表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第4章 宿命の王女と身代わりの託宣

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

428/494

第22話 青龍の紋

【前回のあらすじ】

 囚われの身となったリーゼロッテの元に、白髪の老婆が世話係として連れて来られます。しかしそれは神殿へと潜入していたベッティで。

 心強い味方を得たリーゼロッテは、食事の中に自分を意のままに操るための成分が入っていることを知らされます。口にできるものが限られ、次第に痩せていくリーゼロッテ。

 そんなある日、食事に仕込まれた媚薬をベッティが口にしてしまい……。とうとう黒幕が動き出す予感に、緊張が走るのでした。

 暗く、静まり返った部屋の片隅で身を(ひそ)めた。

 寝台にはアルフレート二世をそれらしく寝かせてある。チャンスがあるとしたら、相手が油断しているはじめだけだ。一瞬の(すき)をついて、部屋を飛び出すしかないだろう。


 ベッティはあのあと、具合が悪いまま神官に連れられて行った。解毒剤のない媚薬は、体から抜けるのを待つしかないらしい。それでもちゃんと手当はしてもらえるだろうか。息遣いも荒くふらふらになったベッティは、ものすごく苦しそうだった。


(毒に強いベッティですら、あんなになってしまうなんて……)


 慣れない自分が口にしていたら、今頃どんなことになっていたのか。想像するだけで身震いが起きた。媚薬が効いているはずのリーゼロッテに、今夜、黒幕は会いに来るというのだから。


(大丈夫……わたしはヴァルト様の託宣の相手だもの……きっとちゃんと切り抜けられる)


 震える指で胸の守り石を握りしめた。青の波動を感じながら、ひとりじゃないと言い聞かせる。

 耳を澄ませても何も聞こえてこない。廊下の足音はいつも大きく響くので、人が来たらすぐに分かるはずだ。やたらと時間が長く感じられて、自分の鼓動だけが耳についた。


 このまま誰も来ないのでは。そんな考えが浮かんでくるも、希望は儚く闇の中に溶けこんだ。

 ふいに暗がりだった部屋の一角が、青銀色に(ほの)かに光る。夜目が効いているリーゼロッテには、それが扉の辺りだとすぐに分かった。


 蝶番(ちょうつがい)(きし)ませて、ゆっくりと扉が開いていく。鍵が回される音はしなかった。廊下を歩いてくる足音も。


 誰かが入ってくる気配を感じながら、リーゼロッテは必死に息を詰めた。相手が寝台に気を取られているうちに、扉に向かって駆けだそう。だからそれまでは気取られては駄目だ。


 しかし人影は寝台には目もくれなかった。迷いなくこちらに向かってくる衣擦(きぬず)れの音に、縮こまらせた体がカタカタと震えた。


「おや? 報告とは少し違う状況のようですね」


 場にそぐわない穏やかな声がしたとき、月明かりが窓から差し込んだ。白く浮き出した神官服の男に、リーゼロッテは息を飲む。


「あなたは……」


 部屋の片隅でしゃがみこんだまま、美しい顔立ちの男を見上げた。いつか会った神官だ。このまなざしを向けられる不快感を、リーゼロッテはよく覚えている。


「ご記憶いただけているようですね。リーゼロッテ・ラウエンシュタイン」

「……わたくしはリーゼロッテ・ダーミッシュですわ」

「貴族の決めた籍に、意味などありません。貴女は(まぎ)れもなく星読みの末裔(まつえい)だ」


 そこで言葉を切ると、男は口元に笑みを()いた。確か盲目の神官だった。なのに、こんなにも刺すような視線を感じるのはなぜなのか。

 震えを止められないまま、決死の思いで立ち上がった。このまま相手の好きになどさせてなるものか。


「わたくしをこんなところに閉じ込めて、一体どういうおつもりですか? 神官と言えど捕まれば公平に裁かれます。このまま逃げ切れるなど甘い考えですわ」

「さて、それはどうでしょう。わたしは選ばれた人間。いえ、まさに選ぶ側――青龍そのものと言ってもいい」

「何を馬鹿げたことを」

「信じられないのは仕方のないことですが、いずれ貴女にも理解できましょう」

「理解などさせるつもりはないくせに……!」


 恐怖を押し殺して、リーゼロッテは男を睨み上げた。


「あなたのしていることは犯罪です。神職に身を置く立場でありながら、わたくしにあんな薬を盛るだなんて……! 気が触れているとしか思えませんわ」

「それは心外ですね。初めての貴女でも楽しめるようにと、わたしなりの配慮だったのですが」

「ふざけないで……!」


 怒りのあまり声が震えた。だが常識が通用する相手ではない。冷静な男の物言いが、得体の知れなさを余計に膨れ上がらせる。


「ふざけてなどいませんよ。貴女ほどわたしの花嫁に相応(ふさわ)しい者はいない」

「誰があなたの花嫁になどなるものですか。わたくしはジークヴァルト様の託宣の相手です。それは龍がお決めになったこと。誰にも(くつがえ)すことはできませんわ」

「ああ、そんなことを(うれ)いていたのですか。貴女が今ここでわたしに抱かれようと、何も問題はありません。例え純潔でなくなったとしても、託宣に支障など出ないのですから。ですがそうですね……龍の(たて)の彼には、時期が来たら貴女を貸し出すことにしましょうか。その時に心置きなく託宣の子をもうければいい」

「本気でそんなことをおっしゃっているのですか……?」


 目の前に立つ男が何を言っているのか、まるで理解ができない。とてもではないが正気の沙汰とは思えなかった。


「こんな馬鹿げたこと、龍がお許しになるはずはありません」

「老いぼれた龍の言うことなど、わたしには何の意味も持ちませんね。それに貴女とわたしがひとつになれば、新たに国を造るも容易なことだ。ああ、我ながらいい考えですね。(ゆが)み切ったこの国をまっさらに消し去って、完璧な国をふたりで(いち)から造り上げましょう」

「あなた……何を言っているの……?」


 まるで会話がかみ合わない。リーゼロッテの中で(いきどお)りと恐れが広がっていく。


「美しい……慈悲深い貴女の怒りは純粋だ」


 リーゼロッテから立ち昇る緑の力に、男は感嘆の息を漏らす。一歩こちらに近づくと、片手をかざし指先に緑を絡めていく。


「暗がりで隠れたつもりでいたのでしょうが、わたしには貴女の輝きが丸見えですよ。ああ……やはり貴女は素晴らしい。ラウエンシュタインの秘めたる力を、もっとわたしに感じさせてください」


 手のひらの中、緑の力が吸い込まれていく。強引に引っ張られる感覚に、リーゼロッテは顔を歪ませた。


「やめて、近づかないで! それ以上近づいたら、わたくし自分で命を絶ちます……!」


 咄嗟に取り出した知恵の輪を喉元に突き立てる。神事の時からずっと持っていたものだ。こんなもの、武器にはならなさそうだが、今ははったりをきかせるしかなかった。


「なんとも(つたな)い抵抗ですね」


 青銀の力が強まって、握っていた輪が手を離れた。金属が跳ねる音が響く中、男はリーゼロッテの力をさらに絡めとっていく。

 引き戻そうと必死になっていた時に、突然力を押し戻された。自分の緑に紛れるように、凍てつく青銀の力が体に無理やり入り込んでくる。


(気持ち悪い……!)


 男から流れ出る力は、リーゼロッテの中を少しずつ侵していく。身の内を虫が()いまわっているかのようで、言いようのない不快感にリーゼロッテは身を震わせた。


「他者の力を受け入れるのは初めてですか? 怖がることはありません。まぐわいとは本来エネルギーの交換です。肉体の快楽だけではない、至福の時を味合わせて差し上げますよ」


 どろりとへばりつくような力を、苦悶(くもん)の表情で追い出そうと試みる。だがその抵抗を楽しむように、青銀はさらに奥へ奥へと根をはり続けた。


(気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い……!!)


 涙が溢れ出し、唇を戦慄(わなな)かせる。ジークヴァルトならこんな苦痛は感じない。あの青と混ざり合う瞬間だけが、リーゼロッテの最上の至福の時だ。


「手放した方が楽になりますよ」


 薄く笑みを刻んだまま、男はリーゼロッテの耳元に唇を寄せた。間近で見る男の顔は、まるで血通わない彫像のようだ。


「このままでも十分楽しめますが、ようやく手にした貴女だ。肌に触れないというのも勿体(もったい)ないですね」

「触らないで……!」

「そうおっしゃらずに。ほらこうすると……貴女の魂がこんなにも震える」


 男の冷たい指先が、首筋をすっとなぞる。(あわ)立つ肌に連動するように、リーゼロッテの力が激しく波立った。


「やめてっ」

「ああ、なんと心地よい波動……これから貴女とわたしで、ゆっくりと時間をかけてひとつになりましょう」


 乱された隙をついて、さらに浸食が深まった。抵抗したくても、縛られたように自由が効かない。胸元に手が滑り落ちていくのを目で追いながら、リーゼロッテは悔し涙を流すしかできなかった。



 その刹那、男のすべてが一瞬で遠退(とおの)いた。目の前で放たれた雷撃(らいげき)が、守るように厚い障壁(しょうへき)を作り出す。


「ジークヴァルト様……」


 あたたかい波動に包まれて、リーゼロッテは茫然と胸元を見つめた。守り石が宙に浮き、煌々(こうこう)と青の輝きを放っていた。


     ◇

「うぁうぅ」


 おかしなうめき声をあげながら、ベッティは新雪の中に体ごと突っ込んだ。火照(ほて)る全身を冷やすように、ずぶずぶと雪の中を進んでいく。


 あのまま部屋にいたら、妙な言葉を口走ってしまいそうだった。自分は耳も口も不自由な小間使いの設定だ。演じていることを気取られることは許されない。

 デルプフェルト家は諜報(ちょうほう)活動に特化した一族だ。カイの顔に泥を塗ることだけは死んでもできないと、ベッティは神官の目を盗んでこっそりと部屋を抜け出した。


 荒い息のまま気を紛らわすように、冷たい雪を口に含んだ。体の芯まで冷えてきて、幾分か冷静な思考が戻ってくる。


(凍死しない程度にしとかないとですねぇ)


 今の状況は、完全に自分の判断ミスだ。身元がバレてカイの迷惑になるくらいなら、このまま氷漬けになった方がよっぽどマシだった。


 こんな夜更けのこんな場所に、誰がやって来るはずもない。それでも念のためにと、人のいなそうな方向をさらに目指した。

 少しだけ欠けた丸い月が雪に反射して、外は建物の中よりずっと明るく感じられる。月明かりの中ベッティは、道なき道を進んでいった。


「はぁ……ここら辺ならもういいでしょうかぁ」


 息をつき足を止める。雪の中に身をうずめ、月の空をじっと見上げた。(こご)え切った体が生存の危機を訴えてくる。それが媚薬の効果を上回り、ベッティの思考は随分とクリアになった。

 本当だったら、そろそろ一度カイの元へと戻る計画だった。だがリーゼロッテのことをこのまま放置するわけにもいかないだろう。


 カイは黒幕の目星はついていると言っていた。龍に目隠しをされて、その名を口に出せないのだとも。


 今頃彼女はどうしているだろうか。黒幕がカイの思うあの人物なら、自分がいたところで上手く対処できたかは分からない。ベッティはリーゼロッテに、その人物の名を伝えようとした。だがカイの言うように、ベッティもまたその名を口にはできなかった。


(レミュリオとかいう神官……確かに胡散(うさん)臭そうですもんねぇ)


 黒幕の特徴を参考までに聞いた時、カイはいけ好かない奴だと言った。カイがいちばん嫌いそうなタイプを探し回った結果、最終的に辿り着いたのがレミュリオだ。ベッティは直接会ったことはないが、聞く限りではレミュリオは神官の(かがみ)のようなよくできた人物らしい。


 そんな奴を相手にしたら、リーゼロッテなど簡単に(ほだ)されてしまいそうだ。だが持ち前の運の良さを発揮して、あっさりと事なきを得てしまうような気もしてくる。


(そろそろ戻るとしましょうかぁ)


 このままでは本当に死にかねない。しもやけで感覚のなくなった赤い指先を見やり、ベッティはどうにかこうにか身を起こした。媚薬もだいぶ抜けてきたようだ。これなら部屋に戻っても大丈夫だろう。


 ふと鼻をついた嗅ぎ慣れない匂いに、ベッティは眉をひそめた。嗅ぎ慣れはしないが、確かに嗅いだことはある。まさに今日痛い目に合った、元凶と言える物の匂いだった。

 風に乗って薫ってくるそれを、慎重にベッティは辿っていった。進むにつれてその匂いがどんどん濃くなっていく。


「これは……」


 雪山をかき分けた先、目の前がいきなり大きく開けた。雪にうずもれた森の真ん中に、青々とした畑が広がっている。

 極寒の時期に青菜が茂ることに目を疑うが、その畑の中だけ一ミリも雪が積もっていなかった。近づくと毒にも思える清浄な神気が、ベッティの肌をチリチリと焼きつけてくる。


「もしかしてぇ、ここが今問題になってる媚薬の出所ですかぁ……?」


 先ほど厄介(やっかい)になったばかりの独特の香りが、辺り一帯に充満している。この植物から違法の媚薬を精製しているのだろう。これ以上酔わないようにと、ベッティは鼻元に布をあてた。

 媚薬の入手ルートが神殿ならば、不審がられることはない。敬虔(けいけん)な信者の皮を被って、お布施(ふせ)片手に祈りを捧げに行けばいいのだから。


「カイ坊ちゃまぁ、これはとんだ大物、引き当てたようですよぅ」


 未知の領域であるものの、危険度の低い潜入捜査のはずだった。自分たちが思う以上に、神殿内部は伏魔殿(ふくまでん)となっているらしい。


 普段なら物的証拠を(たずさ)えて、ここでトンズラをこくところだ。デルプフェルト家の一員としてなら、このタイミングで帰還するのが正しいのだろう。


 だがカイならば、リーゼロッテを見捨てるはずはない。それが公爵や王家に恩を売るためであったとしても、彼なら絶対にそうするはずだ。

 あの日、カイの手足になるとこの胸に誓った。ベッティは迷うことなく、ここに残ることを決意する。


 畑へと一歩踏み出す。伸ばした指先が、ばちっと青銀の火花に(はじ)かれた。焼け付くような痛みを(こら)えて、ベッティは手近に揺れる葉を、無理やりに一枚引きちぎった。

 青臭い汁の匂いに、また酔いそうになる。素早く葉を袋にしまうと、ベッティはその場を一目散に逃げ去った。


 自分がここへと来た痕跡は、一度吹雪けば消えるはずだ。その前に見つかった時は、獣が荒らしたとでも思ってもらえることを祈るしかない。


(かなりやばめですけどねぇ)


 あの畑は明らかに結界が張られていた。作物を守るため、人知を超えた力を(もっ)てして。


 ある程度離れると、ベッティは指先を濡らして風を確かめた。月夜に浮かぶ雲の流れを見上げ、王城のある方向へと目を向ける。この風向きなら、空に飛ばせば届けられるかもしれない。他の連絡手段がすぐに取れない今、こうするより方法はないだろう。


 軽い紙でできた風船を膨らまし、そこに先ほど取った葉を入れた袋を(くく)りつける。風(まか)せだが、これはデルプフェルト家秘伝の風船だ。見つけ次第、最優先で回収するのが一族の決まりだった。


 強く吹いた風に乗せて、ベッティはそれを空へと手放した。ふわりふわりと心もとない動きで、風船は夜空を舞っていく。

 遠く見えなくなったことを確かめて、ベッティは急ぎ雪の中を戻っていった。


     ◇

 ジークヴァルトの守り石は、リーゼロッテを守るように威嚇(いかく)の放電を続けている。青い火花の(かたまり)を、男は忌々(いまいま)しげに振り払った。


「龍の盾……なんとも小賢(こざか)しい真似を」


 見えない圧が部屋の空気を押しつぶす。いっそう強くなった(まばゆ)さに、リーゼロッテは思わず目を(かば)った。

 切り裂かれた神官服の下から、青銀の輝きが浮き上がっている。よく見ると首から下の肌に、魚のような(うろこ)が並んでいた。(またた)くような揺らめきを、その一枚一枚が不規則に放っている。


 リーゼロッテの驚きを感じたのか、男は一変、口元に笑みを刻みこんだ。


「ああ、見えてしまいましたか。どうです、美しいでしょう? これは青龍の(もん)――わたしが神そのものである(あかし)です」

「神である証……?」


 その言葉が不思議と()に落ちた。他者を圧する無慈悲な力は、神の怒りに触れたと言われても納得しそうな代物(しろもの)だ。


 そのときふいに男が上方へと顔を向けた。耳を澄ますように、どこか遠くに意識を傾ける。


「まぁいいでしょう……何やら(ねずみ)が入りこんでいるようですし、今宵(こよい)(きょう)を削がれました。おたのしみはまた今度といたしましょうか。次の満月を越えたら、再びここへと参ります」

「満月を越えたら……?」

「ええ、わたしもなかなか時間が取れないもので。唯一の休息と言えば、王の祈りの儀の(みそぎ)明けなのですよ」


 ということは今夜も満月を過ぎた頃合いなのだろう。執行猶予が一か月ついたということか。力が抜けるとともに、その日を(おび)えて待つ日々が、これからも続くのだと思うと絶望が込み上げる。


「今日のような恐怖を味わいたくなかったら、食事はきちんと採ることをお勧めしますよ。穏やかに抱かれた方が、貴女も心休まるでしょう? 無理やりがご趣味と言うのなら、わたしは一向に構いませんがね」


 それだけ言い残して、男は来たときと同様、音もなく部屋を後にした。



 しばらく呆然と(たたず)んで、壁に背を預けたまま、リーゼロッテはずるずると床に座り込んだ。


    ◇

「とりあえず目を閉じるだけでもいいので、一時間は休んでいてください」


 公爵家の執務室にこもり切りの(あるじ)に、マテアスは強めに言った。リーゼロッテが消えて以来、ジークヴァルトはろくに寝ていない。どうせ寝られないのだからと、マテアスは容赦ない量の執務をジークヴァルトに課している。そうでもしないと公爵家を飛び出しかねなくて、この場に押しとどめるための苦肉の策だ。


 仏頂面のまま瞳を閉じた(あるじ)を執務室に残し、マテアスは急ぎ書庫へと足を運んだ。ここ何日も奥書庫に(こも)っては、リーゼロッテが消えた祈りの泉に関する記述を探している。公爵家に神殿に関わる書物はそう多くない。それでもなんとか情報を得ようと、マテアスは必死になっていた。


 ようやく探し当てた一冊に、泉の記述を小さく見つけた。古びた字体が並ぶ()り切れたページを、時間をかけて解読していく。


(泉の奥にありし真の扉は、青龍のための扉……何人(なんぴと)たりとも開くことは許されざる聖なる神の道……)


 これを読む限り、神殿の主張はまるで根拠がないというわけではなさそうだ。

 だがリーゼロッテが神隠しに合ったなどと、マテアスはまったく信じていない。原因があるからこそ結果は生まれる。部屋からリーゼロッテが消えたのだから、その扉が開かれたに違いない。


(王城の間取りからして、青龍の扉の向こうは神殿へと通じているはず……)


 公爵家の情報網で、神殿がへリング領からビョウを定期的に仕入れていることを突き止めた。神官たちは菜食に徹して、季節の恵みを感謝と共に享受する。それを曲げて時期外れの果実を求めるなど、常識からしてあり得ないことだ。

 その上、貴族街の店からある物が神殿へと納品されたらしい。それはリーゼロッテが大事にしている、クマの縫いぐるみと同じものであったと言うから驚きだ。


(これはもう決定的ですねぇ)


 リーゼロッテからのSOSに思えてならなかった。だがこの事実を、マテアスはいまだ(あるじ)に伝えていない。こんな情報を知ったとしたら、なりふり構わずジークヴァルトは神殿へと飛び出していくに決まっている。そんなことになっては、公爵家は取り潰しの運命まっしぐらだ。


(もっときちんと算段を整えてからでなくては……)


 負け(いくさ)はしない主義なだけで、マテアスとてこのままおとなしく引き下がるつもりはない。神殿に売られた喧嘩だ。首謀者が誰であろうと、絶対に()(づら)をかかせてやる。


 しかし公爵家単独で動くのは自殺行為だ。アデライーデが騎士団長であるバルバナスと、水面下で連絡を取り合っている。騎士団と連携してリーゼロッテ奪還(だっかん)を目指すのが、今選べる最良の手段だった。


 神殿は王家とは独立した組織だが、治外法権(ちがいほうけん)と言うわけではない。神官も国にとっては(たみ)のひとりだ。国民としての権利は保証されるし、罪を犯せば裁かれる。


(一刻も早く、神殿に踏み込む名目が見つかればいいのですが……)


 理由は何だっていい。捜査と称して騎士団が神殿内に入った時に、便乗して乗り込む作戦だ。リーゼロッテを取り戻せるのは、神殿が混乱するその一瞬だけだ。隙を突ける一度きりのチャンスを、何があっても(いっ)してはならなかった。


 ジークヴァルトの体力も精神も、既にギリギリのところまで来てしまっている。このままではすべてが破滅に向かいそうで、マテアスは重いため息をついた。

 いつ何があっても動けるように、今は万全に準備を整えるしかない。


 ずっと膠着(こうちゃく)していた事態が進展の(きざ)しを見せるのは、この数日後のことだった。


【次回予告】

 はーい、わたしリーゼロッテ。薬入りの食事が差し入れられる生活に戻ってしまったわたし。神官の監視が厳しくなる中、ベッティも思うように動けなくなって。アルフレート二世と会話をしつつ何とかやり過ごしていた時、窓の外にいたのは鶏のマンボウで!?

 次回、4章第23話「よろこびの調べ」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ