16-5
客間の扉の前でリーゼロッテが手を放そうとすると、ジークヴァルトは何か言いたげにその手に力を入れた。
「ジークヴァルト様?」
一向に手を離そうとしないジークヴァルトをいぶかしんで、リーゼロッテはこてんと首をかしげる。
「あれを返してくれないか?」
突然そう言われ、「あれ、でございますか?」とリーゼロッテは聞き返した。
「この前、貸したあれだ」
客間の入口の前でそんな問答をしていると、いつの間にか扉を開けてリーゼロッテを迎え出ていたエラが、おずおずと会話に入ってきた。
「恐れながら、公爵様がおっしゃっているのは、こちらのハンカチの事でしょうか?」
エラの手には、きれいに折りたたまれた白いハンカチが乗せられていた。先日、リーゼロッテが泣いたときにジークヴァルトが差し出してくれたハンカチだった。
「ああ、それだ」
ジークヴァルトはそのままエラからハンカチをうけとると、大事そうにそれを懐にしまった。
「明日、朝また迎えに来る」
そう言って、ジークヴァルトはリーゼロッテを部屋の中へと促した。
「はい、お待ちしております」とリーゼロッテが言うと、ジークヴァルトはそのまま扉を閉めようとした。
「あの、ジークヴァルト様」
王子のことが気になって、思わず呼び止めてしまう。振り返ったジークヴァルトは、無言でリーゼロッテの言葉を待っていた。
「いえ、おやすみなさいませ、ヴァルト様」
リーゼロッテが逡巡したのちにそう言うと、ジークヴァルトは「ああ」と言ってリーゼロッテの頭にポンと手を置いた。
手を引く時に、ジークヴァルトの小指が一房の髪をさらっていく。リーゼロッテの髪がさらりとその指の間をこぼれていった。
ジークヴァルトはそれ以上何も言わずに、そのままぱたりと扉を閉めた。
「はあぁ」
リーゼロッテの後ろで控えていたエラが、緊張を解いたように大げさに息をついた。
「どうしたの、エラ?」
リーゼロッテのその問いに、エラは少し困ったように「公爵閣下の御前ではどうも緊張してしまって」と答えた。
「最近のリーゼロッテお嬢様は、公爵様と平然と話されていて、このエラは驚きでいっぱいです」
エラは言葉とは裏腹にうれしそうな口調で言った。
領地でのジークヴァルトへの塩対応を思えば、今のリーゼロッテの様子に驚いても仕方がないだろう。
「実際にお会いしてお話をしたら、とてもやさしい方だとわかったのよ」
異形のせいでジークヴァルトが恐ろしかったとは、さすがにエラにも打ち明けられず、リーゼロッテはあたりさわりのないことでごまかしておいた。
「ええ、ええ、そうでございましょうとも。公爵様はリーゼロッテ様が贈られた刺繍の入りのハンカチを、あんなに大事そうに使ってくださっていますもの」
リーゼロッテはその言葉に、信じられないものを見るようにエラを見つめた。
「刺繍入りのハンカチですって?」
「ええ、先ほど公爵様にお返ししたハンカチです。お嬢様はお気づきになられなかったのですか?あれは確かに、お嬢様が一年かけて刺繍を施されたものでした」
エラの言葉にリーゼロッテは混乱した。
「え? でも、だって、あれはジークフリート様にさしあげたのよ」
「そんなはずはございませんよ。旦那様は確かにジークヴァルト様宛に贈られたとおっしゃっていましたし」
リーゼロッテは顔色を白くした。義父が気を利かせてジークフリートではなく、婚約者であるジークヴァルトに贈ったのだろうか。
領地に帰って、確かめなくてはならない。リーゼロッテはそう心に決めた。決めたのだが、翌日、リーゼロッテは、その心をさらに折られることになるのであった。
【次回予告】
はーい、わたしリーゼロッテ! 王城を辞去する前日に、気づいてしまったヴァルト様との驚きの真実! そんな中、わたしの護衛として新しい騎士様がやってきて!? そして、アンネマリーの想いが悲恋に変わるとき、王子殿下は何を思うのか……
次回第17話「隻眼の騎士」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!




