこか狂気じみている。安心できるはずのジークヴァルトのそばが、今いちばん落ち着けないでいた。


(快楽に弱すぎるこのカラダも困りものだわ)


 これも異世界補正なのだろうか。ジークヴァルトに触れられると、どこもかしこも気持ちよすぎて、あっさりすべてを受け入れてしまっている。こんな自分にも問題があるのだろう。


 意味もなく湯船をかき混ぜながら、無意識にため息が口をついた。このままでは本格的にこれが日常で当たり前になってしまう。


「なんとか打開策を考えなくちゃ……」


 つぶやきが広い浴室に反響する。エラだけでなく、ロミルダにも意見を伺った方がいいかもしれない。ジークヴァルトの乳母を務めた彼女なら、何かしらいい案を出してくれるに違いない。


 湯から上がりガウンを羽織る。浴室を出ようとして、リーゼロッテは「あっ」と大きな声を上げた。すかさずロミルダが顔を出す。


「奥様、どうかなさいましたか?」

「ごめんなさい、ロミルダ……月のものが……」


 先に気づいていれば、おろしたてのガウンを汚すこともなかったのに。しゅんとうつむくと、気づかわしげにロミルダが着替えを差し出してきた。


「そのように落ち込むことはございませんよ。本来、婚姻の託宣が降りてから縁を結ぶところを、前倒ししてご結婚されたのです。お世継ぎはまだまだ先のことと、気楽に構えていて大丈夫ですから」

「あ……」


 正直そこまで考えていなかったが、公爵夫人として世継ぎを身ごもるプレッシャーは、これから常に感じさせられるのだろう。やさしく微笑みながら、ロミルダはさらにフォローを入れてくる。


大奥(リンデ)様もジークヴァルト様を授かるまで三年以上かかりました。それにもともと貴族は子ができにくいとされています。長い間、狭い貴族社会で婚姻を繰り返してきた弊害でしょうね」

「そう……ありがとう、ロミルダ。でもヴァルト様にはどう伝えようかしら……」


 いつもなし崩しにエッチにもつれ込んでしまう。今夜はジークヴァルトの暴走を、何としても食い止めなくては。


「わたしから旦那様にお伝えしましょうか?」

「いえ、自分で話してみるわ」


 生理が来たから今夜はなしね。そう他人に伝えさせるのも如何(いかが)なものか。どのみち来るたびに言わなくてはならないことだ。自分で口にするのも恥ずかしいが、夫婦となったからにはそんなこと言ってもいられない。


「それと月のものが終わるまでは、わたくし、自分の部屋で休もうと思うのだけれど……」

「承知しました。奥様の寝室はいつでも使えるように整えてありますからご安心ください。いつものように薬湯もご用意いたしますね」

「ありがとう、ロミルダ」


 それほど重い方ではないが、二日目くらいまではお腹が痛くなったりもする。今日あたりから、少しずつ部屋から出ようかとも思っていたが、あきらめておとなしくしているしかないだろう。


(とにかくヴァルト様に伝える言葉を考えなくちゃ……)


 そう意気込んで、リーゼロッテはひとりうなずいた。


     ◇

「お帰りなさいませ、ヴァルト様」

「ああ」


 抱き上げられてキスされそうなところを、手のひらですかさずブロックした。口をふさがれたまま眉間にしわを寄せたジークヴァルトに、にっこりと微笑み返す。


「今夜はお伝えしないとならないことがあって……」


 もじもじしながら言うと、さらに眉間のしわが深まった。子ども抱きにされたまま、青の瞳と見つめあう。


「わたくし、今夜からしばらく自分の部屋でひとりで寝ようと思って」

「なぜだ?」


 生理が来たからとストレートには言えなかったリーゼロッテに、ジークヴァルトは怖いくらいに真剣な表情を向けてきた。居間のソファで膝に乗せられ、いつも以上にきつく腕を回される。


「あの、その、それが……」

「何があった? 何が不満だ? 隠さず正直に言え」


 鬼気迫る物言いに、ちょっと()()づく。これは何か誤解しているのかもしれない。不信感もあらわな態度に、リーゼロッテは慌てて首を振った。


「不満などではなくて! わたくし、その……つ、月のものが来てしまって……」


 尻つぼみに正直に伝える。伺うようにジークヴァルトを見上げるも、頬が熱を持ち、恥ずかしさのあまり目をそらして俯いた。


「それは……一緒に寝られないほど、つらいものなのか……?」

「え?」


 予想しなかった返答に思わず顔を上げる。不信感を通り越して絶望の瞳になっているジークヴァルトを、リーゼロッテはぽかんと見つめた。


「いえ……薬湯も飲んでいますしそれほどでは……」

「ならばなぜひとりで寝る必要がある?」

「だって、それは……」


 口ごもるとジークヴァルトの腕に力がこもった。まるで逃がさないと言われているようで、リーゼロッテは動揺で目を泳がせる。


「まだ何かあるのか? オレには言えないことか?」


 あまりの必死さにリーゼロッテは涙目になった。生理の不快加減をいちいち説明しなければならないのだろうか。だが男のジークヴァルトに、言わずともそれを理解しろというのも無理な話だ。


「その、寝ているときに、夜着や寝台を汚してしまうこともございますので……」


 寝返りひとつ打つにも気を遣う。横にジークヴァルトが寝ているならば尚さらだ。こんなことまで言わされて、恥ずかしさで顔を覆った。手首をつかまれ、その手はすぐにはがされた。間から顔が近づいてきて、唇をやさしく啄ばまれる。


「理由はそれだけか?」


 頷くと、あからさまにほっとした顔をされた。


「ならば却下だ。気にするほどのことはない」

「ですが」

「駄目だ。問題ない。オレもお前に何もしない。いいから今夜もここで寝ろ」


 矢継(やつ)(ばや)に言われ、リーゼロッテは気押(けお)されるまま首を(たて)に振った。ぎゅっと抱きしめられたかと思うと、横抱きに抱えあげられた。寝台に寝かされて、その横にジークヴァルトも滑り込んでくる。

 上かけのリネンでリーゼロッテの首もとを丹念に覆うと、いつも以上に慎重に抱き寄せられた。やさしく頭をなでられて、ものすごく気を遣われているのが伝わってくる。


「リーゼロッテ……本当につらくはないのか?」

「はい、大丈夫ですわ」

「だが薬湯を飲むくらいだ。隠さずに本当のことを言え」


 その口調は限りなく尋問(じんもん)に近い。なのにリーゼロッテの口元に笑みがこぼれてしまった。


「あったとしても、腰が多少だるいくらいです。薬湯がよく効いていますから」

「だるい? 何かしてほしいことはないのか?」


 なおも食い下がるジークヴァルトの胸元に顔をうずめて、小さく首を傾ける。こうして抱きしめられているだけで、もう十分なような気がした。


「何かあるだろう? 遠慮せずに言ってみろ」

「そう、ですわね……腰のあたりをさすっていただけると、もっと楽になるかもしれません」


 言い終わる前に腰に手を当てられた。(いた)わるようにゆっくりと丁寧に撫でられる。


「こうか?」

「はい……とても気持ちいいですわ」


 本当に心地よくて、うっとりと微笑んだ。なんだか眠くなってきて、起きていようと思ってもいつの間にか(まぶた)が閉じてしまう。


「薬湯が効いているんだろう。無理せず眠れ」

「はい、おやすみなさいませ、ヴァルトさま……」


 まどろみの中、そっと口づけられる。久しぶりの穏やかな眠りに、あっという間にリーゼロッテは深く沈んでいった。


     ◇

 あれから七日ほどが経ち、夜ぐっすり眠れる毎日に、リーゼロッテはすっかり体力を取り戻していた。

 朝起きた時、ジークヴァルトがすでにいないのは相変わらずだ。だがふと夜中に目覚めると、いつでもジークヴァルトと目があった。そのたびにやさしくキスをされ、満たされた気持ちで再び眠りに落ちた。


(あれ以来、腰を一晩中ずっとさすってくれるのよね……)


 まどろみの中、絶えずジークヴァルトの手を感じる。だいぶ楽だからもうしなくていい。そう言っても、問題ないと返されるだけだった。


 ご機嫌にはしゃぎまわる小鬼たちが、目の前を横切っていく。壁際には、ぴしりと背を伸ばして立つカーク。明るい日が差し込むサロンには、以前と同じ平和な風景が広がっていた。その様子にほっと胸をなでおろす。


「サロンでお茶をするのも久しぶりね」

「はい、奥様」


 差し出された紅茶に微笑むと、エラも笑顔で頷いた。


「いつの間にかもう夏になってしまったわ」

「春はあっという間に過ぎてしまいますからね。……それに今年は雪解けが遅かったせいか、余計に冬が長く感じられました」


 東宮で迎えた年明け。新しい御代の始まり。第一王女の逝去。その直後、リーゼロッテは神殿に攫われた。ジークヴァルトの誕生日もそのまま過ぎて、ようやく公爵家に戻れたのが冬の終わりのことだった。

 春の間、全く歩かせてもらえなくて、いろいろと苦労したことを思い出す。新緑の時期に神事の旅に出て、帰ってきたのはつい半月前だ。


 旅の間もいろいろあった。思いがけず実父イグナーツと再会を果たし、クリスティーナ王女が生きていることも知った。森の魔女は少女の姿をしていたし、そこでジークヴァルトと夫婦の契りを交わした。

 帰りの道中で辺境の砦に立ち寄って、初恋の人ジークフリートにも会うことができた。マナー教師のロッテンマイヤーさんに至っては、ジークヴァルトの母親だったのだから驚いた。


「本当に一年でいろいろあったわね……」


 感慨深くため息をつく。去年の今頃はジークヴァルトとようやく思いを通わせ、うきうきで誕生日を迎えたことを覚えている。それがもう公爵夫人の立場となった。


 おととしの春にジークヴァルトと再会してからというもの、人生がジェットコースターのように目まぐるしく変化した。それまで代わり映えもしなかった深窓の令嬢生活が、まるで嘘のように思えてくる。


(なんだかもう、人生何が起きても驚かないって感じだわ)


 そんなことを思って紅茶に口をつけていると、耳の守り石がふわっと暖かくなった。なんとなくジークヴァルトが近くにいるような気がして、サロンの入り口をじっと見やる。そんなリーゼロッテにエラが不思議そうな顔をした。


「奥様? どうかなさいましたか?」

「いえ、ヴァルト様がもうすぐここにいらっしゃるんじゃないかと思って」


 その直後、本当にジークヴァルトが入り口から現れた。慌てたエラがさっと壁際に移動する。

 大股で近づいたジークヴァルトは、リーゼロッテを抱き上げて膝に座らせた。すぐさまあーんと菓子が差し出される。

 素直にそれを口にして、リーゼロッテはふふと笑った。ジークヴァルトの胸に顔を寄せ、甘えるようにもたれかかる。


(そうそう、この感じよ……!)


 耳に鼓動を聞きながら、うっとりとため息をこぼした。膝の上でやさしく髪を梳かれる。この穏やかな時間が、何よりも安心できた。


 月のものが来てから、一度もまぐわってはいない。ジークヴァルトも普通にしていて、夜の間も割と平気そうだ。


(やっぱり毎晩エッチする必要なんてないんだわ)


 これからは遠慮なく適度に断りを入れよう。長く続いていく夫婦生活に我慢は禁物だ。ジークヴァルトと円満に過ごしていくためには、自分の意見もきちんと聞いてもらわなければ。


「ん……?」


 ふとおしりの下に違和感を覚えて、リーゼロッテは顔を起こした。何かがごりごりと当たっている。ジークヴァルトの膝の上、位置を変えようともぞりと動くと、ごりごりがさらにごりごり感を増大させた。


 それが一体何なのかを悟り、反射的にジークヴァルトを見上げた。熱のこもった青の瞳に見つめ返されて、リーゼロッテの顔が真っ赤に染まる。と同時に空気がドンと揺れ、異形の者が荒れ狂ったように騒ぎ始めた。


「こ、公爵家の呪い……!?」


 久しぶりの発動に、サロンが一気にひっくり返る。どこにいたのかと思うくらいの数の使用人が、一斉に調度品を押さえにかかった。すぐそこにあるティーカップが真っぷたつに割れて、驚いたリーゼロッテはジークヴァルトにしがみつく。


「そろそろ……」

「え?」

「そろそろ、もう大丈夫な頃合いだろう?」


 周囲が阿鼻叫喚に揺れ動く中、ジークヴァルトが耳元で囁いた。何が、とは言われなかったが、おしりの下のごりごりがそのすべてを物語っている。


「ええっと、あっと、その……」


 そんなことを聞いている場合だろうか。サロン中がとんでもないことになっている。大きな音にびくりと身を震わせると、刺激されたごりごりがさらに質量マシマシでおしりに当たってきた。


「まだ駄目なのか?」

「い、今はそんなこと言ってる場合じゃ……!」

『あれ、リーゼロッテ、公爵家の呪いが起きる原因、まだ聞いてないんだ?』


 突然反対側の耳元で、ジークハルトの声がした。引き離すようにジークヴァルトに抱えなおされる。目の前であぐらをかいたジークハルトは、睨みつけるジークヴァルトに向かって呆れたように肩をすくませた。


『いい加減、教えてあげたら? ここまで来て往生際が悪いんだから。ま、リーゼロッテも大概(さっ)しが悪いと思うけど』

「うるさい、黙れ。知る必要はない」

「でもわたくしちゃんと知りたいですわ」

『じゃあ教えてあげるよ。つまりはこういうこと』


 いきなりソファが左右に揺れて、慌ててジークヴァルトの首にしがみついた。その間にも激しく揺らされ、リーゼロッテのおしりが膝の上を行ったり来たりを繰り返す。


「ひゃっあのっそのっ、何がっ一体っそういうことっなのでしょうかっ」

『だーかーらー、さっきからリーゼロッテに当たってるでしょ? ヴァルトがリーゼロッテにそういうことしたくなった時に、異形たちが騒ぎ出すんだってば』


 思わずごりごりに視線を向けた。ジークヴァルトのごりごりは、おしりの下でごりごりを通り過ぎて、もうはちきれんばかりになっている。


「えぇっと?」


 リーゼロッテが挙動不審に目を泳がせる。いまだサロンが大騒ぎの中、ジークヴァルトが再び耳に口元を寄せてきた。


「それでまだ駄目なのか?」


 話を振り出しに戻されて、リーゼロッテはボンと真っ赤になった。ふぅと耳に息を吹きつけられて、びくっと身を震わせる。途端に異形が雄叫びをあげ、あちこちで使用人の悲鳴が飛び交った。


「だ・ん・な・さ・まぁっ!!」 


 そのとき、憤怒(ふんぬ)の形相のマテアスが飛び込んできた。眉根を寄せたジークヴァルトが、ぐっと口をへの字に曲げる。

 サロンが沈静化するにつれて、ごりごりもしゅんとうなだれた。ここまでくればリーゼロッテも理解せざるを得ない。公爵家の呪いは、まさにジークヴァルトのごりごりと連動しているのだ。


 真っ先にエラの安否を確認すると、マテアスはサロンを見回した。使用人たちのおかげで被害が少ないことを確かめて、再びジークヴァルトを冷ややかに見降ろしてくる。


「まったく、余計な仕事を増やさないでくださいよ。先に戻ってますから、旦那様もそろそろ執務室にお戻りになってくださいね」


 ぷりぷりと怒りながら、マテアスは出て行った。その背を目で追っていると、耳元に吐息がかかる。


「それで答えはどうなんだ?」


 今一度問いかけられて、リーゼロッテは一瞬口ごもった。月のものは終わりを迎えて、エッチをしても大丈夫そうな頃合いだ。だがこの平穏な日々を手放したくなくて、リーゼロッテはとっさに嘘をついてしまった。


「あの、できればもう数日は……」

「そうか」


 静かに頷いて、ジークヴァルトはリーゼロッテを膝から降ろした。


「今日は早めに執務を終わらせる。お前ももう部屋に戻っていろ」

「はい、ヴァルト様」


 髪をひと撫でしてから、ジークヴァルトはサロンを後にした。


「リーゼロッテ奥様、お怪我はございませんか?」

「ええ、わたくしは問題ないわ。エラこそ大丈夫?」

「はい、わたしも特には何も」


 エラは無知なる者だ。異形は近づけないため、公爵家の呪いもエラの周辺では起こらなかったようだ。


「ねぇ、エラ。公爵家の呪いがどうして起きるのか、エラは知っていたの?」

「はい……去年の今頃、マテアスから聞かされました。あの、ずっと黙っていて申し訳ございません」

「いいのよ。ヴァルト様に口止めされていたのでしょう? エラは何も悪くないわ」


 先ほど嘘をついてしまったことに後ろめたさも感じたが、ジークヴァルトもずっと公爵家の呪いの原因を故意に黙っていたのだ。ここはお互い様だと、リーゼロッテは己を納得させた。



 この選択が大きな間違いであったことを、リーゼロッテは数日後に思い知ることになる。


 解禁になったジークヴァルトは、それはそれはしつこかった。まだ明るい時間から始まった夫婦の営みが、終わりを告げたのは恐ろしいことに翌日の昼過ぎの話のことだ。


 数日は立ち上がることもできない程抱きつぶされて、これからは不必要にジークヴァルトに待てはさせまいと、固く心に誓ったリーゼロッテだった。


【次回予告】

 はーい、わたしリーゼロッテ。ジークヴァルト様の甘やかしが続く中、誕生日に欲しいものを聞かれたわたし。即座に夜会に出たいと答えると、ジークヴァルト様はしぶしぶ了承してくれて……?

 次回、6章第2話「若奥様の奮闘」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!


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