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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第4章 宿命の王女と身代わりの託宣

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第18話 身代わりの託宣

【前回のあらすじ】

 時が満ちる直前に、ハインリヒ王に別れを告げるクリスティーナ王女。その謁見(えっけん)の場で、アルベルトは王女の護衛の任を解かれます。ひとり去っていこうとするクリスティーナに絶望を感じるアルベルト。

 そんな中、王城の廊下で豹変したマルコに遭遇したリーゼロッテは、血濡れた剣を向けられて。託宣を果たすべくリーゼロッテの元に走ったクリスティーナは、マルコの手によってヘッダと共に王城の床に倒れ伏します。

 意識を取り戻したリーゼロッテの耳に、王女の葬儀の鐘の音が響くのでした。

 熱に浮かされた唇にそっと口づける。

 苦しげにもれる吐息と共に、小さな体の中で荒れ狂う力の(うず)が伝わってきた。秩序なく対流し続けるそれを導くように、ジークヴァルトは自身の力を流していった。


 ここ数日、王城の一室でリーゼロッテは寝込んだままだ。時折目覚めては、すぐにまた眠りについてしまう。

 大きな(かたまり)が彼女の奥深くに眠っていると、今までもずっと感じていた。その力がいきなり目覚めてしまった。これは幼児の知恵熱のようなものだ。力ある者なら誰でも起こり得ることで、ジークヴァルトも幼いころに経験済みだ。

 命に係わることはないが、持つ力が大きいほどその作用は体に負担をかける。力が馴染(なじ)んで落ち着くまで、ただ見守ることしかできなかった。


「リーゼロッテ……」


 再び口づけると緑の瞳がうっすら開いた。さまよっていた焦点が自分と合って、安心したようにリーゼロッテはふわりと笑った。そして再び瞳を閉じる。

 意識の沈んだ寝顔を見つめ、ジークヴァルトはその頬に指を滑らせた。


「どうしてお前はこんなにも危険な目に合う……」

 それも自分の手の届かない場所ばかりで。


 リーゼロッテは託宣の相手だ。誰よりも近い存在のはずの彼女は、いつでもこの腕をすり抜ける。閉じ込めて、二度と誰にも触れさせたくない。気づくと真剣にそんなことを考えている自分がいた。


(早く次の託宣が降りてくれれば――)


 リーゼロッテの回復を待って、事情聴取が行われることになっている。しばらくは公爵家に連れて帰ることも叶わない。


 うなされるようにリーゼロッテが身じろいだ。

 そのつらさを引き受けるように、ジークヴァルトは今一度、熱い唇に口づけを落とした。


      ◇

「ではどうあっても彼をお帰しいただけないと言うことですね?」

「当然だ。神官と言えど、奴は王城で起きた事件の当事者だ。捜査は何も終わっていない」


 敵意をむき出しにしているバルバナスに対して、神官長は冷静な態度のままだ。それがまた苛立つ原因となるようで、バルバナスは目の前にいる三人の神官を鬼の形相で睨みつけた。

 老齢の神官長は表情を変えず、盲目の青年神官は沈黙を貫いている。もうひとりの中年神官だけが不快そうに眉をひそめた。


「では捜査が終わり次第、すぐに迎えに参ります。それまでは騎士団にお預けしますが、彼のことはどうぞ人道的に扱ってください」

「罪人をどう扱おうとこちらの勝手だ。神殿に指図される(いわ)れはない」

「彼が罪を犯したとはまだ決まったわけではありません。騎士団長としてどうぞ冷静なご判断を」

「随分とふざけたことを言う。これだけ状況証拠が揃っているんだ。知らぬ存ぜぬで言い逃れできると思うなよ」


 王城で起きた一連の騒ぎで、神官見習いの少年が騎士団に捕らえられている。だが何も知らないと供述するばかりで、一向に罪を認めようとしなかった。唯一現場に居合わせたリーゼロッテは話ができる状況にないため、今は回復を待っているところだ。


 そんなときに神官長自らが、その少年を返せとやってきた。姪のクリスティーナ王女が殺害されたのだ。バルバナスから殺気が放たれるのも無理のない事だった。


 アデライーデはニコラウスと共に、このやりとりを黙って見守っていた。バルバナスは一度怒りに火がつくと、全く(もっ)て手がつけられなくなる。話し合いに加わるというより、いざという時の抑えの要員としてこの場にいた。


 アデライーデは慣れたものだが、ニコラウスといえば先ほどから、落ち着きなくハラハラと表情を変えてばかりいる。それがみっともなく思えて、アデライーデは誰にも気づかれないよう、ニコラウスの尻をぎゅっとつまみ上げた。


「いっ……!」


 張り詰めた空気の中、潰されたカエルのような声が一瞬漏れる。集まる視線に青ざめて、ニコラウスは慌てて真面目顔で姿勢を正した。


「おまっ、こんな時になんてことすんだよ!」

「ニコが締まりのない顔してるからでしょ」


 小声で言い合って、再び事の成り行きを見守った。ギリギリのところで理性を保っているが、バルバナスはいつ(さや)から剣を抜いてもおかしくない臨戦態勢だ。


 そんな様子はお構いなしに、中年神官が不機嫌そうに口を(はさ)んできた。


「罪人とは大げさな。(たか)が王城の廊下で、(ねずみ)死骸(しがい)が転がっていただけの話でしょう?」

「なんだと? 貴様、クリスティーナの死を愚弄(ぐろう)するのか?」

「バルバナス様、落ち着いて」


 状況判断を正しくできない神官に呆れながらも、アデライーデはすぐさまバルバナスのそばに寄った。ただ控えているようでいて、寸前でその手をさりげなく制した。それをいいことに中年神官は、得意げにべらべらとしゃべり続けている。


愚弄(ぐろう)も何も、()()()()()()()()()()のですよね? ハインリヒ王がそう公表されたではないですか。それに今回の騒ぎには異形の者が絡んでいるとか。神殿の人間に罪をかぶせる前に、もっとまともな捜査をして欲しいものです。まったく騎士団長の名が聞いてあきれる」

「貴様……殺されたいのか?」

「これは何とも野蛮な。とても王族の言葉とは思えませんね。ああ、あなたは王の嫡子(ちゃくし)として生まれたにもかかわらず、龍に選ばれることなく王になりそこなったのでしたね。そんなお立場では事実を知らされなくても仕方がない。王女は立派に託宣を果たされたのちに、身罷(みまか)られた。ただそれだけのことなのに、マルコは何の罪に問われているというのでしょう」

「ヨーゼフ、やめるんだ。バルバナス様、この者が大変失礼を申し上げました。今日の所は引きあげますので、どうぞご容赦を」


 神官長の制止にヨーゼフと呼ばれた神官は不服そうに口を閉ざした。


「レミュリオ、お前もいいな?」

「わたしは神官長のご判断に従います。マルコさんは素直でやさしい人です。疑いが晴れると信じましょう」


 盲目の神官が静かに返すと、神官長は頷いた。


「ではわたしどもはこれで失礼を」


 神官たちが出ていったのを確かめて、アデライーデはバルバナスからさっと距離を置いた。その瞬間、近くに置かれた物が腹いせのようになぎ倒される。それだけでは気が収まらなかったのか、バルバナスは勢いよく椅子を蹴り上げた。

 壁に叩きつけられ、もはや椅子として機能しない残骸を見やる。バルバナスは最も痛いところを突かれた形だ。人死(ひとじ)にが出るよりはましかと、アデライーデは軽く肩を(すく)めた。


「アデライーデ、お前は先にニコラウスと戻ってろ」

「バルバナス様はどこへ?」

「ディートリヒんとこだ」


 乱暴な足取りでバルバナスは部屋を出ていった。残されたふたりで目を見合わせて、同じタイミングで息をつく。


「あのヨーゼフとかいう神官、いけ好かねーな」

「あいつはミヒャエル派の残党よ。ミヒャエルが死んでからやりたい放題にしてるみたいね」

「神殿内も荒れてんな。あの神官長、王家には従順だけど、組織のトップとしてはちょっと頼りなさそうだもんなぁ」

「それにしても、神官長自ら申し立てに来るだなんて。あの神官見習いには何かあるのかしら……?」

「オレも聴取に加わったが、めそめそ泣いてる気弱な子供にしか見えなかったけどな」


 今回の騒ぎはどうにも不可解だ。王城の廊下に放置された野鼠(のねずみ)死骸(しがい)。広がった不穏な異形の気配。明らかに剣で殺害された王女――しかしハインリヒはそれを病死と扱った。


「クリスティーナ様……」


 美しく聡明だった王女を思うと、胸が締めつけられる。子供の頃から右手の甲を隠すように、王女はハンドチェーンをつけていた。あそこにもし、龍のあざがあったのだとしたら。


「今回の事件は龍の託宣がからんでいる……?」


 真相は分からない。王女はもう荼毘(だび)に付されてしまった。だが降りた託宣が関係しているのなら、王となったハインリヒはすべて真実を知っているはずだ。


「その場には妖精姫がいたんだろう?」

「ええ、でもリーゼロッテはまだ話せる状態じゃないから」

「凄惨な現場だったからなぁ……さぞや怖い思いをしたんだろう」

「それもあるけど、リーゼロッテは今、力の知恵熱(ちえねつ)中よ」

「へ? 今さら?」


 力の弱い者はまずならないが、強まる力に子供の体がついていけなくなることがある。ニコラウスの中では成長痛くらいの認識だ。


「あの()の場合、いろいろと事情があるのよ」


 今頃ジークヴァルトは心配で気が気ではないことだろう。幼いころから何があっても動じることのなかった弟が、リーゼロッテの前ではおもしろいように動揺しまくっている。その姿がたのしすぎてつい邪魔ばかりしていたが、今回ばかりはさすがに気がひける状況だ。


「ねえ、ニコ。好きな()を前にして我慢するのってどんな気持ち?」

「は? 何だよいきなり」

「ジークヴァルトよ。そろそろ限界なんじゃないかと思って」

「あの妖精姫相手に我慢してんのか!? お前の弟、とんでもない精神力だな」

「そんなになの?」


 いまいちピンと来ていない様子のアデライーデに、ニコラウスは苦笑いを向けた。


「バルバナス様があの調子じゃあ、そう思っても仕方ねーか」

「なんでここでバルバナス様が出てくるのよ?」

「うん……まぁお前もたいがい鈍いよな」


 ひとり遠い目をするニコラウスに、アデライーデはますます分からないといった顔をした。


「そんなことより、お前いきなりひとの尻つねるのやめろよな」

「ニコが情けない顔するからでしょ。タレ目のくせに」

「タレ目は関係ないだろうがっ。そもそも男の尻に触れるなんて、女のすることじゃないぞ!」

「馬鹿ね、相手はちゃんと選んでるわよ。それにニコのどこが男だって言うのよ、タレ目のくせに」

「は? 喧嘩売ってんのか、オラ」


 半眼になって顔を近づけてきたニコラウスに、アデライーデはふんと鼻で笑って見せた。


「ニコがあの神官みたいに男前なら、あんなことするわけないでしょう?」


 先ほどまでいたレミュリオのことを言っているのだと分かると、ニコラウスはむっとした顔になった。レミュリオは次期神官長候補として名が挙がっている。神事にもよく顔を出すので、美貌の青年神官として令嬢たちにモテモテのいけ好かない存在だった。


「なんだよ、お前もあんな優男(やさおとこ)が好みなのかよ」

「そうね……彼の子供なら生んでもいいかも。可愛い子ができそうじゃない?」

「はぁ? おま、それ、バルバナス様の前で言うんじゃねーぞ!」

「なんでまたバルバナス様が出てくるのよ? ニコ、あなた馬鹿じゃないの」

「……馬鹿なのはお前の方だ」


 アデライーデにおかしな男が近づかないよう、バルバナスから見張るように指示されている。アデライーデからもバルバナスからも、男として認識されていない自分がなんだか悲しくなってくる。


「ほんと、めんどくせーな、お前ら」


 逃がしたくないなら、さっさと自分のものにすればいいのに、バルバナスにその気配はまるでない。飼い殺しにされているようで、アデライーデが可哀そうというものだ。


(まぁ、尻のひとつくらい、つねらせてやってもいいか)


 不満顔のアデライーデを前に、そんなことを思ってしまうニコラウスだった。


      ◇

「あら、バルバナス様。こちらにいらっしゃるなんて珍しいですこと」


 先ぶれもなく後宮に乗り込むと、イジドーラが平然とした態度で迎え出てきた。その周囲で女官たちが膝をつき、震え上がりながらバルバナスに礼を取っている。


「ディートリヒはどこだ?」

「ディートリヒ様なら奥にいらっしゃいますわ」


 先導するように歩き出したイジドーラを追い越して、バルバナスは中へと歩を進めた。傍若無人な振る舞いに動じた様子も見せずに、イジドーラはその背を笑みと共に見送った。


 勝手知ったる後宮内だ。ディートリヒのいそうな場所に向かうと、案の定そこでのんびりと本を読む姿が見えた。


「余裕だな」

「兄上、そろそろ来る頃だと思っていた」


 嫌味のように言うと、本を閉じディートリヒは快活な笑顔を向けてきた。その姿は昔の弟そのものだ。王位を継いだ日を境に、ディートリヒは別人となり果てた。それが退位した途端、すっかり自分を取り戻したかのようだ。まるでハインリヒと入れ替わるように。


 それは父親も同じだった。ディートリヒに王位を譲った日から、威厳ある父フリードリヒは魂が抜けたように弱腰になった。王になるとは青龍の化身となることだ。あまりの変わりように、そんなふざけたことを言う貴族までいる。


「お前といい、ハインリヒといい、なぜそんな悠長に構えていられる? クリスティーナは殺されたんだぞ」

「クリスは持病の悪化で()った。ハインリヒもそう宣言しただろう?」


 慶事(けいじ)に水を差さないようにと、王位継承が終えるのを待ってから王女は天に召された。弟思いのやさしい王女だった。その死を(いた)むと共に、市井(しせい)ではそんなふうに(たた)えられている。


「龍の差し金か……? こんな戯言(ざれごと)を許すなど、お前たちはどうかしている」

「すでにハインリヒの御代だ。あれに任せておけばすべて上手くいく」

「上手くだと!? お前、自分の娘が犠牲になって何とも思わないのか!」


 胸倉をつかんで乱暴に持ち上げる。だがディートリヒは態度を崩すことはなかった。


「クリスティーナは自慢の娘だ。兄上が信じようと信じまいと、それだけは変わらない」


 バルバナスは(いきどお)りを抑えられないまま、ディートリヒを置いて後宮を離れた。龍に迎合(げいごう)する人間とのやりとりはいつもこうだ。のらりくらりと(かわ)されて、苛立ちばかりが一方的に増していく。


 青龍に選ばれなかった。たったそれだけの理由で国の内情は知らされず、自分は常に蚊帳(かや)の外だ。父フリードリヒも、弟のディートリヒも、甥であるハインリヒも、龍に囚われた者は腑抜けて傀儡(かいらい)のごとく従うだけだ。


 王の子として生まれ、周囲の人間は表面上だけ(うやま)ったようにふるまってくる。そんな態度は母親からすら感じられて、バルバナスは劣等感に(さいな)まれ続けてきた。


 だが(はた)から見ていて冷静になる部分もあった。選ばれた者たちはみな、まるで龍の奴隷のように思えてならない。龍の意思のまま存続し続けること自体、もはや国として無理がある。その先にあるのはどこまで行っても、犠牲と諦めだけだ。


「こんなこと……絶対に間違ってやがる」


 この国の体制をぶち壊したい。クリスティーナの死をきっかけに、その思いはバルバナスの中でさらに大きく膨らんでいった。


      ◇

 熱が引いたリーゼロッテは、マルコが引き起こしたことについて事情を聞かれた。休み休みだったとは言え、半日がかりの聴取に疲労感だけが強く残った。


(マルコ様が二重人格ってこと、ちゃんと伝わったかしら……)


 あの時マルコは、自分はモモだと名乗った。少女のようなしゃべり方は、やはりマルコとは別人に思えた。両親が殺されたショックで出来上がった人格。そういった考え方がこの世界にはあるのだろうか。


(マルコ様が重い罪に問われないといいのだけれど)


 かといってあの人格がいつ現れるのかと思うと、恐怖で身が凍ってしまう。赤く染まりながら無邪気に笑うマルコの顔が、今でも頭を離れない。

 それでも最後にモモが言ったように、リーゼロッテはマルコを憎みきれないでいた。だが王女を手に掛けた事実は変わらない。そこまで思ってリーゼロッテの瞳から、大粒の涙が溢れ出た。


 あの時殺されるのは自分だったはずだ。それなのに王女が犠牲となってしまった。そのことを誰も責め立てない。それがなお(さら)苦しかった。


 今も(とむら)いの(かね)が聞こえてくる。王女の死を(いた)む鐘は、回数を減らしながらも一年の間、毎日鳴らされ続けることになる。その御霊(みたま)が安らかに眠りにつけるようにと。


「お嬢様……」

「ごめんなさい、エラ……わたくしクリスティーナ様がお亡くなりになったことを、まだ受け入れられなくて……」


 震える声と共に涙が滑り落ちた。食事もろくに喉を通らない。憔悴しきった姿に、エラも痛ましい顔となった。

 そのエラの後ろに誰か男が立っていて、リーゼロッテは(はじ)かれたように顔を上げた。


「アルベルト様……」

不躾(ぶしつけ)に申し訳ありません。あまり時間がないもので、無理を言って通していただきました」


 アルベルトは従者でも騎士でもなく、貴族がするようないで立ちをしている。その瞳は(うれ)いを帯びていて、この世にもう王女はいないという事実を再認識する。同時に弔いの鐘が響き、リーゼロッテの顔は盛大に歪められた。


 自分を(かば)ったせいで、クリスティーナ王女は死んでしまった。あれだけ王女を大切にしていたアルベルトだ。どんなひどい言葉を投げつけられようとも、リーゼロッテはそれを受け入れることしかできない。


「やはりそのように泣かれて。クリスティーナ様が思っていた通りです」


 しかしアルベルトは静かに笑って、諦めに似た表情だけがリーゼロッテに向けられた。


「クリスティーナ様が……?」

「はい。本日訪ねさせていただいたのは、こちらを届けるためです。どうぞお受け取りください」


 一通の手紙を差し出され、リーゼロッテの瞳が見開かれる。そこには(すみれ)の花をモチーフにした封蝋(ふうろう)が押されていた。


 そこには王女の名が記されている。ペーパーナイフを手渡されるも、指が震えてうまく開けることができない。見かねたエラが丁寧な手つきで封筒にナイフをすべらせる。やっとの思いで開いた便箋(びんせん)からは、(ほの)かな香りが漂った。


 東宮のにおいがする。きっと王女がいつもつけていた香水なのだろう。一度押しとどめた涙が、再び(せき)を切って溢れ出た。




 親愛なるリーゼロッテ・メア・ラウエンシュタイン


 この手紙を読んでいるということは、わたくしはもうこの世を去ったということでしょう

 わたくしの死は龍によって定められた宿命

 もしあなたのせいでわたくしが命を落としたように見えたとしても、あなたが自責の念にかられる必要はありません


 そのかわり、あなたは自分の道を(まっと)うなさい

 それはこの国の貴族として生まれ、龍に託宣を受けた者の負うべき義務

 そしてわたくしが伝えた言葉を決して忘れないで

 いつか大きな選択を迫られた時、曇りのないあなた自身の目で答えを選び取ると言うことを

 今は分からなくともその時は必ずやってくるから、それまでに多くのことに触れておきなさい


 あなたはこの国の希望

 失ってはならない光

 それを守れたことをわたくしは誇りに思います


 最後に、ヘッダのことは許してあげてちょうだい

 あなたのことだから言わずとも分かってくれると思うけれど、わたくしの名に免じてとお願いしておきます


   クリスティーナ・シン・ブラオエルシュタイン




「……クリスティーナ様は託宣を果たすために、わたくしの身代わりになったということですか?」


 ぼやける視界で読んだ手紙に、(かす)れた声で問う。はい、とアルベルトは短く肯定を返した。その顔に(いきどお)りは見られない。そこにあるのは諦めの色だけだ。


「はじめから、分かっていらしたのですか……?」


 この結末を迎えることを。アルベルトも、ヘッダも、そしてクリスティーナ王女も。


 静かに見つめ返してくる瞳から読み取れるのは、やはり()とする答えだ。王女はどんな思いで東宮へと迎え入れたのだろう。破滅へと導く死神であるこの自分を。


「リーゼロッテ様、どうぞご自分をお責めにならないでください。王女として、最後まで誇り高く生きたクリスティーナ様を、あなたに否定して欲しくない」


 強く言われ、アルベルトの顔を見る。そこに初めて怒りの影を目の当たりにした。


「勘違いをなさらないでください。クリスティーナ様はあなたのせいで命を落としたわけでも、ましてや、あなたのために命を()したわけでもない。この国を守るため、第一王女として龍の託宣を果たされたのです。その矜持(きょうじ)を、安い哀れみなどで汚さないでいただきたい」


 息が詰まって返事ができない。どうしても涙を(こら)えることができなくて、リーゼロッテは一度だけ深く頷いた。


「ありがとうございます、リーゼロッテ様。わたしはもう行かなければなりませんので、これで失礼します」


 立ち上がりかけたアルベルトを見て、はっとする。あの日ヘッダも王女と共に、折り重なるように床に伏していた。今聞かなければきっと後悔する。声を振り絞ってリーゼロッテは問うた。


「ヘッダ様は……どうされているのですか……?」

「彼女は怪我を負ったものの、命に別状はありませんでした。今はバルテン領に戻り、療養なさっています」

「そう……ですか」


 今なら分かる。ヘッダから向けられた悪意は、すべて王女を守りたいが(ゆえ)だったのだ。彼女は今どんな思いで過ごしているのだろうか。それを思うと胸が押しつぶされそうになった。


「実はこれからそのバルテン領に向かうのですよ。わたしはハインリヒ王から貴族の地位を賜りました。そのおかげでバルテン子爵家へ婿養子に入ることになりまして」

「ではヘッダ様と……?」

「はい。これからは彼女を支え、共に生きていきます。それがクリスティーナ様の望みでもありましたから。ヘッダ様もお体が弱い身、今後社交の場に出ることはないと思います。恐らくもうお会いすることもないでしょう。どうぞリーゼロッテ様もお元気で」


 穏やかな表情でアルベルトは去っていった。王女のことを思いながら、彼とヘッダはこれからの時間をふたりで過ごしていくのだろう。



「リーゼロッテ……」


 呼ばれた先に、ジークヴァルトが立っていた。いてもたってもいられなくて、リーゼロッテは泣きながらその腕に飛び込んでいく。


「王城を辞す許可が下りた。もうここに(とど)まる理由はない」


 大きな手がやさしく髪を()く。頬を包まれ、青の瞳と見つめ合った。



「帰ろう。フーゲンベルク家に」


 頷いて、その胸に顔をうずめた。


【次回予告】

 はーい、わたしリーゼロッテ。夢見の巫女が見つからないままの状況は、神殿と王家の溝を深める原因となって。ようやく公爵家へ帰ろうという直前に、ハインリヒ王が直接わたしの元にやってきて……?

 次回4章第19話「救国の聖女」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!

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