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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第4章 宿命の王女と身代わりの託宣

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番外編 この身が朽ち果てるまで

 前王ディートリヒ様のイジドーラ様ラブなお話。

 王妃の離宮は格好のサボりスポットだ。

 父王フリードリヒ以外の男が入りこめないこともあって、そうそう見つかることもない。中でもこの奥まった庭の木の上は、ディートリヒが最近見つけたお気に入りの場所だった。


 太い枝に座って背を預け、何をするでもなくただ流れる雲を眺める。

 木々のざわめきも、頬に揺れる木漏れ日も、すぐ近くで枝を渡る小鳥の気配も、何もかもが心地いい。夏毛に変わりかけた白いテンが、飽きもせず小鳥たちを追いかけまわしている。

 王太子として息をつく暇もなく繰り返される公務の日々に、ゆったりと過ぎるこの時間がとても贅沢なものに思えた。


(だがこれも今日で終わりだな……)


 隣国の王女が龍のあざを持つことが判明し、少し前に自分の妃として迎え入れた。託宣の相手など、ずっと見つからなくても別に構わなかった。その方がずっと自由の身でいられたのに。


 彼女を王太子妃として迎えるための交渉は、かなり慎重に行われた。国交のない状態でのいきなりの申し出に、予想通り向こうの欲が膨らんだからだ。

 それに伴って、結局は自分が直接求婚しに行く羽目になってしまった。この国を出ることに興味は湧いたが、向かう理由には何とも納得できないものがある。


(国のためだ。もう仕方あるまい)


 龍の意思に逆らうなど、どうあってもできはしない。彼女を迎え入れたのも運命だ。諦めて従うより他はないだろう。

 形ばかりの婚儀を済ませたものの、いまだ手すら握ったこともない。あの病弱の他国の王女に、託宣の子など産めるのか(はなは)だ疑問だ。


 ふと耳に衣擦れの音が聞こえてくる。生い茂る葉の間から見下ろすと、すぐそこのガゼボにあの令嬢が座っていた。いつものように分厚い本を胸に抱き、いつものようにその膝に本を広げる。


 いつしかこの場にひとりの令嬢が現れるようになった。彼女はディートリヒの存在には気づいていない。そこのガゼボのベンチに座っては、いつでも本を読みふけっている。そしていつも時間が来たら、王妃の離宮へと戻っていくのがお決まりだ。


 時に小さく微笑み、時に頬を染め、そして時に涙しながら。物語に没頭している彼女の百面相を眺めるのも、ここに来たときの楽しみだった。

 どうやら今日は波乱含みの内容らしい。ハラハラした表情でページをめくる令嬢に、思わず口元が(ほころ)んだ。


 同時に隣接した神殿の敷地から、令嬢を覗き込んでいる若い神官の姿が視界に入る。いつも笛を響かせているあの青年も、令嬢に懸想(けそう)しているようだった。


(あの青年()?)


 己の考えに首をかしげる。いつまでも食い入るように覗き見している神官が何だかおもしろくなくて、ディートリヒは胸に忍ばせていたビョウを神官のいる辺りめがけて放り投げた。


(なんだ、そういうことか)


 驚いた神官が奥へと逃げていく様子を目で追いながら、ディートリヒはひとり納得した。漏れ出そうな笑い声を必死に押し殺し、焼き付けるように令嬢の姿を瞳に映す。


「……本当の胸の内など、自分でもなかなか気づけないものだな」


 だが今さら気づいたところで、どうなるでもない話のことだ。


 見上げた空が陰り、ちぎれ雲が低く流れ去っていく。枝を揺らす風が強まって、雨粒が叩きつけるように落ちてきた。

 白テンが慌ててディートリヒの首に巻きついてくる。茂みにいてもずぶ濡れになりそうな激しい雨だ。遠くで雷鳴が(とどろ)き、令嬢も本を胸に抱いて稲光(いなびかり)に身を縮こまらせている。


 本格的に濡れる前に、枝を揺らし令嬢のいるガゼボへと降り立った。いきなり上から降って現れたディートリヒに、令嬢が小さく悲鳴を上げる。


「非常事態だと思って許せ。邪魔をするつもりはなかったんだが、止むまでここで雨宿りさせてくれ」

「あなたは……ディートリヒ王太子殿下……!」


 呆然となったあと、令嬢は慌てて膝をつこうとした。その手を引き寄せ、跳ねる雨粒から遠ざける。冷えた体を囲い込んだまま、ディートリヒはベンチへと腰を下ろした。

 その足の間に座らされて、令嬢が動揺したように目を泳がせる。懸命に体を小さくして、寒さなのか怖さなのか、その身を小刻みに震わせた。


 細い首にアッシュブロンドのおくれ毛が流れ、似合っていないきつめの化粧は無理に強がる子猫のようだ。木の上からでは分からなかった瞳は綺麗な薄い水色で、今は不安と羞恥で揺れている。

 肩の上から(くび)を伸ばし、白テンが確かめるように令嬢のうなじに鼻先を近づけた。鼻づらをピンとはじくと、慌ててディートリヒの服の中に引っ込んでいく。


「あ、あの、王太子殿下……」

「思った以上に小さいな」

「え?」

「いつもここで本を読んでいただろう? オレはあそこからずっと見ていた」


 降りてきた木を見上げると、令嬢は同様に木を見上げ、ぽかんとしたあと頬を真っ赤に染めた。かと思うと今度は蒼白になってその唇を引き結ぶ。


「わ、わたくし知らぬこととはいえ、王太子殿下のお邪魔を……」

「いや、いい。邪魔をしたのはオレの方だ。それにオレがここに来ることは二度とない。これからも気にせず好きに使えばいい」

「……仰せのままに。ありがたきお言葉です」


 そもそも王太子であるディートリヒが王妃の離宮の敷地内にいることの方が大問題なのだが、そこは笑顔で押し切った。どのみち貴族令嬢の立場で、王太子の言うことに逆らえるはずもない。


「……惜しいな」

「え?」

「こうして触れると手に入れたくなる。名を、教えてくれないか?」


 まだ少女のように見える彼女は、それでも着ているドレスから社交界にデビュー済みだと見て取れる。令嬢などに興味がなかったディートリヒは、政務で必要な人間の顔しか覚えていなかった。


「わたくしはイジドーラ……イジドーラ・ザイデルと申します」

「ザイデル家の……?」


 ザイデル公爵家は王家に対して、陰で不穏な動きを取り続けている。公爵には妹がふたりいたはずだ。姉のベアトリーセはデルプフェルト侯爵家に嫁ぎ、もうひとりは確かにイジドーラという名前だった。


 記憶を辿っていると、空が嘘のように晴れあがっていく。切れた雲間から陽光が差し込み、腕の中のイジドーラが眩しそうに瞳を細めた。


 ディートリヒは立ち上がり、脱いだジャケットを華奢な肩にかけた。


「イジィは雨がもう少し落ち着くまでここにいるといい」

「は、あ、いえ、あの」


 肩のジャケットに恐縮したのか、愛称で呼ばれたことに動揺したのか、耳元で囁かれたことに驚いたのか、イジドーラが中途半端な言葉を返してくる。


 次に会うのは(おおやけ)の、王太子と公爵令嬢という大きな隔たりがある立場の時だ。

 去り際に、思うよりも早くイジドーラを胸に引き寄せる。そのまま小さな唇を奪いとった。


 これ以上となく見開かれた瞳のイジドーラから、力が抜けるまで離さなかった。漏れる吐息すらからめとって、ひとつも逃がしたくないと真剣に思った。


「必ずイジィを迎えに行く」


 名残惜しく頬に指を滑らせてから、ディートリヒはガゼボを後にした。


 王太子の気まぐれだとでも思われたのか、次に会ったイジドーラは想像以上に平然としていて、それがものすごく面白くない。


 あの誓いが嘘ではないと証明するために、その日からディートリヒのあがく日々が始まった。


     ◇

 自分を隠すように抱え込むディートリヒに、呆れながらカイが礼を取った。


「ああ、もう……今すぐ御前失礼いたしますから、そんなに怒らないでくださいよ」


 後宮からそそくさとカイが出て行って、部屋の中が一瞬だけ静寂に包まれる。王冠を降ろしてからディートリヒは、昔のように子供っぽくなったように思う。王太子時代のディートリヒは、とても自由奔放な性格だった。


「まぁ、ディートリヒ様。昼間からこの手は何事ですか?」

「いいだろう? 退位してあの(わずら)わしい声も聞こえなくなった。やっとオレのまま、イジィに触れられる」


 いたずなら手をやんわりと掴むも、その動きは止まらない。あれよあれよという間に、美しく結い上げられた髪が(ほど)かれていった。


「ディートリヒ様……もうしばしお役目はきちんとこなします。ですがセレスティーヌ様の遺言は、すでに十分果たされたと思いますわ」

「……どうしてここでセレスの名が出てくるんだ?」


 不満そうに言ったディートリヒを、イジドーラは不思議そうに見つめ返した。


「もしかしてオレがイジィを王妃に迎えたのは、セレスがそうしろと言ったからだと思っているのか?」

「ええ、もちろん。そこのところはきちんと(わきま)えておりますわ。おふたりはわたくしを(いばら)の道から救ってくれた恩人ですもの。ディートリヒ様とセレスティーヌ様には本当に感謝しかありません」

「感謝か……」

「ですからこの身が()ちるまで、わたくしはディートリヒ様のものですわ。とは言えディートリヒ様はもう、わたくしのことを無理に大事にしなくても良い頃合いでございましょう?」


 セレスティーヌの遺言通りに、ディートリヒは自分を王妃として迎え入れた。その王妃の座も退(しりぞ)いた今、ディートリヒがこの貧相な体つきの自分に固執する理由も必要もないだろう。この奥まった後宮は人目などほぼない場所だ。これからは(おおやけ)の場でだけ、夫婦の態度を(つくろ)えばいい。


「そうか、分かった」

「分かっていただけたのなら何よりですわ」


 脱がされかけていた服装を正す。その手を離れようとするも、ディートリヒは逆に力を()めてきた。


「イジィがオレの本気を分かっていないことが痛いほどよく分かった。いや、いい、これはオレの努力の怠慢(たいまん)だ。今から一から教え直すから何も心配はいらない」

「え、あの、ディートリヒ様……?」


 再び服を脱がされ出して、困惑気味にその名を呼んだ。不服そうな金の瞳が、イジドーラを見つめ返してくる。


「いい機会だから言っておくが、オレははじめからずっとイジィ一筋だ」

「ですがセレスティーヌ様とは、託宣の(つがい)同士でございましょう?」


 その存在は半身を分け合った掛け替えのないものらしい。(つがい)を失った託宣者は、生きる意味をも失うと聞く。そのセレスティーヌを早くに亡くし、ディートリヒは長く孤独に耐えてきた。その穴を埋める役割をセレスティーヌから乞われ、イジドーラはこうして張りぼてながら、それを必死に果たしてきたのだ。


「まったく……セレスティーヌはいつまで経っても邪魔をする。あれはオレにとって(つがい)と言うより、いわば好敵手(ライバル)みたいなものだ」

「好敵手?」

「ああ、セレスを女として見たことはない。それにあれを抱いたことも一度もないぞ」

「え? ですが」


 ふたりの間にはハインリヒを含めて三人の子ができた。王に似ていない子供たちに、貴族の間でセレスティーヌの不義の噂が流れたが、ずっとそばにいたイジドーラはそんなことは絶対にあり得ないことを知っている。


「セレスは胸を患っていた。子作りなど負担になる行為はしたくないと言ってきたのは向こうの方だ。だからオレは子種だけをセレスに差し出した」

「子種だけを……?」

「ああ……イジィを思って吐き出した精を、オレはあれに手渡しただけだ」


 耳元で言われイジドーラの頬が染まった。頭ではその言葉の意味は分かったが、ディートリヒの言っていることに理解が追いつかない。


「隣国の知識とはおもしろいものだな。なんでも子が出来やすい時期があるとかで、子種を渡すたびに百発百中で子が生まれた」


 はじめは第一王女のクリスティーナが。次に第二王女のテレーズが誕生し、次代の王となるハインリヒを授かるまで、それを三度ほど行った。そう言うとディートリヒはイジドーラの耳に口づけを落とした。


「イジィ……お前を手にするために、オレがどんなに時間と労力を費やしたと思っている。今さら逃がすなどできるわけないだろう?」

「ですが、だって……」

「あのガゼボで言ったはずだ。必ずイジィを迎えに行くと」


 いつになく動揺した表情で、イジドーラはディートリヒの腕の中その顔を上げた。薄い水色の瞳があの日の少女のように、驚きと羞恥で揺れている。


「本当にイジィは昔のままだな」


 ふっとやわらかい笑顔を向けられて、イジドーラの頬がますます朱に染まる。


「イジィ、諦めてずっとオレのそばにいてくれ」

「……この身が朽ち果てるまで、わたくしはディートリヒ様のものですわ」

「朽ち果て魂だけになっても、だ」

「仰せのままに……」



 後宮でひっそりと(はぐく)まれるふたりの愛に、今さらだなぁと心底呆れ返るカイだった。


 次回は第5章あらすじ投入です!

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