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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第5章 森の魔女と託宣の誓い

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第8話 森の魔女

【前回のあらすじ】

 クリスティーナたちに別れを告げて、旅の行程に戻ったリーゼロッテたち。次に立ち寄ったのは父イグナーツの実家・ブルーメ家で。そこにはイグナーツを山に送ったあとのカイがいて。親し気なルチアとカイの様子にリーゼロッテは驚きます。

 ブルーメ家を出発し真っすぐ向かった先は、森の手前の最果ての街。そこで神事のための衣裳に着替えさせられ、ふたりはいよいよシネヴァの森に向かうのでした。

 木々の中に小路(こみち)の入り口が見え、長老はそこで立ち止まった。


「ここからはおふたりだけで進んでいただきます。馬や馬車は入れぬ決まり。大男でも数時間はかかる道のりですが、頑張って歩いていってくだされ」


 小路は曲がりくねっていて、行く先は暗くてよくは見えない。森の奥がどうなっているのかは、誰ひとり知らないらしい。ジークヴァルトに手を引かれ、不安に思いつつも足を踏み出した。


『ふたりともいってらっしゃい』


 入る一歩手前で声がした。振り返るとジークハルトがあぐらをかいて浮いている。


「ハルト様は行かれないのですか?」

『うん、この森は青龍の神気が濃すぎて、オレは入ることができないから』


 雪の森を見上げると、確かに清浄な気が包んでいる。促されて歩き出す。木立(こだち)の合間で手を振るジークハルトを、もう一度だけ振り向いた。


「この森は静かですのね」

「ああ、ハルトの言う通りここは神域だ」


 異形どころか動物の気配もない。ピンと張り詰めた空気の中、痺れるほどの圧をリーゼロッテは全身に感じ取っていた。


 抱き上げようとするジークヴァルトに首を振った。雪道を抱えて歩くのは危険そうだ。代わりに手袋の指を絡ませる。赤く染まった頬でリーゼロッテは、ジークヴァルトの顔をはにかみながら見上げた。


「疲れたら隠さずに言え。そのときはオレが運ぶ」


 ジークヴァルトなりの譲歩なのだろう。難しい顔のまま歩き出した。静寂の銀世界に、雪を踏みしめる音だけが響いていく。


 恋人つなぎがうれしくて、つながった手を意味もなく前後に揺らす。貴族のエスコートには程遠いが、曲がりくねった雪の一本道を、ふたりきりでしばらく歩いた。


「疲れてないか?」

「はい、大丈夫ですわ」

「もう疲れただろう」

「まだ大丈夫です」

「いい加減、疲れたんじゃないのか?」

「わたくしまだまだ歩けますわ」


 口元に白い息を(まと)わせながら、そんなやりとりが繰り返される。


「もう、ヴァルト様ったら。疲れたらちゃんと言いますから」


 呆れ半分に見上げると、絡めた指を強く握り返された。手を引かれ、いきなり抱きしめられる。うなじに指が滑り込み、頬が胸板に押しつけられた。


「じ、ジークヴァルト様」


 突然の抱擁に、リーゼロッテの鼓動が跳ねあがった。上ずった声で名前を呼ぶも、抱きしめる腕に力が入る。


「ああ、よかったです。なかなかいらっしゃらないから、野良狼にでも食べられてしまったのかと思いましたよ」


 第三者の声にびくりとなった。恐る恐る振り返る。隠すように抱かれた状態で、フードを被ったその人物は、リーゼロッテからはよく見えなかった。


「何者だ」

「これは失礼を。ボクはシルヴィ・ファル。この森の番人です」

「番人? そんな者がいるとは聞いていない」


 警戒したように言う。背に回された手のひらから、ジークヴァルトの緊張が伝わってきた。


「そう言われましても、証明のしようがありませんね。強いて言うなら、この森の中にいるというのが(あかし)でしょうか」


 リーゼロッテを腕にしたまま動かないでいるジークヴァルトを前に、シルヴィと名乗った青年はフードの首を傾けた。


「これは困りましたね。危険な物は何も持っていませんし、何でしたら今ここで裸になってみせましょうか? 清らかな乙女には少々目の毒でしょうが、致し方ありません」

「いや、いい。そこまでする必要はない」


 ためらいなく上着に手をかけようとしたシルヴィを、眉間にしわを寄せてジークヴァルトは制した。


「ヴァルト様……わたくし、この方は信用していいように思いますわ」

「……そうか」


 シルヴィからは悪い気は感じられない。この神聖な森に平然としていられるのだ。探る視線はそのままに、ジークヴァルトは少しだけ警戒を解いた。


「ああ、よかった。ここへはおふたりをお迎えに上がったんですよ。魔女のいる館まで徒歩で行くには今の時期は寒すぎます。そりを待たせてありますので、ボクについて来てください」


 シルヴィが背を向け歩き出す。リーゼロッテを抱え上げると、少し距離を取りながらジークヴァルトはそれに続いた。状況が状況だけにおとなしく運ばれるしかない。首筋に手を回して、リーゼロッテは進む先に目を凝らした。


「こんな雪深い時に託宣の神事に来るなんて、あなた方も物好きですね。前倒しにするにしても、普通は夏場を選ぶのに」

「そうおっしゃられましても、神事は王命ですし……」

「なるほど。今代の王は随分とお節介のようだ」


 そう言われてリーゼロッテは首をかしげた。ジークヴァルトの顔を伺っても、口をへの字に曲げているだけだ。


「まぁシンシアが受けたのだから、何も問題はないでしょう」

「森の巫女はシンシア様とおっしゃるのですか?」

「ええ、シンシアは満月の魔女ですから」


 当たり前のように言われたが、言葉の意味がよく分からない。ずっと森に住んでいて、常識が自分たちとは違うのだろうか。


 曲がりくねった小路が開け、そこにはそりにつながれた犬たちがいた。シルヴィの姿を認めると、くつろいだ様子から尾を立て一斉に立ち上がる。


「さぁ、客人のお出ましですよ。今日はいつもより重いそりですから、みなさん張り切ってくださいね」


 シルヴィの言葉に、長い舌を出して興奮し始める。全部で六頭ほどいて、今まで見たことがないくらい大きな犬だった。


「ボクが後ろでそりを操りますから、おふたりは前に座って乗ってください。聖杯のあなたが美酒の君を膝に抱えるといいでしょう」


 そりに近づくと、犬たちが興味を示したようにこちらを向いた。リーゼロッテをじっと見つめると、はっはと息を荒げた舌先からよだれの雫が流れ落ちる。


「駄目ですよ、みなさん。残念ですが、はごろもの乙女たちはきちんと仕事をこなしたようです。結びのひとつでも間違えてくれていれば、ボクもご相伴(しょうばん)に預かれたんですけどね」


 意味の分からないことを言って、シルヴィは興奮する犬たちを(なだ)めた。きゅうんと切なげな声を出すと、おとなしく前に向きなおる。


 シルヴィが後ろに立ったのを確認してから、ジークヴァルトもそりに乗り込んだ。膝の間にリーゼロッテを座らせて、腕を巻きつけ抱え込んでくる。


「この先の道は比較的真っ直ぐですが、カーブでは重心に注意してくださいね。一度客人が転がり落ちて、探すのに苦労したんですよ。では、準備はいいですか?」

「ああ」


 ジークヴァルトの腕に力が入る。それに合わせるように、リーゼロッテも緊張で身を縮こまらせた。


走れ(ハイク)っ!」


 そりの後部からシルヴィが声を張り上げる。耳を張った犬たちが四肢を蹴り上げ、胴輪(ハーネス)につながるロープがぎしりと(きし)んだ。雪に沈んだそりがわずかに動くと、シルヴィも()を押しながら同時に走り出す。


 そりはあっという間に速度を増した。雪を蹴る犬たちが飛ぶように前を行く。視界の端で木々が溶けて流れ去り、近すぎるすれすれの地面に目をつぶった。当たる風の冷たさに口元を覆うと、ジークヴァルトが風よけとなって抱え込んでくる。


 加速していたそりが安定した走りとなって、恐々とようやく瞳を開いた。

 きらめく銀世界を疾風のごとく駆け抜ける。ジークヴァルトがうまく重心を移動してくれるので、カーブでも安心して身を任せることができた。まるでジェットコースターに乗っているようで、余裕が生まれるとなんだか楽しくなってくる。


「どうですか、そりの乗り心地は。ああ、そろそろ大きく跳ねますのでしっかりつかまっててくださいね」


 言うなり、そりが大きくジャンプした。何秒か滞空した後、バウンドを繰り返して再び地面を滑り出す。

 刺激的なアトラクションに、リーゼロッテは瞳を輝かせた。異世界に転生してから、これほど興奮したことはない。


「慣れてしまえば、そりもなかなか爽快でしょう?」

「ええとても。シルヴィ様はこの森に住んでいらっしゃるのですか?」

「はい、普段は薬草などを取って、魔女に届けたりしています。番人として森に客人を迎え入れるのは、十八年ぶりくらいでしょうか。ここ最近、託宣の神事の数はめっきり減ってしまっていますから。実に退屈なものです」


 シルヴィは二十代前半くらいで、まだまだ若そうに見える。十八年ぶりと言われて、少し意外に思えた。


「ああ、そう言えば、前回の美酒の君はあなたにそっくりな方でしたね」

「美酒の君……ですか?」

「託宣の神事を受けに来た男女は、それぞれ聖杯と美酒の君と呼ばれるんですよ。十八年前に来たのは……確かラウエンシュタインの血筋の方でしたね」

「まぁ! でしたらそれはわたくしの母ですわ」

「やはりそうでしたか。その時の聖杯は、銀髪でなかなか愉快な方でした」


 きっとイグナーツのことだろう。後ろに立つシルヴィとそんな話をしていると、ジークヴァルトが不機嫌そうに腕の力を強めてきた。会話に混ざりたいのなら、自分も何か話せばいいのに。リーゼロッテはそんなことを思った。


「あの大きなもみの木を過ぎたら間もなくです。ほら、あれが魔女の住む館ですよ」


 木々の合間に建物が見え隠れする。遠くに見えたもみの木は、近づくと本当に大木だった。


止まれ(ウォー)――っ!!」


 ブレーキを掛けながらシルヴィが声を張り上げると、犬ぞりは速度を落とした。立派な丸太小屋のある開けた場所で、うまい具合に停止する。


「みなさんご苦労様でした」


 走り通しだった犬たちが、そこら辺の雪を勢いよく食べ出している。それを眺めている間に横抱きにされ、新雪の上、慎重に降ろされた。


「問題はないか?」

「はい、ヴァルト様が支えていてくださいましたから」


 はにかんで見上げると、ジークヴァルトがぎゅっとつらそうに眉根を寄せた。旅に出てから頻繁にこんな顔をする。気になっていても、リーゼロッテは理由を聞けないでいた。

 問うたところで問題ないと返ってくるだけだ。どうしても弱音を見せたくないと言うのなら、無理強いして口を割らせるわけにもいかなかった。


「はい、みなさん、ご褒美ですよ。ほら喧嘩しないで。ちゃんと数はありますから」


 シルヴィがバケツから肉の塊を配っている。ガチガチに凍っているようだが、犬たちはそれをものともせず、すごい勢いで肉に食らいついていた。


 先に食べ終わった犬と目があって、リーゼロッテはにこやかにほほ笑んだ。ここまで運んでくれたのだ。礼のひとつくらい言うべきだろう。近づこうとするも、ジークヴァルトが引き離すように腕に抱え込んでくる。


「どこへいく?」

「犬にお礼を言うだけですわ」


 小首をかしげ、犬たちに向き直る。その瞬間、手前にいた犬がいきなりリーゼロッテに飛びかかってきた。


「きゃあっ」


 胴輪(ハーネス)がぴんと張り、巨体が頭を越えた高さで跳躍(ちょうやく)してくる。ジークヴァルトが引き寄せるのと同時に、ばちりと大きく火花が散って、盛大に犬が(はじ)かれた。

 ぎゃうんと悲鳴を上げながら犬は雪の中を転がった。つながった犬たちがつられるように混乱し始める。


「ほらほら、みなさん落ち着いて。美酒の君は退魔のはごろもを着ているんですよ。我々が魔女の力に敵うわけないでしょう?」

「退魔のはごろも?」


 最果ての街で着せられた衣裳だ。これを着ていないと狼主(おおかみぬし)に食べられてしまう。少女たちは口々にそう言っていた。


「すみません。ご馳走(ちそう)を前にみんな、長年お預けをくらっているものですから」

「お預けを……?」


 犬たちはおいしそうに肉を食べていた。それでもまだ満足していないと言うのだろうか。


「ああ、魔女のことですよ。あんなにおいしそうなもの、ほかになかなかありませんからね」


 シルヴィの言葉に犬ぞり隊を見やった。


「この犬たちは人を食べるのですか……?」

「犬? 何をおっしゃってるんですか。これは狼ですよ」

「お、狼!?」


 不用意に近づこうとした自分が怖くなる。思わずジークヴァルトにしがみついた。


「ではこの子たちが森の狼主なのですか?」

「いいえ、狼主は別にいます。とても嫌われてしまっていて、なかなか魔女が会ってくれないんですよ。この森にはわたしとシンシアしかいないのに、ご近所づきあいくらいしてくれてもいいのにって、そうは思いませんか? でも今日はおふたりのおかげで、会ういい口実ができました」

「狼主ってもしかして……シルヴィ様のことなのですか?」


 要約するとそう言うことだと思えてきた。狼主は女を食べてしまうらしい。恐る恐る聞くと、シルヴィはにっこりと笑顔を返してくる。


「ご想像におまかせします。では、魔女の元にご案内しますよ」


 はぐらかされ、それ以上は何も聞けなくなる。ジークヴァルトを見上げると、腕にすかさず抱き上げられた。すっかり過保護モードスイッチオンだ。シルヴィに対しても警戒を強めているようだった。


「シンシア? 客人が到着されましたよ」


 丸太小屋のノッカーをコツコツと叩く。青龍のレリーフが輪を(くわ)えたとても立派なものだ。


「ヴァルト様、もう降ろしてくださいませ」


 耳打ちすると渋々降ろしてくれた。神事を務める森の巫女に、抱っこで目通りする訳にはいかないだろう。何しろ魔女と呼ばれるご高齢の巫女様だ。王族の血筋であるし、失礼があってはならない。国の代表として、ここは最大級の礼節をもって挨拶しなければ。


 頑丈そうな扉はゆっくりと開かれた。身構えて礼を取ろうとする。しかし目の前に現れたのは、白いローブを着た世話係の可愛らしい少女だった。自分よりも幼く見える少女を前に、リーゼロッテは大きく目をしばたたかせた。


「待っていたわ。どうぞ入って」


 背を向けた少女が奥へと引っ込んでいく。改めて気を引き締め、ジークヴァルトとともに扉をくぐった。

 玄関を入るとすぐの場所で、シェパードに似た大型犬が行儀よくお座りをしていた。やさしげな瞳で、リーゼロッテに向けてぱたぱたと尾を振ってくる。


 脇を過ぎ少女を追うと、後ろから低いうなり声が聞こえてきた。驚いてジークヴァルトにしがみつくも、犬は扉に向かって威嚇をしていた。その先にいたのは、続こうとしていたシルヴィだ。鼻先にしわを寄せ、じりじりと扉の外に追いやっていく。


「わたしが客人を連れてきたんですよ!? 今日くらい入れてくれたっていいじゃないですか!」


 その瞬間、犬が物凄い剣幕で吠えだした。


「シンシア! 会うのは三年と百五十七日ぶりなんですよ? 頼まれた薬草を届けたって、声すら聞かせてくれないじゃないですか。ちょっと冷たすぎると思いませんか? ボクは断固抗議します!」


 奥に向かってそう叫ぶも、誰からも返事は来ない。おろおろして見守る中、犬がシルヴィめがけて飛びかかった。

 寸でのところで回避したシルヴィは、そのまま扉から締め出されてしまった。犬は器用に(かんぬき)を降ろすと、扉に向かって土をかける仕草をする。


 外から扉が叩かれる音を聞きながら、ジークヴァルトに促されて奥へと進んだ。穏やかな顔つきに戻った犬が、尾を振りながらふたりのあとをついてくる。今から魔女とご対面だ。気を取り直して背筋を正した。


 奥の部屋には出迎えた少女だけが待っていた。魔女はまだ来ていないようだ。大きな暖炉のある部屋はとても暖かくて、急にコートが重たくなってくる。


「そのままでは暑いでしょう? 上着は脱ぐといいわ」


 少女の言葉にジークヴァルトがリーゼロッテのコートを脱がせ始める。屈みこんで前ボタンをはずされていると、子どものころに戻った気分になった。


「あ、服に色が……」


 着せられた衣裳が鮮やかな緑色に染まっている。見やるとジークヴァルトが着ているものも、綺麗に青みを帯びていた。


「あんなに真っ白だったのに」

「それは守り石と同様で、着た者の力を映すのよ。でもこの短時間でそこまで濃く染めるなんて……さすが星読みの末裔(まつえい)ね」

「あの……その星読みの末裔とは、一体なんなのでしょうか」


 時折自分に対して使われる言葉だ。公爵家の書庫で調べてみても、答えは何も見つからなかった。


「龍と星読みの王女の話は知っているでしょう? その王女の末裔ということよ」

「ですがあれは童話で……」


 星読みの王女とは、この国で子どもの読み聞かせに使われる、もっとも有名な童話に出てくる人物だ。国におきた厄災を収めるために、神である青龍の元へ身を捧げる王女の設定だった。


「世では作り話ということになっているわね」


 小瓶の砂をひとつかみすると、少女はそれを暖炉の中へと振りまいた。途端にオレンジ色の炎が、青銀色に舞い踊る。


「今がちょうど真満月ね。いいわ。青き者の神事だけ先にやってしまいましょう」


 ジークヴァルトを振り返ると、暖炉の前に立つように指示してくる。いよいよ魔女のお出ましか。身構えるも、それらしい人物はやってこない。

 慣れた手つきで少女は準備を進めている。邪魔をして悪いと思いつつ、挨拶のタイミングを確かめたくて、ローブの背中に問いかけた。


「あの……シネヴァの森の巫女様はどちらにいらっしゃるのですか?」

「ああ、挨拶が遅れてしまったわね」


 手を止めて少女が振り返る。


「わたしはシンシア。森の鎮守(ちんじゅ)を任されたシネヴァの巫女よ」

「あなたが森の魔女……!?」


 叫んだ後に失礼な物言いだと気づく。青ざめて慌てて礼を取った。


「わたくし不敬なことを」

「いいのよ。王女だったのはもう昔のこと。そんなにかしこまらなくていいわ。それにしてもわたしのことは聞いていなかったの?」

「巫女様はクリスティーナ様の高祖伯母(はくぼ)でいらっしゃるとだけ……」


 普通に考えて百歳は越えていそうな年齢だ。会えば魔女と言われる理由が分かる。この少女を前にして、クリスティーナの言葉の意味をようやく理解した。


「クリスティーナはどう? 元気にしていて?」

「はい、バルテン領でおしあわせそうに過ごしていらっしゃいました」

「そう……あの()は無事、宿命の輪から外れられたのね」


 子の幸せを願う母のような。それでいて(うれ)いを含んでいるような。そんな遠い目をしてシンシアは言った。


「さぁ、早く済ませないと月が欠け始めるわ。言霊(ことだま)を降ろすから、あなたはそこに座って見ていなさい」


 長椅子を指定され、リーゼロッテは言われるがまま腰かけた。となりで丸くなっていた黒猫が、おもむろに膝に乗ってくる。

 思わず首元をくすぐると、気持ちよさそうにゴロンとなった。可愛さに声を出しそうになる。だが今は神事の真っ最中だ。指で小さくこちょこちょしつつも、神妙な顔で背筋を伸ばした。


「あなたはこちらに集中して」


 猫と戯れるリーゼロッテを見て、ジークヴァルトはしかめ面をしている。そんな姿をシンシアは呆れたように見やった。


「猫でしょう? それくらい我慢なさい」

「ですがあれは雄猫です」

「これだから対の託宣を受けた男は……。残念ながら、託宣の神事は明日までお預けよ。いいから今はこちらに専念なさい」


 もう一度暖炉に砂を投げ込むと、青銀の火の()がいっそう舞い踊った。炎は時に虹色に見え、明滅(めいめつ)しては幻想的に()ぜていく。


「青龍よ、まどろみから目覚め、我が声を聞け。断鎖(だんさ)を背負う青き者、正道を経てここに来たれり。約束の言霊を、今、我が身に降ろすがいい……」


 シンシアの手が、水をすくい上げるように掲げられる。風もないのにローブの(すそ)がはためいた。体すべてが光を(まと)って、白一色に包まれる。


「夢見を継し者……()(いん)(よう)をその身に(あわ)せ持つ者なり……古きは捨て、新たに扉を開くべし」


 その口から少女のものでない声が紡がれる。猫をかまうことも忘れて、リーゼロッテはただその姿に魅入られていた。


 光が収束し、シンシアは崩れ落ちるように両膝をついた。ジークヴァルトが差し出した手に首を振ると、息をついて再び立ち上がる。


「断鎖を背負う青き者……あなたが呼ばれた理由が分かったわ。詳しいことは今は言えない。だけれど、泉には夢見を継ぐ者以外近づけては駄目。この言霊と共に王にそう伝えなさい」

「承知しました」


 ジークヴァルトが礼を取ると、シンシアが暖炉の炎に手をかざした。炎は元通りオレンジ色となり、部屋の中に揺れる影を浮かび上がらせた。


「よかったわね。数時間でも遅れていたら、言霊を降ろすのはひと月先になっていたわ」

「そんな先に……?」

「ええ、本来わたしは夢見は専門外だから。満月の瞬間にしか言霊は降ろせないのよ」

「そういえばシルヴィ様がシンシア様は満月の魔女だと……」

「まぁそういうことね。クリスティーナがいたから、今までは新月でも夢見の神事は執り行えていたけれど」


 言われてみれば東宮にいた時、王女は新月と満月に合わせて王城に向かっていた。何も知らされないまま、この国は龍に動かされている。そんなふうに思うと少し怖くなった。


「でも安心して。さっきも言ったように、託宣の神事は明日にでも行うから。今日は早めに休むといいわ」


 疲れたように息をつくと、シンシアはリーゼロッテの後ろに向けて声をかけた。


「ラウラ、あとはお願い。テオは聖杯を案内して」


 振り向くと背の高い女性が壁際に控えており、その横には帽子(キャスケット)を被った少年がいた。

 気づくと膝にいた猫がいなくなっている。大きな犬も神事の最中にどこかへ行ってしまったようだ。もう少しもふもふと戯れていたかったが、仕方なくリーゼロッテはソファから立ち上がった。


「では美酒の君様、お部屋にご案内いたします」

「今夜はこちらに泊めていただけるのですか?」

「はい。ただしこの(むね)には美酒の君様だけ。聖杯様は別棟に行っていただきます。神事の決まり事となっておりますので、どうぞご承知ください」

「聖杯様はこっちだよ。ちょっと雪の中を歩くけど、大丈夫だよね?」


 少年がジークヴァルトの手を引っぱって、そのまま部屋を出ていこうとする。

 ジークヴァルトと目が合うと、リーゼロッテは安心させるようにほほ笑んだ。ここは巫女のいる安全な場所だ。森の中自体、異形もいない。外に出たりしなければ問題はないだろう。


 狼たちを思ってそんなことを考えてみる。それが伝わったのか、ジークヴァルトはゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。頬に指を滑らせて、静かな瞳で見下ろしてくる。


明日(あす)にまた」

「はい、ヴァルト様。おやすみなさいませ」


 甘えるように頬ずりすると、ジークヴァルトの指は、髪をひと房さらって離れていった。


     ◇

 明日はいよいよ王命を受けた大事な神事だ。

 一向に暗くならない白夜の空を窓から見上げ、リーゼロッテは高揚する気持ちをなんとか落ち着けようとした。


(大丈夫。ジークヴァルト様と一緒だもの)


 胸の守り石を握りしめ、あのあたたかな青を思う。



 その夜、狼の遠吠えを遠くに聞きながら、リーゼロッテは小さな寝台で丸くなって眠りについた。


【次回予告】

 はーい、わたしリーゼロッテ。森の奥にあるオデラ湖に向かったわたしとジークヴァルト様。そこでシンシア様による託宣の神事が行われます。湖全体が輝いて、圧巻の神事に目はもうくぎづけです!

 次回、5章第9話「託宣の誓い」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!! 

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