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王妃の離宮を出ると、入口でキュプカー隊長が待っていた。
「ダーミッシュ嬢、今日はわたしが護衛の任を仰せつかった。部屋までお送りしよう」
「まあ、お手数をおかけして申し訳ありませんわ」
リーゼロッテがそう返すと、「婚約者殿でなくて申し訳ないが」と、キュプカーは榛色の瞳をきらりと光らせて人懐っこい笑みを浮かべた。
「とんでもありませんわ。ジークヴァルト様はいじわるでいらっしゃるから、わたくしちっとも歩けませんの」
キュプカーにはあの抱っこ輸送を何度も見られている。開き直ってリーゼロッテは拗ねたように言った。
「ご安心を、ダーミッシュ嬢。フーゲンベルク公爵閣下には、抱き上げての移動は絶対にしないよう仰せつかっております」
礼を取りながら言うキュプカーに、リーゼロッテは思わず吹き出してしまった。キュプカーは職務上はジークヴァルトの上官だったが、爵位的にはジークヴァルトの方が上位の貴族だ。
「いやだわ、わたくしったら。こんな風にはしたなく笑ってしまうなんて」
キュプカーと話していると、領地の義父を思い出してとても安心する。リーゼロッテは心からの笑顔を見せた。
王城の廊下を進むうちに、向かう方向から緊張をはらんだざわめきを感じた。
「おや? 王のおなりのようだ。ダーミッシュ嬢もこちらへ」
キュプカーに促されてリーゼロッテは廊下の端に寄り、膝をついて礼を取った。
廊下の向こうから、赤毛の美丈夫が大勢の人間を従えて歩いてくる。デビュー前のリーゼロッテは王に謁見したことはない。緊張でのどが渇いてくる。
(すごいオーラだわ)
カリスマとはかくやといった感じだった。
王の一行はやがて近づき、リーゼロッテの目の前を通り過ぎようとした。礼をとって目線を下げていたが、リーゼロッテは王のすぐ斜め後ろを王子が歩いていることに気がついた。
王が通り過ぎた後、注意深くリーゼロッテは目線を上げた。ハインリヒ王子の様子が気になったからだ。
しかし、リーゼロッテは上げた視線のその先で、ディートリヒ王のそれとぶつかった。金色の瞳は雄々しく、獅子のようだ。囚われたかのようにリーゼロッテは、からんだ視線を外すことができなかった。
通り過ぎざま、ディートリヒ王は横目でリーゼロッテを見やっていた。
王と視線を合わすなど、不敬罪に問われても仕方がない。リーゼロッテが青ざめた表情をすると、ディートリヒ王はその口元にうっすらと笑みを浮かべた。
それはほんの一瞬のことで、王の一行は何事もなかったかのように廊下を通り過ぎていく。
王子殿下はこちらに一瞥もくれず行ってしまった。
列の後方にカイの姿があったが、カイはリーゼロッテに気づくと、こちらが心配になるほど大げさにウィンクをよこしてきた。どんな状況でも平常運転のカイであった。
リーゼロッテは呆然として、王が去った後も跪いたまま立ち上がれないでいた。
「ダーミッシュ嬢? 王の気にでも充てられたか?」
キュプカーは手をとってリーゼロッテを立ち上がらせる。
リーゼロッテは涙目になって、「キュプカー様、わたくし、どうしいたしましょう」と震える声で言った。
キュプカーは怪訝な顔をして、リーゼロッテにどうしたのかと問うてみた。
「わたくし、先ほど、ディートリヒ王と目を合わせてしまいました。王は口元に笑みを浮かべられて……」
ようやくそれだけ言うと、リーゼロッテは今にも泣きだしそうな顔になった。不敬罪に問われたら、養父母に迷惑をかけるかもしれない。そう思うと生きた心地がしなかった。
「なんと。あの王の笑顔を見られたのか」
だが、キュプカー反応はリーゼロッテの予想に反するものだった。
「ダーミッシュ嬢は運がいい。王の笑みを見た者は、しあわせになると言われている。それほど貴重なものなのだ」
(何、そのケサランパサランみたいな扱いは)
リーゼロッテが言葉を失っていると、キュプカーは安心させるように言葉を続けた。
「なに、王はうら若き令嬢と目が合ったくらいではお怒りにはなるまいよ。そもそもあの王がお怒りになった姿など、誰ひとりとして見たことがない」
ディートリヒ王は賢王であると、平民から慕われている。それを疎ましく思う利権主義の貴族はいたが、キュプカーはそんな王を心から好ましく思っていた。
気を取りなおしてキュプカーに手を引かれて王城の廊下を進むと、途中でジークヴァルトに遭遇した。
キュプカーからジークヴァルトに引き渡されたリーゼロッテは、警戒するようにジークヴァルトから、じりと距離を取った。
「ヴァルト様、わたくし今日は、自分の足で部屋まで戻りますわよ」
上目づかいでそう言うと、ジークヴァルトは無表情のまま手を差し伸べてくる。
リーゼロッテが黙ったまま動かないでいると、ジークヴァルトは感情のこもらない声で言った。
「ではお嬢様、お手をどうぞ」
予想外の言葉に、リーゼロッテは呆然とした。呆然としながらも差し出された手を取ると、ジークヴァルトはリーゼロッテを紳士のようにエスコートして、ゆっくりと廊下を歩きだした。
(これがケサランパサラン効果なの!?)
ディートリヒ王おそるべし、などと不敬極まりないことを考えながら、リーゼロッテは客間の部屋までゆっくりと自分の足で歩いて帰った。




