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ふたつ名の令嬢と龍の託宣【なろう版】  作者: 古堂素央
第4章 宿命の王女と身代わりの託宣

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第12話 受け継ぎし者 -前編-

【前回のあらすじ】

 東宮での生活に戻ったリーゼロッテは、再びひとりさびしく毎日を過ごすことに。リーゼロッテに憎しみを向けるヘッダの態度は、ますます冷たくなります。そんなある日、神官見習いのマルコがレミュリオと共に東宮を訪れて。

 ほどなくしてエラが合流し、それと同時にルチアも侍女として東宮へやってきます。そのルチアを前に、突如として夢見の力が降りるクリスティーナ王女。夢見の中に龍から託宣を受けたルチアの運命を垣間見て。

 ルチアとカイの関わりに胸を痛めつつも、自分に残された時間はもう僅かなことを、クリスティーナは改めて認識するのでした。

 瞑想(めいそう)狭間(はざま)に視える映像(ヴィジョン)が頭をちらついた。貴族院会議の終わりに、席も立たずにぼんやりしていた自分に気づく。


「王太子殿下……随分とお疲れのようですね」

「いや、大丈夫だ」


 気づかわしげなブラル宰相に声を掛けられて、ハインリヒはすぐさま立ち上がった。次は貴族との謁見(えっけん)が控えている。ぼやぼやしていると予定の数をさばけない。貴族からの不平不満の芽は、極力減らしたかった。


「本日の謁見の数は予定より少なくなっております。なに、この悪天候で王城に来るのが億劫(おっくう)になった者たちが大勢出ましてね。そうお急ぎにならずとも、本日は十分(こな)せることでしょう」


 にこにこ顔でゆったりと言われ、ハインリヒは幾ばくか肩の力が抜けた。


「そうか……ではこの天候でも集まった者たちは、火急の訴えがあるのだな。待たせるのもよくない。すぐに向かおう」


「……いやはや、なんとも誠実なお方よ」

 足早に広い評議場を出ていくハインリヒを、ブラル宰相は感心と(うれ)いで見送った。


 予定より早い時間にすべての謁見を終え、ハインリヒは自室に向かっていた。余った時間で執務を片づけようかとも思ったが、休めるときは休むようにと宰相に追い帰されてしまった。

 正直なところ何もしないでいる時間を作りたくなかった。日々政務に明け暮れて、夜はアンネマリーをこの腕に抱いて眠る。夢も見ないほど疲れ果てていた方が、ハインリヒとしてはありがたかった。


 こうして後宮をひとり歩いているだけでも、あの瞑想の時間が頭をよぎる。回を経るごとに、断片的だった国の歴史が明らかになってきている。瞑想が深くなるほど視えてくるものは鮮明にこの目に映った。


 ただ歴史を知るだけではない。この国の()り方。そして、この国の成り立ち。


 国の核心に近づけば近づくほど、その先に龍の存在が見え隠れした。


(わたしはその先を知るのが怖い――)


 祈りの間での儀式の果てに、青龍の御許(みもと)に行けるのだと神官長は言う。しかしそれが本当なのか、真実を知るのはこの国の王だけだ。


 瞑想で垣間視た内容は龍によって目隠しされる。この言いようのない不安を、アンネマリーにすら打ち明けられずにいた。最近は精神ばかりか体も不調を訴えてくる。それでも公務の手を抜くこともできずに、ハインリヒは無理やり自身を奮い立たせていた。


「……父上!?」


 いきなり目の前に現れたディートリヒに驚きの声をあげた。しかしぼんやりと歩いていたのは、自分の方なのだろう。王に礼を尽くさないハインリヒに、ディートリヒの後ろを続いていた近衛騎士が(いぶか)しげな顔を向けてくる。


「王太子殿下、後宮とは言え王の御前でございます」

「よい。人払いを」


 ディートリヒの言葉に、騎士がこの場を辞していった。後宮は元々人が少ない場所だ。静まり返った廊下でハインリヒは、父王とふたりきりとなる。


「眠れぬか?」

「いえ……そういうわけでは……」


 顔色の悪さを誤魔化すように視線をそらした。アンネマリーと身を寄せ合って眠るときだけ、嘘のように不安が和らいだ。そうは言っても、容赦(ようしゃ)なく朝はやってくる。眠れているからなんとか持ち(こた)えられている。そんな(あや)うい状況だった。


「……父上、祈り儀の目的とは一体何なのですか?」

「瞑想が怖いか?」


 胸の内を正直に伝えるということは、自分の弱さを認めることだ。だがハインリヒが求める答えを、目の前にいるディートリヒ王だけが知っている。

 しかしなんと訴えればいいというのか。国の守護神である青龍に対して不振の心を抱いているなど、王太子の立場で口に出せるはずもない。


 それでもハインリヒは言葉を得たかった。この不安を(ぬぐ)い去る、前に踏み出すための確かな何かを。


「この国とは――」

「案ずるな。すべては龍の(おぼ)()しだ」


 静かな声がいつものように(さえぎ)った。思わず(にら)みつけるも、やはりいつものように静かな瞳に見つめ返されただけだ。

 この遥か彼方を見ている金の瞳が、ハインリヒはずっと嫌だった。幼いころからディートリヒは自分のことなど目に映してなくて、いつだってここではないどこか遠くを見つめていた。


「分かりました……見苦しい姿をお見せして申し訳ありません」


 おざなりに礼を取り、ディートリヒの顔も見ずにその場を去った。自分が何をしようとも、父王は昔から常に無関心だ。

 アデライーデに傷を負わせた時ですらそうだった。あの痛ましすぎる出来事も、ディートリヒの前では龍の思し召しでしかないのだろう。


 唯一あったとすれば、昨年の冬、新年を祝う夜会でのことだ。あの夜、父に背を押されなければ、自分はアンネマリーを諦めていたかもしれない。


(……あれからもう一年か)


 今年も残すところ(わず)かとなった。アンネマリーという唯一無二の(つがい)を得て、自分は今、気負いなく自分で()れている。彼女を託宣の相手に選んだのは龍に他ならない。そのことに関しては、ただ感謝しかなかった。


 この国は青龍により守られている。幼いころからそう教えられて育ってきた。だが龍に翻弄(ほんろう)される多くの者の姿を思うと、その加護を疑いなく妄信することなど、ハインリヒにはどうあってもできはしない。

 婚姻に関することだけでなく、降りる託宣の内容は様々だ。中には過酷な運命を背負わされる者もいる。それはあまりにも(むご)すぎて、自分の抱える苦悩など、吹けば飛ぶほどの塵芥(ちりあくた)に思えてくる。


 龍は真に正しき存在なのか――


 その答えがあの瞑想の果てにあるのだとしたら、次代の王としてそこから逃げるわけにはいかなかった。例えどんな真実が待っていようとも。


 (なまり)のように重い気持ちを抱えたまま、ハインリヒはアンネマリーの待つ自室へと戻った。


     ◇

 いつもより早い時間に戻ってきたハインリヒに驚きつつも、アンネマリーは笑顔で迎え入れた。

 久しぶりに人目を気にせず抱きしめ合う。公務中に顔を合わせることはあっても、分刻みで進められるスケジュールに、ふたりきりの時間は皆無と言っていい。

 加えてハインリヒの政務が忙しく、ここ最近は夜も遅くなる日々が続いていた。横で眠っていた形跡はあるものの、目覚めた時、寝台の中は常にもぬけの殻だ。


 昼間も気になっていた顔色の悪さが増しているように思えて、アンネマリーは不安げにハインリヒの頬を両手で包み込んだ。


「ここのところ忙しすぎるのではないのですか? もっとお体を休めないと……」


 ハインリヒが手を抜けない性格なのは、アンネマリーにも十分すぎるほど分かっている。だがさすがに近頃は詰め込みすぎだ。そのことを口にしようとするも、無言のままでいるハインリヒに、性急に唇を塞がれた。


 うなじを支える指に、髪の奥に隠された龍のあざをなぞられる。途端に体が熱を帯び、アンネマリーから力が抜けた。広い居間の中途半端な場所で、立ったまま口づけは続けられる。


 角度を変えて口づけを深めながら、ハインリヒの手は背を滑り落ちていく。


「あっ、ハインリ……」


 その熱に翻弄(ほんろう)されながらも、いつになく強引な唇にアンネマリーは戸惑った。忙しさの中、確かにここしばらくはゆっくり話もできてない。そんなときは今まで何度もあったが、こんなにも余裕のないハインリヒは見たことがなかった。


 どんなときも常に感じていた気遣いが、今夜のハインリヒからは伝わってこない。すがりつくように落とされる口づけを、アンネマリーはただ受け入れることしかできなかった。


 それでも与えられる刺激に(あらが)えない熱が高まって、アンネマリーはいつの間にかその意識を手放した。


 ふと、まどろみから浮上する。重いまぶたで見上げると、肩にガウンを羽織っただけのハインリヒが、一点を見つめたまま考え込むように寝台の(ふち)に腰かけていた。


「ハインリヒ……?」


 思わずその腕に手を伸ばす。ゆっくりと振り返り、ハインリヒは少し困ったようなやさしい笑顔を向けてきた。


「すまない……夕べは少し乱暴にしてしまったね」


 やわらかく落とされた口づけは、いつもと変わらないハインリヒだ。そのことに安堵すると、再び眠気が訪れる。


「まだ早い時間だから……君はゆっくり眠っていて」


 そっと(ひたい)(ついば)まれ、魔法にかけられたように、アンネマリーは深いまどろみに沈んでいった。


 気だるくて、体がやけに重く感じる。はっとして身を起こした。素肌の肩からリネンが滑り落ちる。隣にハインリヒの姿はすでにない。

 温もりの消えた冷ややかなシーツを指でなぞりながら、アンネマリーは小さく唇をかみしめた。夕べの思いつめた顔のハインリヒが脳裏に浮かぶ。日増しにあんな表情を見ることが多くなっていた。


 その苦悩に触れても、ハインリヒは何も言ってはくれない。不安が(つの)るばかりで、どうしたらいいのか分からなかった。


(なに弱気になっているの。わたしくはなんのためにハインリヒのそばにいると言うのよ)


 今自分にできることはあるはずだ。顔を上げ、サイドテーブルに綺麗にたたまれていたガウンを羽織る。


 アンネマリーは呼び鈴を鳴らして女官を呼んだ。


     ◇

 昨日に引き続き、早い時間に宰相に執務室を追い出されてしまった。急な書類はなくともやることがないわけではない。それなのにいつにない強引さで言われ、難しい顔のまま仕方なく部屋に戻ってきたハインリヒだ。

 入るなり(こう)のようなにおいがかすかに鼻をくすぐった。薄く()かれた(ほの)かなかおりにほっとできる心地よさを感じる。


「お帰りなさい、お疲れになったでしょう?」

「……アンネマリー」


 笑顔で自分を迎え入れたアンネマリーに、ハインリヒは少しばつが悪い顔をした。昨日は不安に駆られるまま、乱暴に求めてしまった。アンネマリーといる間だけは、何もかもを忘れられる。まるで道具としてアンネマリーを利用しているように思えて、それがたまらなく後ろめたかった。

 いつも以上にやさしく抱きしめ、その頬に口づける。やわらかく笑みを返されて、夕べの扱いに怒ってはいないのだとハインリヒは胸をなでおろした。


「お食事は済まされましたか?」

「ああ、先ほど軽く食べてきた」


 家族で晩餐(ばんさん)を囲むのは年に数えるほどだ。それすらもスケジュールに組み込まれていて、普段の食事は執務の合間に詰め込んでいる。


「ぶな」と鳴き声がしてハインリヒの足に猫の殿下がすり寄ってきた。甘えるようにごつごつと何度も(ひたい)をぶつけてくる。


「なんだ殿下、来ていたのか」

「ハインリヒが早くに戻ってきたから、殿下もうれしいのね」


 足元に絡みつく殿下を抱き上げて、ハインリヒは首下をくすぐるように撫でた。気持ちよさそうに目を細め、殿下はゴロゴロと(のど)を鳴らしはじめる。


「ハインリヒはここに座っていて」


 手を引かれるままソファへと腰かける。それを見届けるとアンネマリーは隣の部屋に行ってしまった。殿下を膝に抱いたまま、ハインリヒは部屋にぽつりと取り残される。


(せっかく早くに戻ってきたのに……アンネマリーはよろこんでくれていないのか?)


 急に戻った上に、いつもより随分早い時間だ。アンネマリーもやることがあるのかもしれない。だがやはり夕べに強引に抱いたことに腹を立てているのだろうか? そんな不安がよぎったとき、殿下に指先をあぐっとかじられた。


「なんだ痛いぞ、殿下」


 撫でる手を止めたハインリヒが気に食わなかったのか、殿下はもっと撫でろと甘噛みしてくる。


「分かった分かった。かじるんじゃない」


 わしゃわしゃと腹を撫でると、殿下の体が膝の上をひっくり返る。これ以上になく伸びきった体をくねらせて、ピーンとなった前足でご満悦(まんえつ)な様子だ。


 隣室からアンネマリーが何かをしている音がした。それを耳にしながら、なんだか放っておかれているようでさみしい気分になってくる。手を止めたハインリヒの顔に、すかさず猫パンチが飛んできた。


「いっ、顔を殴るやつがあるか。ようし、そんなやつはこうしてやる」


 再び乱暴に撫でくり回す。しばらく殿下と(たわむ)れているも、アンネマリーが気になって仕方がない。


(以前は殿下に癒されてそれで満足していたが……)

 アンネマリーにかまってもらえなくて()ねている自分は、猫の殿下と同じレベルだ。


 ハインリヒの口からふっと息が漏れる。あんなに張り詰めていたものが、アンネマリーがいるだけでこんなにも(ほぐ)れてくる。王位を継ぐことを思うと、今でも暗い気分になる。だが逃げ出したい気持ちをどうにか抑えていられるのも、アンネマリーの存在があってこそだ。


(だが甘えたことばかりも言っていられないな)


 気持ちを切り替えるように深く息を吐く。その行為はあの瞑想の時間を思い出させて、言っているそばからまた重たい気持ちになってしまった。


「ハインリヒ、少しだけわたくしにつき合って?」


 いつの間にか目の前にいたアンネマリーににっこりと肩を押され、ハインリヒはソファの背に体を預けた。首の後ろにクッションを詰められ、上向かされた状態となる。


「アンネマリー、何を……?」

「そのまま目をつむってて」


 眉間に口づけられて、アンネマリーの意図も分からないまま瞳を閉じる。すぐにあたたかい何かがまぶたにそっと乗せられた。同時にふわりと花のようなやさしい香りが漂った。


「これは……?」

「蒸した布で温めると目の疲労にいいのですって。隣国でよくやってもらったの」

「ああ……確かにこれは気持ちがいいな」


 じんわりと目元が温まって、一緒に疲れが溶けていくようだ。


「ハインリヒはそのままね」


 そう言ってアンネマリーはハインリヒの片手を取った。かと思うと手のひらをやさしく指で押してくる。指の一本一本まで丁寧にほぐされて、次第にハインリヒの体から力が抜けていく。

 アンネマリーの指先は腕を昇って、肩や首まで時間をかけて丹念にマッサージを続けていった。いつの間にか殿下の姿が消えている。あまりの心地よさに、少し寝入りかけていたハインリヒだ。


「このままでは寝てしまいそうだ」

「続きは寝台でしましょうか?」

「いや、すごく楽になった。ありがとう、アンネマリー」


 腰を引き寄せ膝の上に乗せる。ほっとしたような顔を見て、今さらながらアンネマリーに心配をかけていたことに気がついた。


「君も疲れているに、気を使わせてしまったね」

「そんなふうに言わないで」


 悲しそうに顔を曇らせたアンネマリーの肩口に顔をうずめて、抱きしめる腕に力を入れる。


「ああ、そうだな……すまないアンネマリー」

「ハインリヒ……」


 不安に揺れるまぶたに口づけた。


「こんなふうに甘やかされると図に乗ってしまいそうだ」

「わたくしがハインリヒを甘やかさなくて、誰が甘やかすと言うの?」


 その言葉だけでまだ頑張れそうな気がしてきた。アンネマリーさえそばにいてくれたらそれでいい。だがこれ以上甘えてばかりもいられない。


「眠ってしまう前に汗を流してくるよ。アンネマリーは先に休んでて」


 安心させるために笑顔を作った。もの言いたげなアンネマリーを残して、ハインリヒはひとり浴室へと向かった。


 頭から湯をかぶりながら、苛立つように息を吐く。急激にどうしようもない焦燥感に見舞われた。愛するひとすら笑顔にできない自分は、いつまでたっても不甲斐ないままだ。


(明日はまた瞑想の日か……)


 そのことを思い出すと、再び気が重くなってくる。だが自分は一国の王太子らしくあらねばならない。泣き言ばかりでは、そのうちアンネマリーに愛想をつかされそうだ。


「甘えるな……いい加減、自覚を持て」

 乱暴に髪を洗いながら、言い聞かせるようにつぶやいた。


 湯から上がると寝台でアンネマリーが待っていた。マッサージの続きをしたいと言ってくる。


「ここに横になって?」


 はにかんだ顔で言われ、促されるままうつぶせる。やさしく背を滑る手の心地よさに、思わず寝入りそうになった。


「ありがとう、もう十分だよ」

「いいからハインリヒはおとなしくしてて」


 真剣な声音に、ハインリヒは言われるまま口をつぐんだ。首筋から背骨、肩甲骨(けんこうこつ)と円を描くように滑っていく指先が脇腹にさしかかったとき、ハインリヒはくすぐったくて身をよじらせた。


「動いたら駄目」

「いや、そう言われても……」


 それでもアンネマリーの動きは止まらない。前かがみになって指圧を続けるものだから、背中に押し付けられる柔らかさが気になって仕方がない。


「アンネマリー、その、そろそろ大丈夫だから……」

「もう少しだけ……」

「……だったらお返しに君にもやってあげよう」

「え? あっ駄目、ハインリヒ」


 アンネマリーを抱きしめ、あちらこちらを指圧する、押しているようでアンネマリーのやわらかい場所ばかりを重点的になぞっていった。


「駄目だったら。わたくしがハインリヒを……」

「押しているだけだよ」


 言葉とは裏腹に、気分がどんどん盛り上がってくる。夕べの反省も忘れ、ハインリヒはアンネマリーを存分に味わった。



「なんというか、すまない……調子に乗った」

「いいえ……」

「怒ってはいない?」

「ええ……」

「本当に?」


 疑うように問うと、膝に乗せたアンネマリーが上目遣いで見つめてくる。


「本当のことを言うと少しだけ……」


 伏し目がちに目を逸らされて、ハインリヒは一気に絶望の淵に沈んでしまった。


「ハインリヒがわたくしを頼ってくれないのが悲しくて……もっとちゃんと、弱いところも見せてほしいって……わたくしそう思ってしまって」

「……アンネマリー」


 泣きそうになって抱きしめる腕に力が入った。首筋に顔をうずめ、ハインリヒは(うめ)くように言葉を乗せる。


「本音を言うと、わたしは王位を継ぐことが怖い。王となるとき、わたしはこの国の真実を知るだろう……それがたまらなく恐ろしいんだ。こんな弱音を吐くわたしを君は軽蔑するだろう?」

「そんなこと……」


 アンネマリーはやさしく口づけてきた。


「思うわけないでしょう? お願い……わたくしにだけは本当の気持ちを隠さないでいて」


 (たま)らなくなってハインリヒはその瞳に涙をにじませた。弱いところなど見せたくないのに、そんな自分すらアンネマリーは丸ごと受け止めてくれている。


「アンネマリー……愛している」


 耳に口づけを落とすと、アンネマリーはやわらかく微笑んだ。王族としてあらねばならない自分。その核を成すものを、こんなにもアンネマリーが力強く支えている。


「君はかけがえない女性だ。わたしにはもったいないくらい……」

「わたくしもハインリヒと共にあれて、本当にしあわせよ」


 口づけて、もの足りなくて再び口づけた。何度繰り返しても、奥から溢れ出る愛しさが尽きることはない。唇も、思いやってくれるあたたかな心も、この身を包んでくれるやわらかな肢体も。すべてが自分のためにあるようで――


「ありがとう……君がいてくれてよかった……」


 鼻の奥がつんと痛くなって、ハインリヒは首筋に顔をうずめた。この愛おしい存在を、きつくきつく抱きしめる。


「こんなことを言ったら怒られてしまうかもしれないけれど……ハインリヒの本当の姿を知るのがわたくしだけだと思うと、それがとてもうれしいの」

「君にだけ……そうか。そうだな……」


 男として愛するひとに格好つけたい気持ちもあるが、アンネマリーは駄目な自分も無条件で受け入れてくれている。上辺だけでない安堵が大きくこころを満たしていった。


「だから、これからは隠さないでいて……」

「ああ……ありがとう、アンネマリー」


 立ち向かわなくてならない現実は、いまだ何も変わっていない。それなのに思いひとつで世界は変わる。


 このあと穏やかに、そして熱く、ふたりは愛を深め合った。


     ◇

 久々に遅くまで眠れた朝、アンネマリーは満たされた気持ちで目を覚ました。体は気だるいが、それがまた心地よくも感じられる。


「おはよう、アンネマリー」


 すでに着替えが済んでいたハインリヒに口づけられて、アンネマリーは恥ずかしさに頬を染めた。王太子妃となってから、ハインリヒより早くに起きた試しがない。くせっ毛の寝起きの髪は、いつもひどいことになっている。爆発した髪を愛おしそうに撫でられて、ますます恥ずかしくなってきた。


 リネンに潜り込んできたいたずらな左手を、アンネマリーは制するように抑え込んだ。ハインリヒはこの大きすぎる胸が本当に好きだ。そんなこと思いながら、ハインリヒの手に視線を落とすと、はっとしてそれを両手でつかみ取った。


「ハインリヒ……手のあざが……」


 ハインリヒが大きく目を見開いた。確かめるように左手の甲を見つめるも、いつもそこにあった龍のあざはどこにもない。


 いきなり強く抱きしめられる。耳元の髪に顔をうずめたまま、震える声でハインリヒはアンネマリーに告げた。


「わたしの子が……君の体に宿ったんだ」

「子が……?」


 確かめるように腹に手を当てる。そこに実感はまるでなかった。


「龍のあざを消えたということは、わたしの託宣が果たされたという(あかし)だ」


 思わずうなじに手をやり、自身のあざにアンネマリーは触れた。上からハインリヒが手を重ねてくる。


「君のあざはまだ残っているよ。これは子が生まれた時に消えるものだから」


 やさしく唇を(ついば)まれ、アンネマリーは再び自身の腹部に視線を落とした。この国の龍の存在。この一年、王妃となるべく知識としてそれを学んできた。

 だがずっとどこか信じていない部分があった。その力を今はじめて目の当たりにしたのだ。


「王に……報告に行ってくる。すぐに戻るから、君はこのまま休んでいて」


 もう一度口づけを落として、ハインリヒは寝室を出ていった。



 この日を境に、ハインリヒの王位継承に向かって、ふたりの立場は目まぐるしく変わっていくのだった。

【次回予告】

 はーい、わたしリーゼロッテ。次代の託宣の子を授かった王子とアンネマリー。年明けを待って王位継承の儀が行われることに。その準備が進められる中、約束を果たすため、ハインリヒ王子はアデライーデ様を呼び出して……?

 次回4章第13話「受け継ぎし者 -中編-」 あわれなわたしに、チート、プリーズ!!

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