16-3
ふいに部屋の入口の方で、あわただしげなざわめきが起こる。一同がそちらに目をやると、開かれた扉から王妃が入ってくるのが目に入った。
「顔をお上げなさい」
礼を取っている一同にそう声をかけると、イジドーラ王妃はぐるりと部屋を見渡した。そこにリーゼロッテの姿を認めると、王妃はお茶会の時以上にぶしつけな視線を向けた。
(王妃様にめっちゃ見られてる!)
内心冷や汗をかきながら、リーゼロッテはずっと瞳を伏せていた。一同が王妃の言葉を待っていると、ピッパ王女が場の雰囲気などお構いなしに王妃に話しかけた。
「お母様、アンネマリーが家に帰るというのは本当ですの?」
王妃の視線を外れ、リーゼロッテは安堵のため息を小さく落とした。
「アンネマリー様は、社交界デビューの準備のためにご実家にお帰りになられるのですよ」
たしなめるようにピッパに言ったのは、先ほどの女官だっだ。
「ここで準備すればいいじゃない。わたくし、アンネマリーにまだまだ聞きたいことがいっぱいあるわ」
「そのようなわけには参りません。アンネマリー様のご滞在は初めからそう決められております」
王女のわがままには慣れている様子で、女官はぴしゃりと言った。
「ピッパ様、わたくしがお暇するまでまだ時間はありますわ。それまでにいっぱいお話しいたしましょう?」
アンネマリーがやさしく言うと、ピッパ王女は大輪の花がほころぶような笑顔をみせた。
「ええ! テレーズ姉様や異国の話をいっぱいしてちょうだい! アンネマリーの話はどんな物語よりも面白いもの!」
そのまま王女は女官に連れられて部屋を後にする。
名残惜しそうに王女は振り返ると、「アンネマリーはまた城にきてくれるわよね?」と懇願するように言った。
「お許しをいただけるのであれば、よろこんで参上いたしますわ」
アンネマリーはぶしつけにならない程度に王妃に目線を向けた。ピッパも期待に満ちた目を王妃に向ける。
「ピッパはアンネマリーがお気に入りね。王におねだりするといいわ」
王妃のその言葉に、ピッパ王女は顔をほころばせ、意気揚々と去っていった。
(太陽みたいな方ね、王女殿下は)
リーゼロッテがそんなことを思っていると、王妃の視線がまた自分に向けられていることに身をこわばらせた。
「リーゼロッテと言ったわね」
王妃の問いにリーゼロッテは瞳を伏せたまま、「はい、王妃殿下」と硬い声で答えた。
「顔を上げてこちらを見なさい」
命令とあらばそうするしかない。リーゼロッテは伏せていた目を上げ、イジドーラ王妃の顔を真っ直ぐに見上げた。
イジドーラ王妃は、切れ長の瞳に蠱惑的な唇をした美女だった。薄い水色の瞳に大人の色香がただよい、アッシュブロンドの髪が彼女の謎めいた雰囲気をよりいっそう強くしていた。口もとにあるほくろがなんとも艶めかしい。
そんな美女に真正面から見つめられ、同性であるリーゼロッテも思わず顔を赤らめてしまった。
「……あまり似てないのね」
そう言うと、王妃は興味をなくしたようにリーゼロッテから視線を外した。
「戻るわ」
お付きの女官にそう言うと、イジドーラ王妃は来た時と同じようにあっという間に去っていった。
ピッパ王女が太陽ならば、イジドーラ王妃は月のようだ。冷たく冴えわたる刺さりそうな三日月は、そんな彼女のイメージにぴったりだと、リーゼロッテはそんなことを考えていた。
「王妃様のお考えになることはよくわからないわ」
アンネマリーが肩をすくませながら言った。
「……アンネマリーはすごいわね。あの王妃様のお側で過ごしていたなんて」
「あら、わたくしに言わせれば、フーゲンベルク公爵様と平然と一緒にいるリーゼの方がすごいと思うわ」
リーゼロッテの言葉にアンネマリーは笑ってみせた。
ジークヴァルトの一睨みは落雷に匹敵するのではないかなどと、一部の令嬢の間で囁かれているのだ。
アンネマリーはこの離宮に滞在中、王妃とは会話らしい会話はほとんどしていない。アンネマリーがピッパ王女に話をしているのを、王妃は黙って聞いているだけだった。
王妃は何も聞いてこなかったが、隣国に嫁いだ王女のことは知りたいだろうと思い、アンネマリーはそれとなくテレーズのことを幾度も話題に乗せた。
もちろんピッパ王女の刺激にならない範囲のことであったが。
テレーズ王女を取り巻く環境は、子供にありのままに話せるような内容ではなかった。それだけ、隣国の王室は悪意と邪念が渦巻く世界だった。
王には父から報告がいっているはずだが、アンネマリーはテレーズのそばにいたからこそ、王妃に伝えなければいけないとそう思った。
アンネマリーは王妃の反応をみながら言葉を紡いでいたが、どうも王妃は、話の内容よりもアンネマリー自身を観察しているように感じられた。
試されている。
その言葉がしっくりいくような空気をアンネマリーは否応なしに感じとっていた。王妃が何を試しているのかは、アンネマリーにはさっぱりわからなかったのだが。
(合格ならば、また王城に呼ばれることもあるかしら?)
不合格なら、ハインリヒとふたりきりで会うことも二度とはないだろう。
アンネマリーがふいに苦しそうな表情になる。リーゼロッテは気遣うようにアンネマリーの肩に手を添えた。
「何かあったの? アンネマリー」
「わたくし、ハインリヒ様が……」
そこまで言ったアンネマリーは、小さく首を振ってから言い直した。
「いいえ。わたくし、ハインリヒ様にお預かり物をしているの。最近なかなかお会いできなくて、どうやってお返ししようかと思っていて」
そう言って、アンネマリーは懐中時計を大事そうに取り出した。
「まあ、そうなのね。わたくしも最近は王子殿下にはお目見えできていないわ」
その時計はリーゼロッテにも見覚えがあった。王子の実母であるセレスティーヌの形見の懐中時計だったはずだ。
「アンネマリーは王子殿下とよくお会いしていたの?」
リーゼロッテの問いにアンネマリーは、「幾度かお話をさせていただいたわ」と顔を赤らめた。
「王子殿下はそれを、アンネマリーに持っていてほしいのではないかしら?」
最近の王子の反応をみて、リーゼロッテは思ったことをそのまま口にした。
王太子の応接室で、話の流れでアンネマリーが話題になると、王子殿下の顔がわかりやすいくらいほころんでいた。
それに、アンネマリーが手にしているのは、王子が肌身離さず持っていた形見の懐中時計だ。そんな大事なものを、どうでもいい人間に預けるとは到底思えない。
「でも……」
アンネマリーは不安そうに言った。
手渡されたのは王子自身ではなく、カイの手からだった。
ハインリヒの本意が分からないまま期待するのはおろかなことだと、アンネマリーは自分に何度も言い聞かせた。
「わたくしがジークヴァルト様にお願いすることもできるけれど……。お返しするにしても、やっぱりアンネマリーが直接お渡ししたほうがよいのではないかしら?」
リーゼロッテの言葉に、アンネマリーは力なく小さく頷いた。
アンネマリーの客間から帰る途中、リーゼロッテはずっと考えていた。
ハインリヒ王子は、自身の託宣のことで重大な悩みを抱えているようだった。どういった事情かはわからないが、龍の託宣がある以上、個人的な感情で王太子妃を選ぶことなどできないだろう。
――アンネマリーの恋は、哀しい結果になるのかもしれない。
ふたりが惹かれ合ってるのをこんなにも真近で感じてるのに。
リーゼロッテにはどうすることもできない自分に歯がゆさを感じていた。




